第27話 一体、何が……何が起こっているのじゃ
担架に乗せられて運び出される剣姫を見送りながら、ミオは一人呟いた。
「とんでもない事になったもんじゃ……」
ミリアにどう説明したものか?
キリエは、また一層『お姉ちゃん』を拗らせるのではないか?
ファティマの言うことを疑うわけではないが、ナナシが果たしてあんなことを書き残すだろうか?
何かの間違えであったなら、セルディス卿はどうなってしまうのだろうか?
ナナシが帰ってきた後のことを考えて、ミオは頭を抱える。
ミオの気持ちとしては、苦楽を共にした友であるミリアを応援したいところではあるが、若干疑わしいもののプロポーズを受けた剣姫のリードは明確だ。
さらには、不確定要素として、今現在行動を共にしているアージュと、キサラギという名の義理の妹の存在もある。
一人の男が、複数人の嫁を持つことも不可能ではないが、あのナナシにそんな甲斐性があるようには、とてもではないが思えない。
そう言えば、あの書置きを無視すると、ナナシが誰を気にかけているのかなど、聞いたことがない。
ナナシが悪い。
そうだ。はっきりしない、あの甲斐性無しが悪いのだ。
ミオはそう結論づけた。
ミオの懊悩を他所に、貴賓室の中では興奮冷めやらぬと言う様子のファティマとファナザードが、きゃっきゃと盛り上がっている。
「ファティ姉。私感激いたしましたわ。なんて情熱的な愛のささやきなのでしょう」
「ええ、ええ、本当に。私たちは今日、きっと歴史の目撃者になりましてよ」
「まさに『結婚は二人を描いた小説の結末。そこからは二人の歴史が始まる』ですわ」
「劇作家のジェレミエ卿の言葉ですわね。さすがファナ、博識ですわ」
なーにが劇作家だ。こんちくしょう、人の気も知らないで。とミオは思わず胸の内で毒づいてしまう。実際ミオと二人との温度差は開く一方だ。
「王子様と華麗な…まあ本日のカピカピご飯は見なかったことにするとして、剣姫様のご結婚ですもの、これは大ニュースですわよ」
「そうですわね。これは首都に戻りましたら、さっそく社交界の皆さまにもお伝えしなくては」
ナナシ……お前詰んだわ。
皇姫が社交界で話題に乗せたが最後、結婚式を国家の記念行事として行われても文句は言えない。
ミオがあまりにも浮かない顔をして、話にも加わろうとしないことを気にかけたのだろう、ファティマは急に話題を転換する。
「そう言えば、王子様はゲルギオスに向かわれたのですわよね」
「そうなのじゃ」
……ナナシ。もうオマエ、あだ名『王子様』な。
「王子様の妹君を攫ったとか……ずいぶん大胆ですわね」
「そうじゃ、あと我がサラトガを罠にはめ、砂洪水に飲み込ませようとしおったのもゲルギオスじゃ」
「新領主になられた方は、相当な野心家だと思った方が良いですわね」
ファティマは口元に手を当てて考える素振りをする。
「ファティ姉。新領主ということは、やはりゲルギオス伯は代替わりしておるのじゃな? もしやクーデターか?」
クーデターでゲルギオス伯に反発しているものが、その地位についたのであれば、急激なゲルギオスの方針転換も理解できる。
「いえ、皇家への報告では、ゲッティンゲンのおじ様が引退されて領主の地位を禅譲されたと伺っておりますわ」
「禅譲? ありえませんわ。あの癇癪ジジイが自分が生きている間に人に地位を譲るものですか」
癇癪ジジイという表現には、ファナサードもミオ同様、ゲッティンゲンに相当怒られた経験があることを感じさせた。
「そうじゃのう。娼もそう思う。それにジジイのところは、息子も孫もボンクラぞろいじゃろ。地位を譲ったところで、とてもではないが、あんな大胆な罠を張れるとは思えん」
「新領主は、ゲッティンゲンのおじ様の血族の方ではありませんわ」
「なんじゃと? では、やはりクーデターではないのか?」
「いいえ、ゲッティンゲンのおじ様が全領民に向けて、自ら布告されたと、伺っておりますわ」
「不可解ですわね」
「有り得ぬな」
ファナサードとミオは顔を見合わせる。
「して、ファティ姉。そやつは何者じゃ」
「確か、お名前は――――」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ナナシの赤く腫れ上がった左頬を、優しく風が撫でる。
アージュの腕にしがみついて歩きながら感じる彼女の歩調は、やや大股で未だに怒りが覚めていない様だ。
