第17話 三下が大層な口をきくものではないな。余計に弱そうに見えるぞ
「内通者は貴様じゃ。ボズムス」
ミオははっきりと、そう言い放った。
艦橋のクルー達の間に衝撃が走り、その大半が半口を開けてボズムスを見ている。
「ふおっふおっ。突然何を血迷われておるのですか、ミオ様。先代よりお仕えしております忠臣中の忠臣、このボズムスが内通者であると?」
特に慌てる様子は見えないが、ボズムスはいつも以上に声高に笑う。顔は笑っているのに目が笑っていないのはいつもの事だが、言葉の選び方がやや挑発的だった。
「今、出撃したのはメシュメンディじゃ。娼が先だって指示を与えておいたのじゃが、貴様は、どうして出陣したのがグスターボだと思ったのじゃ?」
ボズムスのこめかみのあたりが、ピクリと動いた。
「左様でございましたか。いつも無謀な突撃をするのはグスターボ殿ですから、今回も当然そうだと思っただけでございますよ」
ボズムスの回答に、ミオが口元を緩める。
「ボケるにはまだ早かろう、ボズムス。お主、自分で申したことも覚えておらぬのか? つい今しがた『出撃すると見せかけて脱出した』こう申したではないか。脱出したと認識しておるのに無謀さは関係なかろう」
「…………」
「最初からグスターボだと決め付けておった。娼にはそのように聞こえたがのう。」
ボズムスが顔を歪め、奥歯を噛みしめる。
「事前に出撃する人間がいればそれが内通者だと娼に吹き込み、そしてグスターボを唆して出撃させる。そういう絵を描いていたなら、出撃したのは当然、グスターボじゃと思うわな」
「言いがかりですな。そんな理屈では誰だって内通者に仕立てあげられてしまいますぞ」
ボズムスの物言いに、ミオが声を荒げかけた時、ミオの胸元あたりから「待って」と、か細い声がした。
「ここからはボクが説明するから」
目を赤く腫らして、グズグズと鼻を啜りながら、ミリアがミオの胸元から顔を上げる。
「ボクがゲルギオスの企みに気づいたのは、骸骨兵の群れに襲われた時なんだ。この襲撃は、ボクかナナちゃんのどちらかを狙ったものだろうと思ったんだよ」
「練兵所など破壊したところで、大した損害ではないからのう」
「で、仮にナナちゃんを狙ったものだと仮定してみたら、ゲルギオスの狙いが一気に理解できたの」
ボズムスは、全く表情を変えることなくミリアの言葉を聞いている。
「ミオ様は軍議の席で、ナナちゃんのどこに価値を見出したの?」
「砂洪水を予測する力じゃ」
「そうだね。逆に言えば、骸骨兵の群れに襲われた、あの時点ではナナちゃんは、そこにしか価値がないんだよ」
「どういうことじゃ?」
「つまりね、貴重な魔道具を使ってでも、ナナちゃんを排除したいということは、砂洪水の発生を事前に予測されたら、困るということをはっきりと示しているんだよ」
「なるほど、あの時は必死だったから、そんなこと考えもしなかったな」
相槌を打つキリエの狼狽しまくる姿を思い出し、ミオはちょっと笑いそうになる。
「なんで困るのか? もうわかるよね。ナナちゃんの妹ちゃんを攫って、砂洪水の発生を事前に察知。そこにサラトガを誘い込んで砂洪水に巻き込ませる。それがゲルギオスの狙いだからだよ。ナナちゃんが砂洪水の発生を予測してしまえばこの企みは瓦解しちゃうもの」
「で、我々は、それに危うくハマりかけておったわけじゃ」
ミオの言葉に、ミリアとキリエが同時に頷いた。
「練兵所で襲撃を受けたのが、ナナちゃんの力が判明した翌日の朝。サラトガの外部の人間がそれを知って、リアクションするにはあまりにも早すぎて、内通者がいると見せかける罠なんじゃないかと思ったぐらいだよ」
