第21話 罰としてあやつの乳を引きちぎっておくわ。
執務室から退出しようと、ナナシ達が背を向けたところで、ミオは言った。
「あー、キリエとセルディス卿は少し残ってくれんかの」
剣姫はちらりとナナシの方へ目を向ける。
「主様、よろしいですか?」
「あ、どうぞ」
ナナシとしては良いも悪いもなく、自分に聞かれても困るというのが正直な気持ちだ。
「キルヒハイム、お主も下がってよいぞ。ここからは『がーるずとーく』の時間じゃからのう」
ナナシとキルヒハイムは一礼すると、そのまま退出し、部屋にはミオ、キリエ、剣姫の三人だけが残された。
「まあ、とりあえず座るがよい」
長テーブルの隅、ミオと向かい合うように剣姫、そしてその隣にキリエが腰掛ける。二人が席に着くのを待って、ミオは正面の剣姫に向かって微笑みかけた。
「セルディス卿。ついに主が見つかったのじゃな」
「はい」
少し恥ずかしげに、剣姫は目を伏せる。
「まさか、それがナナシとはのう……。貴公がナナシにべったりくっついて部屋に入って来た時には、さすがに度肝を抜かれたのじゃ」
「そこまで意外なことでしょうか?」
「娼は気にはせんが、世間的には、ナナシ達砂漠の民はこの国の最底辺。獣や虫と同列に扱われる者達じゃからのう」
「永久凍土の国を出て5年、やっと出会えた主様が、たまたま今はそういう身分であったというだけのことです」
「なるほど。ではナナシにどこまでも着いていくのじゃな」
「当然です。この身は血の一滴までも、主様のために存在するのですから」
剣姫は唇を固く結び、ミオに目を合せる。
ミオは、剣姫の目の中に、固い決意を見て取った。
「はぁ……。娼としても、貴公を失う訳にはいかん。ますます、ナナシをこのサラトガに引き止めねばならんのう」
溜息交じりにミオは言うが、不思議に面倒くさそうには聞こえない。そして、テーブルに肘をつくとニヤニヤしながら、急に身体を乗り出した。
「しかし、貴公よ、あれだけ主人にベタベタとくっつくのは、下僕としてはどうじゃ?」
「ですよね! ミオ様! やっぱりおかしいですよね!」
「お、おぅ……」
ミオの一言に、テーブルの上に身を乗り出す様にして、キリエが食いついてきて、その勢いにミオが少し引く。
「主様に喜んでほしいと思っただけなのですが、それほどにおかしかったのでしょうか?」
「お姉ちゃんを差し置いて、イチャイチャするとかありえません」
「うん、キリエ。少し黙ってようか」
ミオは引き攣った笑いを浮かべた。
「男性は若い女性に触れられると喜ぶから、しがみついて肘に胸を当てるのが礼儀だと聞いたのですが?」
「誰にじゃ?」
「シュメルヴィ殿です」
「うん、後で罰として、あやつの乳を引きちぎっておくわ」
顔の上で、笑顔に青筋という奇跡のコラボを起こしながらミオは言った。
「ですが、主様はことあるごとに、離れろというばかりで、少しも喜んではいただけませんでした」
剣姫は表情を沈ませて俯く。
その様子を見て、急に真剣な顔になってミオは剣姫に問いかけた。
「貴公はナナシの事を、どういう人間だと思うておる?」
「主様は強く、そして優しい方だと思っています」
「それは認めよう。ならば何故、あやつは強く、優しいのじゃ?」
「何故……。それが主様の本質だからではありませんか?」
ミオの質問の意図を掴みかねて剣姫は眉根を寄せる。
「違うのう。強さ、優しさは、貴公がいうところの『本質』が生み出した結果でしかないのじゃ。あやつの本質は、『誰よりも自分への評価が低い』ということにある。」
「ミオ殿が何をおっしゃられているのか、わかりません」
自分への評価が低いことが本質? もしかするとミオは主のことを馬鹿にしているのではないか。剣姫の表情は瞬時に険しいものになる。
「まあ、そんな怖い顔をするな。例えば、誰かが好意からあやつに、何かをしてやったとしよう。飯を食わせることや、貴公がやったように肘に胸を当てるでもよいわ。そうするとあやつは、こう考えるのじゃ、『憐れまれている』もしくは『からかわれている』と。自分が好意を向けられるような人間ではないと思っておるが故にな」
「そんな! 私は主様をからかってなどいません!」
「それはそうじゃろ。じゃがナナシはそう思っている。そう思う様に育ってきたのじゃ。普通、そういう自己評価は劣等感として結実して、卑屈で卑怯な人間をつくるものじゃ」
「主様は卑怯でも、卑屈でもない!」
剣姫は椅子を蹴って立ち上がり、テーブルを叩いた。