原因は、朝、宿から出かける時に、宿屋の主人がにやにやしながら言った一言。
「昨日はお楽しみでしたね」
その言葉を言われた途端、アージュはカーッと顔を真っ赤に染め、足早に宿屋の外に出ると、いきなりナナシをぶん殴った。
問答無用の八つ当たりである。
宿屋のご主人も不用意な発言には、注意していただきたい。正直、命に係わる。
ともかく、二人は、歓楽街から少し離れたところにある市場へと向かっていた。
キサラギがどこに囚われているのか、今のところ全く情報はない。これまでの経緯を考えれば、ゲルギオス城内の可能性が一番高いのだが、何の情報もなく城内へ侵入するなど、自殺行為に等しい。
そこで、攫われたというのであれば、奴隷として売られた可能性もあるのではないかというアージュの意見に従って、奴隷市場へと情報を集めに向かうことにした。
サラトガと違い、ゲルギオスは奴隷制度を公認にしている。
むしろ主要産業の一つと言っても良い程で、それ故、奴隷市場の規模も、全起動城砦の中でも最大と言われている。
実際、一区画が丸々、奴隷市場であり、広場に幾つもの天幕が連なっている。この天幕の一つ一つが個別の商人の店なのだという。
まだ、午前中ということもあって、人どおりは少ないが、それぞれの店の前では、商人達が威勢のいい声を上げて、呼び込みを行っている。
曰く、ペリクレス直輸入の剣闘奴隷だの、美しい女奴隷をお求めなら当店へ、魔法を使える奴隷を入荷しましただの、商品が人間だということを除けば、農産物市場と風景としては変わらない。
しかし、早い段階から奴隷制度を廃して、自由・平等を教育に盛り込んだ、サラトガに生まれ育ったアージュにとっては、ここは吐き気を催す背徳の市にしか思えない。同時に、義妹がこんなところで商品になっているかもしれないと思うと、ナナシの胸の中にも憤りの火が小さく灯った。
天幕の間を無言で歩くうちに、アージュは『長く使える年少の奴隷なら、ククアーロの店へ』そういう垂れ幕を掲げた店を見つけ、足を止めた。
途端に天幕の内側から、大きく手を広げながら店主と思わしき人物がにこにこと歩み出てくる。
「お嬢さん! いや奥さんかな? どうです、活きのいい子供の奴隷が入っていますよ!」
魚みたいにいうんじゃねえ! そう商人をぶん殴りたい衝動を抑えながら、アージュは店主に微笑んだ。
「じゃあ、ちょっと見せてもらえるかしら」
「はいはい。今日はどういった奴隷をお探しで?」
「んー特に決めてないのよね。見せてもらって、気に入った子が居れば戴くわ」
「そうですか! じゃあ、お気の済むまでじーっくり見ていってください」
店主はそう言うと、天幕の入口をたくし上げて、二人を中へと招き入れる。
精霊石の灯り一つの薄暗い天幕の中には、大きな檻が二つ並んでいて、それぞれ6人ずつ裸の子供たちが押し込められていた。
どの子も薄汚れていて、膝を抱えてじっとアージュ達を凝視している。
アージュは子供達をざっと見回し、目が黒い子供がいないことを確認した。
ナナシに聞いているキサラギの特徴がどうこうという以前に、砂漠の民の子供はいない様だ。
「アナタ、ここにはいない様ですわ」
「うん」
アージュは視界を閉ざしているナナシに確認した結果を告げた。
その言葉が聞こえたのだろう。一斉に檻の中の子供達がナナシ達の方へと駆け寄ってきて、鉄格子の間から手を伸ばしながら叫ぶ。
「お姉さん! 僕を買ってよ。ちゃんと働くよ! お得だよ!」
「お兄さん! アタシを買ってよ。どんな命令でも喜んで聞くよ!」
「僕は弓矢が得意だよ。猟犬がわりに買っておくれよ!」
必死に自分を売り込む子供たちに唖然としながら、アージュは理解した。
売れ残ってしまったら、自分達がどうなるのかを、この子達は知っているのだ。
引っ切り無しに叫ぶ子供達から目を背け、アージュは耳を塞ぎたい気持ちで一杯になる。
アージュが目を逸らした先には、檻の外に鎖に繋がれもせず、女の子が一人ぐったりとした様子で転がっているのが見えた。
薄暗い部屋でもわかる燃える様な赤毛、エスカリス・ミーミルの人間には有り得ない白い肌には、むち打ちによる蚯蚓腫れと裂傷が無数に走っている。
「あの子は?」
「ああ、アレはもう虫の息なんで、廃棄待ちでさあ」
「廃棄?!」
