第30話 アタシ、あんちゃん食べたい。
アスモダイモスの兵によるサラトガ襲撃から、数刻ばかり時間を遡る。
機動城砦ゲルギオス、その歓楽街の外れにある一軒の宿屋。
夜も更け、歓楽街も灯りが落ちようというその頃、その宿屋に宿泊していた夫婦が人目を避ける様に街へと出て行った。
旦那の方は、目の周りを覆っていた包帯はつけておらず、昼間は奥方に手を牽かれてよろよろと歩いていたというのに、今はそんな弱々しさは微塵も感じさせない。奥方の方も、昼間の可憐なワンピース姿とはうってかわって、丈の短いチューブトップにショートパンツと活動的な恰好であった。
ナナシとアージュは、奴隷少女を寝かしつけると、このゲルギオスに潜入した本来の目的――――ナナシの義妹キサラギの救出に向けて動き出した。
奴隷市場で得た情報によると驚くべきことに、ゲルギオスの新領主は『キサラギ』なのだという。
単純に同じ名前だということは有りえない。『キサラギ』は砂漠の民特有の名前だからだ。そしてナナシに名指しで、賞金を掛けられていることを考えれば、キサラギはナナシを誘い出すための餌、領主という目立つ位置に掲げられた囮であることは想像に難くない。
陰謀の臭いが濃厚に漂っている。だが、動かないわけにはいかないのだ。
一刻も経たないうちに、二人はゲルギオス城の西側の石壁沿いに歩いていた。
工房が軒を連ねるこのあたりは、昼間こそ人どおりが多いが、民家は少なく、深夜には人の通りは、ほぼ完全に途絶える。
アージュは、ナナシがニーノの治療をしている間、ニーノの為に服を買いにいくと同時に下調べをしておいた。その時に侵入経路はここに決めておいたのだ。
近衛隊の副隊長であるアージュは、サラトガに置いて、城内の警備を指示する側の人間だ。警戒が薄くなりがちな場所というのは、良く知っている。
それは、目印になるものが何も無いところだ。
配置を決める際、例えば「噴水のあたり」「石像の脇」など、口頭で指示しやすい箇所には、兵を配置しやすい。
それに対して、特徴的なものが何も無い場所には、せいぜい巡回の兵がたまに回ってくる程度なのだ。
馬鹿みたいな話だが、人間のやることだ。
城に侵入しようなどという愚かな人間はそう多くはない。
そして、何も起こらないという状況が長く続けば、侵入者から城を守るという目的は忘れられ、警備をするという手段が目的にすり替わる。
本来の目的よりも、やりやすさに天秤が傾き、効率という美名の元に怠惰が幅を聞かせ、そこに穴が出来る。
この石壁の向こう側は、植え込みがある以外には、何もない。
アージュの見立てによると、恐らくここがゲルギオス城の穴だ。
ナナシを踏み台にして、アージュは石壁に飛び乗り、次にナナシを引っ張り上げる。二人して城壁の内側に飛び降りるとそのまま、植え込みの陰に転がりこんだ。
予想通り、そこに衛兵の姿はない。
しばらく二人は、そこで息を殺して巡回の兵を待ち受ける。
しかし、いつまで経っても巡回どころか、遠目にさえ兵士の一人も見かけることは無かった。
巡回の兵を襲い、衣服を奪って変装する。そういう心づもりでいたのだが、このままでは埒が明かない。
「巡回すらしないことなんてあるんですか?」
「ねーな。ということはだ……」
「罠ですよね」
「ああそうだ。で、どうするんだ。もし罠だったら侵入するのやめんのか?」
アージュが答えを待つようにナナシを見つめると、ナナシは少し困った様な表情を浮かべて首を傾げて言った。
「やめます?」
「いやいやいや! ここは『そんなわけないだろう! 俺についてこい』って返す感じの場面だろ? そういうフリなんだから、ちゃんと返せよ! なんで、私に委ねようとしてんの? 主体性って言葉知ってるか?」
アージュはナナシの顔に指を突きつけながら一気に畳み掛ける。
アージュの勢いから逃げる様に、身体を反らしながら、あらためてナナシは言いなおした。
「じゃあ、やめません」
「じゃあはいらねー」
「やめません」
「よし」
ナナシにそう言わせると、鼻から息を吹きだして、満足そうにするアージュ。
『鼻からなんか出した時点で、乙女終了のお知らせだぞ』
ナナシの頭の中で、先日キリエが言っていた言葉が反芻されたが、これはアージュには告げる必要のないことだ。と言うか告げたら殺される。
仕方なく、二人は陰から陰へと素早く移動を繰り返し、裏口から城内へ侵入。裏口にも鍵はかかっていない。
