第32話 なんたる悪辣!貴様は悪魔か!
舞台は再び、サラトガへと移る。
ナナシとアージュがゲルギオス城内にて、ダストシュートに飛び込んだその頃、サラトガは約500名の兵士による奇襲を受けていた。
夜の闇に紛れて獣人中心の100名が城内に侵入、残りの400名が遅れてサラトガへと向かう途中、兵を率いる『鉄髭』ズボニミルは、突然現れた二人の幼女を背負った優男――ロリコン将軍メシュメンディらの急襲を受け落馬。砂の大地に横たわっていた。
「ふざけるなああああ!」
雄叫びと共にズボニミルは、横たわった姿勢そのままに、手にした斧槍を振るい、不遜にも自分を見下ろす優男の足目掛けて一気に薙いだ。
「おじちゃん。めーしゅがね。おとなしくしてれば、いのちはたすけてあげるって言ってるにょ」
優男にしがみつく、赤みがかった髪の幼女が放ったその言葉が、ズボニミルの自尊心を甚く傷つけたのだ。
荒々しい斬撃ではあったが、優男は瞬時に後方へ飛び退いて、その一撃は空を切る。
しかし、あっさりと躱されはしたものの、相手に距離を取らせたことで、ズボニミルは体勢を立て直すだけの時間を得た。
この『鉄髭』がこんな若造に情けを掛けられただと?
命は助けてやるなどという台詞を、幼子の口から言わせるとは戦士を愚弄するにも程がある。
不意打ちとは言え、驢馬の背から落とされたのは確かに、不覚であったし、受けたダメージも決して小さくはない。今も火球を喰らった腹が、じんじんと痛んでいる。
しかし、戦士として正々堂々の闘いの末に打ち倒されたわけではない。
勝負はこれからだ。
……それにしても面妖な。
あらためて、目の前の敵の姿を確認して、ズボニミルはそう思う。
軽装鎧に身を包んだその男は、戦士と言うよりは、吟遊詩人とでもいった方がしっくりとくるような優男。面相筆でスッと線を引いた様な細い目は、常時笑っているかのように見える。
そこまでは、まあいい。何もおかしいわけでは無い。
問題はその両肩に、それぞれ幼女がしがみついていることである。
赤い髪と青い髪。
パフスリーブが可愛らしい同じ白のワンピースを着た7,8歳の女の子だ。
赤い方はニコニコと、青い方はむっつりと不機嫌そうな表情を浮かべてズボニミルを見ている。
この優男と子供達はどこからともなく軍の只中に出現し、驢馬と同じ速さで走り、あまつさえ、赤みがかった髪の子供は掌から火を放って、ズボニミルを落馬させたのだ。
言葉にすればするほど、魑魅魍魎の類としか思えない異様さである。
しかし、子供を頭数に入れたとしても、たかが3人。
ズボニミルが落馬するのを見て、兵士達は抜剣し、十重二十重に優男達を取り囲んだまま、殺気立っている。
400人に取り囲まれているのだ。如何に魑魅魍魎の類とはいえ、決して逃げられるものではない。
このまま数に任せて押しつぶすことも出来るが、ズボニミルとしては、兵士達の手前やられっぱなしで終わらせることはできない。
自軍の大将の強さが疑われるような状況を放置しては、兵士達の士気を維持することはできないのだ。
ズボニミルはやや芝居がかった様子で声を張り上げる。
「わが名は『鉄髭』ズボニミル=ダボン! 貴様に正々堂々の勝負を申し込む」
やや間があって、優男はボソボソと何かを呟いた。が、声が小さすぎて、ズボニミルには聞き取れない。その男の言葉を例によって、赤みがかった髪の幼女が代弁する。
「んーとね。きしゅうかけてきて、せいせいどうどうとか、あたまだいじょうぶ? だって」
少女の口調は無邪気そのものだが、返答の内容は辛辣を極めた。
「……ぐぬぬ」
ズボニミルは言葉に詰まり、悔しそうに歯噛みする。
彼自身、この奇襲に大義を見いだせていないだけに、ちょっと言いかえせない。
「…………」
再び、優男がボソボソと赤い髪の少女に向かって呟くと、少女はあらためてそれを代弁する。
「ずぼだぼさん? めーしゅがね、いいから全員でかかってこい。って言ってるにょ」
その一言に兵士達は激昂し、柄を握りなおす音とともに剣林が一気に狭まる。
ズボニミルは水平に片手を伸ばして、兵士達を制止した後、両の手で斧槍を構え直して、優男を睨み付ける。
「挑発するのは結構だが、それは蛮勇と言うべきものだな。あと、人の名前を変な略し方するな」
しかしこの間にも、赤い髪の幼女と青い髪の幼女は顔を見合わせて、口々にささやき、笑いあっている。ズボニミルの言葉など、聞いちゃいない。
「ずぼだぼ?」
「うん、ずぼだぼ」
「ずぼーん! だぼーん!」
「「くすくすくすくす」」
音の響きをただ面白がっている幼女達と、少し申し訳なさそうな顔をする優男。
無言で、ぷるぷると肩を震わせる自軍の将の姿に兵士達は怯えはじめる。
さすがに我慢も限界だ。
「きぃさぁまぁらぁああああ!!」
兜の下で、こめかみに青筋を浮かべて、ズボニミルは斧槍を大きく振りかぶり、一気に振り降ろした。
野太い風切り音を立てて振り下ろされる斧刃。しかし、優男は慌てる様子もなくゆらりと身を躱し、斧槍は地面を叩いて、砂を舞い上げる。
柄を伝って腕へと返ってくる衝撃をものともせず、すかさず斧槍を引き戻す。外した一撃に残心を残しては、大きな隙になることをズボニミルは分かっているのだ。
しかし優男は、隙を突こうという様子をみせない。それどころか剣に手をかける素振りすら見せてはいなかった。
剣を抜く価値も無いと言うのか!
