第26話 この戦いが終わったら、私と結婚してください!
どの機動城砦の城内にも、皇家専用の貴賓室が存在する。
皇家の人間が機動城砦を訪れることは、実は少なくない。
様々な式典の為、視察の為、皇家の誰かが年がら年中、どこかの機動城砦を訪れていると言っても良いぐらいだ。
皇家が機動城砦を訪れることを『御幸』と呼び、その場合、基本的には機動城砦の方から首都に接舷して、皇家の者を迎えにいくのが通例である。
故に今回のように皇姫ファティマの方から、サラトガを訪れるなど、異例中の異例の出来事だと言っても良いだろう。
サラトガ城内にも当然、貴賓室は存在している。
尖塔の比較的上層階、1フロアが丸々それに当たる。
「ご苦労様、皆下がって良くてよ」
そう言って皇姫が人払いをし、皇家に仕える侍従たちの最後の一人が部屋を退いて、ゆっくりとドアを閉めた。
豪奢なソファーに、膝を揃えて上品に腰かける皇姫ファティマ。その足元には二人の人間が拝跪している。
「二人とも、もうよろしくてよ」
その言葉に従って、ファティマの足元の二人。ミオとファナサードが、むくりと頭を上げると、目を見合わせて笑いあった。
「良く来てくれたのじゃ。ファナだけじゃなくて、ファティ姉まで来てくれるとは正直驚いておるがのう」
「偶然なのよ。丁度、私がストラスブルへ『巡幸』で来ている時に、ミオの魔導通信が入ったのよ。ミオがピンチですわ!って駆け込んできたときのファナの慌てようと言ったら」
そう言って、ファティマは口元を隠して笑う。
「ちょ! ファティ姉、それは言わないって約束しましたのに!」
「そうでしたっけ? ところで、これであと、マレーが居たら同窓会でしたわね」
慌てて詰め寄るファナザードを軽くいなして、ファティマはあからさまに話題を変えた。
お互いの立場があるため、人前では臣下の礼を崩すことはないが、自分達だけになるとこの通りだ。
そもそもこの三人にもう一人、現ペリクレス伯の娘であるマレーネを加えた四人は、ストラスブルにて共に学んだ学友である。より正確に言うと、皇姫ファティマとその学友を務めるために集められた領主の子女3名であった。
当時、ファティマ12歳、ファナサード11歳、マレーネ11歳、そして、ミオ6歳。
ミオだけ年齢が離れているのは、当時幼くして天才的な知能の持ち主として注目を浴びていたからだ。
この四人の仲の良さは当時、非常に有名であった。
どのくらい有名であったかと言うと、この4人を題材にした『薄い本』が、現在も闇市場で高額で取引されているぐらいだ。
女三人集まると姦しいとはよく言ったもので、3人の話はつきることもなく、長々と続いている。
「しかし賑やかじゃのう」
「ええ、お互いの民草のためにも、良い機会になりましたわね」
話をしながら、なにげなくミオが窓辺に立って外を覗きこむと、城門のあたりでは、ストラスブルから城壁を補修するための資材が、次から次へと搬入されてきており、その両脇を両都市の市民が行きかっている。
接舷期間は3日間、その間は両都市の行き来は自由とした。
これは、ミオとファナサードそれぞれが、お互いを信頼しているからこそできる措置であって、通行税も入場税もなく、身分照会もされずに気軽に行き来できる機会など滅多にない。
観光に出かける者、大きな荷物を持って商売にでかける者達で、城門のあたりはごった返している。
こんな砂漠の真ん中であるが故に他から、侵入してくるものはまずいない。
活気があって、皆イキイキとしている。素敵な光景だとミオは思う。
ミオがじっと見ていると、城門から入ってくる人波の中に白いフードマントをすっぽり被った人物が一人いるのを見つけた。
ナナシ? ミオは一瞬そう思ったが、それはありえないと、すぐにその考えを打ち消す。
「のう、ファナ。お主の街には、砂漠の民は住んでおるのか?」
「砂漠の民? 地虫のことですわね。そんな汚らわしいものが、我がストラスブルにいるわけないじゃありませんか」
汚らわしい……か、まあそういう認識じゃわな。と心の中でつぶやいて、ともかくあれは砂漠の民の人間とみて間違いない。キリエにあとで捜索させようと思った。
「ところでミオ、実は一つお願いがありますの」
