第19話 私はあなたの下僕です。
「精霊石板は生きておるか?」
艦橋クルーに深刻な怪我人が居ないことを確認し終えると、ミオはそう声を上げた。
「なんとか、行けそうです」
精霊石板担当の魔術師は、手元の水晶を念入りに覗き込んで確認しながらそう答える。
「ならば、サラトガの損傷箇所を映してくれ」
魔術師が水晶に魔力を送り込むと、ただの石板に戻っていた精霊石板に再び映像が映り始める。
輪郭のはっきりしないぼやけた映像。それが次第に鮮明になっていく。
映し出されたのは、サラトガを上空から映し出した俯瞰映像。
サラトガは、ほぼ長方形の形をしているのだが、その左側前部の角が大きく欠けている様に見える。
魔術師が、操作して件の箇所を精霊石板上に拡大していくと、その損傷の大きさにミオは頭を抱えた。
「掠っただけでコレじゃ……。全くたまったものではないわ」
「死傷者の状況もわかりませんので、実質の被害は調査してみないことには、何とも申しあげられませんが、直撃を避けられただけでも良しとすべきかと」
「わかっておる」
感情を押し殺して淡々と振舞うキリエに、ミオは少し苦しげに頷く。
未だにフロアで呆けて座り込んだままのミリアといい、この姉妹はこの数日の間に、あの砂漠の民の少年に深入りしすぎてしまったのだ。
さもなくば、少年を失ったことが、二人にこれほどの傷を残すことは無かっただろう。
ミオは、大きく息を吐き出す。
「いずれにしろ、しばらくはここに停泊して、修繕するしかなさそうじゃのう」
ゲルギオスには逃げられ、サラトガの損傷も看過できないレベル。
実際に城砦都市同士の攻城戦で剣を交えることこそ無かったが、その被害の大きさで言えば、完敗と言っても良い。
特に人的被害は致命的なレベルだ。
最古参の家宰ボズムスは誰もが気付かない内に殺されて化物にとって代わられていた。当代最強と謳われる剣姫セルディス卿も生死不明。
あらためて考えてみれば、サンドゴーレムにセルディス卿をぶつける様、提案してきたのもボズムスに化けたあの化物であった。
あの提案も剣姫を排除するための策略であったかと思うと、ミオは口惜しさで卒倒しそうになる。
これまでサラトガが、城砦都市同士の覇権争いから距離を保つことができたのも、抑止力としての剣姫セルディス卿の存在が大きいのだ。それを失うことになったならば、問題はサラトガ存亡の危機にまで発展してしまう。
こめかみの辺りに鈍い痛みを感じながら、ミオは魔術師にあらためて指示を出す。
「クレーターのあった辺りを映せるか?」
その指示は願望の発露であった。
セルディス卿の存在は、人知を越えていると言っても良い。ならば例え砂洪水に巻き込まれたとて、平然と生きていても何ら不思議はないではないか。
頭の片隅ではそんなことはあり得ないと判っていながらも、ミオはそこに一縷の希望を見出さざるを得ないのだ。
しかし、切り替わった精霊石板上の映像を見てミオは深い溜息をついた。そこに映っているのはクレーターすらも存在しなかったように、砂が波の文様を描いているだけ。どれだけ食い入るように見回してみても、砂以外のものは何一つ見当たらなかった。
ミオはあらためて嘆息し、キリエはミオの気持ちを慮って、ただ静かに目を伏せた。
「砂洪水の先頭部分はどうなっておる?」
画面上で見つからないのであれば、捜索隊を出すしかない。ただその場合には、砂洪水の危機が去ったことを確認してからでなければ、いたずらに被害を拡大するだけだ。
モニターに映った波頭は、先ほど見た時点に比べれば、ずいぶんと勢いを失っているようにえた。が、それはあくまで比較してみればの話だ。
砂洪水は、未だに猛烈な勢いで砂漠の中を進んでいた。
