第12.7話 マッシュルーム
この話は本編の続きではなく、第1章の幕間のお話です。
時間軸としては12話の軍議終了直後の話となっています。
「コラ、離せ! メルトザニ! ガラスク! 私はお前たちの隊長なのだぞ。離せ! 離せぇ!」
子供の様に手足をバタつかせながら、キリエが執務室の外へと連行されていく。廊下へ出て、黒筋肉の一人が後ろ手にドアを閉じると、キリエの腕を掴んでいた手を離して2人の黒筋肉は直立不動の体勢を取った。
「ご苦労だった、二人とも」
先程までの駄々っ子のような態度が嘘の様に、キリエは顔を引き締めて、二人を労う。そしてすぐにこの二人を従えて、廊下を足早に歩きはじめた。
「メルトザニ、手筈は整っているのだろうな?」
キリエの右後ろの黒筋肉がコクリと頷く。
「ガラスク、あの部屋には、専属の家政婦がおったのではなかったか?」
その問いに、キリエの左後ろを歩く黒筋肉が「フンッ!」という声とともに、腰に手を当てて、肩幅を広げるラットスプレッドのポーズを取る。
「なるほど、それではしばらくは帰ってこないというわけだな」
ポージングを決めたまま黒筋肉がコクリと頷く。
そして二人の方を振り返りもせず、キリエは宣言する。
「これよりマッシュルーム作戦を発動! 内通者の疑いのある者を拘束する」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「城の包囲があのロリコン野郎で、このワシが市街地の制圧とは、ミオ様はどう考えても、ワシのことを侮っておられるな」
ドタドタと不機嫌そうな足音が幹部フロアに響き渡る。
足音の主はサラトガ第二軍の将軍グスターボ。
「そもそもワシが第二軍というのがおかしいのだ」
実際のところ一軍と二軍に兵員の能力や数、将軍の地位に優劣があるわけではない。単純に二つの部隊が存在するというだけの話だ。
しかしグスターボには、第一軍の将メシュメンディが、自分より優遇されているという思いがどうしても拭えない。
グスターボは大柄ながらも引き締まった肉体。眼光鋭く、大きな傷が頬に走る、そういういかにも傭兵上がりの叩き上げといった風貌ではあったが、さにあらず、実は過去に父親がサラトガの将軍職であった、二世将軍である。
父親が先代サラトガ伯の元で第一軍の将を務めていたのだ、当然、第一軍の将はその息子である自分でなければおかしい。グスターボは常々、そう思っていた。
例え、それが唯の呼称の問題であったとしてもだ。
「しかし、それも今日までのことだ。見ておれ! ワシが、ワシこそが、サラトガ第一軍の将にふさわしいことを証明してやる」
今、グスターボが向かっているのは彼の自室である。
ゲルギオスとの戦闘を数刻後に控えてはいるが、一般兵ごときと同じように待機するには時間が長すぎる。そう考えた彼は自室に戻って寛ぐことにしたのだ。
自室の前へとたどりつき、扉に手を掛ける。
鍵はかかっていない。
この部屋にはグスターボにつかえる専属の家政婦がいるのだ。
扉を開くと部屋の中は真っ暗だ。
既に夜は明けているというのに家政婦のやつは、そんなに直ぐに主が帰ってくるわけがないだろうと目論んで、二度寝でもしているのかもしれない。
いつもいつも、やれ『服を脱ぎっぱなすな』だの『使わないなら灯りは消せ』などと母親のように小うるさいやつだが、自分だってサボろうとしているのではないか。これは叱責してやらねばなるまい。
「メアリ! 貴様何をしている。灯りを付けろ! 主の帰宅だぞ!」
グスターボの怒鳴り声に対して、部屋の中から返事は帰ってこない。
「居ないのか……?」
非戦闘員の避難フロアに移動したか? それにしては時間が早い。だが、確かにせっかちなところのある女だ。それならば鎧戸まで閉めて出ていったとしてもわからんでもない。
「いや、待てよ……」
何かがひっかかる。
そうだ……ドアの鍵は開いていた。あの神経質なメアリが鍵を掛け忘れることなど、天地がひっくり返ってもありえない。
グスターボは腰の剣をすらりと抜き放ち、暗闇へとゆっくりと歩を進める。
何故だか部屋の中は異常に暑い。
鎧戸を締め切っているだけで、これほどの気温になるとは思わなかった。
慎重に玄関を抜け、その奥の居間へとたどり着く。
窓の隙間から洩れ出る光すらない真の闇。
グスターボは違和感を拭えない。
例え鎧戸を閉めたとて、ここまで真っ暗になるものだろうか?
