第24話 それじゃあ、思い知らせてやりますか。
月明かりの廊下を、しずしずと家政婦が歩いている。
彼女が想いを寄せる少年がサラトガを飛び出して、既に5日。順調に行けば、そろそろゲルギオスに到着する頃だ。
その家政婦――ミリアは思う。
全く、あの少年はどれだけボクの心を乱せば気が済むのだろう。
何気なく目を向けた窓の外には、大きな満月が浮かぶ。
彼も同じ月を見ているのだろうか。
そして、彼女は窓に映る月に、その細い指で文字を書く。
『ばか』
目を伏せ、切なげに溜息をつくと、彼女は再び歩き始め、奥の一室の前まで来るとそこで足を止めた。
ミリアが、ノックしようと拳を軽く握ると、ドアが開いてミオが顔を覗かせる。
「待っておったぞ」
ミオは周囲を気にしながら、そっとドアを開け、ミリアを部屋に招き入れた。
「こんな夜更けに呼び立てて、すまぬのう」
「なにいって……いいえ、家政婦の仕事の内ですから」
一瞬、ミオと二人きりの時の砕けた口調でしゃべりかけたが、奥の部屋に他の人間がいる気配を感じて、口調を戻した。
「セルディス卿の様子はどうじゃ?」
「相変わらずナナちゃんの部屋に鍵掛けて、引き籠っています」
ナナシが出て行ってから、剣姫は花が萎んでいくように元気を失っていき、3日目には、ついに呼んでも部屋から出てこなくなった。
「お主は、わりと平気そうじゃの」
「うーん、どうでしょうか。ボクは正直、無茶苦茶怒ってます。自分を大事にしてって言った直後にコレですから……。ただ、アージュさんについては、お姉ちゃんがエキサイトしてたから、話に乗っかってみましたけど、あの人がナナちゃんを誑かしたってことはないと思います」
「そうなのか?」
「あの人、ナナちゃんのこと目の仇にしてましたからね。たぶんナナちゃんを捕まえようとして、巻き込まれた感じじゃないかと……」
図らずも、ほぼ正解を言い当てるミリア。
「そうか」と頷きながら、ミオがドアを開けると、奥の部屋にはシュメルヴィが立っていた。
テーブルの上には、地図が広げられていて、おそらく『所在を告げよ』の魔法がかかっているのだろう、地図上には、幾つもの光点が輝いている。
「今日呼び出したのは、ナナシの事ではない。シュメルヴィがおかしなものを見つけてのう。そちの意見を聞かせてほしいのじゃ」
テーブルに近づくと立ち上がったまま、ミオは地図の光点に指をさした。
「サラトガがこれ。この東に向かって移動しているのがゲルギオスじゃ」
「このサラトガのすぐ近くまで来ているのは?」
「おそらく、ストラスブルじゃろうな」
ミオの盟友が領主をつとめているという機動城砦だ。
それについては、ミリアも恐らくそうだろうと思っていた。
本当に気になったのは、それではない。
「じゃ、そのストラスブルのすぐ後ろにいる、今にも消えそうな光点は?」
「それが……わからんのじゃ」
「わからない?」
「ミリアちゃん、光点のぉ、数をよーく数えて見てぇ」
難しい顔をするミオに対して、楽しくて仕方ないという感じを隠そうともせずシュメルヴィが言った。
「1、2、3……9……え? 10?! 機動城砦は9つじゃなかったの?」
「いや、間違いなく9つじゃ。過去にはもっと数があったとは聞くが、それも伝承レベルの話じゃな」
機動城砦の動力である魔晶炉と、同じレベルの魔力を発するものが他にあるとは考えにくいが、額面どおり単純に新しい機動城砦が出現したと受け取るのは、さすがに無理がある。
魔晶炉は古代文明の超技術なのだ。
今後、新たに機動城砦を作ることができるとは想像しにくい。そう新たには。
ミリアは腕を組んで、じっと地図を睨み付ける。
しばらく無言の時間が過ぎ、やがてミリアは、地図上で東側の一つの光点を指さした。
「これは?」
「えーと『アスモダイモス』ですね」
シュメルヴィが光点に手を翳して情報を読み取る。
「じゃ、そのアスモダイモスだね、ストラスブルの後にいるのは」