ミリアは泣き腫らした顔で微かに笑う。
「でもね。正直言って誰が内通者かわかんなかったんだよね。だからミオ様にはこう伝えたんだよ。
サラトガが沈みそうになったなら、逃げる人が内通者。
サラトガが沈まずに済みそうなら、逃げる人が内通者、と言う人が内通者」
確かにサラトガが沈むならば内通者は脱出する。サラトガが沈まないなら誰かを内通者に仕立て上げて、のうのうと居座って工作を続けるだろう。
艦橋に沈黙の帳が降りる。
誰もが、注視する中ボズムスは、くるりとミリア達に背を向ける。
「ほら見ろ、やっぱりこの娘はマズいと言ったではないか。三流魔術師め!」
ボズムスの口調がガラリと変わり、吐き捨てる様に言った。
「だが、まあ仕方がない。剣姫を砂洪水で葬れただけでも良しとせねばなるまい。なあに、あれさえ居なければ、貴様らなぞ、我らの敵ではない。今日逃れられたとしても、貴様らの寿命が少し延びただけだ」
「貴様、何者じゃ! ボズムスでは無いな」
「いいや、ボズムスだぜ。魂の一部だがな。この身体はゴーレムだが、奴の魂は俺の食物として活用してやってるさ」
ボズムスの首だけが180度回転し、舌を出して禍々しく哄笑しはじめる。
「小娘よぉ、領主なんぞ殺したところで、どうせ新しいのにすげ変わるだけだが、行きがけの駄賃だ。その首もらっていくぜ」
ボズムスの舌が、鋭利な切っ先となってミオに襲い掛かる。
全く反応することもできず、眉間へと迫る尖端に寄り目になるミオ。
しかし、それを黒いひも状のものが、ピシャリと音を立てて弾き飛ばした。
ミオとミリアを背に隠して、キリエがボズムスの前に立ちはだかる。
そして、ピシャリと鞭でフロアを叩き、キリエはボズムスを気だるげに指さした。
「三下が大層な口をきくものではないな。余計に弱そうに見えるぞ」
◇ ◇ ◇ ◇
「貴様ぁ! さっきは良くもやってくれたな!」
ナナシの姿を見つけた途端、アージュは指を指して凄んだ。
城壁の上、大盾兵から奪い取った男物の胸甲を素肌の上に身に着けて、アージュはなんとか胸を隠してはいるが、不格好なのは否めない。
「良かった! アージュさん丁度いいところに!」
「へ?」
汗まみれで駆けてきたナナシが、まるで尻尾を振る犬のように、人懐こい笑顔で近づいてきて、アージュの両手を掴んだ。
完全に調子を狂わされて困惑するアージュ。しかし、そのアージュの様子を気に留める様子もなく、ナナシは顔を近づけて捲し立てる。
「アージュさん! 今すぐ城壁の上にいる人たちを避難させてほしいんです。砂洪水がもうそこまで来ています。すでにサラトガは後退しはじめていますが、もしかしたら間に合わないかもしれません。もしうまく砂洪水を逃れられたとしても、城壁の上ぐらいは、波をかぶるかもしれないんです」
「ちょ、ちょっとまて! 貴様、近い! 近い! 顔が近いぃ!」
顔を真っ赤にして背けながら、アージュは悲鳴をあげる。
「あ、すいません。急いでいるもので、つい。」
「ついじゃない! なんで私がそんなことしなきゃなんないんだ!」
「お願いです。僕にはアージュさんしか頼れる人がいないんです」
再び、ぐいぐい顔を近づけるナナシ。
アージュは、一際顔を真っ赤に染めて、仰け反って顔を遠ざける。
状態としては、まるで社交ダンスのフィニッシュのようである。
「わかった、わかったから、はなせええぇぇ!」
アージュのその声を聞いて、ナナシは即座に手を離す。
「ありがとうございます! じゃおねがいします!」
そう言うとナナシは城壁の上を全速力で、走り去っていく。
その背中に向かってアージュは、声を限りに叫んだ。
「オマエ! わざとやってるだろおおおおおおぉぉぉぉ!」
