第25話 貴女に最高のプレゼントを連れてきてあげたわよ
「開門! 開門ッ!」
門兵の叫ぶような声に従って、サラトガ正面の城門がギシギシと軋むような大きな音を立てて、開いていく。
「ストラスブル伯ファナサード・ディ・メテオーラ様のご到着!」
門の内側、城門からまっすぐに伸びる石畳の道。その左右にびっしりと並んだサラトガの正規兵達が一斉に敬礼をして、来客を歓迎する。
打ち鳴らされる銅鑼の音とともに、まず先頭の驢馬の上には儀仗兵。続いて、完全武装の騎士が2名入城してくる。
そしてその後ろ、「オホホホホホホホホ!」という高笑いとともに一際豪奢に飾り立てられた輿が入城してきた。
輿の後ろに控えた侍女たちが、ここぞとばかりに大量の花びら(自前)を撒き散らし、その花びらの舞い散る中に一人の女性が仁王立ちしているのが見える。
エスカリス・ミーミルの人間として、自然にはまずあり得ない金色に輝く髪。あまりにも総やかで、豊かすぎる量のその髪は、縦巻きロールでなんとか抑えたと言う風情。
金糸銀糸をふんだんにつかって、細かい意匠を施した金ピカのドレスを身に着けて、手を振りながら入場してくる彼女こそが、ストラスブル伯ファナサード、その人であった。
サラトガ城の正面で輿を降りたファナサードに、待ち受けていたミオが満面の笑みを浮かべて、声を掛ける。
「良く来てくれたのう。感謝するぞ。ファナ」
「ミオったら、感謝だなんて水臭いですわ。ピンチに駆けつけもせず親友は名乗れませんもの」
そう言って、ファナサードはミオと向かい合うとしっかりと手を取り合った。
その様子を見ながら、ミオの背後に控えているキリエは思う。
この二人がどうして馬が合うのか不思議でならない。
以前ミオに聞いたところによると、ストラスブルに留学した初日に出会って以来、ずっと二人はこんな感じだということらしい。
「では、ストラスブル伯様、応接へご案内いたします。どうぞこちらへ」
ミオと腕を絡ませて、城の方へ歩きはじめるファナサードをキリエが先導するべく声をかけたところで、初めてキリエの存在に気付いたという風にファナサードは応じる。
「あら、釣り目犬じゃない。あなたも元気にしてた?」
「お、お蔭さまで。ストラスブル伯様もご健勝のご様子、なによりでございます」
口元を若干引き攣らせながらも、笑顔で応対するキリエ。
「あなたも、私の可愛いミオの足を引っ張らない様にせいぜい精進しなさいよね」
「あ、ありがたきお言葉、感謝の言葉もございません」
だからイヤなのだ! この高飛車ドリルは! と、心の中で地団駄を踏みながらも、キリエは何とか耐え忍ぶ。
「あ、そうだ、釣り目犬。ちょっとストップ」
そう言って歩みを止めるとファナサードは、ミオの耳に唇がくっつくほどに顔をよせ、小声でささやいた。
「貴女に最高のプレゼントを連れてきてあげたわよ」
その言葉が終わるや否や、城外から盛大に銅鑼の音が鳴り響き、居並ぶ兵士達の間にざわめきが広がっていく。
「あれは、ま、まさか!」
入場してきた儀仗兵の掲げる旗を見た途端、ミオは目を大きく見開いた。
「エ、エスカリス・ミーミル第一皇姫 ファティマ・ウルク・エスカリス殿下のご到着!」
再び一斉に銅鑼が打ち鳴らされ、左右の兵達が一斉に膝をつく。
ミオとファナサード、キリエやそこに居並ぶ重臣たちも、兵士達同様に、一斉に跪いた。
緊張する兵士達の間を入場してくる黒檀の輿の上には、やわらかな笑顔で小さく手を振る少女の姿があった。
ド派手なファナサードの入城の後だけに、ヒナゲシの華を思わせるその可憐な姿は、溜息まじりに見上げる兵士達には、より一層の好感を与えた様であった。
少女の名はファティマ。
彼女と彼女の地位について語るためには、エスカリス・ミーミルという国の政治体勢について語ることを避けられない。
この砂漠の国エスカリス・ミーミルは神代の昔より続いてきた皇家を頂点に戴く、皇国である。
こと政治に関して言えば、この国は各機動城砦の9人の領主によって、其々に治められている地方分権国家なのだが、皇家は政治的な権力とは分かたれて、国の象徴として存在している。
むしろ政治的な地位から遠いところに存在するが故に、国民からの敬愛を一身に集める、そういう存在だと言っても良い。
この皇家は『首都』に住まう。
それでは『首都』とは何をさすのか?