城内では、壁際を慎重に移動していくが、やはり誰一人として彼らの前に姿を見せるものはいない。ついには、そのまま上層階に位置する領主の居室と思われるフロアまで到達した。
「……これで罠じゃなかったら、私、ゲルギオスの近衛隊長とっ捕まえて、小一時間説教するぞ、ほんと」
「まあまあ、ここまで無傷でこれたんだから、とりあえず、僕らが幸運だったということにしましょうよ」
ナナシの言うとおり、これほど簡単に目的地へ到達したことを喜ぶべきなのだが、この肩すかし感がアージュには、どうしても納得いかない。
「とにかく、ココにキサラギがいるはずです」
「ああ、気を抜くなよ。ドアを開けた途端、襲い掛かってくることを想像しておけ」
「わかりました」
そう言うとナナシは、片膝をついて身を伏せながら、そっとノブを回す。
開いた扉の隙間から部屋を覗くと、中は真っ暗で、月明かりの中、中央に豪奢なベッドが設置されているのがわかった。
息を殺しながら、這うようにして、部屋の中へと侵入する。
ぐるりと部屋を見回すが、男の居室だといわんばかりに殺風景で、ベッド以外には、壁際に立っている甲冑の置物以外には目につくものは何もない。
「んんっ」
くぐもった声が聞こえて、ナナシとアージュの身体がピクリと跳ねる。
そしてベッドの上の毛布がモゾモゾと動くのが見えた。
「んーあんちゃん、やっときたのー。ふぁぁ、遅いよぉ」
聞き間違え様のない声。
暗い部屋とはいえ、今、ベッドの上で欠伸交じりに、上体を起こした人間のそのシルエットは、見間違えようもない。
探し求めた義妹、キサラギであった。
「もう、ずっと待ってたんだからね。兵隊さん達にも、あんちゃんが来たら、ここに案内してねって言っておいたんだから」
……どうやら潜入せずとも正門に行ったらここまで、連れて来てくれる段取りになっていたらしい。
「キサラギ、本当に無事で良かった。心配したんだぞ。怪我はないか?」
暗闇の中、声を潤ませながら、ナナシはよろよろとベッドの方へと近づいていく。
「うん、大丈夫」
「そうか、良かった。じゃあ一緒に逃げよう。キサラギ」
そう言ってキサラギに向かって差し伸べようとしたナナシの手を、突然アージュが掴んで後ろへ、ぐいっと引っ張った。
「アージュさん、何です?」
ナナシには珍しく声音の上にイラつきが纏わりついている。
「なあ、ゴミカス。お前の妹は砂漠の民だよな」
「そうですよ。当たり前じゃないですか、何言ってるんですか?」
「じゃあ、何でそいつの目が赤いんだよ」
ナナシには見えていなかったが、夜間戦闘訓練で鍛えられたアージュの目には、キサラギの目に貴種と同じ赤い色が宿っているのが見えたのだ。
「そ、そんなわけないじゃないですか」
「あんちゃん、その人は?」
「あ、ああ、アージュさん。一緒にお前を探しに来てくれたんだ」
「いいから、離れろ!」
そう言ってアージュはさらに力を籠めてナナシの腕を引っ張る。
その様子を見ながらキサラギはクスリと笑った。
「……なんでアタシの目が赤いかって、だって地虫じゃ領主だって認めてくれないもの、みんな」
「ん? どういう意味……」
キサラギの言葉の意味を理解できず、ナナシの表情が怪訝なものへと変わる。
「そんなことどうでもいいじゃない、あんちゃん、お腹へったよ。アタシ、あんちゃん食べたい」
暗闇の中、アージュの目にはキサラギの口元が楽しそうに歪むのが見えた。
「ナナシ、かわいそうだが、こいつはボズムス殿と同じだ」
「いや、だからどういう……?」
「お前の妹の形をした、別物なんだよ!」
そう叫ぶとアージュは、力づくでナナシを自分の背後へと投げ飛ばし、一息に双刀を抜きはらう。
「おい、化物! コイツの妹をどうした?」
アージュの問いかけに、キサラギはクスクスとただ笑う。
「聞いてるのか! 化物」
「化物、化物言わないでよ、この娘の魂はちゃんと私の中にあるわ」
「…………喰ったな」
「ええ、戯れに。地虫の魂でも、ちゃんと人間と同じ味がしたわよ」
「き、……キサラギ?」
背後でナナシの震える声が聞こえた瞬間、アージュは慌てて自分の背後に向かって叫ぶ。
「ナナシ、聞くな! お前は早く部屋を出ろ!」
アージュの背後では、ナナシが後ろ手に尻餅をついたまま、目を見開いて、唇を小刻みに震わせていた。
「食べてみたら驚いたわ。この娘の持っている記憶の中に、とんでもない内容があったのよ。まさか地虫がこんな秘密を抱えていたなんてね」
「秘密だと?」
