第16話 内通者は貴様じゃ。
一刻も早く砂洪水が来ることをミオに伝え、サラトガをこの場から後退させなければならない。
それだけを考えながら、躓き、転びながらもナナシは走り続け、やっとの思いで、サラトガ城へとたどり着いた。
誰何する衛兵を振り切り、扉を開くのももどかしく、城内へと飛び込んだナナシ。
その視界に、今まさにロビーを横切っていこうとする、ミリアの姿が映った。
「ミリアさん! ミオ様はどちらに?」
大声でミリア呼び止める。
しかし振り向いたミリアのナナシへと向ける視線は、とても冷たかった。
その証拠に、
「バカ」
第一声がこれである。
ナナシは、一瞬呆気にとられたが、気を取り直してミリアに話しかける。
「あの……もしかして、まだ怒ってます?」
「なんで怒ってないと思えんの? バカなの? 伝説級のバカなの?」
さすがにバカバカと連呼されるのはどうかと思うが、確かにミリアが怒りながらナナシの前から立ち去って、まだ数十分しか経っていない。
「ごめんなさい、ミリアさん。でも今は本当に急いでるんです」
ナナシの言葉に、一瞬あきれるような顔をした後、ミリアはナナシにぐいっと顔を近づけて、強引に目をあわせる。
「ナナちゃん。キミ、何でボクがこんなに怒ってるのか、分かってる?」
ミリアが心配してくれているのだと言うことは、なんとなく分かるのだが、何で、と言われると自信が無い。
……というか、今は何を言っても、怒られそうな気がする。
「やっぱり分かってないんだ。もー。全部終わったら、徹底的にお説教してあげるんだから」
そう言って溜息を一つ吐くと、ミリアはナナシの手を引いて、走り始めた。
「砂洪水が来るんでしょ。急いで!」
「なんで、それを?」
ナナシは砂洪水の話など全くしなかった。
先刻アージュに工作員と言われてしまった様に、砂洪水が来ると言ってまわることは、無用な混乱を招きかねないと思ったのだ。
「家政婦の特殊能力だよ」
「特殊能力?」
「人の心が読めるの」
「家政婦、スゴすぎません!?」
驚愕の事実、家政婦に隠し事はできないらしい。
「だから今、ナナちゃんが『ハァハァ、メイド服超エロいぜ。押し倒してスゴイことしたいぜぇ』とか思ってることも、お見通しなんだから!」
「思ってませんけど!?」
恐ろしい。放っておくと、どんどん変質者に仕立て上げられていきそうだ。
「剣姫様のせいで昇降機は全部止まってるから、階段で上がるよ」
エレベータの前を通り抜け、ミリアはそのまま奥の階段を駆け上がりはじめる。
「剣姫様のせい?」
「昇降機の精霊石、全部持ってっちゃったのよ、あの人」
その言葉の意味がわからず、ナナシが首を傾げたその瞬間、激しい爆発音が轟き、サラトガ全体が揺れた。
揺れそのものはともかく、爆発音はずいぶん遠くから響いたように思えた。
サラトガの外で何か巨大なものが落ちたような、そんな音だ。
「キャァ!」
突き上げるような振動に、ミリアが階段から足を踏み外したが、ナナシは間一髪、手を伸ばしてミリアの腕をつかむことができた。
「大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫。もう砂洪水が来たの?」
「いえ、これは違うと思います」
揺れはすぐに収まったが、手を離してしまうことに何となく不安感を覚えて、二人は互いの手をとったまま、階段を登っていく。
やましいことは何もないのだが、ミリアは俯いたまま無口になり、ナナシも何かそわそわと落ち着かない気がした。
しばらく登っていくと階段の行き止まり。幾つもの扉が並ぶフロアへと出た。
「あそこだよ!」
ミリアが指を指した扉を、蹴破るようにして飛び込む。
「砂洪水が来ます! 今すぐサラトガを後退させてください!」
