第29話 主の帰る家を守るのが、つ……妻の務めですから
進軍。
ざくざくと、砂を踏みしめる音が響いている。
その数約500。
しかし、軍隊というには、違和感が拭えない。
いや、そのうち400の歩兵達は、間違いなく軍隊だ。
問題は、その集団の先頭を行く約100名ほど。
彼らには、統制などというものは存在せず、三々五々とただ同じ方向を向かって歩いているという印象であった。
「よくもまあ、こんな化物共を仕入れたもんだよな」
先頭集団のすぐ後ろを歩く、派手派手しく飾り立てた驢馬に跨った青年が呟いた。
青年は、自分の前を歩いている男達を見る。
男達は獣特有のハッハッという、短い呼吸音を発しながらも、疲れを知らないかの様に軽快に歩いている。
男達の屈強な身体の上に乗っかっているのは、狼の頭。
狼の獣人だ。
「のう、キスクよ。わしはやはり気が進まん。いかに領主様の命令と言えど、こんな汚らわしい魔物の力を使って、サラトガを占領し終えたとしても汚名を残すばかりではないか」
青年と鞍を並べて驢馬に乗る全身甲冑を着込んだ男が溜息混じりにそう言った。
「おっさんよぉ。まだそんな事言ってんのかよ。相変わらず堅っ苦しいな。勝ちゃあ良いんだよ。勝ちゃあ」
めんどくさそうに切り捨てる若者の返事を聞き流しながら、男は考える。
領主様が変わられたのは、あのマフムードという魔術師を傍に置く様になってからだ。
我がアスモダイモスにとって、不倶戴天の敵ともいえるメルクリウスの動向には全く興味を示さなくなり、サラトガなどと言う取るに足りない機動城砦に異常なほどの執着を見せる様になった。
そして遂には、この奇襲だ。先陣を切るのは、後方を進軍している栄光ある我がアスモダイモスの戦士達では無く、得体の知れぬ、半人半獣の化け物どもだ。
アスモダイモスの名を隠して、動きの取れぬ相手を襲うなどとは、騎士道などとは無縁の暴挙と言っても良い。
男の名はズボニミル。『鉄髭』の異名を持つ歴戦の戦士である。
それだけに領主の命令とはいえ、この出撃にどうしても納得がいかなかった。
「誇りや道義で飯食えるわけじゃねえからな。騎士道なんて流行らねえぞ。おっさんよぉ」
そう男に言い捨ててキスクは、獲物の方へと目を向ける。
銀の盈月を背にして、巨大な城砦のシルエットが横たわっている。
アスモダイモスよりも小型の機動城砦とはいえ、通常で言えば500人程度でどうこうできる規模ではない。
しかし、城壁を破壊され、砂漠の真ん中に取り残されているその姿は、キスクには仕留められるのを待つ獲物の姿にしか見えなかった。
「おかしい。灯りの一つも灯っておらんとは、それに衛兵の姿も見当たらんぞ」
「おっさん、ビビりすぎだろ」
キスクは考える。
こんな砂漠の真ん中で、周囲には機動城砦の一つもないのに襲われるなんて考えるわけがねえ。相手が気付いて準備を始める前に、城を一気に制圧しちまえば良い。
「まあ、いいや。俺は獣人共と先行して、城を制圧する。おっさんは歩兵を連れて後詰をたのむわ!」
そういうとキスクは、獣人どもを追い立てるように驢馬の速度を上げた。
「お、おい!貴様、そんな勝手なことを……」
鉄髭の声を聞き流し、獣人どもを追い立てながら、走るキスク
機動城砦が近づいてくるにつれて、事前に情報として聞いていた砂洪水で破壊されたという城壁がはっきりと見えてきた。
「進入したい放題だな、こりゃ」
月明かりに照らされたサラトガの城壁は、50ザール程にも渡って、ごっそりと崩れ落ちていて、廃墟と言われても納得するほどだ。
城壁の前にたどりつくとキスクは一旦、獣人共を制止し、城壁の内側を覗き込む。
崩れた城壁の内側は、広場のように何もない。砂洪水に削り取られたのだろう。破壊されて土台だけが残った家屋の跡などが見えた。