さらりと脈絡のないことを言い放つミリア。
考える事に意識が集中してしまったせいだろう。口調もミオと二人きりの時の馴れ馴れしいものに変わっている。
その発言の脈絡のなさに、ミオは一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、我に帰ると、慌ててミリアに問いただした。
「ちょ、ちょっと待て、わけがわからんぞ。説明せんか」
「だってさ、この間のゲルギオスとの戦闘の前に、地図を広げて、機動城砦の位置を確認したよね。その時から動いてないんだもん、それ。そんなことあるわけないよね。だからその光点の位置には、魔晶炉だけが起動してて、機動城砦はいないと思うよ」
「いや、サラトガだって、今は動けないじゃろ。故障で止まってるだけではないのか?」
「ご冗談。サラトガみたいに、周りに他の機動城砦がいないならともかく、周りに他の機動城砦が幾つもいるんだよ。一番近くにいるこれ、メルクリウスでしょ? 好戦的だって話の。そんなのが動けない機動城砦を見逃すはずないよ」
絶句するミオ。しかしミリアは畳みかける様に話を続ける。
「まあ、今言ったのが事実を観察した結果。ここからは推論。おそらくアスモダイモスは、魔晶炉をもう一つ手に入れて、積み替えたんじゃないかな。魔晶炉が古代の超技術で、今はもう造れないっていうのなら、過去にあった機動城砦のものを発掘したぐらいしか考えようがないけどね」
「積み替えた? 何のためにじゃ?」
「普通に考えられるのは二つ。アスモダイモスは東の方にあると見せかけて、別の魔晶炉を使って密かに行動するんだから、一つは所謂アリバイだね。何かアスモダイモスの仕業だとバレたら困ることをしようとしているとか……。まあ、これは可能性としては低いかな」
「もう一つは何ですかぁ」
「『所在を告げよ』の魔法で気づかれないようにして、獲物に近づく為かな。今日、シュメルヴィさんが見つけるまで、誰も気づかなかったんでしょ? 相当、魔力の放出量を絞れるんだと思うよ。じゃ、アスモダイモスが何を狙ってるのかというと、前を走っているストラスブル? 違うね。ストラスブルを狙うなら、もう攻撃しているはずだよ。つまり獲物は……」
「……サラトガじゃな」
ミオは確認するようミリアの顔を見て、ミリアは無言で頷いた。
「でもぉアスモダイモスなんてぇ、今まで関わったことすらありませんよぉ? それがどうして、急にサラトガを狙うんですぅ?」
「知らん!」
「うん、正直分かんないよね。ゲルギオスとの関わりを疑った方か良いかも」
「ミリア、仕掛けてくるタイミングは分かるか?」
「サラトガとストラスブル両方を相手にしたくは無いだろうから、仕掛けてくるなら、ストラスブルがサラトガから離脱した後だと思うよ」
「で、撃退する策はもう思いついておるんじゃろ? 我らが軍師兼家政婦殿」
ニヤニヤしながら、ミオがミリアの顔を覗き込み、ミリアは笑顔でそれに応える。
「うん、それじゃあ、思い知らせてやりますか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暗い部屋。灯りも付けずに、少女はベッドの上で膝を抱えている。
ずっと見つめているのは、彼女の主が横になっていた一隅。
そこには、今も尚、くしゃくしゃになった毛布がそのままに放置されていた。
少女の銀色の髪は、縺れて、毛先があちらこちらを向いて飛び出しており、泣き腫らした目元は、赤く腫れている。
主がいなくなって、最初の夜は、少し落ち込んだだけだった。
二日目の夜は、どうしようもなく主に腹が立った。
そして三日目の夜を迎えると、寂しくて、悲しくて、何をするのも嫌になった。
少女は思う。いつもこうだ
剣姫様と持ち上げられても、自分の求めるものは砂の様に指の間から零れ落ちていく。