不意に居間の奥。ソファーの上に人の気配を感じて、グスターボは剣先をそちらに向ける。
「誰だ!」
「まあ、恐ろしい」
グスターボの誰何の声に、聞き覚えのある女の声が応えた。
先程の軍議で頭のおかしい発言をして追い出されたバカ女だ。
グスターボは油断なく、声のした方へ剣を向けたまま問いただす。
「貴様、ワシの部屋で何をしている」
グスターボは目を細めるが、光源の何一つない真の闇。ソファーの上にはかすかに人影らしき、なだらかな輪郭が見えるだけだ。
「うふふっ……女が部屋を暗くして、殿方を待っているのですから、決まっているでしょう」
それはグスターボにとっては、全く想像もしていなかった回答であった。
その女--キリエは、グスターボのことを嫌っているものだと思っていたからだ。
それに過去には、この女のことをメスゴリラと呼んだ途端、腕に関節を増やされたこともある。治癒魔法ですぐに治療できたものの、この女に関しては、女として意識したことはなかった。
「どうした、戦いを前にして怖くなったか」
「ええ、とても恐ろしくて、頼れる殿方のお傍に居たくなりましたの」
いつものキリエからは、想像もつかぬほど艶っぽい声音。
誘われている……ごくりとグスターボは唾を飲み込む。
普通に考えれば、怪しい事この上ないのだが、男と言う生き物が馬鹿なのか、はたまたグスターボが馬鹿なのか、グスターボがそれを疑うことは無かった。
それどころかこう思ったのである。
そうかそうか、俺ほどの漢っぷりであれば、女が惚れるのも当然だ。いや、むしろ女であれば、惚れない方がおかしい。
この女、多少胸が残念だし、時々トチ狂った発言をするが、口さえ閉じていれば、相当の美貌の持ち主だ。ミオ様に向ける従順な態度をこのワシに向けてくれるというならば、情婦として囲ってやることは、やぶさかではない。
「ふむ、頼ってくる女を無碍にするほどワシは人でなしではない」
「うふっ、漢らしくて素敵ですわ」
「んふぅ。そうだろう、そうだろう」
部屋の中が暗くて幸いだったのはグスターボの方だっただろう。この時グスターボは鼻の下をだらりと伸ばし、目尻を下げたとんでもなくだらしない顔になっていた。
「お前はなかなか良くわかっているな。今日の闘いでは、最後はワシが英雄になる。ワシの更なる出世は決まったようなものなのだからな」
「そうなのですか?」
「そうだ! ワシは信頼できるあるお人から、今日敵がどこから奇襲をかけてくるかという情報を得ておるからな。ワシがそれを倒して、サラトガを救った英雄になるのだ。そうすれば、さすがにあのお団子もワシのことを無碍にはできまい。ワシに従うなら、お前にもイイ目を見せてやってもいいんだぞ」
この男、他国からハニートラップでも仕掛けられたなら、どんな機密でも一発でべらべらと喋ってしまうことだろう。
「素敵ですわ」
「へへへ、素敵か、そうか、そうだよな」
「ところで、グスターボ様はどんな食べ物がお好きですか?」
……食べ物? 何か手料理でもつくろうというのだろうか。
なかなか可愛げのある奴だ。
「そうだな……男ならば、やはり肉だ。肉汁の滴るような分厚いヤツが最高だな」
「そうですか、肉汁滴る分厚いのがお好きと……」
「ああ、そうだ。漢らしいだろう」
「ええ、素敵な漢っぷりですわ。では、マッ……ルームはお好きですか?」
マッシュルーム? ……付け合せか。