確かに、鉄髭の言うように、灯り一つ点いていないというのは、不気味ではあるが、おおよそ魔晶炉も破損して、魔力供給がストップしているのだろうと結論づける。
「よし、お前らの好きなように食い散らしていいぜ!」
その言葉を皮切りに、彼の左右の獣人たちは一斉に城壁の内側へと消えていく。
全ての獣人が、城壁の内側に入ったのを確認して、キスクも騎乗のまま、ゆっくりと城壁の内側へと歩を進めた。
「があああ! がああああ!」
しかし城壁の内側に入って、すぐに先に突入した獣人達が、何やら騒いでいるのが聞こえる。
「あいつら、何してやがる」
薄暗闇の中で、キスクは目を凝らして、獣人達が立ち往生している向こう側を見て愕然とした。
「なんで城壁の内側に、石壁があんだよ!」
そこには、広場のようになってしまった被災部分を、ぐるりと取り囲むように半円形に石壁がそびえ立っていた。
高さは約5ザールほどと、それほど高くはないが、少なくとも人間が梯子も掛けずに乗り越えられる高さではない。さらには、その石壁の向こうには、3基の攻城櫓が設置されているのが見えた。
「なんでじゃと? 勝手に進入してきて、文句を垂れるとは躾のなっていない若造じゃの」
中央の攻城櫓の上から、キスク達の上へと声が降りそそぐ。
キスクが見上げるのと同時に、攻城櫓の上がライトアップされて、少女の姿が浮かび上がった。
腰に手を当てて、偉そうに薄い胸を逸らすお団子頭。
言わずと知れたサラトガ伯ミオである。
「餓鬼に若造呼ばわりされるとはね……」
キスクは苦笑して頭を掻く。
「お嬢ちゃん。俺の周りにいる連中、良く見てみなよ」
キスクの言葉にミオは、櫓から身体を乗り出すと、目を細めて下の方を凝視し、次の瞬間、表情が一変する。
「なんと、獣人じゃと!」
くくっ、ビビってやがる。まさか獣人だとは思ってもみなかったみてえだな。キスクは腹の中でほくそ笑んだ。
普通の兵士ならいざ知らず、5ザール程度の高さであれば、獣人の脚力ならば、飛び越えることは無理だとしても、取り付くことぐらいはできる。
「化物共、こんなチャチな壁一気にふみこえちめぇよ!」
キスクの指示に従って、獣人たちが一斉に跳躍し、あっさりと石壁の一番上に手を掛けてぶら下がった。
その瞬間、ミオは真顔で口を開いた。
「あ、そうじゃ。お主らの目の前にあるソレな、城壁補修用の資材を積んでおるだけじゃから、ぶらさがったりすると危ないぞ」
「なっ!」
途端に崩れ落ちる石のブロック。
轟音を立てて石壁そのものが、獣人たちの上へと倒れていく。
濛々と立ち昇る砂塵の中から聞こえた、獣たちの悲鳴が、徐々に弱々しく呻く声へと変わっていく。
「謀りやがったな!」
「お主はあほうか? 搬入の段階で、資材をどういう積み方をしたとて、お主に文句を言われる筋合いはないのう」
「だがその石壁も、もう崩れたぜ。お尻ペンペンしてやるから、そこで怯えてろクソガキ!」
「はて? 誰が石壁が一重だと言ったかのう?」
その言葉に、キスクが目を見開く。
砂塵が収まるにつれて、キスクの目に飛び込んで来たのは、崩れた石壁の1ザール後方に、同じように積み上げられた新たな石壁であった。
「さて、何重まであるのじゃろうの?」
そう言ってミオは、悪辣な笑いを浮かべた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ぷぷっ、ミオ様、すごいドヤ顔ですねぇ」
「あの……シュメルヴィ殿。ホントにいいんでしょうか? 我々、こんなところでのんびりくつろいでいて」
緊張感のかけらもなく、艦橋では、精霊石板ごしに、戦闘の様子を眺める剣姫とシュメルヴィの姿があった。
「いいのよぉ。ミリアちゃんも言ってたでしょ、私とセルディス卿のぉ、魔力がフルチャージ状態でないとぉ、次のステップは勝てないってぇ」
「いやしかし……」
だからと言って、カフェから出前を取るのはやりすぎではなかろうか?