エスカリス・ミーミルの東部に不可侵領域という砂洪水が全く発生しない地域がある。
何故砂洪水が発生しないかについては、学者たちが、神の加護、単純に地盤が固いなど、いくつもの説をあげているが正確にはわかっていない。
首都とは、この不可侵領域に停泊する機動城砦のことである。
今現在は『カルロン』という名の機動城砦が、半世紀に渡って停泊し続けている。
この砂漠に置いて、移動しなくて良いということがどれだけ大きな利益を産むか想像してほしい。砂洪水の脅威から解放され、所在地が確定しているということによる通商面のメリットは計り知れない。
さらに国の象徴たる皇家が住まうのだ。
これを攻撃すれば逆賊の汚名をかぶることになり、他の機動城砦の攻撃を憂慮することもなくなる。
機動城砦の領主にとって『首都』となることは垂涎の的なのだ。
そして、首都の交代は、現在の首都の領主を除く、8名の領主の満場一致でのみ為される。つまり首都以外の全ての機動城砦を傘下に納めて、はじめて首都になることができるのだ。
その首都に住まう皇家の長女。それが、このファティマである。
ゆっくりと黒檀の輿が、ひざまずくミオ達の傍へと近づいてきた。
跪きながら、ミオは思う。
なるほど、これは最高のプレゼントだ。
皇家の旗を掲げている間、つまり彼女が滞在している間は、他の機動城砦から攻撃されることは無いのだから。
「サラトガ伯、お久しゅう。しばらくお世話になります」
輿の上から、ファティマは優しくミオへと微笑んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「アナタ、足元に段差がありますから、気をつけて下さいまし」
「ああ、すまないね。アージュ」
通りをゆく仲睦まじい様子の若い男女。
お互いを呼び合う様子をみる限り、誰もが夫婦、そう理解することだろう。
それも、結婚できる年齢に達したばかりの新婚夫婦だ。
男は眼を患っているのか両目を覆うように包帯を巻き、妻と思しき女性の腕にしがみつくようにして歩いている。
女は、木春菊柄のゆったりとしたワンピース。男の方も仕立ての良さげな短衣に浅黄色の下袴と比較的裕福そうな身なりなのだが、男の方が背嚢を背負っているところを見ると旅人なのだろう。
ゲルギオスの右舷にある歓楽街、酒場や娼館が立ち並ぶ夜の通りを、二人寄り添いながら歩いて行く。やがて歓楽街の外れ、比較的暗い通りに一軒の宿屋を見つけると、二人はその前に立ち止まった。
「アナタ、宿屋がありましたよ。ここにしましょう」
「わかりました。アージュさん」
「あん?」
「わかったよ、アージュ!」
豹変するように女が眉間に皺をよせて威嚇すると、男は慌てて言い直した。
軽い木の扉を押して、宿屋に入ると勘定台と上階へと続く階段のある狭いロビーになっていた。勘定台には誰もおらず、女はそこに置かれた呼び鈴を鳴らして、奥の方へと呼びかける。
「ごめんくださいまし」
「あいよー」
女の呼びかけに、奥の方から返事がして、しばらくすると年配の男が出てきた。
「すいません。部屋をお借りしたいのですが……」
女のその言葉に宿屋の主人は訝しむような目で、二人の様子を見回す。
「そりゃかまわねえが、あんたら何処から来なすった? オアシスに停泊したのはもう3日も前だ。機動城砦の移動中に新たに旅人が入ってこれるわけねえし」
「はい、実は……前のオアシスからこの町に入って、他のお宿をお借りしてたんですが、部屋に虫が湧いてきまして……」
その言葉に、男は心当たりがあった様で、合点が言ったという風に相好を崩した。
「ははん、さてはテッドのところだろう。宿代をケチるからそうなるんだよ、奥さん」
「こちらは大丈夫なんですわよね?」
「あったりめぇだ、ウチは造りは古いが清潔がモットーさ」
「では、とりあえず次に停泊したところでこの町を出ますので、とりあえず3日分。それまでに停泊しなければ、延泊するということでお願いしたいんですけれど」
「ああいいぜ。3日なら銅貨45枚だ。あと食事つけるなら1食3枚、お湯は桶一杯で1枚でいい」
「あら、わりと良心的ですわね。では今日の分の食事とお湯をお願いしますわ」
