第22話 僕はあなたの主になれるのでしょうか
試作品テストに散々付き合わされた結果、ナナシが部屋にたどり着いた時には、あと半刻もすれば日付が変わるという時間になっていた。
与えられた部屋の鍵は受け取っていなかったのだが、ためしにノブを回してみたら、幸いにもあっさりと扉が開いた。
考えてみれば、シュメルヴィさんのところへ行くから!と大慌てのミリアに引き摺られるようにして部屋を出たのだ。鍵をかける暇などあったわけがない。
部屋に入ると暗闇の中、月明かりに照らされて浮かび上がる人の影があった。
シルエットでも十分に誰だかわかる、整った陰影。警戒する必要はないだろう
「剣姫様、どうしてこんなところに?」
「どうしても、主様に聞いていただきたいことがあります」
淡い月明かりに照らされた剣姫の表情は深く沈んでいるように見えた。
やっときましたか。ナナシはそう考えながら嘆息した。
からかわれることについてはもう慣れているが、さすがにこれだけ長い時間を掛けられると、つい本気にしてしまいそうになる。
手の甲の紋章にしても、シュメルヴィは厄介そうに言ってはいたが、魔法を掛けた当の本人ならば、簡単に解呪することもできるのだろう。
後は「冗談でした」と言われた後に、大げさに驚いて、少し残念そうにすれば、たぶん満足してもらえるのだろうと思う。
こんなことで満足してもらえるのであれば、そう悪いことでもない。
部屋は暗く、剣姫の目にもナナシの姿がはっきりとは見えていないのだろう。
剣姫は、どことなく目線の定まらないままにナナシのいる方に向かって、口を開く。
「まず最初に、私が主様の下僕になると誓ったこと、あれは冗談ではありません」
冗談です。そう締めくくられると思っていたナナシは、意表をつかれて、口元を間抜けに歪めたまま、その場で固まった。
そのまま声を出せば、おそらく「へ」という音がでるだろう。
そんな状態であるから、返す言葉も平凡極まりないオウム返し。
「冗談ですよね?」
剣姫はふるふると首を動かして、否定する。
「運命に決められた出会いなのだから、主様も分かってくれているはず。私は浅はかにも、勝手にそう思い込んでおりました。ですので、ミオ殿に言われるまでは、主様が、からかわれているとお考えであったことにも気づいておりませんでした。主様、私は誓って、冗談や嘘偽りは、何も申しておりません」
剣姫が冗談ではないと、言葉を重ねれば重ねるほどに、得体の知れない感情がナナシの胸を締め付ける。
剣姫様、あなたは全部冗談だったと笑うべきなのだ。そうすれば、誰も傷つきはしないのだから。
ナナシは自分でも気づかないうちに小さく震えている。
身体のあちこちに心臓が散らばったかのように、血管と言う血管がぴくぴくと脈を打ち、ナナシの身体中を逃げ場を失った熱が駆け巡る。
冷静になれ、頭の片隅にそう叫ぶ自分がいる。
しかし、ナナシは声を荒げることを止められなかった。
「剣姫様あなたは、わかっていない。僕は疎まれ、蔑まれ、忌まれる人間なんです。あなたに主と呼ばれるような身分の人間ではないんです。砂漠に住まう蛮族と呼ぶ人もいます。人の形をした獣という人もいます。なのに、あなたはどうしてそんな人間の下僕になりたがるんです。一時の感情であるならば、それは後で自分を責める結果が待っています。もし自分を貶める手段として僕らを使うのであれば、それは、それだけは止めてください。僕は、誰も不幸になってほしくないんです」
感情が奔流となってナナシの口から溢れ出す。
一気に思いの丈を言い切って、ナナシは息を乱す。
ハアハアと、荒い呼吸音が闇の中で、反響して石畳の床に転がり落ち、ナナシを侵した熱がどこかへ逃げてしまうと、後悔の波が押し寄せた。
やってしまった――ナナシが項垂れたその時、剣姫は静かに口を開く。
「長い話になりますが、聞いていただけますか?」
そうして始った剣姫の話は、本当に長かった。
揶揄するわけではない。少女が生きた17年についての話だ。
剣姫が誕生した時に、見知らぬ星読みが屋敷を訪れたことから話が始まり、愛剣「銀嶺」との出会いによって、石化魔法しか使えない平均以下の魔術師であった少女が、異常な強さを手に入れたこと。