今、作戦立案用の長机の上には、蝶ネクタイを着けた初老のウェイターが、優雅な手つきで紅茶を入れている。
「ベルドットさん、あとでなつめやしのケーキもお願いねぇ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げると、ウェイターはワゴンを押して艦橋から出ていった。
「なあに? セルディス卿は戦いたいのぉ?」
「そ、そういうわけではありませんが、主の帰る家を守るのが、つ……妻の務めですから」
うわぁ……ナナシ君からプロポーズ受けたって、聞いてたけどぉ、もう奥さん気分だぁ、この人。
これ以上この話題に触れると、胸やけがしそうな気がしたので、シュメルヴィは話題を変えることにした。
「でも獣人なんて、初めてみたわぁ」
「この国には獣人はいないのですか?」
「そうねぇ……南の方に土竜の獣人がいると聞いたことはあるけれど、見たことはないわぁ」
「そうですか。私の故郷の近隣諸国には獣人が、わりと多かったですね。あの獣人は狼人間ですから、ネーデルから連れてこられた奴隷の類ではないかと思います」
「狼人間って、普段は人間で、満月の時だけ狼になるって本当?」
「それは、ウソです。狼人間はいつ何時でも狼人間ですよ」
「ふーん、そうなのぉ。ちょっと残念だわぁ。狼の一面を持ってるとか、野性の香りがしそうだし、そんな男の人なら魅力的なのにねぇ」
「そうですね。野性的と言えば、私の主様も野性的で、素敵なんです」
「…………まあ、野兎とか野鼠もぉ、野生と言えば野生よねぇ」
隙あらば、惚気ようとするとは……。
ダメだこいつ。早く何とかしないと。
「ともかくぅ、獣人を含むとはいってもぉ、たった500騎ぐらいで、サラトガを陥せると思ってたみたいだからぁ、こっちが襲撃に気付いてるとはぁ、思ってなかったんでしょうねぇ」
「アスモダイモスは、シュメルヴィ殿が発見されたと伺っていますが?」
「たまたまよぉ、向こうの魔晶炉の出力が上がった時にたまたま所在を告げよを使ったから、捉えられたのよぉ」
そう言いながら、シュメルヴィは、いつもの様に胸の谷間から地図を取り出して、「所在を告げよ」の魔法を行使する。
「セルディス卿。光点の数は幾つ?」
「えっと、9つです」
「そう、つまり今は全然捕捉できないのぉ。移動速度とかを考えると、多分このあたりだと思うんだけどぉ」
「ストラスブルのすぐ傍ではありませんか!」
「そうね。すれ違うぐらいの距離だと思うわぁ」
「そんな悠長な!」
「大丈夫よぉ、ストラスブルは学術の街だもの。魔術師の数が全機動城砦でも断トツでトップなのよぉ。接舷しようとしたが最期、爆裂魔法の釣瓶撃ちで返り討ちにされるのがオチよぉ。心配はいらないわぁ」
歴史にifはない。
しかし、この時もし、ストラスブルのいるべき位置の光点の情報を、シュメルヴィが読み取っていたならば、この後の展開は大きく変わったことだろう。
地図の上には、ストラスブルを示す光点は、存在しなかったのだから。
「ストラスブルはそんなに強いのですね」
「そうよぉ、だから、私達が心配するのはサラトガだけで充分なのぉ」
その時、ズゥンという腹に響く音とともに、モニターに爆炎が映った。
「あ、城壁の外でもはじまったみたいね」
◇ ◇ ◇ ◇
城壁の内側から何かが崩れ落ちる大きな音と、獣の叫ぶような声が城壁の外側にいる鉄髭にもはっきりと聞こえた。
「あのバカ者が、調子に乗りおって!」
たった500騎程度で先行してきたのは、闇に紛れて奇襲をかけることで、サラトガ城まで速やかに侵攻し、迅速に制圧するためだ。
明日、アスモダイオスが接舷するまでに、サラトガ城を押えることが出来たなら、残党が少々抵抗しようが、勝利は疑いない。
