第34話 貴様の『お姉ちゃん』には魂が籠っていない。
濛々と立ち昇る砂煙。
崩れ落ちた石壁の向こうから、強烈な光がキスクの眼球を刺し貫いた。
慌てて、手で光を遮りながら、指の間から壁の向こう側の様子を窺う。
逆光の中に一群のシルエット。
中央に女が一人。そして、その周りには筋骨隆々の大男たちが、腰のあたりで指を組んで胸を張る、サイドチェストのポージングでずらりと並んでいた。
「黒薔薇隊、見参!」
中央の女がそう言って、ぴしゃりと鞭で地面を打った。
……なんだコレ。
コレには、さすがにキスクも困惑を隠せない。
登場するだけなのに、照明を使っての演出過剰なショーアップ。
あの攻城櫓の上のガキもそうだったが、どうやら、この機動城砦の連中は事あるごとに不山戯ないと、気が済まないらしい。
頭の中ではそう呆れながらも、キスクはキョロキョロと落ち着かなく辺りを見回す。今のキスクには、相手の一挙手一投足が、罠の様に思えて仕方がないのだ。
徐々に照明が弱まって、相手の姿をはっきりと確認することが出来る様になっていく。
あらためて見ると、男たちは驚くほどに日焼けしており、上半身裸にショートパンツ。盛り上がる筋肉には油か何かを塗っている様で、てらてらと黒光りしている。
武器らしい武器といえば、鉄で補強された手甲だけの拳闘士スタイルだ。……って、おい前列右から2番目の奴、乳首をピクピク動かすのをヤメろ。
女の方は、釣り目がちの気が強そうな美人だ。長い黒髪を後ろで纏めたポニーテール。身体のラインがよくわかる、ぴったりとした黒皮の上下セパレート。胸のあたりに一抹の寂しさを感じるが、それを差し引いても扇情的な恰好と言って良い。
女は振り向いて、攻城櫓のクソガキを見上げると声を張り上げる。
「ミオ様に! 敬礼!」
その言葉に従って、黒筋肉達は、筋肉を誇示するように両手を持ち上げ、ダブルバイセプスのポーズへと移行する。
間違ってもそれは敬礼じゃねえ!
思わず、心の中でツッコみを入れる。
「うむ、大儀である。お主ら今日もいい感じに、キレておるぞ」
いいのかよ!
ダメだ。これ以上ツッコみきれない。
こいつらの相手をしていたら、頭がおかしくなりそうだ。
誤解の無い様に言っておく、アスモダイモスの将兵の中でも、キスクは真面目な方ではない。むしろ、堅苦しい鉄髭あたりには「ワルガキ」と呼ばれて、くどくどと文句を言われてきたものだ。
そのキスクが小一時間説教してやりたいと思うほどに、こいつらは出鱈目なのだ。
げっそりと肩を落としていると、中央の女がキスクの方へと視線を向け、口を開いた。
「貴様、歳はいくつだ」
「22だが?」
突然の質問に警戒しながら答えるキスク。しかしその回答を聞いた途端、女は蔑む様に顔を歪めて、唾を吐く。
「ペッ…生憎だが、お兄ちゃんに用はない」
お兄ちゃん?
「まあ良い。私に打ち勝って、見事、お兄ちゃんの座を射止めてみよ」
困惑しながらキスクは攻城櫓の上のミオを見上げて問いかける。
「なあ……コイツの言ってること、全く意味がわからんのだが?」
「あー気にするな。最近暑い日が続いておったじゃろ? ちと頭の中に熱のこもったままの者もおるわ」
「ミオ様?!」
驚愕の表情で、振り返る女。
どうやらあのクソガキから見ても、コイツはおかしいらしい。
「で、結局なんなんだよ、お前は」
「私か? 私の名はキリエ。キリエ=アルサードだ。サラトガ近衛隊長にして、黒薔薇隊の調教師。しかしその正体は、湖畔に面したログハウスで妹と弟を抱きしめながら、午後の惰眠を貪る。そんな生活を夢見る、どこにでもいる極々、普通のお姉ちゃんだ」
……どうしよう。なんか、めっさ濃い奴、出て来ちゃった。
度重なる、お不山戯の極め付けである。
先程までミオのペテンに掛けられて、精神的に追い詰められていたキスクではあったが、違う角度から追い詰められそうな気がして一気にブルーな気持ちになった。
そんなキスクの脇で、キスクより早く限界を迎えてしまったのか、獣人達が一斉に唸り声を上げる。ツッコみも入れられない彼らにかかるストレスは、キスク以上だったのかもしれない。
そして、獣人達の唸り声に応えるように、黒筋肉達も唸り声をあげ……ってお前らなんで唸ってんの。人間じゃないの?!
