第150話 鉄髭娘
エメラルドグリーンに煌めく水面。
燦々と照りつける太陽。
爽やかな潮風が吹き抜ける。
白いカモメが群れを為すでもなく、それぞれに自由に羽を広げ、透明度の高い水の中を悠々と泳ぐ色とりどりの魚の姿も見える。
砂漠の国あらため、常夏の国エスカリス=ミーミル。
その最南端。
リゾート感さえ漂う海辺の街、港湾都市ベルゲンから、沖合へと目を向けると、
――ほぼ水死体と言って良いモノが浮かんでいた。
仮に少年Nとする。
「ああ、あるじさまアアアア! お戻りください! 沖は危ないですよーー」
危ないも何もあったものでは無い。
どんどん沖の方へと流される漂流物――もとい少年Nへと、必死に腕を伸ばして叫び声を上げる銀髪の少女の姿があった。
辛うじて背中だけが水面に顔を出す形の少年N。
その上には、時々飛んできたかもめがちょっと一休みしてみたりと、非常に牧歌的な雰囲気を醸し出している。
端的に状況を説明すると、この少女が軽い気持ちで、この少年を海に沈めたら、その途端に足がこむら返り。
痛みのあまり、つい手を離したら、その瞬間に高波が来て少年が沖へとさらわれるという奇跡のコンボが発生した。とまあそう言う訳である。
ちなみに『こむら』とは『ふくらはぎ』の事を指すわけだが、ネーデル近辺では訛って『コブラ返り』と発音する所が多く、その近郊の住人達はなにげに、蛇的な喩か何かだと思っていることも少なく無い。
閉話休題
こむら返りの痛みに顔を顰めながら、主に襲いかかる過去最大のピンチに少女は焦る。
「高波め! 良くも主様を!」
しれっと波の所為にしようとしているが、陸でこれを聞いてる家政婦服の二人がじとっとした目付きになっただけで、誰も信じてはいない。
しかし、そうしている内にも少年の背中は、更に沖へ沖へと流されていく。
――あ、これ本当にシャレにならないんじゃ……
遅まきにも銀髪の少女が、顔を蒼ざめさせたその時、
その脇をすり抜けるように飛沫を上げて、少年N――ナナシの方へと近づいていく人影があった。
剣姫同様の白く長い手足の美しいフォーム。
その人影は魚かと見紛う様な速さでナナシへと辿り着くと、そのまま曳航するように泳いで、一番手近な岩礁の上へと彼をひっぱり上げる。
ブルブルっと顔を振るとその人影――少女の長い金髪の髪が雫を飛ばして、陽光を反射する。日に焼けたのか、肩の部分が少し赤らんだ白い肌。海と同じ色をした瞳、いかにも活発そうな雰囲気を醸し出す少年の様な顔立ち。それは、黄色のビキニと極端に丈の短いブルーの短袴を穿いた女の子だった。
剣姫が呆然と(足を揉み解しながら)見ていると、少女は徐にナナシへと顔を近づけていく。
「「ああっ!?」」
海の中と陸の上それぞれで発せられた、剣姫とミリアの驚愕の声が重なり合う。
「ふむ、やはり兄者は女難の星の下に生まれついておるな」
ゴードンが冷静にそう呟くと、ミリアはゴードンの脛を蹴った。
◇◆ ◇◆
アスモダイモス伯の寝室。
以前には寝台以外何も無かった、とんでもなくだだっ広い部屋ではあるが、現在は十名は座れる会議テーブルが運び込まれ、相変わらず殺風景には違いないが、少なからず、生きている人間の気配のする部屋となっていた。
テーブルについているのは三人。
アスモダイモス伯キスク、嘘つきマリー、そして酒樽モルゲン。
「ふむ、事情は良く分かった。協力しようではないか」
「はは、そう言ってくれると助かるわ、おっさん」
