第4話 綺麗だ
「ハアハア……ひ、酷い目にあいました……」
なんとか追手をまいて、少年は息荒く大の字に横たわる。
黒光りする筋肉ダルマの群れに追い回されるという悪夢のような出来事。巨大蚯蚓の群れや、巨大な砂狼に遭遇したときでも、あれほどの恐怖を感じたことはなかったと思う。
横たわったまま見上げた空は、ゆっくりと白み始めていた。
朝の訪れは近く、早起きな小鳥がさえずりはじめている。
結局、キサラギの居所については、未だ何の手がかりもない。
その事実が少年の疲れた心と身体に重く圧し掛かっていた。
「待っていてください。キサラギ」
いつまでもこうしては居られない。重い身体に鞭を打って、少年はゆっくりと体を起こし、あたりを見回す。
正確な位置は分からないが、散々追い回された結果、どうやら市街地を外れて、郊外の広場にいるようだ。
ゆっくりと見回した視界の隅、薄暗闇の中に、立ち尽くす人の影があった。
あわてて飛び起きると、少年は腰だめに刀の柄に手をかける。
しかし、すぐにその戦闘態勢を解いて、だらりと手を宙に泳がせた。
「……綺麗だ」
呆ける様に呟いた少年の視界に映っていたもの。
それは、少女。
流星の軌跡を束ねたような銀色の長い髪。白磁の肌。深い蒼の瞳。胸元にラピスラズリを埋め込み、金糸の刺繍で彩られた青のドレス。
貴種たちとも違う。これまで見たこともない高貴な姿。
少年がしばらく見とれている間、少女は空を見上げ、暁の中に何かを探しているように見えた。
ふいに少女が少年の方を向いて、目があった。
慌てて少年は目を伏せ、居ずまいを正す。
少女はにこっと微笑むと、少年の方へと歩み寄ってきた。
「なにかご用かしら?」
「あ、いや、す、すいません。不躾に見てしまって…。何を見ているのか気になったので」
少年の慌てる様子に少女はクスリと笑う。
「星をさがしていたんです」
「星…ですか?」
「そう、星。明け方に現れる一際大きな赤い星。私の生まれた国がその星の方向にあるんです」
はじめから分かっていたことだが、やはり彼女はこの国の人間では無かった。
「あなたは、僕のことを見ても驚かないんですね」
彼女は平然と少年に話しかけてくる。知らないから。
少年は、自分が蔑まれる存在であると告げないことは、彼女をだましているような気がした。フェアではないような気がしてしまったのだ。
だからつい、口をついてそんな言葉が転げ落ちた。
少女はきょとんとした表情で少年を見る。
「僕は、この城砦都市の外から来たので、貴種たちとは見た目も違いますから……」
「ごめんなさい。私にはあまり違いがわかりません」
少年の耳には、彼女は少年が何物であるかを気にしない。そう言っている様に聞こえた。どこかに小さな灯りが灯った。そんな気がした。
彼女にならば、キサラギのことを聞くこともできそうに思えた。
「あなたは、こんなところで何をしていたの?」
「妹を探していたんです」
「妹さん?」
「ええ、名前はキサラギ、年は12歳です。ご存じありませんか?」
「ごめんなさい。よくわからないです」
「いや、気にしないでくだ『見つけたのじゃ!』」
少女の申し訳なさそうな顔に少年が慌てたその時、公園の入口の方から、聞き覚えのある声がした。
黒光りする筋肉の群れ、その中央に担がれた神輿の上に胸を逸らして、颯爽と立つお団子頭。言わずと知れたサラトガ伯ミオである。
ちなみにキリエは神輿の後部で横たわって気持ちよさそうに寝入っていた。
「うそでしょう……」
少年は、げんなりした顔で肩を落とす。
「あら、ミオ殿。おはようございます」
「なんですとっ!」
直ぐ隣に立っている少女が、お団子頭に親密そうに会釈したことに驚愕する。
「おお、誰かと思えばセルディス卿ではないか。丁度良い。そこの男は、変質者じゃ。少し手伝ってくれぬか?」
「僕は変質者なんかじゃありません!」
「いやいや、先ほども娼に刃をつきつけて、『ぐへへ、お嬢ちゃん、今どんなパンツ履いてんの?』と聞いてきたではないか」
「聞いてませんよ! 話を盛らないでください」
「そんなこと言ったんですか?」
少女が一歩後ろに下がる。
「言ってません!」
「娼のパンツの色は?」
「白です」
「「あ」」
ニヤリと笑うミオ、自らの失言に気付く少年、少年の発言に驚く少女。
一瞬の気まずい沈黙。少年の頬を一筋の汗が伝う。
「ふははははは! かかったな。変質者」
ミオが哄笑とともに沈黙を破る。
「いや、違っ、違うんです!」
狼狽する少年。
慌てふためく、その隙をつくように、少女は少年の額へと人差し指を押し付け、小さくつぶやいた。
「深淵なる眠りよ」
途端に少年は言葉を失い、急に瞼が重くなっていくのを感じる。眠い。身体中を鎖で縛られていく幻覚の中、抗いがたい眠気に襲われていく。
「大丈夫ですよ……。でも誤解は解いておいた方が良いと思いますので」
遠のいていく意識の中で、少年は少女の声を聞いていた。
鈴の音みたい。少女の声を心地よく感じながら、よろりと彼女の方へと倒れて行く。
「ひどいことをしない様に言っておきますから、安心してください」
目が完全に閉じられる直前、少年の顔を覗き込みながら、少女は慈しむような表情でつぶやいた。
「おやすみなさい」