キスクが思わず突っ込みを入れている間に、獣人達は一斉に黒筋肉に向かって、猛然と駆け出し始める。
「お、おい! お前ら! 待て!」
キスクの制止も、此処へ至っては全く意味を為さない。軛を解かれた猟犬さながらに獣人達は黒筋肉達に飛び掛かり、そのまま暴発的に乱戦へと縺れこんでいく。
あるものはいきなり殴りあい、またあるものは手刀で打ち合っている。他にも手を掴み合って相手をねじ伏せるべく力を籠めて押し合う者もいる。方法は違えど、どれも肉と肉のぶつかり合い、文字どうりの肉弾戦である。
一見する限り、単純な力比べであれば、人間以上の身体能力を有する獣人が押しているように見える。しかし、40人近くまで減った獣人に対して、黒筋肉の人数はそれに倍する。どつきあいになれば、やはり手数に劣る獣人達が不利になっていくのは明白だ。
「さて、どうしたもんかねぇ」
軽口のように聞こえる呟きの内には、キスクの真剣な逡巡が隠れている。
いつものキスクであれば、命あっての物種と、この隙に驢馬での逃亡を図っていたに違いない。
しかし、それを実行に移さなかったあたり、おそらくミオのペテンに苛まれているのだろう。
怒号、咆哮、土煙、鈍い打撃音、鋭い打擲音。
それらが混然一体となって形作られる乱戦の真ん中を、キリエがゆっくりとした足取りで、キスクへと向かって歩いてくる。
その姿を見て、キスクの頭の中に生き残るための唯一の方策が舞い降りた。
「覚悟を決めるしかねえな」
そう一人呟くと、キスクは驢馬の背を降りて、キリエを睨みつけた。
「飼い主は飼い主同士、ケリをつけるとするか」
その言葉を耳にした途端、キリエは、嘲るように顔を歪める。
「ぷっ、ミオ様に言葉責めにされて、泣きべそかいてた奴が良う言うわ」
「だ、誰が泣きべそなんかかいてるか、ボケ!」
顔を紅潮させて、興奮気味に言いかえすキスクを蔑むように見やりながら、キリエは得物を構える。
右手に鞭、左手には|刃の一部に櫛の歯のような凹凸を持つ短剣。
「剣砕刀とは、これはまた懐古趣味だな」
一昔前、楯の代わりに利き腕でない方の腕に、楯刀や剣砕刀といった、防御に特化した短剣を持つ戦闘スタイルが流行ったことがあった。しかし、その取り回しの難しさから、楯の軽量化が進むとともに、あっさりと廃れていったのだ。
「か弱い女の細腕には、いくら軽くなったとはいえ、楯はちと厳しいのでな」
一方のキスクも、すらりと剣を抜き放ち、腰だめに構える。
得物は柄の長い両手剣だ。
10代の半ばから傭兵として戦場を駆け回ってきたキスクが、そこで学んだことは、武器はシンプルであればあるほど良いということだ。壊れにくく、代えが効く。
二人は距離をとって睨み合い、初撃のタイミングを計る。
先に動いたのはキリエだった。
鞭の先端が、キスク目掛けて飛び、キスクは軽快なステップでそれを躱す。
鞭の先端が足元の石畳を穿つその瞬間、キスクは一気に間合いを詰め、身体を回転させながら、横なぎに大振りの一撃を放った。
その剣筋は洗練とは程遠く、我流ゆえの荒々しさに溢れている。
躱し切れない!
咄嗟にバックステップを踏んで逃れようとしたが、剣先がキリエの脇腹を掠め、剥き出しの脇腹に血が滲む。
深手ではないが、予想以上に鋭い剣技にキリエは驚きを隠せない。
しかしキスクの攻撃はそれで終わりではなかった。
大振り故に慣性の法則に従って発生するフォロースルーを、力任せに中断して、剣を手元で返すと、キリエに向けて短い斬撃を執拗に繰り返す。
キリエは体勢を崩しながらも辛うじて、それを剣砕刀で弾き返すが、反撃に転じる隙が見当たらない。
距離をとるために、転がるようにして横へと回り込もうとするが、キスクは執拗にサイドステップを踏んでついてくる。
「間合いを与える気はねえ。鞭使いは詰めて殺す、それが傭兵のセオリーだ」
「しつこい男は、モテないぞ」
「お生憎様、俺は地元じゃモテモテだ」
これだけ近いと確かに鞭を振るうことすらできない。無理に振るったところで大した威力にもならない。
「終わりだな お姉ちゃん」
キスクは上段から剣を振りおろし、キリエは剣砕刀で辛うじてそれを受け止める。手首に痺れを残す重い一撃。
「貴様の『お姉ちゃん』には魂が籠ってない! いかがわしい店でおっさんがのたまう『お姉ちゃん』にしか聞こえんわ」
額に玉の汗を浮かべながら、キリエは受け止めた剣を刃の上で滑らせ、剣砕刀の櫛歯の部分に相手の剣の刃を挟み込んで捻る。