「ああ、好きだぞ、だがな……」
グスターボが言葉を切って一瞬の沈黙。
「お前の方がもっと好きだあぁ!」
そう言い放つとグスターボは、獣のようにソファーの上の人影へと飛びついて行った。
グスターボの指先が、ひと肌に触れる。
肌のきめは細かく、なめらか、胸も思ったよりあるようだ。
しかし、やはり闘いの中に身を置く女だからか、筋肉質でずいぶん固い。
グスターボがそう思った瞬間、がちゃりと玄関のドアが開き、廊下側から室内に光が刺した。
ドアを内側から開いたのは、キリエ。
「え? キリエ?」
グスターボが目を細めて、自分のしがみついているものを凝視する。
それは、頭の後ろで手を組んでリラックスポーズをとる黒筋肉。
黒のビキニパンツ一丁で、すごくいい笑顔。白い歯がきらりと光った。
「うわああああああああ!」
グスターボは驚きのあまり、叫び声を上げて飛び退いた。
その直後、背後のドアの方からクスクスと笑うキリエの声。
「それでは、あなたの大好きな、肉汁滴る分厚いのが一杯の筋肉部屋をせいぜいお楽しみください」
そう言ってキリエが扉の外に出ていくと、次から次へと黒筋肉達が室内へと殺到してくる。
「ひぃいいい」
グスターボは後ずさって壁に手を着くと、そこにはぬるっとした感触。
微妙に柔らかく、そして温い。
「うあっ! な、なんだ」
その正体を確かめようと目を向けて、グスターボは驚愕する。
鎧戸が閉まっていたわけではなかった。
そこにはトーテムポールのように壁面いっぱいに天井まで積み上がった黒筋肉達の姿。前衛芸術のような人間の壁であった。
黒筋肉達は一斉にピクピクと乳首を動かしながら、白い歯を剥いていい笑顔で笑う。
「ひっ!」
しゃくり上げるような声を上げて、ふたたびグスターボが飛びのく。
もうクローゼットにでも、立てこもるしかない。
床の上でも、プルプルと震えている筋肉を踏み越えて、部屋の奥のクローゼットを勢いよく開く。
「ぎゃあああああああああ」
しかしそこには、小さく折りたたまれた黒筋肉達がビッチリと詰まっていた。
なんという柔軟性。若干苦しそうにも見えるが、それでも黒筋肉達は白い歯を見せて、とてもイイ笑顔をグスターボへと向ける。見上げたプロ根性と言えよう。
しかしグスターボにそれを称賛するような余裕はない。
次々に部屋の中へと殺到してくる黒筋肉達。ついにグスターボの周囲数センチを残して、黒筋肉達で部屋が埋まる。
背後の黒筋肉がとってもイイ笑顔でグスターボの肩を掴かみ、目線を合わせると
グッと親指を立てた。
「な、やめ、やめろ、やめてくれ」
次の瞬間、残り数センチが埋まった。
「あ”ああぁぁぁぁぁぁぁぁあ」
背中にグスターボの断末魔の声を聞きながら、キリエは幹部フロアの廊下を歩いていく。
今頃、奴は体中を黒筋肉どもの大臀筋で挟まれていることだろう。
このまま一刻もすれば、筋肉の名称を唱えるだけのマシーンと化しているはずだ。
聞き出した話を総合すると、どうやら奴は内通者では無かったようだ。
それでは、執行に踏み切ったのはなぜか? 答えはシンプル。
だって、嫌いなんだもん。
そのまま、キリエは報告のために、ミオのいるであろう執務室へと向かって歩いて行った。
余談ではあるが、ナナシを誑かした罰として、キリエがアージュに筋肉部屋を執行しようとするのは、ずっと後の話である。