城砦侵入後、隠密裏に城へと進行する手筈になっておったというのに、キスクはいきなりド派手な攻撃を始めおったらしい。
気が進まないとはいえ、任務を放棄するつもりも『鉄髭』にはさらさらない。
慌てて後続の歩兵達に走る様に指示を出し、自身も驢馬に鞭を入れ、速度を上げる。
全く忌々しい。思わず口をついて不満が出る。
「派手に戦えば勇猛というわけではないのだぞ!」
「全くそのとおりだにょ!」
ズボニミルの言葉にどこからか、賛同する声が聞こえた。
驚いて声がした方を向くと、幼女が『にぱっ』とズボニミルに向かって微笑む。
「なんだ?!」
それは信じられない光景であった。
全速力で走る驢馬のすぐ脇を、幼女を二人背負った優男がぴょんぴょんと、跳ねるように併走している。
その男は、通称ロリコン将軍。
サラトガ軍第一軍の将メシュメンディ、その人であった。
唯の人間であるメシュメンディが、驢馬に併走できているのには理由がある。
それはメシュメンディが一歩跳ねるたびに、背中にしがみついている青みがかった髪の幼女が「飛翔」の魔法を連続して唱えているからだ。
飛翔は基礎的な魔法ではあるが、使い勝手の悪い魔法としても知られている。
なぜなら、自分にかけることができない。かけるには接触が必要。かかったらかかったで一回の跳躍が終われば、魔法が解除される。という3つの欠陥があるからだ。しかし、背負った幼女が魔法をかけ続けることで、メシュメンディ達は、この欠陥を全て克服していた。
「めーしゅ、おじちゃんビックリしちゃってるにょ」
赤みがかった髪の少女が、メシュメンディの髪の毛をひっぱりながら話しかける。
「………」
「めーしゅ、そのダジャレ面白くないにょ」
男がボソボソと何かをつぶやいた様だが、ズボニミルには全く聞き取れなかった。
「なんだ! お前らは!」
ズボニミルの怒鳴り声に幼女が驚いて、目を丸くする。
「大声出す人、きらい!」
次の瞬間、赤みがかった髪の幼女が向けた掌から火球が射出され、ズボニミルは爆炎に巻かれて、騎上から砂の上へと吹っ飛ばされた。
魔術師が、もしこの光景を見たならば、さぞ驚いたことだろう。
この幼女は聖句を唱えることも無しに、魔術を行使したのだ。
指揮官の落馬に、追いついてきた後続の兵士達が、ざわめき、狼狽する中で、地面に突っ伏したまま、起き上がることも出来ずにズボニミルは考える。
はっきり言って、何が起こったのかさっぱりわからない。
ただ、全身甲冑で身を覆っていなければ、既に命を落としていたであろうことはわかる。
まさか『鉄髭』の異名をもつ自分がこうも簡単にやられるとは。
遠巻きにする兵士達を威嚇しながら、メシュメンディはズボニミルの方へと歩み寄ってくる。
「……………」
「うん、わかったにょ」
メシュメンディは、赤みがかった髪の幼女に向かって、ボソボソと何かをつぶやくと、幼女がズボニミールを指さして言った。
「おじちゃん。めーしゅがね。おとなしくしてれば、いのちはたすけてあげるって言ってるにょ」
◇ ◇ ◇ ◇
爆炎に吹き飛ばされて、二人はドアから転げ出た。
かろうじて、ナナシの身体を受け止めながら、アージュは受け身を取る。
「大丈夫か?」
ナナシに向かって問いかけるが返事はない。
無理やり首を捻じ曲げて、顔をみると茫然とした表情のまま、目から生気が失われている。
「バカ野郎! 呆けている場合じゃねえだろう!」
そう言いながら、ドアの奥に目をやると、再び火球が燃え上がり始めているのが見えた。
「ちっくしょお!」
アージュはナナシを抱きかかえて、横っ飛びにドアの正面から飛び退き、その勢いのままに、階段を転げ落ちる。
とにかく、今は逃げるしかない。