キリエが、無力感に苛まれて精霊石板から目をそらしたのと同時に、それまで無言で精霊石板を見つめていたミオが、突然、精霊石板の傍へとバタバタと駆け寄っていく。そして、額をぶつけんばかりの勢いで画面上の砂洪水の波頭に顔を近づけて、それを凝視すると、大声で「ミリア!」とフロアに座り込んで放心する少女の名前を呼んだ。
そして、弾かれるように振り向いて、ミオは満面の笑みでこう言った。
「お主の言ったとおりじゃ! あやつは、我らの御守りじゃったわ」
◇ ◇ ◇ ◇
巨大な建造物が崩壊して倒れこんでくるかの様に、砂の波濤が剣姫の上にその巨大な影を落とす。
圧倒的な質量が、頭上から落ちてこようとするその時、剣姫の手首を掴む者がいた。
舞い上がる砂に、とてもではないが目を開けていられるはずもなく、剣姫には自らの手を掴む者が何者であるのかを確認する術もない。
ただ、今は自分の手を掴む、この手の温かさを信じて従うより他になかった。
剣姫は手首を掴み返し、逆らうことなく引っ張られる方へと足を踏み出す。
引き摺られるままにタタタと駆けるも、四歩目を踏み出す前には、足は地面を離れ、軍旗がはためくように、横向きの加速に牽かれて宙を舞う。そして、次の瞬間、剣姫は自分の身体が、その手の主によって抱き留められたのを感じた。 背中と腿の裏に腕が回され、横抱きに剣姫の身体を支える。反射的に自ら、自分を抱きかかえる者の首へと手をまわして、剣姫もまた身体を支えた。
「剣姫様、目をあけても大丈夫ですけど、あまり動かないでください。バランスが崩れると冗談抜きで死んでしまいますから」
剣姫の耳元で囁いたのは男性。いや男性というには少し幼い。少年のような声。
剣姫は、ゆっくりと目を開く。
すぐ目の前には、見覚えのある横顔があった。
風になびく髪の色は夜の色、真剣に正面を見据える瞳にも夜の色を湛えている。
確か、砂漠の民という少数民族の少年だ。
顔をあわせるのはこれで4度目となるはずだが、剣姫はまだ彼の名前を知らない。もしかしたら、聞いたのかもしれないが覚えていない。
それを聞けば、少年はがっかりするかも知れないが、彼女に言い寄る男性は少なくない。そんな中、通りすがりの人間と大差のない少年の名を覚えていようはずがないのだ。
「あなたは……」
「無事で良かったです、剣姫様。もう少しだけ我慢してください」
剣姫は小さく首を動かして、自分の置かれた状況を確認する。そして状況を把握するにつれて、自分達が未だ薄氷の上に立っているような、危うい状態であることを理解した。
曲芸のよう。
剣姫のその感想が 、状況を端的に表している。
先程、剣姫に殺到してきた砂の波濤。数十ザールにも及ぶ巨大な砂の壁。
自分達はその表面に、ほぼ垂直に立って移動している。
せり上がった砂の壁が覆いかぶさってくるその瞬間瞬間に、わずかにできる砂のトンネル。そこを少年はいかにも頼りなげな板の様なものに乗って滑走していた。僅かに腰を落とし、前後に足を開いて、体重移動だけで足元の板を巧みに操りながら、この針の穴を通すような状況と戦っているのだ。
「これはどういう状態なんでしょう?」
「ごめんなさい。今は説明する余裕がありません。無事逃げ切れたら、ちゃんと説明します」
それはそうだろう。
これは相当に繊細な技術のはず。もう少年の邪魔はすまいと心に決めて、剣姫は押し黙る。
何気なく上を見上げると、飛び交う砂のアーチの向こうから太陽が透けて見えて、そんな場合ではないと知りながらも、美しいと思ってしまった。
少年の胸に抱かれながら、剣姫はぼんやりと考える。
どうやら父様の言う「運命の車輪」は回ったらしい。ならば、私達はきっと助かるのだろう。
そこまで考えて、初めて剣姫は気がついた。
……ということは、この少年が私のご主人様?!