突然の闖入者に室内の人間の視線が一斉にあつまる中、ナナシは声を限りに叫んだ。
室内を一瞬の静寂が包んだ後、ザワついた空気が室内を支配していく。
一段高い位置にある豪奢な椅子に腰かけたミオが、ナナシの影にいるミリアへと視線をあわせた。
「これがお主の言っておった、大ピンチというやつじゃな」
ミリアはミオから視線をそらさず、コクリと頷く。
ミオは、すぐ脇の壁面から伸びているパイプのようなものに口を寄せると「監視塔!」と叫んだが、どこからも応答はない。
「なるほど、やられたのう。監視塔に生きているものは誰もおらぬか」
そして一瞬目を伏せた後、椅子から立ち上がり、手を振り上げて指示を出す。
「サラトガ、全速後退! 最大速度でここを離脱する!」
慌ただしく、一斉に動きはじめる艦橋のクルー達。
ミオは再び、椅子に腰を下ろすとナナシに向かって口を開く。
「いずれにせよ。もうゲルギオスを追うことは出来なくなっておったからのう、丁度よいわ」
「どういうことですか?」
「アレじゃ」
ミオが指さしたその先には、巨大な精霊石板。
そこに映っていたのは、煙と砂を盛大に舞い上げている巨大なクレーターであった。
「あれは?」
「セルディス卿じゃ」
「は? 剣姫様?」
「サラトガの進路を巨大なゴーレムが塞いでおったので、セルディス卿に排除を依頼したら、確かに排除してくれたのじゃが……な。あやつは、それ以上にデカい障害物を作りおったのじゃ」
「え、じゃあ、さっきの揺れは…」
「セルディス卿じゃの」
溜息をつくミオ。言葉を失うナナシとミリア。
人類の領域から完全にはみ出した破壊力に驚愕する。
「たぶん、あやつは自分が新たに障害物を作ったことなど、気付いておらんじゃろうな。本物の天然ボケじゃからの」
「ええ。そう言えば、最初にサラトガにお越しになった時も、危うくサラトガを沈めかけられました」
ミオのため息交じりの言葉を、キリエが肯定する。
いままで必死だったので、目に入っていなかったのだが、ミオの脇の席には、ボズムス、キルトハイムそして、キリエが列席していたようだ。
「そうじゃったのう。サラトガ奪還のためにあやつを連れてきたのじゃが、おかげで通常の戦争並みの戦後処理をする羽目になったわ」
そう言ってミオは力なく笑った。
「ミオ様、このままですとセルディス卿は置き去りになりますが、よろしいので?」
キルトハイムの冷静な指摘に、力ない笑顔のまま凍り付くミオ。ギギギと油の切れた機械のように、キルトハイムに顔を向けるといきなり慌てはじめた。
「いや、よろしくない! 全然よろしくないのじゃ! ナナシ! セルディス卿を回収するだけの時間は残っておるか?」
ナナシは首を振る
「サラトガ自体、逃れられるかどうかの瀬戸際だと思います」
ミオの顔色が一気に蒼褪め、所在無げに指先が宙を掻く。
「あやつは、我がサラトガの恩人じゃぞ! それを捨てて逃げろと申すか!」
「サラトガ最大の戦力を失うことになりますな」
キルトハイムは冷静にそう言うが、その冷静さがミオの怒りを誘う。
「戦力かどうかなど、どうでも良いのじゃ! 恩人を! 友を! 犠牲にして娼に生きながらえよと申すか!」
ミオは席を蹴って立ち上がり、握り締めた拳を振るわせる。
「ふおっふおっ、ミオ様おっしゃることはごもっともですが、サラトガの住民全員と剣姫一人の命を天秤にかけられるはずもございません。ここは領主として非情に徹していただかなくては」
宥める様にミオとキルトハイムの間に割って入るボズムス。
「わかっておる。わかっておるのじゃ。しかし、のう、ミリア。お主のことじゃ、何か手を打っておるのじゃろ。そうじゃろ」
今にも泣き出しそうな顔で、ミリアへと縋るような視線を向けるミオ。しかしミリアは俯いたまま、ただ首を振る。