主がやっと自分を下僕とすることを認めてくれたと思ったのに、目を覚ますとそれも煙の様に消えてしまった。
少女はなんとなく立ち上がると、主が横たわっていた一隅、そのあたりまで行って、ごろりと床に横たわる。
薄い夜衣を通して感じる石組みの床の感触は、固くそして冷たい。
やはり主をこんなところに寝かせてはいけない。帰ってきたら、どうあってもベッドで寝てもらう様にしよう。
そう考えて、それから少女はつぶやいた。
「……帰ってくるのかなぁ」
自分の声の寂しい音に刺激されて、再び、じわりと目が潤み、視界が滲む。
しかし、その視界の中、目の前の毛布の下に、何か白い紙片のようなものが見えた。
慌てて飛び起きて、毛布を払いのけ、その紙片を手に取る。
間違いない主の書置きだ。
震える指で四つ折のそれを広げ、一目見て、少女は呟いた。
「……読めない」
そこに書かれていたのは、見たことも無い文字。
それは、砂漠の民が使う『ヒノモト語』であったが、もちろん剣姫には、そんなことは分からない。
残念なことに、ナナシは公用語の読み書きが出来なかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おい! 寄生虫。見えてきたぞ!」
「アージュさん。わかってますから、耳元で大声出さないでください!」
砂漠を疾走する鈍色の流線型。
その上に立つ、二つの影。
ナナシの背中に、アージュがしっかりとしがみついている。
さすがに、この数日の間に慣れたのだろう。二人の連携はスムーズで、同じタイミングで体重移動しながら、弧を描くようにしてゲルギオスに近づいていく。
「大きすぎる!」
近づくに連れて、大きくなっていくゲルギオスの威容にナナシは圧倒されていた。
おそらく、サラトガの倍近い大きさ、中央の尖塔の他にも高層の建築物が幾つも針鼠のように飛び出しているのが、城壁の外からでも見ることができた。
「どうすんだ。城壁に飛びつくのか?」
「いえ、このまま壁面を走ります!」
「冗談だろ?」
アージュは、呆れる様にそう言うと、肩をすくめて、天を仰ぐ。
幸いにも、サラトガと違ってゲルギオスの城壁には、僅かに傾斜がついている。それを利用すれば、壁の上を走ることぐらいできるはずだ。
ナナシの頭の中には、押し寄せる砂洪水の砂の壁面を走った時のイメージが蘇っていた。
「行きますよ!」
速度を上げる砂を裂くもの。
城壁が目の前に迫る。
ナナシが後ろに引いた右足に力を入れて、砂を裂くものの前部を跳ね上げ、壁面の僅かな傾斜に乗り上げていく。
「うわああああああ」
悲鳴を上げながらも、アージュは壁面と垂直になる自分の身体を、重力に抗って立て直し、不安定な体勢で見上げた空には、視界一杯に巨大な満月が見えた。
ぐらぐらと危なっかしくよろめきながらも、壁面に虹を描くような軌道で、二人を乗せた砂を裂くものは壁面を滑り上がり、描いた弧のピークが城壁の最頂部を超えて、砂を裂くもの諸共に二人は宙を舞った。
そのまま投げ出された二人は、ゲルギウスの城壁の上に落ちて、勢いのままにごろごろと転がる。
すぐ近くに砂を裂くものも落下してきて鈍くも大きな金属音を立てた。
「痛たたた、アージュさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですかじゃねぇ! 死ぬかと思ったわ! 私だって女の子なんだぞ、ちょっとは気ぃ使えよ!」
「すいません。それは忘れてました」
「フンッ!!」
ナナシの顔面に、アージュの裏拳がめりこむ。
本日一番の激痛。
正直者が常に正しいとは限らないという良い事例だと言えよう。
「とにかく、でっかい音立てちまったんだから、警備兵どもが集まってくる前に街中に紛れ込むぞ」
アージュは、顔を押さえて転げまわるナナシの襟首を掴み、砂を裂くものを小脇に抱えると、その両方を引き摺る様にして、階段を駆け下りていった。