思わず、彼の顔を覗き込む。
急に剣姫が頭を振ったので、ちらりと目を向けた少年と一瞬目が合った。
その瞬間、ボン!と音を立てそうなほどに、急激に体温が上がり、頬が真っ赤に染まる。顔から火が出そうなぐらいに恥ずかしくなって、慌てて目を逸らした。
想像していた主の人物像とは、ずいぶん違う。
私を救ってくれる人であり、将来、王となる人物なのだから、自分よりずっと強い人、屈強な人なのだろうと思っていた。
しかし実際に出会ってみれば、自分より年下のかわいらしい少年。
落胆したかと問われれば? 答えは否。
見た目はかわいらしくとも、骸骨兵の群れとの戦いで、彼が自分の命を賭けて少女を守る姿をこの目で見ている。
自分の想像とはかけ離れすぎて、全く気がつかなかったが、この少年は強く、そして優しいのだ。
そうやって考えると、自分の生涯を捧げる相手として申し分がない様に思えた。
少年は自分の腕の中の剣姫が、急にモジモジと動き始めたことに気づく。その剣姫の不自然な挙動に、これまでずっと疎まれ、虐げられて来た少年としては当然の帰結としてこう思った。
剣姫は、自分と接触しているのを嫌がっているのだと。
「すいません。本当にすいません。僕なんかとくっついているのは、本当に嫌だと思うんですが、死ぬよりはマシだと思って、もう少し。もう少しだけ我慢してください」
「イ、イヤなんかじゃありません!」
剣姫は全力で否定したつもりだったが、ナナシは剣姫は気を使ってくれているのだ。なんて良い人なのだと少し感動していた。
そうこうしている内に、二人が進む砂のアーチの向こうに、丸窓のように青い空がちらりと見えた。
「バレルを抜けます。着地の時に衝撃があると思いますが、少し我慢してください」
ナナシがそう告げた途端 、剣姫の視界に青空が広がる。
砂のトンネルを抜けて、二人は宙を舞った。
ナナシの目算では、そのまま砂の上に着地、滑走して安全に止まるつもりだったのだが、足元の板が砂の大地に触れた途端、バランスを崩して、二人は砂の上へと勢い良く投げ出された。
ナナシは剣姫の頭を庇うように胸に抱え、背中から砂の上へと落ちる。いくら柔らかい砂の上とはいえ、人一人分の体重を身体で受け止めたのだ。ダメージは小さくない。そして、そのままゴロゴロと砂の上を転がって、何とか止まった。
「すいません。着地に失敗してしまいました。剣姫様、お怪我はありませんか?」
剣姫はナナシの胸の上で、伏し目がちに微笑んで、ただ「ハイ」とだけ答えた。
「よかっ……」
よかった。そう言い切ることもできずに、そのままナナシは限界を迎えて、意識を失う。言葉が途中で途切れたのを怪訝に思って、剣姫がナナシの顔を覗き込むとすやすやと寝息を立てていた。
「まあ」
そう言って、クスリと笑うと剣姫はナナシの胸に耳を当てる。
ドクドクと脈打つ心臓の鼓動を聞きながら、そのまま剣姫も眠りに落ちていく。
彼女も、疲れきって限界を迎えていたのだ。
ナナシが目を覚ましたのは、陽が落ちてしばらく時間が経ってからのことであった。目を覚まして、自分が剣姫を抱きしめたまま眠っていたことに気付くと、まず顔を真っ赤に染めて、次に真っ青になって冷や汗を垂らし、酷く狼狽した。
彼の頭の中でどんな想像が為されたのかは推して知るべしだろう。
だからと言って、今動くと気持ちよさげに眠っている剣姫を起こしてしまうことになる。どうしたものかと、ああでもない、こうでもないと逡巡しているうちに剣姫が、ゆっくりと目を開いた。
「おはよぅごじゃいますぅ、ごしゅじんさまぁ」
寝ぼけ眼でナナシを見つめながら、剣姫は甘えたような声でつぶやいて、ナナシの胸にぐりぐりと頬を押し付ける。
ご、豪快に寝ぼけていらっしゃる。
ナナシは焦りながらも、自分の身体の上に乗っている剣姫の身体の柔らかさに顔が火照っていくのを感じた。
サラトガの男性達がこのことを知ったら、例え不慮の事故だとしても、確実にくびり殺されるであろうことは想像に難くない。
なにせ、皆の憧れの剣姫様だ。