「そう、お主の言う通り、卑屈でも卑怯でもない。あやつが異質なのは、低い自己評価、それをただ受け入れているというところにあるのじゃ。それゆえ、あやつにとっては自分よりも他の人間の命のほうがはるかに重い。だからこそ、命掛けの強さも発揮するし、誰に対しても優しくあれるのじゃ」
剣姫はテーブルに手をのせたまま言葉を失う。
自分は主の表面しか見ていなかったことを痛感させられたのだ。
「いずれにしても人の主になることには、最も向かない男じゃな。あやつは」
「ならば、私はどうすれば……」
茫然自失の様子で、一人呟く剣姫。それに追い打ちをかけるようにミオは告げる。
「諦めて、あやつ以外の人間をさがせばどうじゃ、もっとまともな人間は幾らでもおろう」
ミオのその言葉に、遂に限界を迎えたのか、剣姫はボロボロと涙を流しながら身を捩る。
「イヤ! あの人じゃなきゃ、絶対にイヤだ!」
子供が駄々をこねるような物言い。たとえ最強の剣姫といえど、その内側には、17歳の少女が隠れている。
ミオは剣姫の言葉が『あの人でなければならない』ではなく『あの人じゃなきゃイヤ』だったことに満足していた。
「ならば、話し合うしかあるまい。貴公が何ゆえ、ナナシを主にしようとしているのか、貴公がどうしたいのか、ナナシがどうしてほしいのかをのう」
剣姫が袖口で涙を拭っていると、キリエが横からハンカチを手にして、涙を拭き、挙句の果てには、はい、チーンして。などと言いながら鼻をかませる。どこまでもお姉ちゃんの挙動であった。
暫くして、目は赤く、未だに涙声ではあるが、冷静さを取り戻した剣姫は、ミオをバッと指さして宣言する。
「私よりもミオ殿の方が、主様のことを理解しておられる。それはわかった! 確かに、私よりもずっとミオ殿の方が、主様の下僕にふさわしいのかもしれない。しかし! 私は負けない。主様の下僕の座を譲るつもりはないぞ!」
訪れる沈黙の中、ミオはキリエにひそひそと語りかける。
「下僕に相応しいとか、娼は喧嘩を売られているのか、これ」
「文脈で考えれば貶されているわけではないと思います。ミオ様」
あいかわらず、威嚇するような視線の剣姫にミオは取り繕うような笑顔で言った。
「ま、まあ、ナナシが出発できるようになるまで2、3日はある。ゆっくり話し合ってみるのじゃな」
「ところで、サラトガは、まだ動かすことはできないんでしょうか?」
キリエがわざとらしくも話題を変える。
「サラトガが動ければ、今すぐにでもゲルギオスを追い始めるのじゃが、城壁があそこまで崩れてしまっては、動かすことすらできぬ。資材も不足しておるのでな。救援を頼んではおるが、到着するまでには一週間はかかるじゃろう。」
「救援ですか?」
「ああ、ストラスブル伯にな」
「あの高飛車ドリルにですか?」
珍しく、キリエがミオに対して顔を顰める。
「まあ、一番近い位置におったからな。そう嫌ってやるな。あやつは高飛車じゃが悪人ではない」
「確かにそうですけど、あの高笑いをまた聞かねばならないと思うと、胃に穴が開きそうです」
城砦都市ストラスブル。学術の街と言われるこの都市は、ミオが幼少期を過ごしたところでもある。その領主ファナサードは、ミオの竹馬の友とも言える人物ではあったが若干、性格に問題を抱えている。
キリエは一週間後のことを思うと、どうしようもなく気が重くなった。
◇ ◇ ◇ ◇
ナナシが執務室を出ると、そこにはミリアが立っていた。
ナナシの姿を見止めると腰の後ろで手を組んだまま、ゆっくりと近づいてきて、目の前で立ち止まる。そして、拳をにぎるとナナシの胸を軽く叩いてただ「バカ」と呟いた。
「ナナちゃんはボクを、どんだけ心配させれば気が済むのさ」
「ごめんなさい」
「君が砂洪水にのみ込まれた瞬間、ボクがどんな気持ちになったかわかる?」
「…………」
「わからないって言ったら、わかるまでぶん殴ってやるんだから」
ナナシは分かっている。分かってはいるが、口に出すことはできそうに無かった。
「ナナちゃんが自分のことを大切にしないのは、ナナちゃんの自由かもしれないよ。でもね。ナナちゃんはもう、ボクやお姉ちゃんにとって大切なものに含まれているんだよ。ボクやお姉ちゃんのことを考えてくれるなら、ナナちゃん自身のことを大切にしてよ」
ミリアの目から一筋の涙が零れる。
「おかえり。ナナちゃん」
そう言って、ミリアは微笑んだ。
窓からは茜色の空が見える。遠くから、子供達の帰宅を促す母親達の声が聞こえた。
しばらくして二人は、ミリアの案内でナナシに割り当てられた部屋へと向かった。