アージュの常識では許されないことを、さも当然の様にいう店主に、憤りの表情が露わになる。しかし、幸いにも店主から離れて立っていたことと、天幕の中が暗いことで、店主は気付かなかった様だ。
ナナシがアージュの腕を握る手に力を入れ、小さく首を振る。
「そいつぁねぇ、強情な奴で、ちっとも言うこと聞かねえもんだから、さんざん鞭食らわしたら、すぐに虫の息でさあ。生きてりゃあ、慈悲深いご主人様に飼ってもらえたかもしれねえのに、馬鹿なガキですよ」
アージュは深呼吸をして、再び笑顔を作ると店主に媚びる風に言った。
「廃棄ってことは、格安で売ってもらえるのかしら?」
「そりゃね。廃棄となると逆に処分代取られるくれえだから、銅貨80枚ぐらいで手を打ちやすがね」
銅貨80枚。普及品の剣一本と同じくらいの価格だ。
人の命が、安物の剣一本と同じ価格。
思うところを全て飲み込んで、アージュは言った。
「いいわ。買いましょう」
「ちょ、ちょっとアージュさん!」
アージュの言葉に、慌てたのはナナシだ。
今奴隷なんか買ったなら、これからの動きが制限されてしまう。
慌ててアージュの腕を引いたナナシを、彼女はぎろりと睨み付けて、首元を捩じりあげる。
「あん? テメエの嫁に敬語使うバカがどこにいんだコラ! それに私の金で何買おうと私の勝手だろうが、それとも何かテメエ、テメエが買ってくれるとでも言うのか、ゴラア!」
「す、すいません!」
「ははは……旦那さん、尻に敷かれてるねぇ」
アージュの剣幕に、ナナシは即座に謝り、店主はたらりと冷や汗をかいた。
「じゃ、奥で洗ってから引き渡すから、ちょっと待ってておくれ」
そう言って、店主は奥から男の奴隷を呼ぶと、奴隷の少女を肩に担がせた。
「ところで、お宅にはいないみたいですが、目の黒い子供を扱ってる店を知りませんか?」
アージュが銅貨を80枚数えて支払っている横で、ナナシは店主に尋ねる。
「目が黒いって言えば陶器の国人か、地虫かい? また珍しいもんを探すんだな」
「昔ウチにいた奴隷が、目が黒かったんですけど、良く働く奴だったので」
「そうかい。しかし、陶器の国人は滅多に入ってこないし、地虫は元々数が少ないから、捕まんねえだろ。俺も、この仕事について長いけど、今まで一回も見たことねえよ。それに、もし捕まえられたとしても、今地虫は扱えねえしな」
「扱えない?」
「ああ、そうさ。地虫は全部、城に引き渡されることになってるんだ」
「なんで、そんなことを?」
「さあな。新領主様の命令だそうだ。そうそう、中でも、『ナナシ』って名前の奴を連れていったら信じられねえぐらいの報奨金が出るそうだぜ」
銅貨を数えるアージュの手が止まり、ナナシは思わずアージュの腕を離してしまった。奴隷商人の口から突然、自分の名前が出たことに、心臓を握りつぶされる様な感覚を覚える。
「アナタ、大丈夫? この人、心臓に病を持ってるんです」
ナナシの不審な挙動をアージュが取り繕い、商人はあまり興味なさげに「へえ、それは大変だ」と応じる。
しかし、ナナシはアージュの手を振り払い、震える声を誤魔化しながら、商人に質問を重ねた。
「ゲルギオスの領主様はゲッティンゲン様ではないのですか?」
「いや、ついこの間、領主交代の布告が出たんだ」
ナナシが乗り出すように聞いてきたことに、驚いて少し身を引きながら、商人は答えた。
「12歳ぐらいの若い女領主様で、確か名前が……」
嫌な予感に、ナナシの心臓が激しく鼓動する。
「キサラギってんだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「キサラギじゃと!」
ミオが驚愕の声を上げる。
「一体、何が……何が起こっているのじゃ」
「急にどうしたのです。ミオ」
「落ち着け!」
ファティマが告げたゲルギオスの新領主の名にミオは衝撃を受けた。
ミオの豹変に驚いて、声を掛ける二人を気にも止めず、ミオは中空を見つめながら考えを巡らす。
サラトガを罠に掛けようとした、その黒幕が捕まっている筈のナナシの義妹だというのか?
いや、ありえない。
そうありえないのだ。一回目のゲルギオスの襲撃は、ナナシがサラトガに来る一週間も前の話だ。ナナシはキサラギが捕まった、その日にサラトガに潜入してきたはずなのだ。
何か大きな罠に気づかずに、じわじわと嵌っていっている。
そんな違和感をミオは感じていた。




