第35話 おねいちゃん以外の人は守んないよってこと
「まだ、復旧できませんの?」
ファナサードは苛立ちを隠そうともしない。
ティーカップから立ち昇るハーブの香りも、その脇に山と積まれたお菓子も彼女の苛立ちを打ち消すには至らなかった。
「申し訳ございません。技術主任からの連絡では、未だ原因も特定出来ておらず、復旧の手がかりすら掴めておらぬ様でございます」
「何とかなさい!」
「はい、しかしお嬢様、もう夜も遅うございます。お目覚めの頃には、復旧が完了しておる様に指示いたしますので、お休みになられてはいかがでしょう」
そう言って初老の執事が頭を下げる。
幼少の頃からファナサードの面倒を見てきた彼は『高飛車ドリル』と悪名の高いファナサードを宥める事ができる人物として、内外に人望が厚い。名をクリフトという。
ハーブティもお菓子の山も彼が指示して用意させたものだ。
少々のことならば、ファナサードは、これで大体機嫌を直すのだが、さすがに今日は小手先の物では、どうにもならない様だ。
「そういう訳にはいきませんの!」
ファナサードはクリフトを一睨みすると、八つ当たりするようにハーブティを一気に飲み干そうとして、熱さに舌を焼いた。
ファナサードの苛立ちの原因は、はっきりしている。
ただ、その原因を取り除くことが、極めて困難なだけだ。
何しろ、機動城砦ストラスブルは、現在、砂漠の真ん中で立ち往生しているのだ。
サラトガから離脱して進むこと、わずか数刻。そんなところでストラスブルの魔晶炉は何の前触れもなく、完全に停止してしまったのである。
そもそも、稼働中の魔晶炉が完全停止したなどという話は聞いたことがない。
実際、資料として残っているだけでも、ストラスブルの魔晶炉は数百年単位で稼働し続けてきたはずなのだ。
古代の技術の結晶であり、燃料を必要とせず魔力を生み出し続ける永久機関、それが魔晶炉なのだ。人の手で待機状態にすることはあっても、完全停止など、やろうと思っても簡単に出来るものではない。
魔晶炉が停止したのは夕暮れ時、現在は既に深夜である。
丁度この頃、サラトガでは、アスモダイモスの先発部隊との戦闘が発生していたのだが、ファナサードがそれを知る由もなかった。
『ファナ。そちらも気を付けてくれ。狙いがわからん分、不気味な連中じゃぞ』
別れの直前、ミオが言っていた言葉がファナサードの頭を過ぎる。
魔晶炉停止という、この異常な事態を偶々だと考えるのは、さすがに無理があるだろう。何者かの手によって、ストラスブルの魔晶炉は停止させられた。そう考えるのが妥当だ。
この状況に、アスモダイモスが関係していないはずがない。
ならば狙いは何だ?
口を大きく開けて、ひりひりと痛む舌を外気に晒しながら、ファナサードは考える。傍からみるとちょっとアホっぽいのはこの際、気にしない。どうせ見ているのはクリフトだけだ。
魔晶炉を停止させる意味…………。
ストラスブルを動けなくする。果たしてそれだけだろうか?
次の瞬間、ファナサードはハタと何かに気付いたような素振りを見せ、徐にティーカップをテーブルに置くと、クリフトへと矢継ぎ早に指示を出しはじめた。
「爺! 私も動力系フロアに降ります。今すぐ近衛兵に召集を! それと皇姫殿下の部屋の護衛をもっと増やしなさい」
「かしこまりました。お嬢様」
唐突なファナサードの指示に躊躇することもなく応えると、クリフトは足早に部屋を出て行った。
ドアが完全に閉まるのを確認した後、ファナサードは身支度を整え始める。
ゆったりとした部屋着を脱ぎ捨てると短衣に袖を通し、ピッタリとしたパンツを履く。
鎧までは着るつもりはないが、腰のベルトには細剣を吊るす。
父が愛用していた突剣を彼女が使いやすいように打ちなおした逸品だ。
問題は髪である。現在は、強引にヘアネットで纏めているが、彼女の髪の量は総やかすぎて、ネットで纏めた状態では、頭の上に大玉のキャベツを乗せている様にしか見えない。寝る時も仰向けになるのは、不可能なほどの巨大さである。
幾らなんでも、そんな状態で兵の前に出るのには抵抗がある。
キャベツ頭などという渾名がつくのは、流石にうら若き乙女としては辛いものがあるのだ。
さすがにいつもの縦巻ロールにしている時間はないが、何とかする方法はないものか。彼女がそう思案しはじめたと同時に、扉をノックする音が部屋に響いた。
「お嬢様。準備が整いましてございます」
「ああ……もう!」
今は、見た目を気にしている場合ではない。
若干投げやりではあるが、覚悟を決めて、キャベツ頭のままファナサードは部屋を出た。
髪型のことを他の者に語ったり、揶揄する者は厳しく罰する。集まった兵達にそう強く宣言した後、20人あまりの近衛兵を引き連れて、ファナサードは下層2階の動力系フロアへと階段を下りていく。
このフロアの一番奥、巨大な扉の向こう側に魔晶炉が設置されているのだ。
