第20話 いわゆる三角関係ですね。ミリアも入れると四角じゃな。
満天の星。
四方いずれを見回したところで、砂以外、何も見当たらない茫漠たる風景。
ぎゅっぎゅっと砂を踏んで歩く音と、二人の息遣いだけが世界に響く。
連綿と連なる足跡。
それを追っていくと、寄り添って歩く少年と少女の姿があった。
二人が目指しているのは、機動城砦サラトガ。
それは、凡そ60ファルザング(360キロメートル)先、徒歩で言えばここから3日程度の距離に停泊している。但し、この二人はそれを知らない。
上手く砂洪水から逃れることが出来たのかどうか、それすらもわからないが、二人には、他に当てが無かった。
自分の左腕にしがみついて歩く剣姫の姿をちらりと見やり、ナナシはおずおずと口を開く。
「あ、あのぅ。剣姫様……」
「マリスです。ご主人様」
何の冗談かはわからないが、剣姫はナナシに対して下僕になると宣言した後、頑なに、その態度を崩そうとしない。
剣姫ほどの美しい少女が、自分の下僕になるということを、「はい、そうですか」と信じることが出来るのであれば、それはきっと幸せに人生を送ってきた人なのだろう。
そうでない人間は大体こう考える。――本気にしたならば、せいぜい後でからかわれるのがオチだ。
もちろんナナシはそう考えている。
もしまかり間違って、剣姫が本気でそう言っていたとしても、それは一時の感情。
冷静になってみれば、彼女の目に映るのは、みすぼらしい地虫一匹でしかないのだ。
そうなった時の剣姫の表情を想像すると、ナナシは暗澹たる気持ちになる。
やはり今から出来るだけ距離をとっておくべきだ。ナナシはそう思った。
「お願いですから、少し離れていただけませんか」
「お断りします」
即答であった。
「なんでも言うことを聞いてくださると、おっしゃった様な……」
「ご主人様。主が確実に間違えておられる時に、それを間違えていると指摘してくれる臣下こそ、真の忠臣なのです」
「僕、間違えてるんですか?」
「大間違いです」
「はぁ」
剣姫はナナシの目をじっと見つめながら、鼻先に指を突きつけて言いきる。
ナナシは理屈もなにもない剣姫の回答に、どうして良いかわからず、ただ気の抜けた返事をした。
剣姫はどうあっても離れてくれる気はないらしい。
女の子。それも剣姫の様な美しい少女が、自分の腕にしがみついてくれるというならば、あとで少々からかわれてもお釣りがくる。そう考える人もいるだろう。
『だって肘が胸に当たってヒャッホーイだぜ!』などと想像したりもするのだろう。
しかし、今現在にいたるまで、ナナシはそういう恩恵には預かってはいない。
ナナシの肘と剣姫の胸の間には強固な城壁が立ちはだかっている。
具体的には胸甲。
ヒャッホーイ!どころか、ガンガン当たって地味に痛い。
それさえなければ、ナナシとて健康的な思春期の男子である。
もしかしたら、騙されたっていいや!というような気分になっていたかもしれない。しかし残念ながら、ここまでの時点では、何をどう転んでも良いことなど一つも想像できなかった。
「では、剣姫様」
「マリスです。ご主人様」
微妙にイラッとした雰囲気を語尾に載せて返答する剣姫。ナナシは少し怯みながらもなんとか言葉を紡ぐ。
「せめて、ご主人様という呼び方はご容赦いただきたいんですが……」
「……では主様で。それ以上の譲歩は許容できません」
少し考えるそぶりを見せた剣姫であったが、結局出てきた内容はほとんど譲歩されていない。
ナナシは考える。
さすがに有り得ないと思うが、万一、剣姫が人前でナナシの事を『ご主人様』と呼んだならば、その瞬間、嫉妬に狂った男性陣に血祭りに上げられることは、予想に難くない。そして、それが『主様』であろうと、本質的には何にも変わらない。
しかし、こうしてみればどうだろう。剣姫が昔飼っていたペットが『アルジサマ』という名前の珍獣なのだと。そして哀れな砂漠の民の少年は、剣姫の気まぐれでペット扱いされているのだ、と。
……苦しい、あまりにも苦しい言い訳である。
だが、ナナシには、もうそれしか手がない様に思えた。
難しい顔をして考え込むナナシの顔を、剣姫は少し不安そうに覗き込む。