「け、剣姫様、す、すいません。起きていただけると大変助かるのですが……」
そう言われて、剣姫はきょろきょろと当たりを見回した後、自分がナナシの上に乗っていることに気が付くと、瞬間的に顔を真っ赤に湯立たせて、飛びのいた。
そのまま、ナナシに背を向けて、落ち着き無く指を動かしながら謝罪の言葉を口にする。
「ご、ご、ご、ごめんなさい!」
「い、いえ、こちらこそ、すいません」
たどたどしく謝りあうと、その後は言葉が続かず、沈黙が二人を包む。
この沈黙をどう感じていたかは、そのまま二人の心情の違いを表している。
剣姫がどことなく甘酸っぱいと感じていたのに対して、ナナシはとてつもなく気まずいと感じていたのだった。
「あ、あの……」
しばらく続いた沈黙を破ったのは剣姫。
「は、はい。なんでしょう」
「助けていただいて、ありがとうございました」
「いえ、お礼を言われるようなことでは………」
ナナシは相変わらず、褒められたり、お礼を言われるようなことに慣れていない。どう返していいのかわからず、ただ下を向いて口ごもる。
「あの砂の上を走っていた板は、魔道具か何かなのでしょうか?」
「いえ、アレはただの大盾です。城壁の上で拝借しました。砂の上を走っていたのは、『波乗り』という砂漠の民の子供の遊びなんです」
「遊びですか?」
「はい、普通は安定翼のついた専用の板を使って、小型のワームが起こす小さな波に乗るんです。さすがに砂洪水に乗ったことはありませんでしたから、何とかなって本当によかったです」
そういって、笑いながら頭を掻くナナシを、剣姫は唖然とした思いで見ていた。
この少年はあの曲芸じみた技術を、ぶっつけ本番でやってのけたというのだ。
「お名前を伺っても?」
「あ、はい。そう言えば名乗って無かったですね。僕はナナシと言います」
「ナナシ様」
剣姫は噛みしめるように口の中で、ナナシの名前を繰り返した。
「あらためて、私はマスマリシス・セルディスと申します。親しいものはマリスと呼びますが、できれば、その……ナナシ様にもそう呼んでいただければと……」
最初、ナナシには、彼女の言っていることを理解することが出来なかった。せいぜい、マスマリシスっていうんだー。綺麗な名前だなーとぼんやり思った程度だ。 それを愛称で呼べとか、緊張で死にそうになるし、彼女のファンの男性達の手で物理的に死ぬことになりかねない。
「無理です! 剣姫様、僕なんかが、剣姫様をそんな馴れ馴れしく呼ぶことなんかできません!」
ナナシはぶんぶんと手と頭を振りながら、座ったまま、器用に後ずさっていく。
ナナシの対応としては、おそらくこれが普段どおりなのだが、その様子に剣姫は少しムッとしたような顔をする。
「ナナシ様、お立ちください!」
「は、はい」
剣姫を怒らせてしまったと思ったナナシは、慌てて立ち上がる。
剣姫はそのナナシと向かい会うように立つと急に跪いてナナシの手を取り、そして厳かに言った。
「私、マスマリシス・セルディスは、ナナシ様の忠実なる下僕として、その生涯を捧げることを誓います。」
ナナシは何が起こっているのかわからず、あんぐりと口を開けて、剣姫を見下ろしている。
「終生の誓いをここに」
剣姫がそうつぶやくと、ナナシの手の甲を強烈な白い光が包む。熱くはない。
「な、なにが起こってるんですか?!」
ナナシの疑問に剣姫は、ただ微笑むだけ。
しばらくして光が消えた後には、ナナシの手の甲には雪の結晶のような文様がはっきりと刻まれていた。
「こ、これは……?」
文様を眺めながら、茫然とするナナシに対してマリスは恭しく頭を下げる。
「これで私の全てはナナシ様……いえ、ご主人様のモノとなりました」
「け、剣姫様、な、何をおっしゃられているんでしょう……?」
「健やかなる時も、病める時も共に生きて、朽ちる時は共に朽ち、生まれ変わる時には再び共に出会う。ご主人様と私の間に結ばれたのはそういう契約です」
その時、彼女が見せたのは華のような笑顔。
何一つ、迷いのない瞳でナナシを見つめて彼女は言った。
「私はあなたの下僕です。私のご主人さま」




