第28話 古今、タイミングを読まれた奇襲が成功した例はない。
「で、どうするんです? この子」
「…………すまん、ついカッとなってしまった」
ベッドで、静かな寝息を立てている少女を見下ろしながら、アージュはきまりが悪そうに、苦笑した。
煙突から夕餉の支度をする煙がたなびく、夕暮れ時。
窓枠の黒い影が長く伸びて、ベッドに横たわる少女の身体を縦断するように、十字を描いている。
少女の顔に当たる夕陽を気にして、ナナシがカーテンを閉じ、十字は薄闇の中に没した。
ベッドに横たわっているのは、午前中に訪れた市場で、買い取った奴隷の少女である。
店主の鞭打ちによって、瀕死の状態に追い込まれ、廃棄処分を待つばかりであったところを、見かねたアージュが買い取った。
身体を洗われた後、簡素な頭陀袋のような貫頭衣を着せられて引き渡された彼女は、その時点では既に立って歩ける状態ではなく、意識も混濁している様子で、話しかけても、ただ苦しそうに呻くだけであった。
とりあえず、ナナシが背負って宿へと運びこみ、虎の子とも言える、治癒魔法を封じ込めた精霊石を使い切ることで、なんとか命には別状がないところまで持ち直した。
「別に責めているわけじゃありませんよ」
苦い表情で少女の頭を撫でているアージュ。
その背後に立つナナシの表情は、優しい。
「闘わなかった者が拙くとも自ら闘った者を、笑う権利はない。砂漠の民ならば、子供でも知っている諺です。アージュさんのお陰で、少なくとも、その子は死なずに済んだんです。何もしなかった僕が、アージュさんを責めることなんて、出来るはずがありません」
目を丸くして、アージュが振り返る。
「……ナナシ。お前」
アージュと目が合うとナナシは小さく微笑んだ。
「だけど、今夜、ゲルギオス城に潜入する僕らが帰って来れなかったら、折角助かったこの子の命が、再び危険にさらされることになります。だから……」
「あー、自分一人で行くってのはナシな。お前カッコつけても似合わねえし」
ナナシの言葉を先読みして、アージュがそれをぶった切る。
ナナシは何か変なものでも、飲み込んだような微妙な顔になった。
「大丈夫だ。私は必ずこの子のもとに帰ってくる。いざとなったら、オマエを囮にしてでもな」
そう言って笑いながら、アージュはあらためて少女の髪を撫でる、年の頃は8歳ぐらい、燃える様な赤毛に、茶色の瞳、肌は抜ける様に白い。どう考えてもエスカリス・ミーミルの人間とは違う外見に、彼女の境遇を想像しようとするが、何処の国の人間なのかすらわからないという状況では、大して思い浮かぶこともない。
「それより、お前の方こそ、なんで賞金首になってんだよ」
そう、彼女の境遇を想像するよりも、そちらの方が問題だ。
先程からのやりとりに、少し拗ねた雰囲気を残したまま、ナナシが口を開く。
「まあ、キサラギが新領主だと言うなら、それはわからなくもないです。キサラギは『あんちゃん大好きっ子』ですから、単純に会いたがってるとか」
「うげー『大好きっ子』とか言う奴って、ホントキモいよな……」
アージュがえづくフリをしながらナナシを茶化す。
その時、小さな手がアージュのワンピースの裾を掴んだ。
「起きたか?」
まだ意識がはっきりしないのだろう。ぼんやりとした視線を、少女の顔を覗き込むアージュへと向けている。
「ここは?」
「ゲルギオスの宿屋だ。辛い目にあった様だが、もう大丈夫だよ」
「あなた誰?」
「私はアージュ。おまえを奴隷商人から買い取ったんだ」
その言葉に、少女の目が大きく見開かれ、ベッドから飛び起きようとする。
「大丈夫、おまえを奴隷扱いする気はないよ。身体はまだ万全ではないんだ、そのまま寝てると良い」
そういって、アージュは、再び少女をベッドに寝かせると、そっと毛布を掛けてやる。
「どうして……?」
「ん? おまえを買い取ったかって? おまえみたいな小さな子が、死にかけているのを傍観できるほど、大人じゃないだけだ。ところで、おまえの名前を教えてもらってもいいかな?」
「ニーノ……で…す」
毛布に半分顔を埋めながら、少女はおずおずと答える。
「ニーノか。私はアージュ。こっちが旦那のゴミカスだ」
「ちょ! アージュさん!」
アージュは訂正しようとしたナナシの首に腕を回し、首固めのような体勢で、少女に背を向けると、ナナシの耳に小さな声で囁いた。