怒りのあまりズボニミルの身体中の血液が沸騰する。
そのニヤケ面を歪めてやりたい。心底そう思いながら、腹を目掛けて、鋭い突きを連続して放つが、それも紙一重で躱されて、優男には届かない。
「ぬう、ちょこまかと!」
ズボニミルの怨嗟に満ちた視線を受け流し、優男はやれやれと言いたげに、肩を竦めて、やっと腰に下げた剣を抜く。
それは見る限り何の変哲もない片手剣。
「そんな鈍らでは、我が斧槍と打ち合えば、十合と持たぬぞ」
「…………」
「えーとね。それはどうかな! って言ってるにょ」
赤い髪の幼女が代弁する。
「いい加減に自分で喋れ!!」
誰もがずっと思っていたことを、ズボニミルは遂にツッコんだ。
途端に優男の表情が強張り、周囲に静寂が訪れる。
優男の肩にぶら下がる幼女二人が、一斉に溜息をついた。
幼女二人の目はあきらかにこう言っている。
空気読めよ。
えっ……ワシが悪いの?
ズボニミルが不覚にもそう思ってしまった瞬間。
優男が突然、苦しそうに唇を歪め、頭を抱えると声を出さずに、身悶えはじめた。
「な、なんだ?」
突然の男の奇行に、何かとんでもないスイッチを押してしまったのではないだろうか。と緊張するズボニミル。
ごくり。何処からか固唾を飲む音が聞こえ、周囲を取り囲む兵達も、緊張の面持ちで男の様子を窺う。
そして、優男は睨むような視線で周囲をぐるりと見回した後、小さく頷いて、再び赤い髪の幼女に囁きかけた。
「…………」
「……うん、わかったにょ」
赤みがかった髪の少女は、ゆっくりとズボニミルを指さしてこう言った。
「ところで、今夜は少し冷えますね(笑)と言ってるにょ」
「……………………ふざけんなあああああ!」
ズボニミルはブチ切れた。
「なんで、あからさまに誤魔化そうとしてんの?! で何? (笑)って?! お前ホント何なの?! 馬鹿なの?! 脳味噌、家に置いて出て来ちゃったの?!」
一気に捲し立ててズボニミルは肩で息をする。
エキサイトするズボニミルを横目に、優男は舌打ちしたかと思うと不愉快そうな顔をして、赤い髪の幼女にふたたび囁く。
「…………」
「チッ、ズボダボのくせに鋭いな。と言ってるにょ」
「気づくわ! 普通。あと誰がズボダボだ!」
完全に遊ばれている。
兵士達の中にもあからさまに笑いを堪えている奴がいるのもまたムカつく。
結局、こいつらの目的はなんなのだ? だたの時間稼ぎか?