アージュの声を背中に聞きながら、ナナシは、サラトガの進行方向と逆の方へと城門の上を走っていく。 一番砂洪水に近い方へと。
走りながら、砂洪水の起こる川上の方へと目をやると、まるで、そこから生物が起き上がるかのように地面が隆起しはじめるのが見えた。
まだずいぶん遠いが、あのうねりが巨大な波頭となって、押し寄せるまでにそう時間は残されていない。
ナナシは通り過ぎざまに、立てかけてあった長方形の大盾を手に取り、背中へと背負う。
一番端に配備されている固定式の投石器の前まで来るとナナシは、その脇に立つ兵士に大声で叫ぶ。
「ミオ様のご命令です!」
「なんだ、坊主? ミオ様がどうしたって!」
「その投石器で僕を打ち出してください」
「アホか!」
その兵士の反応はある種、常識的だ。
どこの世界に投石器で自分を打ち出せなどという酔狂な人間がいるというのだ。
「時間がないんです! 早く僕を打ち出してください!」
尚も食い下がるナナシに困り果てた兵士は、たまたま通りかかった幹部へと助けを求める。
「助けてくださいよぉ、この坊主がおかしなこと言いやがるんでさぁ」
「あらぁ、ナナシ君じゃない。こんなところでぇ、どうしたのぉ?」
それは、大盾兵に「飛翔」の魔法をかけるために待機していたシュメルヴィであった。
「説明は後です! 僕は行かないといけないんです!」
ナナシの様子を見て、少し上をむいて考えた後、シュメルヴィはとても気軽な感じで言った。
「やってあげなさいよぉ」
「ええっ?!」
兵士は予想外の一言に驚愕した。
「だって、へるもんじゃないんでしょぉ」
「いや、そりゃあ、たしかにへりゃあしませんけれど、もう知りませんよ、俺は!」
やけくそ気味にそう言うと、その兵士は大股で投石器の後ろのロープの方へと歩いて行く。
「ついでに『飛翔』もかけておいてあげるからぁ、立派な鳥になるのよぉ!」
シュメルヴィの言わんとすることは、今一つわからないが、とりあえずナナシは投石器の投石盤の上に、膝を抱えて座る。
世の中に投石器と呼ばれるものは数あれど、トレビュシエットはその中でも、最大級の飛距離を誇る。
カタパルトのような動物の健のしなりを使って投石するものに比べると、重りとテコの原理を利用したその飛距離は段違いと言っても良い。
兵士がロープを引き上げることで、ナナシのすぐ横でずりずりと音を立てて巨大な重りが持ち上がっていく。
「坊主、ホントに良いんだな。死んでも化けて出るなよ!」
「よろしくお願いします!」
ナナシの言葉を契機に、兵士の手からロープが離れ、次の瞬間、ナナシは一気に射出されて空を舞う。
膝を抱えた体勢で、それこそ石の塊のように、くるくると回りながら飛んでいく。恐らく飛翔の効果だろう。通常の投石器の射程を大きく越えて、ナナシが目指していたあたり。クレーターよりもずいぶん川上の方へと落ちた。
ごろごろと砂の上を勢い良く転がり、最期には背中に背負った大盾が土につきささるような形で、不格好ながらもなんとか止まった。
身体の中を分泌されたアドレナリンが駆け巡っているのだろう。
ナナシは、この段階では少しも痛いとは思わなかった。
ナナシは立ち上がると、大盾を小脇に抱えて胸を張り、そのまま砂洪水の到来を待つ。
しだいに、腹に響く地鳴りのような重低音が近づいてきた。
迫り来る砂の波頭。
これまで見てきた砂洪水の中でも、最大ではないだろうか。
おそらくサラトガの城壁よりも高い。30いや40ザールほどもあるだろう。
それが、途中にある何もかもを飲み込みながら、押し寄せてくるのだ。
そそり立つ砂の壁が、今まさにナナシを飲み込もうとしていた。