「この子が、宿屋の主人に聞かれて、お前の本名でも口走ったら一巻の終わりだぞ。とりあえずゲルギオスを出るまでは、この子の前では夫婦ということで通すんだ」
「でもゴミカスはやめません?」
「宿帳に書いちゃったんだから、仕方ねえだろうが、なあゴミクズ。あ、違うカスだ、ゴミカスだ」
「わざと言ってるでしょう」
小声で言い争う二人を、不思議そうに見つめるニーノの視線に気づいて、アージュは咳払いをすると、再び話しかける。
「ニーノはこの国の人じゃないみたいだけど、どこから来たんだ?」
「ネーデル」
「ネーデル? 北の方の国だな。相当遠いところだ」
こくんとニーノが小さく頷く。
「戦争。ニーノ捕まった。売られたです」
たどたどしい回答。どうやらニーノは公用語をそれほど喋れるわけでは無い様だ。
「ネーデルは今、戦争しているのか?」
「ヤー。永久凍土の国と」
「永久凍土の国? 確か剣姫様の国でしたよね」
聞き覚えのある国名にナナシが口を挟んだ。
「ケンキ? ケンキ知ってる?」
「うん知ってるよ。剣姫様がどうしたんだい?」
「ニーノ売ったですのケンキ」
ニーノの言葉に二人は顔を見合わせる。
「剣姫って何人もいるんですか?」
「聞いたことないが、二つ名みたいなものだろう。ならば、そう呼ばれている人間が他にいても、何ら不思議はないだろうよ」
「あ、そうか、そうですよね。アージュさんみたいに『双刀の』とか自称している人もいますもんね」
「よーし、テメエ、表へ出ろ!」
どこにそんなものが収まっていたのか、アージュがワンピースをたくし上げて裾から湾曲刀を引っ張り出す。
「あーダメです! ダメですよ。アージュさん、ニーノが怯えますから!」
アージュはニーノの方をちらりと見ると、確かに引き攣ったような表情をしていたので小さく舌打ちして湾曲刀を仕舞う。そしてナナシは、しばらくニーノから離れないことを心に誓った。
その後、ニーノがしばらくアージュのことを警戒していたが、落ち着くのを待って再び話しかける。
「ニーノのことを奴隷扱いするつもりはないのだが、ゲルギオスを脱出するまでは、奴隷のフリをしてくれないか?」
ニーノは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに小さく頷いた。
「ヤー だいじょぶ。フリするます」
「私のことは奥様、こいつのことは旦那様と呼んでくれればいい」
「アージュは奥様、旦那様…はゴミ……ゴミクズ? ネィ。ゴミカスです」
「ハハハ、ニーノは賢いな。そうだコイツはゴミカス旦那だ」
楽しそうに笑いあうアージュとニーノを見ながら、ナナシがぼそりと呟いた。
「なんだか、僕そろそろ怒っても、許される様な気がしてきました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私がいる間は攻撃されないんでしょう? 本当に私がいなくても大丈夫なの、ミオ」
そう言ってファティマがミオに心配そうな顔を向ける。
今日で、ストラスブルが接舷してから三日。
城壁補修用の資材の搬入は、滞りなく完了し、今日で、ストラスブルはサラトガから離脱し、ファティマを首都まで送り届けるために移動を開始する予定になっている。
サラトガを取り巻く状況に関しては、この後、アスモダイモスが襲撃してくるであろうことも含めて、ファティマとファナサードには話をしてある。
ファナサードからは、一度離脱した後、反転して、アスモダイモスを挟撃してはどうかという申し出を受けたが、ミオは礼だけ言って断った。
皇姫を載せたまま、自ら戦闘に加わるということは、ファナサード自身が罪を問われかねないからだ。
それに、アスモダイモスが狙っているのは実はサラトガではなく、ファティマである可能性だってないわけではないのだ。ストラスブルには出来るだけ早く、この地を離れて、ファティマを首都に送り届けてもらうほうが良いだろう。
「資材の搬入は終わってはいますけど、壊れた城壁の工期は2週間でしょう? そんな動けない状態のサラトガで、アスモダイモスを迎え撃てますの?」
「大丈夫じゃ、ファナ。そちらも気を付けてくれ。狙いがわからん分、不気味な連中じゃぞ。それとファティ姉。一つお願いがあるのじゃが……」