話が途切れたところで、ファティマがミオの方に向き直り、恥ずかしそうに言った。
「なんじゃあらたまって、ファティ姉に頼まれたら娼が断れるはずがなかろう。何でも言ってくれ」
モジモジとしながら、ファティマが口を開く。
「それでは、私、銀嶺の剣姫様にお会いしてみたいですわ」
「え”」
おもわず、固まるミオ。
「そういえば、ミオのところにいらっしゃるんでしたわね、剣姫様」
「そうですのよ。今首都では、銀嶺の剣姫様をモチーフにした歌劇が、ものすごく流行っていますのよ。先日、私も拝見いたしまして、いたく感動いたしましたの」
「ああ、私も噂は聞いておりますわ。何でも、銀嶺の剣姫様と異国の王子様との恋物語だとか。私もぜひ拝見したいと思っておりましたのよ」
「ええ、とっても素敵ですわよ。私、銀嶺の剣姫様のファンになりましたの。ですので、折角、ご本人がいらっしゃるのであれば、是非お会いさせていただきたいですわ」
「ははは……」
テンションを上げて盛り上がるファティマとファナサードを他所に、ミオの口からは渇いた笑いしか出ない。
その銀嶺の剣姫様が、まさか男に置いて行かれて、引き籠っているなどと言えるわけがない。
「「お呼びしていただけませんこと!」」
ファティマとファナサードが期待に目を輝かせながら、ミオに詰め寄る。
これはもう、呼ばないわけには行かない。
「では、呼んでこさせるゆえ、少し待っておるのじゃ」
そう言って、廊下に出るとミオは大声を張り上げる。
「キリエ! キリエはおらぬか!」
その呼びかけに応じて、廊下をキリエが駆けてくる。
「はい、こちらに控えております」
「どんな手をつかっても良いから、セルディス卿をここへ連れてくるのじゃ!」
「は? セルディス卿はお部屋に引き籠っておられるかと」
「だから、どんな手を使ってでもと言っておる! 皇姫様が面談をご所望されておられるのじゃ!」
皇姫のオーダーだと言うならば、是非もない。キリエは主が追い込まれている苦境を察した。
「御意! 命に代えましても、君命を果たしてまいります!」
◇ ◇ ◇ ◇
「せ、セルディス卿をお連れいたしました……」
一刻の後、ドアの外から、明らかに憔悴した様子のキリエの声が聞こえた。
続いて、ゆっくりとドアが開き剣姫が部屋へと入ってくる。
ミオは見た。
ファティマとファナサードの期待に満ちた眼差しが、一瞬にして困惑へと変わるのを。
入ってきた剣姫には、いつもの凛々しさはかけらも存在していなかった。
目の周りは泣き腫らし、髪の毛は狂人のように乱れ、いつものように青いドレスこそ着ているものの、背中のボタンは止まっておらず、首元はズレて片方の肩が露出している。
袖口のボタンは外れかけ、胸元にはカピカピに乾いたご飯がくっついていた。
「こ、こちらが、銀嶺の剣姫様でいらっしゃいますか?」
ファティマが少し引き攣った笑顔でミオに問いかける。
「実は……」
さすがに、これは話さないわけにはいかない。
ミオは、簡単に経緯を語った。
すなわち、剣姫の大切にしている男が、自分の妹を救うためゲルギオスに向かった。心配と、連れて行ってもらえなかったショックで剣姫は心身喪失の状態にあるのだ、と。
無論、その男と言うのが砂漠の民であり、他の女と一緒に行動しているなどとは言う必要のないことなので、一切伏せた。
「まあ、なんて御労しい」
ミオのその話に、ファティマは同情するような表情を見せる。
「剣姫様とその殿方とは、どういったご関係でいらっしゃいますの?」
「主と私は、永遠を契った仲です」
ファナサードが剣姫に尋ね、剣姫は、ぼんやりと目の焦点もあわないまま、平坦な口ぶりで答えた。
「まあ、素敵。歌劇でいうところのイリアス様ですわね!」
誰だよイリアス。ミオは心の中でツッコむ。
「大切な殿方の身を案じる女心ですわね。わかります。わかりますことよ!」
「素敵な殿方なのでしょうね。どこかの国の王子様なのでしょうか?」
「主様は、たしかに将来、王となるお方です」
剣姫の回答にファティマとファナサードは二人きゃーきゃーと更に盛り上がり始めた。
「素敵ですわ! ロマンチックですわ!」
ミオは思う。
まあ二人とも年頃の娘だ、恋物語に盛り上がる、それもわからんでもない。
でも素敵か? ロマンチックか? カピカピご飯だぞ?