律儀にもツッコんでしまったが、このままでは埒が明かない。
ズボニミルは不愉快さもさることながら、それ以上に、この優男達の狙いがわからないことに不気味さを感じていた。
一刻も早くこいつ等を排除すべきだ。戦士としての勘がそう告げる。
「そっちが、その気ならもう良いわ……」
尋常に勝負と思ったが、相手にそのつもりがないのであれば仕方が無い。
ズボニミルは遠巻きに取り囲む兵達に厳かに告げる。
「我が兵達よ! 子供と言えど、覚悟をもって我らの前に立つのならば、踏みつぶすべき敵である! 一人として逃がすな!」
それまで呆気にとられていた兵士達の顔つきが変わり、目が敵対的な光を帯びる。幾重ものカチャリという金属音とともに、兵士達は盾を掲げ、手にした剣を構えなおした。
今の状況を鳥の視点で見たならば、砂漠の真ん中にドーナツを形作る兵士の群れ、その輪の中心にいるメシュメンディ達の視点で見たならば、楯の壁、剣の林である。
取り囲む兵士達の視線は、主に赤みがかった幼女の手の挙動に注がれている。
先程、幼女が放った火球を警戒しているのだ。
慎重に盾の後ろに身を隠し、警戒しながらも兵士達は、徐々に囲みを狭めていく。
「…………」
優男はぐるりと自分達を取り囲む剣林を見回して、赤みがかった髪の幼女にボソボソと何かを呟いた。
幼女は小さく頷くと、ズボニミルに向かって口を開く。
「あのね。ずぼだぼさん。めーしゅがね、おまえら俺に注目してていいのかな? だって」
「なんだと?」
幼女の言葉の意味を計りかねて、ズボニミルは片方の眉を吊り上げる。
次の瞬間、左右の何もない空間から、一斉に大量の弓の弦が震える音がした。
その瞬間、ズボニミルは少女の言葉が意味するところを理解した。
如何に精強な軍隊と言えど、背後からの攻撃には弱い。
今、自分達は全員が全員、円の中心の優男に目を向けている。
つまり360度、いずれの方向から攻撃されても、背後を取られるという考え得る限り、軍隊として、最弱の隊列を取っているのだ。
気付いたところでもう遅い。大量の矢が、兵士達の背後から飛来する。
矢が到達する寸前、青みがかった髪の少女が「飛翔」の魔法を唱えると、優男はそのまま直上に向けて飛びあがり、一気に輪の中心から離脱。包囲の外側へと飛びすさっていく。
「うわあああああ」
次々に飛来する矢に兵士達は狼狽え、右往左往するばかり。悲鳴と怒号が飛び交い、矢が空気を裂く音のまにまに、兵士達は、信じる神の名を唱え、家族の名前を叫び、助けを求める声を上げながら、次々と貫かれて、為すすべなく倒れて行く。
辛うじて楯を円の外側へ向けて、矢の雨を逃れた者。死んだ同僚を楯にして身を守るもの。生き残っている者はいるにはいるが、それも決して多くはない。
「どこからだ! どこから仕掛けてきている」
倒れて行く自分の部下達を見やりながら、ズボニミルは叫ぶ。
その間にも全身鎧を、矢が掠めては甲高い金属音を放つ。今のところ貫通するようなものはないが、それもおそらく時間の問題だ。
これだけの矢が飛来してくるのに、周囲を見回そうとも、見渡す限りの砂と闇。
肝心の敵の姿は見当たらない。
「卑怯者! 姿を現せ!」
その瞬間、ズボニミルの叫びに答えるように、地平線がズレた。
少なくともズボニミルの目にはそう映ったのである。
闇の中から、黒い横断幕を振り払い、弓を捨てて、大盾の間から槍を突き出しながら、無数の兵士達が一斉に突撃してくる。
「重装歩兵だと!」
「フハハハハ! メシュメンディ卿の異様さに目を奪われたな」
突撃する重装歩兵の背後で、それを率いるペネルが高笑いする。
少し警戒していれば、そこに兵士達が潜んでいることに気付いたかもしれない。
黒の横断幕を張ってその背後に兵を隠すなど、子供だましもいいところだ。
奇襲を読まれていると考えなかったのは、確かに驕りだ。
しかし、それ以上にズボニミル達の目は、他のものに釘付けになっていたのだ。
あまりにも、奇矯な男の姿に。
残った兵士達は必死に抗うが、突撃してくる相手の槍衾に晒されて、次々に串刺しにされ、槍が引き抜かれるのと同時に、糸の切れた人形のように倒れていく。
「こんな! こんなことがあぁあ!」
部下の血に染まった鎧で、鉄髭ズボニミルは、斧槍を振るって一人、重装歩兵の槍に抗いながら、獣のような咆哮をあげる。
剛腕から繰り出される斧槍の一撃は、重装歩兵の盾を跳ね上げ、その向こう側に、一瞬、背を向けて頭を掻く優男の姿が見えた。
ズボニミルは、その背に向かって慟哭する。
「なんたる悪辣! 貴様は悪魔か!」
その瞬間、重装歩兵達の槍がズボニミルの身体を一斉に貫いた。
針鼠のように身体中から槍を生やして、ズボニミルは前のめりに倒れて行く。
『鉄髭』の倒れる音を聞きながら、メシュメンディは、振り向くことなく呟いた。
「…………」
メシュメンディのその呟きを赤みがかった髪の幼女イーネが代弁する。
「人間を騙すのは、いつだって人間だにょ」
そう、これは一人の家政婦の頭の中で練り上げられた作戦。
青みがかった髪の幼女サーネがさらに言葉を継ぐ。
「悪魔なんているわけない」
そして、メシュメンディは知っている。
サーネは嘘しか言わないことを。




