第153話 愛と恋との違いとは何だ?
どんな人間の頭上にも陽は昇る。
一夜明けて港湾都市ベルゲン。
「海の死に物」との戦いを終えて、使用人部屋に戻ってきた途端、剣姫は二段ベッドの下段に横たわるナナシの隣に、さも当たり前の様に潜り込んだ。
そのあまりにも自然な挙動に、ゴードンは胸の内でキサラギが騒ぎ始めるまで、おかしいとさえ思わなかった。
ベッドへの飛び込み競技があれば、世界を狙えるレベルである。
「自分の部屋に帰れ!」と連呼するキサラギを、まあまあと宥めながら見回してみれば、部屋の中にはミリアの姿は既に無い。
「ふむ」
一つそう頷くと、ゴードンは試しに、自分もナナシのベッドに潜り込んでみる事にした。
「悪くない」
何がどう悪くないのかは、ここではあえて触れないことにする。
◇◆ ◇◆
「ばっちり段取り着けてきたよ」
数刻の時間が経って正午、ミリアはベッドの脇で昼食のスープを啜るナナシの眼前に、握り拳を突きつけ親指を立てた。
「段取り?」
ナナシは膝の上のトレーに皿を置いて首を傾げる。
その背後では、剣姫とキサラギが絡み合う様にして、まだ眠っている。
眼が覚めた時、二人にしがみ付かれている事に気付いたナナシは、慌ててベッドから跳ね起きた。
幸いにも朝まで戦っていた二人は、それで目を覚ます事もなかった。
まさかキサラギの中身はゴードンではないと思うのだが、もしそうだったとしたら剣姫が目覚めた後、ベルゲン全体が凍結するぐらいの事態になりかねない。
「うん、執政官代理さんの方はボクの方で探りをいれるけど、どっちみちあの『海の死に物』をそのままにしとく訳にはいかないからね」
「魔晶炉をどうにかするっていうことですか? 海の中の物をどうやって?」
「色々聞いてまわったら、ナナちゃんが聞いてきた『海中洞窟』。そこに繋がる縦穴があの岩礁の上にあるんだって。だったらそこに剣姫様放り込んで、破壊するなりなんなりして来てもらうのが一番話が早いなって」
「放りこんでって……。流石に剣姫様も嫌がるでしょう、それは」
「何言ってんの? ナナちゃんも行くんだよ?」
「は?」
「当たり前じゃない。ナナちゃんが行くところなら、放っといてもついてくるよ、この雪だるま」
「雪だるま……」
ミリアの剣姫への態度が日に日に辛辣なものになっている様な気がする。
「まあ、まずは調査っていう感じかな。魚に影響を与えてるってことは魔晶炉そのものは海の中だと思うけど、もし手が届く様なところにあるんだったら、最悪破壊しちゃっても良いし……。魔晶炉の方に動きがあったら、仕掛けているヤツも何らかの動きを見せると思うんだよね」
「……囮ってことですか」
ナナシは思わず首を竦める。
「そうそう。で、岩礁のあたりは地元の漁師さんが詳しいらしいんだよね、衛兵隊長さんに頼んで案内役を手配してもらってるから、都合がつき次第出発してね」
◇◆ ◇◆
同じ頃。
「クルル様、昨晩ゲルギオスの魔晶炉に火が入ったとの報告が上がってきております」
緊張の面持ちで報告する断罪部隊の少女。
頬には22の数字が刻み込まれている。
数字の若い者がクルルの側近を務める事になっているが、22番までの人間は3番を除いて既に戦場に散り、3番の次となると彼女にまで飛んでしまう。
断罪部隊はクルルが組織したものであるが故に、現段階で退役するものが出るほどの年数は重ねては居ないが、この調子でいけば退役まで勤め上げられる人間など存在しないのではないかとも思う。
自分が口にした報告にクルルがどんな反応を示すのか想像も付かず、彼女は息を呑んで返事を待つ。
しかし、
「はぁ……」
返って来たのは悩ましげな溜息。
クルルは艦橋の自席で、肘掛けにもたれ掛ったままどこか遠くを眺めている。
数日前にふらりと出かけて以来、どこか心ここに非ずといったクルルの様子に、断罪部隊の少女達ははっきり言って戸惑っている。
先日など山の様に盛られた好物の鶏の脚を一本ごとに「好き……」「嫌い……」と呟きながらガツガツと貪り、最後に残った一本を前に「嫌い……」と呟いたきり動かなくなった時には、その場にいた断罪部隊全員生きた心地がしなかった。
戦場でドンパチやっている方が、断然気が楽。
誰がどう見ても恋煩いなのだと思うのだが、それを指摘した途端、嘆きの川を三段跳びで渡る事になりかねない。
「あ……あのぅ……クルル様?」
「ん?」
「ゲルギオスが北上を始めたとの報告が……」
「ああ、分かっている。3番の直属の連中が動かしているのだろう。かまわん、ゲルギオスを交渉の材料に使って良いと言ったのはオレだ。機動城砦すら持たん敵と戦ったところで何の気晴らしにもならんからな。中央には、ゲルギオスは訓練の為に周回しているとでも申請しておいてやれ」
「わ、わかりました」
クルルの返答そのものは至極まとも。
その判断が曇っているという様子はない。
「ところでペリクレスは、北上してくる気配はないのか?」
「ペリクレス……ですか? ありません。最南端の町ベルゲン近郊で周回移動を繰り返しています」
「……そうか」
クルルは明らかに表情を曇らせて、窓の方へと目を向ける。
こんな状態のクルルは過去に例が無い。
例が無ければ対策の取り様もない。
どこでどんなスイッチを押してしまうか分かったものではないのだ。
早々にここから立ち去るべきだろう。
「では、私はこれで」
退出すべく扉の方へ足を向けた途端、背後から「待て」と呼び止められて、彼女は思わずビクッ! と身体を跳ねさせる。
「な、なんでしょう?」
「愛と恋の違いとはなんだ?」
「は?」
残念、逃亡失敗。
見え見えの爆破スイッチが目の前に設置された。
クルルにじっと見据えられて、一気に嫌な汗が噴き出る。
――もういっそ、殺してえええええ!
22番、心の叫びであった。