「わかった。ならここへサインしてくれ」
宿屋の主人が差し出す台帳に女が署名をするも、書かれた名前を見て、宿屋の主人が再び怪訝そうな顔になる。
「ゴミカス・シネバイ・イノニー、本名かいコレ?」
「ええ、ウチの主人の名前ですの。北部のオアシスでは良くある名前なんですのよ」
「へえ、まあいいや。あんたら見たところ夫婦の様だが、旅の目的はなんだい?」
「新婚旅行ですのよ。主人は割と裕福な家の跡取りですので、跡を継ぐまではのんびりと旅をしようと話し合いまして」
「へえ、そいつはうらやましいね。ところで旦那さんは目が不自由なのかい?」
そう言って宿屋の主人は、女の背後に立ったまま一言も口を利かない男を見やる。
「主人は、ここに来る途中で、砂で目をやられましてね。治るまでは私が全部やってあげないとなんにもできないですから」
「ははは、いいじゃねえの。新婚さんだったら、ベタベタくっつく口実に丁度いいじゃねえか」
「まあ、ご主人ったら」
そう言って宿屋の主人と女はケラケラと笑いあう。
「まあ、テッドのとこよりは壁が厚いとはいえ、新婚さんだからな、となりが空きの部屋にしてやるよ。音は漏れないわけじゃねえからから、そこそこで頼むぜ」
宿屋の主人がニヤつきながら言った下世話な言葉に、若い夫婦は頬を染めた。
◇ ◇ ◇ ◇
「じゃ、お湯はコレ、食事はテーブルの上に置いとくぜ」
「ええ、ありがとうございます」
「じゃあな、ごゆっくりぃー」
にやにやしながら、宿屋の主人が部屋を出ていくと、途端に女は笑顔を消して、仏頂面で愚痴をこぼした。
「なんだって、私がこんな奴の嫁のフリしなくちゃなんねーんだよ、ちくしょう」
「なんでって言われても、全部アージュさんの案ですけど……」
「わーってるよ!バカヤロー」
そう、この夫婦のフリは、潜入後怪しまれないようにと考えてアージュが言いだしたアイデアだ。
男女の二人組で一番怪しまれないという意味では夫婦と考えるのは至極真っ当な判断だと言える。その上でナナシの黒い目を隠すために、目が見えないという設定にして、それに合う服装を調達した。
具体的には、アージュが店先からかっぱらった。
「まあ、いいや。私は身体を拭くから、お前、ベッドに入って、向こう向いて、とっとと寝ろ」
「はあ、わかりました」
「こっち向いたら、目が不自由ってのを事実にしてやるからな!」
「見ませんよ」
ナナシはそのまま壁の方を向いてごろりとベッドに寝転がる。
背中の方から聞こえるちゃぷちゃぷというお湯の音を聞きながら、疲れていたのだろう、すぐに眠りに落ちていった。
「起きろ。声を出すな」
アージュが神妙な声でナナシを揺さぶり起こした。おそらく寝付いてからそれほど時間は立っていない。
「どうしたんです」
「ドアの前に誰かいる」
アージュのその言葉を聞くやいなや、ナナシは静かにドアに寄って、耳をつける。 外の音に耳を澄ましているうちに、緊張に強張っていたナナシの表情が徐々に、微妙なそれでいて困ったようなものへと変わっていく。
「なんだ?」
「えーと、アージュさん。外にいるのは宿屋のご主人他2名ですね」
「なんだ、我々の正体に気付いたのか?」
「いや、その、ものすごく言い難いんですが……」
ナナシは、心底困ったという顔をしながら口ごもる。
「なんだ、もったいぶるんじゃねえよ」
「どうやら、新婚夫婦がベッドでする行為の音を聞きに来られているようでして……」
アージュはぽかんと口を開けて固まった後、ぎりぎりと歯ぎしりするように、悔しそうな顔をして呟いた。
「…………やらないと怪しまれる…だろうな」
それから数分後、ナナシはアージュを止めるべきかどうかを迷っていた。
止めて、これが終了したら、全力で八つ当たりされるんだろうな。
ナナシは遠い目をする。
ギシギシと軋むベッドの音と、女の泣きそうになりながら喘ぐような声を聞いて、宿屋の主人たちは、すでに満足して帰っていった様だ。
サンドバックぐらいで済めばいいな。
あんあんと喘ぎ声の演技をしながら、半泣きでベッドの上を跳ね回るアージュを見て、ナナシはそんなことを考えていた。