蒼い瞳に月の光が映りこんでキラキラと輝き、ナナシはついそれに見惚れてしまった。
「どうかしましたか?」
剣姫の問いかけに我にかえり、ナナシは慌てて目をそらした。そしてその瞬間、ナナシの目つきが急に鋭さを帯びる。
「剣姫様、伏せてください!」
「マリスで…キャッ!」
突然、ナナシに引き倒されて、剣姫は小さく悲鳴を上げる。
ナナシが目をそらした先、真っ暗な砂漠の中に幾つもの光が揺れているのが見えた。それは精霊石のものと思われる淡い光。
その光は、まっすぐにこちらへと向かってくる。
来た方向から考えても、ゲルギオスの兵ということは想像しにくいが、正体がわかるまでは気が抜けない。
「おーい! いるなら返事をしろー!」
光の方から聞こえてきたその声には聞き覚えがあった。
「良かった! サラトガからの救援ですよ。剣姫様!」
剣姫に微笑ながら、そうささやいてナナシが立ち上がりかけた、その瞬間。
「ナナシちゃーん! お姉ちゃんがお迎えにきましたよー! 出てらっしゃーい」
聞こえてきた呼びかけに、ナナシはその場で崩れ落ちた。
今さら誰と言うまでも無いが、その声の主はキリエであった。
日を追うごとに、ますます『お姉ちゃん』を拗らせている様な気がする。何か外科的な処置をした方が良いのではないだろうか。とナナシは真剣に思った。そして現実問題として、今、すごく出て行きにくくなった。
そうこうしているうちに、キリエが強制したのだろう、キリエの呼びかけを部下の兵士たちが野太い声で復唱しはじめる。
「ナナシチャーン! オネエチャンガムカエニキマシタヨオ! デテラッシャーイ!」
「もう一回だ!」
「イエス! マム! ナナシチャーン! オネエチャンガムカエニキマシタヨオ! デテラッシャーイ!」
「よし、いいぞブタ野郎ども!」
剣姫が少し顔を引きつらせて、ナナシに問いかける。
「主様、なんなんでしょうアレ?」
「お願いですから、僕に聞かないでください」
その後、たっぷりと2ダースほども、野太い『ナナシちゃんコール』を聞かされたあたりで、遂に耐え切れなくなって、ナナシは剣姫を連れてキリエのいる方へと出て行った。
ナナシの姿を見とめたキリエは、言葉を失ったように固まった後、駆け寄ってきてナナシを強く抱きしめる。
「無事で良かった」
「ご心配をお掛けしてすいません」
「全くだ」
そう言いながら、キリエはナナシの額を人差し指で軽くつついた。
ナナシは照れくさいとは思いながらも、自分の無事をこんなにも喜んでくれる人がいることが、ただ嬉しかった。
しかし、キリエの声が急に不穏なトーンを纏う。
「ところで、セルディス卿」
「なんでしょう」
「貴公は何をしておられるのでしょうか?」
キリエがナナシを抱きしめている間も、剣姫はナナシの腕にしがみついたまま。むしろ子供がおもちゃを取られまいとするように、より一層強く引っ張ってさえいる。
「何をとは?」
「我が弟を、いたずらに誘惑しないでいただきたい」
威嚇するように剣姫を見つめるキリエ。
しかし剣姫は余裕の笑みを湛えながら、言い返す。
「私はすでに主様のもの。主様と私はすでに永遠の誓いで結ばれておりますので」
「永遠?! な、なにを言っておられるのか、ぜ、全然わかりませんが……」
目を泳がせて挙動不審な態度をとるキリエを見て、剣姫はナナシをちらりと見るといたずらっぽい表情を浮かべて、にまっと笑う。
そしてキリエの方へ向き直ると、艶然と微笑んで言った。
「これから、よろしくお願いします。お・義・姉・さ・ま♪」
その瞬間、キリエの顎の落ちる音が、夜の砂漠に盛大に響き渡った。
◇ ◇ ◇ ◇
サラトガに到着したのは翌日の午後。
ナナシから離れないと主張する剣姫を、二人乗れるサイズの驢馬ではないからと、なんとか言い含めて、それぞれ別に騎乗することができた。
剣姫に「お義姉さま」と呼ばれたショックは大きく、放心してふらふらとどこかへ行きかけるキリエ、驢馬ごと接触して来ようとする剣姫、それを見て周囲の兵たちがナナシに向けて殺気を放つなど、あまりにも気の休まらない旅路ではあったが、なんとか無事たどり着くことができた。