「今や、貴様が我々の主君なのだ。否応もあるまいよ。それに若者の恋の手助けとか言われたら、おっさんもトキメクわい」
キスクがモルゲンに機動城砦ストラスブルと事を構えようとしているのを打ち明けたのはつい先程のこと、人情家であるモルゲンが反対するとは露程も思っていなかったが、想像以上に彼は乗り気であった。
「だが、相手が機動城砦ストラスブルというのは厄介だな。魔術師の数が圧倒的だぞ。それに対してこっちはサラトガとの戦い以来、兵力はまだ落ちたままだ。仮に新兵どもを鍛え直して、傭兵を入れるとしても大して底上げにもならんだろう」
「おっさんよぉ、何も真正面からやりあう必要なんてないだろう? サラトガ相手にしたときにやぁ、散々悪辣な手でやられたからな。今度はこっちがそれをやるってだけの話さ」
「ほう、何か手でもあるのか?」
「ああ、この嘘つきマリーが、今回の鍵だな」
「え、わ、私ですかァ!?」
キスクがマリーを親指で指さすと、彼女は思わず椅子から腰を浮かした。
「一応、こいつはストラスブルで賓客扱いで自由に動ける。だから色々と工作して貰おうってわけだ」
「なるほど、ストラスブルにしてもまさか仕掛けられるとは思っておらん訳だから、やりたい放題ではあるな」
「そういうこと。で、まずマリー、お前はコレ持ってストラスブルに戻って、情報を集めてくれ」
「これ魔導通信用の精霊石じゃないですか!? こんな高価な物どこで盗んで来たんですか?」
「……いい加減、貧乏生活から離れろよ。領主だぞ、俺、一応」
キスクは肩を竦める。
「でも情報ってどんな?」
「まずは出航のタイミングだ。首都への接舷猶予期間は最大でも三か月だからな。ストラスブルもそろそろ首都を離れる筈だ。不可侵領域を出るタイミングが分かったら、そこで待ち伏せする」
「で、どうやって魔術師に対抗するんです?」
「闘技場なんかで使ってる魔術阻害の精霊石を大量に用意させるから、そいつを城壁にできるだけ多く仕込め」
「うわー! 悪魔だー」
マリーとモルゲンが思わず眉間に皺を寄せる。
魔術師の数が自慢の機動城砦で魔法を一切使えなくしようというのだ。成功してしまえば当に鳥の翼をもぐ様なものだ。
「でも、大量に用意されたって、それを私一人でどうこうなんてできないでしょ? か弱い女の子ですよ、私」
「ま、そりゃそうか……おっさん、誰か一緒に手伝わせられる様なヤツはいるか?」
キスクはモルゲンへと問いかけると、彼は腕を組んで考え始める。
「男で良いなら幾らでも用意できるが……」
「そりゃ、いくらなんでも拙い。警戒させちまう。女、それも一人か、多くても二人ぐらいだな」
「そうですね。私付の家政婦っていうことにすれば怪しまれないと思います」
「ああ、そんな感じだ。あと贅沢をいえば、腕が立って隠密行動が得意な方が良いな」
モルゲンは思わず顔を顰める。
「……お前ら、好き放題だな、無理な注文ばかりではないか」
しかしモルゲンは小さく苦笑すると、表情を崩して口を開いた。
「しかたがない……。我が娘に頼むとするか」
「おっさん、おっさん! ちょっと待て、アンタ独身だろ? 娘って!」
「引き取ったのだよ。我が盟友『鉄髭』ズボニミルの娘をな」
「鉄髭のおっさんの娘?」
「ああ、そうだ。ジルバ=ダボン――通称『鉄髭娘』だ!」
マリーはゲス乙女。
マリーは、その『鉄髭』という人物の事は知らないが、彼女のゲスさをもってしても、その通称は流石に可哀相だと同情した。
※鉄髭ズボニミルって誰だっけ?
と思った方は第29話、第32話をご参照ください。