結果的に手柄を横取りする形となって、次期国王である王太子に疎まれたこと、それに端を発する宮廷闘争に巻き込まれた父の為、そして家門の存続の為に、追放同然に一人旅立った当時12歳の少女のこと。
追手を振り切り、逃げ続ける旅路の中、唯一の希望は、父から教えられた星読みの予言。逃げるだけの旅が、次第に主を探す旅に変わっていったこと。
そして遂に、ナナシを見つけたこと。
しだいに訥々と話のテンポは落ちていき、最後には言葉の代わりに涙が一滴落ちた。
たかが予言。
そう言い切ってしまうことは簡単だ。
しかし、その予言には少女の希望や願望、憧憬や崇敬が、予言の原型が見えなくなるほどに、無茶苦茶に絡み付いている。
ナナシは思う。
出来ることならば、この少女の願いを叶えてやりたい。
だが、それは、あまりにもお人善しというものだ。
それは、彼女が生きる理由を自分が担うということと同義である。同時に今までの自分自身の在り方を否定する行為でもある。
だが、この砂漠の民の少年は、どうしようもなく愚かで短絡的であった。
自分の目では見えない自分自身のことよりも、今、目の前で泣いている少女を、これ以上悲しませたくない。そう思った。いや思ってしまったのだ。
「僕はあなたの主になれるのでしょうか?」
ナナシのその言葉に、少女はこくりと頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どれぐらいの時間が経っただろうか。
剣姫の様子が落ち着いたのを見計らって、ナナシは声をかける。
「もう夜も遅いです。部屋に戻ってお休みください。剣姫様」
きょとんとした表情で、不思議そうに首を傾げる剣姫。
「何をおっしゃってるんですか? 主様、私は主様の下僕になった時点で、ミオ殿の食客ではなくなっていますから、当然、部屋も取り上げられています。下僕を養うのは主の務め。私はこの部屋でお世話になります」
「ちょ、ちょっと待ってください。いくらなんでもそれはマズイです」
「何がマズイのですか? 私は主様が望むことであれば、何をされてもかまいませんが?」
「ブッ!」
思わず、噴き出すナナシ。
なんてことを言うのだ、この人は。
果たして、自分の言っていることの意味が分かっているのだろうか?
うん、たぶんわかってない。心の中でナナシはそう結論付ける。
そう考えなければ、このあまりにも破壊力のありすぎる発言に対処できない。
ハッキリ言って誘惑成分が致死量なのだ。
これ以上このやりとりを続けることは、得策ではない(主にナナシの精神衛生的に!)と判断したナナシは、妥協案を提示することにした。
「わ、わかりました。部屋のことは明日、ミオ様にお願いしてみます。僕はこっちの隅で寝ますから、剣姫様は寝台をお使いください」
しかし、その発言に剣姫はみるみる不機嫌さを露わにしていく。
「主様、どこの世界に主を床に寝させて、自分がのうのうと寝台で眠るような下僕がいますか! 私が床で寝ますから、主様は寝台でゆっくりとお休みください!」
「剣姫様こそ下僕を名乗るのであれば、ちょっとぐらい主の言うことを聞いてくださってもいいじゃありませんか!」
「ですから! 以前も申しましたが、主が間違えている時に、間違えていることを指摘するのも、下僕の役目なんです」
角を突きつけるようにして睨み合う二人。
このまま行くと夜が明けてしまう。
ナナシは早々に言い争いを、切り上げようと考えた。
どうするか。答えは一つ。この部屋からの逃走だ。
「じゃ剣姫様が床で寝ていいですよ。僕は外で寝ますから」
「なっ! 主を追い出して、下僕の私に部屋に居座れと!」
「だって、これでは埒が開きませんから」
剣姫が奥歯を噛みしめて俯き、肩を怒らせながら拳を強く握る。
あ、まずい、爆発する。ナナシがなんとなくそう思った瞬間、顔を上げた剣姫の目には怪しい光が宿っていた。
「かくなる上は、朝まで石になっていただいて、主様にはゆっくりお休みいただくしかありませんね」
とうとう、斜め上なことを言い出す剣姫。