これが剣砕刀の名前の由来。梃子の原理を利用して最小限の力で相手の剣をへし折るのだ。
そして、剣を折られまいと、捻られた方へと、身体を傾けたその瞬間。キスクの顎に重い衝撃が突き抜ける。キリエの蹴りがキスクの顎を捕えて、脳を揺らしたのだ。
盛大に吹っ飛ぶキスク。剣を手放さなかったのはいっそ立派だと言えよう。しかし、待望の間合いが出来たこの好機を逃すわけもなく、キリエは追撃の手を緩めない。
「鞭乱打!」
激しい鞭の乱打が、飛び回る蜂の様に、キスクの身体中に裂傷を描いていく。
「ちくしょう、俺は鞭でシバかれて喜ぶ趣味はねーぞ、馬鹿野郎!」
さすがに傭兵を長く続けてきただけの事はある。キスクは後ろに逃れることをせず、再び間合いを詰めるべく、痛みを堪えながら剣を構えて前へと飛ぶ。
胸元を狙っての突き。キリエはそれを跳ね上げるべく剣砕刀を胸元に構える。
その瞬間、キスクの剣先が沈み込んだ。胸元はフェイク、本当の狙いは足だ。
キリエの驚愕の表情が、一瞬にして苦悶へと変わる。
キリエの腿に、剣が深々と突き刺さっていた。
「うあああぁぁぁぁぁぁあ!」
「キリエ!!」
キリエの悲鳴に、攻城櫓の上からミオの驚愕の声が重なる。
激痛に足を押えて蹲るキリエを、仰向けに蹴り倒し、キスクはその肢体の上に馬乗りになると、喉元に剣を突きつけた。
「勝負ありだ。お姉ちゃん」
「だ、だから…貴様の『お姉ちゃん』には魂が籠っていないと言っておるだろう」
痛みを堪える荒い息の間から、キリエは言葉を絞り出す。その姿をまじまじと見ながらキスクは、にやりと好色そうな笑いを浮かべた。
「黙ってれば、お前相当の美人だな。どうだ、俺の情婦になるなら、命は助けてやってもいいんだぜ」
「御免蒙る。それに、この状況で貴様がサラトガから無事に脱出することなぞ出来るわけなかろう」
そう言われてキスクが周囲を見渡せば、獣人達はかなりの劣勢。制圧されるまでにそれほど時間はかからないという状況だ。しかし、それを確認しても、キスクは余裕の表情でキリエを見下ろす。
「いいや、出来るさ。今、人質が出来たからな」
そう、最初からキスクはこれを狙っていたのだ。キリエを人質にとることこそが、キスクに唯一残された生還への道であった。
悔しそうに奥歯を噛みしめるキリエ。
「いいね、その顔もいい。気の強い女は好みだ。胸の貧しさについては気にするな。アスモダイモスには胸を大きくする魔術師もいるからな」
その言葉にキリエは大きく目を見開く。
この男は今、何と言った? 胸を大きくする魔法……だと。
次の瞬間、キリエの左手が、喉元へと剣を突きつけているキスクの右手を掴んだ。
無駄な抵抗だ。女の細腕で何が出来る。キスクがそう思ったのも束の間。
万力の様な力で、キスクの右腕が捩じりあげられていく。
「痛てててててて!」
「貴様、ミオ様の話の何を聞いておったのだ。信じたい情報を放り込まれると人はたやすく騙されると言っておられただろう」
苦悶の表情を浮かべるキスクの頭を、がしりとキリエの右手が掴む。
「か弱い? 貴様はそう信じたかったのだろうが……」
「おい、何をする気だ! やめろ!」
「それは全部、ウソだ」
その瞬間、キスクの頭蓋骨がメリメリと軋む音を立てる。
キリエの握力は尋常ではない。
過去には、グスターボが陰でメスゴリラと呼んだがために腕の関節を通常曲がらない方向へと曲げられ、ボズムスは尻を撫でたがために指を粉砕骨折。ナナシも同様に頭を締め上げられ、意識を彼岸にまで持って行かれかけたことがあった。
「ぎゃああああああああ!」
盛大な悲鳴を上げて、キスクは白目をむく。
「ふう…」
キスクの意識がないことを確認すると、キリエは乱暴にその体をはねのけた。そして息荒く、仰向けに寝転がった体勢のまま、攻城櫓を見上げて声を上げる。
「ミオ様! お聞きになられましたか?」
「ああ、しかと聞いたぞ。キリエ、そいつには(豊胸魔法のことを)洗いざらい喋らせろ。そいつの情報が(貧乳の)我らにとっての唯一の希望じゃ! 首を洗って待っていろ(シュメルヴィめ)」
括弧の中は心の声である。
傍で聞いていた者達には、ミオが、アスモダイモスへ闘志を燃やしている様に聞こえたことだろう。
実際のところは、この時、アスモダイモスのことなぞ、コロッと忘れておったのだから、なかなかに業が深い。
かくして、アスモダイモスの最初の襲撃は終わりを迎えた。