あまりにも重苦しい空気が艦橋に立ち込め、誰もが諦めかけたその時、声をあげる者がいた。
「僕が行きます」
声の主にその場の全員の視線が一斉に注がれる。
その視線の先にいるのは、黒髪黒眼の砂漠の民。地虫と蔑まれる一人の少年。
「ナナシよ。お主が行ってどうするというのじゃ」
「剣姫様を連れて戻ってきます」
ナナシは、まっすぐにミオを見つめる。
「ダメだよ! 死んじゃうよ!」
次の瞬間、ミリアは正面からナナシの両腕をつかみ、猛然と反対する。
彼女の劇的な反応に少し驚きながらも、ナナシは優しく微笑んだ。
「ミリアさん。砂洪水で死ぬ、砂漠の民はいませんよ」
この言葉は嘘ではない。
ただし砂洪水の発生を予測して、そこに近寄らないからなのだが。
「なんでナナちゃんが行かなきゃダメなの。剣姫様なら、砂洪水なんて物ともしないで、平然と帰ってくるよ、きっと」
「そうかもしれません。でもミリアさん……そうじゃないかもしれないんです」
ミリアは涙ながらにナナシの目を見つめ、そこに強い決意が宿っているのを見た。 このままでは、ナナちゃんは行ってしまう。
「お姉ちゃん! お姉ちゃんも黙ってないで、なんとか言ってよ!」
ナナシから手を離すと、ミリアはキリエに向き直り、悲鳴じみた声を上げる。
「見込みはあるのか?」
腕を組んだまま、キリエはナナシに問いかける。
「あります。けれど、無くてもたぶん同じことを言います」
キリエはゆっくりと目を伏せ、スゥと息をはく。
「そうか……。君は男の子なんだな」
優しく微笑み、そして言った。
「行っておいで」
「お姉ちゃん!」
キリエの言葉に目を見開くミリア。
ナナシはキリエにむかって黙って頷くと、そのまま艦橋を飛び出していった。
ナナシの背を目で追った後、ミリアはキリエに向き直り、目に涙を浮かべながら彼女をじっと睨む。その掌には爪が食い込んで血が滲んでいるのが見えた。
「なんで! なんで止めてくれないの!」
掴み掛らんばかりに、詰め寄ってくるミリアにキリエは諭すように言う。
「ミリア。男の子はね、逃げることを覚えてしまったら、その瞬間から男の子ではいられなくなるんだよ」
「何それ! ボクにはわかんないよ! ナナちゃんが帰ってこなかったら、ボクはお姉ちゃんのこと絶対に許さないんだから!」
半狂乱でそう叫ぶと、ミリアはその場で泣き崩れた。
ミオは、ミリアの隣に座ると彼女の顔を自分の胸に押し当てるように抱きしめた。
そして、ゆっくりとキリエへと視線を向けると呟くように言った。
「お姉ちゃんは大変じゃな」
「信じて待つことも、姉の醍醐味ですから」
そう言って二人はかすかに笑いあった。
しかし、その瞬間、漂いかけた優しい空気を引き裂くように、クルーの一人が大きな声を上げる。
「後方に敵影! 200名規模の部隊です。破城槌を装備した砂狼の姿も見えます!」
ミオはミリアを抱いたまま声を上げる。
「かまわん! このまま速度を維持せよ。取りつかれたならば、サラトガ内部で迎え撃て!」
しかし、そのクルーは困惑するような声を上げる。
「それがミオ様。この高速移動中にもかかわらず、将軍が単身出撃されたとのことです……。」
「ふおっふおっ、私の申しておったとおりになりましたな。出撃すると見せかけて、脱出する。よもや内通者はグスターボどのであったとは驚きましたな」
ボズムスのその言葉にはどこか得意げな響きがあった。
「聞いたな」
「ええ確かに聞きました」
ミオとキリエが目を合わせる。
「ミリア、お主の目論見どうりか?」
ミオの胸に顔を埋めたまま、ミリアはコクリと頷く。
意味がわからず、困惑の表情を浮かべるボズムスにむかって、ミオははっきりと言い放つ。
「内通者は貴様じゃ。ボズムス」