いつもであれば、魔晶炉の放つ温かい光で満たされているこのフロアも、今は漆黒の闇に包まれ、重苦しい空気が漂っている。
「お開けなさい」
巨大な扉の前で、ファナサードは、左右の近衛兵に命じて、扉を開けさせる。中には技術主任をはじめとする工兵達が作業をしているはずなのだ、鍵がかかっているはずがない。
重々しい音を立てて、ゆっくりと扉が開いていく。
「うっ……これは……」
そこにいた誰もが、一斉に口元を押えた。
扉を開くとともに、漏れ出したのは濃厚な鉄の臭い。むせ返るような血の臭いだ。
薄暗い部屋。そこに広がる血の海の中に、だらしなく腹の突き出た男が一人佇んでいた。
「ふおっふおっ、ご無沙汰でございますな。ストラスブル伯様」
「……これは珍客ですこと」
サラトガと接舷している間に入り込めたであろう人物として、半ば予想もしていたし、この男が既に人間でないこともミオから話には聞いていた。
しかし実際に対峙してみると、なるほど化物とはこういうものなのかと理解する。
頬を滴る一筋の汗を拭いながら、ファナサードは掠れた声で男の名を絞り出した。
「ボズムス卿」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マーネの耳がピクリと動いた。
「どうしたのかしら、マーネちゃん?」
自分の胸に顔を埋めて眠る幼女が、モゾモゾと動いたことで、皇姫ファティマもゆっくりと目をあける。サラトガを出て以来、この幼女は片時もファティマの傍を離れようとしない。
眠そうに目を擦りながら、マーネは囁く。
「あのね、おねいちゃん。アタシの仕事はおねいちゃんを守ることなんだよ」
「はい、そうですわね。突然、どうしたのかな? マーネちゃん」
「おねいちゃん以外の人は守んないよってこと」
「はあ……」
それだけ言うと、マーネは再びファティマの豊かな胸に顔を埋めて、静かに寝息を立てはじめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「見ろよあの雲。明日は、きっと砂嵐になるぞ」
一人の兵士が指さした先には、巨大な黒い雲が垂れ込めている。
あの様子ではストラスブルの停泊するこの一帯は、相当な荒天に見舞われることだろう。
「ふぁあ、良いじゃねえか、宿舎でゴロゴロしてられるってんなら言うことねえよ」
欠伸交じりにもう一人の兵士がそう応える。
城壁の上で見張りに立つ兵士としては、あまりにも緊張感に欠けたやりとりではあったが、アスモダイモスのことなど聞かされていない末端の兵士達の事だ。こんな砂漠の真ん中で警戒する必要なんてあるわけがない。そう思ったところで、誰が彼らを責められよう。
「違げえねえや…………ってあれ? 何か近づいてくんぞ!」
そう言って兵士の指さした先、そこにはストラスブルに向かって、徐々に近づいてくる黒い影があった。
「機動城砦みたいだぜ。どうやら助けが来たらしいな」
「でも、おかしくないか? あの機動城砦、一つの灯りもついてないぜ」
「あちらさんもあちらさんで、何か問題が起こってんのかもな」
普段であれば、さすがにこんな呑気な会話を交わしてはいない。しかし、今このストラスブルには、皇家の旗が翻っているのだ。攻撃されることを心配する必要はないのである。
兵士達が指をくわえて見ている間に、その機動城砦はどんどん近づいてくる。
はっきりと目視できる程に近づいて、そこではじめて兵士達はその異様な姿に気づいた。
鉄の城門、城壁も上半分は鉄で補強された物々しい姿で『戦闘要塞』という表現が似つかわしい黒い機動城砦。
その機動城砦は、ストラスブルと数十ザールほどの距離を保って停止。兵士達は息を飲んで状況を見守っていたが、接舷するわけでもなく、そのまま何の動きも見せようとしない。
「一体、何だってんだ、コイツは」
「襲うつもりで近寄って来たが、皇家の旗を見て怖気づいたんじゃねえか?」
「ヤバいかもな。とにかく報告だ」
「わかった!」
そう言って、遅まきながらも、兵士の一人が階段を降りようと足を掛けたその時、自分たちのいるストラスブルの城壁の上、兵士達のいる位置から200ザールほど向こうを誰かが歩いていることに気付いた。
「おい、あそこに誰かいるぞ!」
一瞬、交代の連中が来たのかと思ったが、それにしては様子がおかしい。
城壁の向こうに横たわる満月を背景に、シルエット状に見えるその人物。やたら丸っこい体型のそいつは、肩に人間の様なものを担いでいる。
そいつは突然立ち止まると、肩に担いでいたものを、あっさりと城壁の外に投げ捨てた。
頭の上にキャベツでも載せているようなおかしな形をした人型。男が軽々と扱っている様子を見て、兵士達は「なんだ人形か」そう思った。
そして次の瞬間、男自身も城壁の外に向かって飛びこんだかと思うと、そのまま数十ザールの距離を飛び、黒い機動城砦へと飛び移る。
そして、そのしばらく後、兵士達が唖然として見守る中、黒い機動城砦はストラスブルから遠ざかっていった。