到着後、まずはミオへの報告のためにナナシ達は、ミオの執務室を訪れていた。
テーブルには、ミオの他にはキルヒハイムが座っている。どうやら打ち合わせの最中であったようだ。
ミオはナナシ達の姿を見とめると、微妙な表情を浮かべながら言った。
「で、それは一体どういう状況なんじゃ?」
「正直、僕としては何をどう説明すれば良いものかと……」
ミオが説明を求めた、『どういう状況』とはすなわち、剣姫がべったりと左腕にしがみついていて、キリエが背後でソワソワしていることについてだ。
「これは所謂、三角関係ですね」
キルヒハイムが眉一つ動かさずにミオに告げる。
「あー、うん、ミリアも入れると四角じゃな」
「断じて違います」
ナナシは真剣な表情で否定する。
その顔には、もう触れないでください! お願いします。と書いてあった。
咳払いをし、何も見なかったようにして、あらためてミオが口を開く。
「ともかく、ナナシよ。よく無事で帰って来てくれた」
ミオのその言葉に、キリエは嬉しそうに目を細める。
他の功績より何より、無事に帰ってきたそのことを喜ぶ。それこそ人を大切にする行為であり、人の上に立つもののあり方。そうでなくては人は動いてはくれない。それをミオが、極自然に口にしたことが、キリエには嬉しかった。
「お主はサラトガに住まうもの、皆の恩人と言っても良い」
「ちょ、ちょっと待ってください。それは大袈裟すぎます」
貶められて育ってきた人間は、評価されたり褒められたりすることになぜか罪悪感を感じる。ナナシにとってその評価はあまりにも重すぎた。
「大袈裟か? キルヒハイム」
「いえ、その表現で過不足ないかと」
冗談の一つも言いそうにないキルヒハイムが、いつもどうりの真面目な顔で答える。
「ほれみろ。娼はともかく、この堅苦しい人間が世辞などいうはずもないじゃろ。お主には、それ相応に褒賞を出さねばならんと思っておる」
「褒賞なんて、とんでもないです」
ナナシは両手を振って辞退しようとするが、ミオはそれを全く無視して話を続ける。
「まず、お主を我が軍に取り立てたいと思っておる。現在1軍、2軍とあるが、さらに第3軍を新設して、お主にまかせたいと思うんじゃがどうじゃ? そこには、できれば、お主の同胞をまとめて迎え入れたいと思っておる」
「砂漠の民をですか?」
「うむ、お主を見ておる限り、砂漠の民の者は優秀そうじゃからのう。むろん、領民には、これを差別することを禁止する」
「ありがとうございます。ミオ様、しかしそれは無理です」
それまでの評価されることを困っているという態度とは、似て非なる態度。それは、あきらかな拒絶であった。
「なぜじゃ?」
「ミオ様のお心づかいはありがたいのですが、砂漠の民を召し抱えることはできませんし、皆も喜びません。僕はキサラギを探してここまで来てしまいましたが、砂漠の民が砂漠に住まうのは、そこに守らなければならないものがあるからです」
「お主らは、なにかを守護しているということかの?」
ナナシは無言で頷く。
「その様子では、その守っているものが何かは教えてはもらえんか」
嘆息するようにミオは言った。
「すいません」
「かまわん。では、お主だけならばどうじゃ?」
「僕はまずキサラギを救い出さなければなりません」
ナナシはミオを見据えてキッパリと答える。
結局ナナシにとっては何も解決していないのだ。
ゲルギオスに囚われた妹を助けないことには、その先のことを考えることなど出来ようはずもなかった。
「なるほど、しかし、サラトガはしばらく動けんぞ」
「ですので、できるだけ早く出発して、ゲルギオスに追いつきたいと思います」
「まさか、ナナシ。貴様サラトガを出ていく気か?」
慌てて、ナナシの前に顔を突き出して、問い詰めるキリエ。
しかし、ナナシは表情を変えることなく無言で頷く。
一方剣姫は、主が行くところに、ついて行くだけだと逆に気楽そうに微笑んでいる。
その様子を見て、ミオはなぜかニヤリと笑った。
「ならば、あと数日待て。そうすれば、娼はお主にゲルギオスに追いつく方法を与えてやれる。妹を助けた後、ゆっくりと娼の褒賞を受けてもらうことにしよう」