「大丈夫、朝にはきっちり解呪してさしあげます。首の位置が固定されるので、肩こりが解消されるとおっしゃってましたよ、父様が……」
「剣姫様、まさかお父上を石化したんですか?」
「ええ、よろこんでいました。一度体験すると癖になるみたいですよぉ」
剣姫の目つきは既に尋常ではない。
はっきり言ってヤバい。
親を石化する娘、それを気持ちよいと喜ぶ父親。とんだ変態親子ではないか。
手に触れるとマズイ。そう考えたナナシは剣姫の両手首を掴みとり、そのまま縺れ込むように寝台の上へと押し倒した。
柔らかな寝具の感触を組み敷いた剣姫の身体ごしに感じると、剣姫の身体から急に力が抜けて、抵抗していた腕もふにゃふにゃとナナシにされるがまま。見れば、急にしおらしくなった剣姫が頬を染めて、目を伏せている。
「……主様」
上目使いにナナシを見つめて、剣姫は言った。
「わ、私は、その…初めてですから、優しくしてくださると嬉しいのですが……」
剣姫は、不安げなそれでいて熱に浮かされた様な表情で、ナナシを見つめた。
ナナシは、剣姫のその言葉に、自分が如何にまずい状況にあるかを把握する。
動悸は早まり、ただ焦るばかり、思わず視線を部屋中に泳がせる。
もうこれしか手が無い。ナナシは心の中でそうつぶやいて、剣姫の両手を彼女の頭の上で一つにまとめて片手で押さえると、空いた手をベッドの脇に置いた自分の背嚢へと伸ばし、ごそごそとなにかを探し出す。
しばらくして、ナナシがそこから取り出したのは、一本のロープ。
剣姫は、それを見て愕然とした表情を浮かべる。
そして、ナナシが見ている内に、赤くなったり、青くなったり、目まぐるしく表情を変えていくが、いずれにしても今のところ暴れる様子はない。
今だ!ナナシは剣姫が、何か謎の想像に夢中になっている間に、両手を彼女の頭の上で、ベッドの枠に固定するように縛っていった。
そして、ひとしきり縛り終えた後、剣姫の顔を覗き込むと顔色こそ赤いが、概ね冷静さを取り戻しているように見えた。
「痛くないですか?」
がっちりと固定されたロープの結び目を確認しながら、ナナシは問いかける。突然の問いかけに驚いたのだろう、剣姫はあわあわと目を泳がせながら、意味不明な言葉を口走る。
「どんとこいです。」
「どんと……?」
「い、いえ、主様、なんでも! なんでもありません!」
赤く染まった頬をさらに赤らめながら、ぶんぶんと首を振る剣姫。
「ぷっ」
いつもの凛とした様子を知っているだけに、慌てる剣姫の姿がおかしくて、ナナシはつい吹きだしてしまった。
「なっ! 何がおかしいんですか!」
「あ、いや、すいません。剣姫様も慌てることがあるんだなぁと思って……」
「もうっ! 知りません!」
剣姫は、拗ねたように頬を膨らませて、顔を背けた。
その隙に、ナナシはベッドを降りると、すかさず剣姫に毛布を被せ、自分も予備の毛布を手にして、部屋の隅に横になる。
慌てたのは剣姫。うまく身動きできない身体を捻って部屋の隅に横たわるナナシに向かって呼びかける。
「あ、あれ? お、おーい、主様。もしもーし」
そうして、しばらく茫然と自分の手を縛っているロープと、部屋の隅で背を向けて寝転がる主の姿を、交互に何度も見直した後、剣姫はベッドの上で猛然と暴れ出した。
「謀りましたね! 主様! だ、だまし討ちとは卑怯な! わ、わ、わ私の! お、乙女の純情をなんだとお思いですかー!」
その後、ベッドの上に縛り付けられたまま、剣姫はぎゃあぎゃあと騒いでいたが、しばらくすると暴れ疲れたのか、しずかな寝息が聞こえ始めた。
――勝った。主の威厳を見せ付ける勝利だ。
ナナシは満足げに一人呟くと、寝転がっていた部屋の隅からむくりと起き上がり、剣姫の枕元に立つ。
あれだけ凛々しい剣姫も、眠っている時にはあどけない顔をしているのものだと、ほほえましい気分になった。
「主として、最初の命令をします」
そう言って、微笑を剣姫の寝顔に投げかけると、こう言葉を続けた。
「剣姫様、留守番よろしくお願いします」
そして、ナナシは音を立てないように、そっとドアを開いた。