妄想の域に突入した話で盛り上がる二人を尻目に、剣姫がミオに向き直る。
「ミオ殿、主様の書置きを見つけたのだが、私には読めない文字で書いてあるのだ。ミオ殿ならば読めはしないだろうか?」
そう言って剣姫が、一枚の紙片をミオに手渡す。
そこに書かれた文字は、ミオにも見覚えが無い。
「セルディス卿、すまぬが、これは娼にも読めん」
「そうか……」
「だが、落胆することはない。ここにおわすファティマ様は、語学の天才じゃ。近隣諸国の言語を含め、幾つもの言語を習得されておられる」
「本当か!」
ミオの言葉に、ファティマへと期待にあふれた視線を向ける剣姫。
「まあ確かに、この国に入ってくる文字で、私に読めない文字などありませんわ」
「さすがはファティマ様」
まるで太鼓持ちの様に持ち上げるファナサードに、ドヤ顔を向けるファティマ。
一瞬でファティマの傍へと詰め寄り、剣姫はその両手を握ると必死の形相で目を合せた。
「読んで! 読んでいただくことは出来ぬでしょうか!」
「わ、わかりましたわ」
なぜか、頬を染めて目を背けるファティマに、ミオは「百合か!」とツッコみを入れたかったが立場を慮って、思いとどまった。
ミオから紙片を受け取ったファティマは一目見て、硬直する。
なにこれ? 見たことないですわ。こんな文字! 心の中で驚愕の声を上げるファティマ。
当然である。
ファティマが学んできた語学の中に、この国において人間としてカウントされていない地虫が使う言葉など入っているわけがない。
ちらりと剣姫に目をやると、緊張と期待に満ちたきらきらした目でファティマを見ている。
うえぇぇぇぇん! 無理! 今さら読めないなんて、絶対に言えない!
こうなったら、今まで聞いた話を総合して、書いている内容を推測するしかない。ファティマはそう思った。
「よ……読みますわよ」
部屋の中を、緊張感が支配する。
誰のものともわからないが、ごくりと唾を飲む音が部屋に響いた。
『あ、あなたを置いて行くことを許してください。私はあなたのことを大切に思っているのです』
たったその一文で、早くも剣姫は目頭に涙を溜めて、決壊寸前の状態に突入。
早っ! ミオはそれを見てちょっと引いた。
『できるだけ、早く愛しいあなたの元へと帰ってくるつもりです』
「い、愛しい?! そ、そう書いてあるのですか?!」
驚愕とともに、剣姫の顔が真っ赤に染まる。
剣姫の問いに無言で頷きながら、その反応を見て、ファティマは確信した。
イケる! この方向でもうひと押し。
ファティマ本人にも、もう何がイケるなのかよくわかっていない。
『大切なあなたに、伝えたいことがあります』
「な、な、なんです主様」
ミオには、剣姫がファティマにナナシの姿を重ねている様に見えた。
ファティマは、深呼吸してゆっくりと目を閉じ、そして再び目を見開くと、一際大きな声でこう言った。
『この戦いが終わったら、私と結婚してください!』
「「「…………」」」
静寂そしてその直後。
「にゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」
ミオが目を見開き、ファナザードが「まあ」と口に手を当てる、その目の前で、剣姫は謎の叫び声を発しながら、目を回して後ろへとぶっ倒れた。
ナナシの知らないところで、あまりにも重大な捏造が行われた瞬間であった。
余談ではあるが、剣姫が倒れる瞬間、皆が視線を剣姫に向けていたために、ファティマがグッと拳を握って、ガッツポーズを作ったことを知るものはいない。
「せ、セルディス卿! 大丈夫か!」
慌てて駆け寄ったミオが見たものは、顔を真っ赤に湯立たせて、目を回しながらも幸せそうに、にやけた顔をした剣姫の姿であった。