階段を一つ下りて、幹部の居住フロア。キリエの部屋の2つ隣の部屋の前で、ミリアは足を止める。
「今日からしばらく、此処がナナちゃんの部屋だよ」
そう言いながらミリアがノブを回してドアを開け、部屋へと入る。
ほとんど何も無い部屋。その真ん中には存在感過剰な、天蓋付きの豪奢なベッドがあった。
「ここはボズムスさんが使ってた部屋なの。ボズムスさんは、城の外に屋敷があるから、ここは城に詰めなきゃいけない時にしか使ってなかったんだけどね。そんなわけで、家具なんかはほとんどないんだけど、あの人、ベッドだけはやたら拘って職人に作らせてたから、たぶんすごく寝心地はいいと思うよ。ボク達の使用人部屋のベッドと比べたら、大違いだよ」
「はあ」
そもそも、ナナシはサラトガに来るまでベッドで寝たことなど無かったのだから、拘るという感覚が理解出来なかった。
ミリアはくるくるっと回りながらベッドに座ると、自分の隣をパンパンと叩いてナナシに此処へ座れと促す。
女の子と隣り合わせにベッドに座るという行為に照れつつも、ナナシが素直にしたがってベッドに座ると、ミリアはナナシの手に自分の手を重ねてきた。
そして、顔を赤らめて慌てるナナシに、ミリアは真剣な顔をしてこう言った。
「剣姫様とは、何も無かったんだよね。隠しごとすると一本ずつ指、折るよ」
自分を大切にしろと言ったのと同じ口から、この言葉が出たことにナナシは驚愕せずには居られなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「シュメルヴィさん。なんとかなりそうですか?」
「うーん、お手上げねぇ。見たこと無いもの。こんなのぉ」
真剣な顔で詰め寄るミリアに、肩を竦めながらシュメルヴィが答える。
ナナシは、ミリアに問われるままに、剣姫を救ってからの経緯を正直に答えた。
ナナシの主観の話ゆえに、趣旨としては、剣姫が下僕になると言ってからかってくるというものであったが、ミリアはそれを信じていない。
何より、ミリアの女の勘が、激しく警鐘を打ち鳴らしていた。
最後にナナシが手の甲に浮かんだ紋章を見せた時に、それは確信に変わった。
剣姫は本気で、私達からナナちゃんを奪おうとしている!
慌ててナナシの腕を掴むと、ミリアは有無を言わさず、シュメルヴィの実験室へと特攻した。
「あらあら、りっぱな呪いくっつけてどうしたのぉ?」
ナナシの手の甲の紋章を見たシュメルヴィが、何気ない感じで言った言葉に、ミリアは卒倒しそうになった。
しばらく、紋章を観察したあと、シュメルヴィが嘆息して言う。
「古代語やら精霊語やらいろんな言語でぇ、複雑な術式がぐるぐるに巻きついてる感じ。まあ呪いっていうのは訂正するけどぉ、かなり特殊な魔法よぉ、これ」
「どんな魔法なんですか?」
「一言でいうと運命の改変かなぁ」
「運命の改変?」
「術者と対象者、この場合だと剣姫とナナシくんは、どれだけ離れてしまっても、必ず再会するの。運命がそう変わると言ってもいいわぁ。例え、死別しても、来世でも必ず出会うのよぉ」
「……それって」
「恋人同士の憧れよねぇ」
シュメルヴィのトドメの一言に、崩れ落ちるミリア。
「でも、見方によってはストーカーよね」
しかし、シュメルヴィの一言であっさり復活する。
「ですよね! おのれぇ剣姫めぇ! ちょっと文句言ってくる!」
そう言うと、ミリアは実験室を飛び出して行った。
「あらあら、若いっていいわねぇ」
そういうシュメルヴィもまだ20代前半。別に若くないわけではない。
ミリアが出ていくと実験室は急に静けさを取り戻し、ナナシはなんとなく居心地が悪くなった。それを見越したわけではないだろうが、シュメルヴィがナナシに話かける。
「そうそう、ナナシくん。君に意見をもらいたいことがあるのよぉ。丁度よかったわぁ」
そう言うと、シュメルヴィはつかつかと、部屋の隅の作業台の方へと歩いていく。
作業台の上には、魔術師の実験室には、似つかわしくないものが無造作に置かれていた。素材そのままの鈍色で、ところどころ形が歪んでいる。
「もしかしてこれが、ミオ様のおっしゃってた「ゲルギウスに追いつく手段」ですか?」
「そうよぉ。後は、綺麗に塗装するだけだから、機能的にはもう問題ないはずよぉ。できたら、今からコレをテストしてほしいのよぉ」
そう言って、シュメルヴィは両腕で挟むようにして、わざとらしく胸を寄せる。
キリエの不愉快そうな顔が、頭に浮かんだのは内緒にしておこうとナナシは思った。