アージュが眉を顰める。
「ええそう。この小汚い連中が、この国を草をも生えない砂漠に変えた、古代の最終兵器を隠しているなんてね」
「最終兵器? なんだそれは?」
「さあ。それはこの娘も知らなかったわ、ただ知ってたのは、その鍵を『あんちゃん』が持ってるということだけよ」
思わず、アージュはナナシを振り返る。
ナナシは茫然とキサラギの方をみたまま硬直していた。
「予定では、ゲッティンゲンのお爺ちゃんと入れ替わるだけだったのだけど、マフムード様にお願いして、この子そっくりの身体を作ってもらったわ。お陰で『あんちゃん』がのこのこ出てきてくれたのだから、あとは魂を喰らって記憶を私のものにするだけ。妹の魂と一つになれるのよ。そう悪い事ではないでしょう?」
アージュは奥歯を噛みしめ、絞り出すように言葉を吐き出す。
「……最後に一つ聞くぞ。貴様を殺したら、ナナシの妹が生き返るなんてことはあるのか?」
その言葉にキサラギは目を丸くした後、激しく笑い転げた。
「ヒィヒィ…やめてよ。あんまり面白い事いわないで、お腹が痛いわ。じゃあ聞くけど、あんたが死んだら、昨日食べたパンが麦の穂に戻んの?」
次の瞬間、風切音とともに、キサラギの右手首が切り飛ばされた。
刹那に間をつめて、アージュが下から上へと薙ぎ払ったのだ。
「おい、化物! これで貴様に殺す価値も無くなったわけだが、落し前はきっちり付けさせてやるから安心しろ。だが、今、妹の形をしたものを切り刻むところをコイツに見せるのも忍びない。どんな手を使ってでも、ゲルギオスごとぶっ壊してやるから震えて待ってろ!」
切り落とされた手首の断面をぼんやりと見た後、キサラギは怒りに顔を歪める。
「小娘が調子にのるなよ!」
その言葉とともに、アージュはキサラギの左手の上に炎が燃え盛るのを見た。
「火球」
聖句とともに火球が、アージュの方へと飛来する。しかし躱すわけには行かない背後には茫然自失のナナシがいるのだ。
今のナナシがこんなものを躱せるはずがない。
アージュは双剣をクロスさせて、身体の前に翳し、火球を受ける。
楯ならともかく、剣で火球を受け止められる筈が無い。それはアージュにも分かっている。火球が着弾する瞬間、アージュは剣から手を離し、背後に向かって全力で飛んだ。
着弾と同時に爆発する火球。
爆風にふっ飛ばされながら、アージュはナナシの身体を抱きかかえ、ドアの外へ転がり出た。
身体のあちこちをぶつけながらもなんとか受け身を取る。
「大丈夫か?」
アージュは、ナナシに向かって問いかけるが返事はない。
無理やり首を捻じ曲げて、顔をみると茫然とした表情のまま、目から生気が失われていた。
「バカ野郎! 呆けている場合じゃねえだろう!」
そう言いながら、ドアの奥に目をやると、再び、キサラギの掌の上で火球が燃え上がり始めているのが見えた。
「ちっくしょお!」
アージュはナナシを抱きかかえて、横っ飛びにドアの正面から飛び退き、その勢いのままに、階段を転げ落ちる。
さっきの一撃で、アージュの手に双剣はすでにない。
ナナシを掴む指先は、大きな火傷でじんじんと痛み、べろりと皮が捲れている。
アイツは殺す。だが、今は逃げるしかない。
ナナシの頭を胸に抱いたまま、階段を転がり落ちたアージュは、踊り場の壁面に強かに背を打ちつけられ、一瞬息が詰まる。
しかし、寸刻もじっとしているわけにはいかない。
階段の上下からはドタドタと大人数の足音が聞こえ始めている。兵士達が向かってきているのだ。階段の踊り場で挟まれては、逃げ場がない。
ナナシの襟首を掴んで、引き摺りながら、さらに階段を駆け下り、下のフロアへと降り立つ。
居住区と思われるそのフロアには、幾つもの扉が並んでいた。しかし、どこの部屋に飛び込もうと、その先が部屋である以上、行き止まりなのは間違いない。
何か、何か無いのか?
その時、アージュの目にフロアの奥、壁面の下の方に、取っ手のついた正方形の鉄の蓋が目に入った。
ダストシュート。
抵抗はあるが、背に腹は代えられない。
アージュは、取っ手を掴むと力任せに蓋を跳ね上げる。
口を開けた暗い穴の奥を覗き込むが、どこまで繋がっているのか深さは、全くわからない。
「全く、こいつをゴミカスなんて名前にするんじゃなかったぜ……」
まさか、本当にゴミカスのようにダストシュートに落ちなくてはならないとは。
溜息を一つつくと、アージュはそのままナナシを放り込み、自分もそこへ飛び込んだ。