あまりにも尤もな、ファナサードの心配を受け流し、ミオはファティマに向き直る。
「ファティ姉に一人、護衛を着けさせてほしいのじゃ」
ミリアが、もしかしたら狙いは皇姫様かも? と呟いたことが、ミオの心に影を落としている。護衛を着けることは、ミオが出来る限りのことをしようと、考えぬいた結果であった。そのミオの真剣な表情を見取ったのだろう。ファティマは素直に頷いた。
「分かりました。その護衛の方はどちらに?」
ファティマがぐるりと見回すと、ミオの背後から8歳ほどの黄色身がかった髪をした少女が顔を覗かせる。
「紹介するのじゃ。この娘はマーネ・ベアトリス」
「えっ? 子供ですわよね?」
「詳しいことは言えんが、マーネは強力な魔法を使うことができるのじゃ」
なるほど、魔術師ならば、年少の者であっても充分に役立つのかもしれない。ファティマは素直にそう思った。
「よろしく、マーネちゃん」
「うん、おねいちゃん。よろしく」
そう言ってマーネは無邪気に、にぱっと笑った。
「べアトリス3姉妹はなかなか厄介なのじゃが、まあ、マーネは他の二人に比べたら、大分わかりやすい」
「わかりやすい?」
「そうじゃ、マーネは素直じゃから、絶対嘘をつくことはない」
素直な子供は確かに可愛らしい。でもミオがやけに持って回った言い方をしていることが、ファティマのすぐ傍で話を聞いていたファナサードには気になった。
「頼んだのじゃ、マーネ」
「うん、嫌だけどじゃんけんで負けたから、仕方なく言ってくるね。すごく嫌だけど」
「なんだか、毒のある子ですわね」
「素直じゃろ、絶対に嘘を吐かないからの」
なるほど、こういうことかと、ファナサードは合点がいった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
茜空の下、ストラスブルが地平線の向こうへと消えていくのを、ブリッジのモニターで確認し終えると、ミオはその場に集まっている人間に向かって声を張った。
「皆の者、聞いてほしい。恐らく今夜、アスモダイモスから襲撃を受けることになるじゃろう。
しかし、アスモダイモス自体が、接舷して攻城戦を仕掛けてくる可能性は極めて低い。なぜなら、サラトガの城壁は崩れ、城壁を越える必要がないからじゃ。
恐らく、奴らは地上部隊を展開し、サラトガの破損した城壁からの侵入を試みることじゃろう。
しかし、我らは奴らの襲撃を掴んでおる。どこから攻めてくるかも分かっておる。相手の兵力、兵員構成は未知数ではあるが、古今、タイミングを読まれた奇襲が成功した例はない。思う存分、手柄を立てるが良い!」
ミオの言葉が終わると同時に、ブリッジは歓声に包まれる。
しかしミオは歓声が途切れるのも待たず、続けざまに指示を出しはじめた。
「重装歩兵隊の指揮はペネル。段取りは、ミリアに直接確認しておいてくれ。メシュメンディとキリエは遊撃手として参戦。独自の判断で攻撃せよ」
そう言うときょろきょろと首を動かして、誰かを探している様に周りを見回す。
「キリエ、グスターボはまだ使い物にならんのか?」
「ハッ、未だ恍惚の世界の住人です」
「キリエ、お前、ホントお仕置きって言っても、限度があるのじゃからな」
「ハッ、以後気をつけます!」
とりあえず、返事は良いが、全く反省していなさそうなキリエの様子に、次にキリエにお仕置きされる予定のアージュが不憫に思えるミオであった。
「セルディス卿、シュメルヴィ、お主達は今夜は温存じゃ。本当の戦いは今夜ではない。但し、シュメルヴィは治癒系の魔術師10名を見繕って、救護隊を組織。セファルに指揮を執らせろ。
セファルというのはシュメルヴィの副官で、シュメルヴィに勝るとも劣らない豊かな胸の持ち主である。
シュメルヴィとセファルの巨乳組に対して、キリエとアージュの貧乳組という謎の対決構造により、魔術師隊と近衛隊には、実に深い溝が出来ていることは公然の秘密であった。
「ペネル! ストラスブルから搬入した精霊石の装填および、設置はどうなっておる」
「ハッ! 全て仰せの通りに完了しております」
その返事に、ミオは満足そうに頷くとぐるりと全員を見回して言った。
「それでは、これより半刻後に全ての照明を落とす! 闇に紛れて我が咢に紛れ込んだ愚か者どもを、貪り尽くせ!」




