第149話 論より証拠
王太子は値踏みする様な眼で、テーブルの向こうに佇む女を見据えていた。
真面な人間ならば、「王に会いたい」と訪ねて来て、さらりと会えるなどとは考えない。
ましてや、この女の様に大して国交も無い他国の、それも一領主の部下が、紹介状も無しにいきなり押しかけてきて「王に会わせろ」などと宣うなど、はっきり言って正気の沙汰ではない。
力づくで追い返されるぐらいならばまだ良い方で。悪くすれば投獄されかねない狼藉なのだが、今回ばかりは、女の、そのあまりにも異様な有様に門衛は迷った。
この辺りではほとんど見かけない、砂漠の国の住人。
褐色の肌に黒髪紅瞳。
そして、女の顎から頬に掛けて大きく刻み込まれた『3』という数字の刺青。
そんな人間に何の臆面も無く「王に会わせろ」と訪ねて来られては、何か自分の知らない重要な所要なのではないか、そう考えるのも無理からぬ事だ。結局判断のつかない出来事として門衛は上司に報告し、困惑した上司はそのまた上司に報告。幾人もの人間の戸惑いの末、侍従づたいにこの女の事がハイランド王太子ハイドラ=カースレイクの耳へと届き、ハイドラはその女を自分の執務室へと通させた。
単純に興味を誘ったのだ。
そもそも、ここハイランドにおいては、刺青といえば罪人の証、しかし例え罪人だとしても、せいぜい手首か足首に環状の印を入れる程度のものだ。
女のその刺青が何かのはったりだったとしても、ハイランド国内では社会的に死んだも同然。もちろん他国の事情は違うのかもしれないが、それでも女が女を捨てるにも等しい理由があるのだろう。
それが王太子の興味を誘ったのだ。
結果、今その刺青の女とテーブル越しに対峙している。
無論、王太子としては、警戒を怠るつもりはこれっぽっちも無い。
ハイドラ自身も剣の腕には覚えがあるが、直ぐ隣りには、彼の右腕ともいえる真紅の剣姫が控えている。
話を聞いた段階ではこの女は、単純に頭のおかしい人間なのかとも思ったが、実際会ってみれば、その瞳には理知の光が宿っている。
狂い者特有の視線のブレが無い。
その顔に大きく刻まれた3という数字に目がいってしまうのは仕方がないが、少なくとも勿体ないと思えるほどには、その女の顔立ちは整っていた。
「私は国王陛下にお会いしたい。そう申し上げたつもりですが」
「私では不足か?」
「ええ、大いに」
一国の王太子を捕まえて役不足とは不遜極まりないこの発言。
これまで自分に対してこんな態度をとるものが居なかっただけに、王太子ハイドラは内心頗る面白がっていたのだが、彼の傍に控えている者にとってはそうはいかない。
刺青の女の言葉が途切れたその瞬間、王太子の脇に控えていた真紅の剣姫が、刺青の女の髪を掴んで、テーブルの上に力任せに叩きつけた。
女の額から一筋の血が流れ、テーブルにポタリと紅い点を描く。
「言葉には気をつけねば、怪我をするぞ」
苦痛に顔を歪めながら、睨み付ける刺青の女へと真紅の剣姫が言い放つ。
ノーモーションで怪我をさせておいての、この科白。
流石に王太子も苦笑せざるを得なかった。
この鮮やかな赤毛の副官はいつもこうなのだ。忠誠心に厚いのは良いのだが、余りにも直情的。常に先制攻撃の上に加減が無い。
「アデルハイド、それぐらいにしておけ」
その言葉に、真紅の剣姫は跪き、王太子はあらためて刺青の女へと目を向ける。
「いきなり乱暴な目に合せた事は謝る。だが、おかしな動きをすれば、この真紅の剣姫があなたを狙っていることを理解してくれ」
「剣姫」という単語に、刺青の女は一瞬目を見開き、そのまま不満げな顔つきのまま押し黙る。
「確かに私は王では無いが、あなたの用向きを聞く限り、私が話を伺うことは間違えでは無いと思う。王が口を挟まれる事も無いでは無いが、この国の軍事は基本的には私の裁量に委ねられている」
王太子をじっと見据えて、刺青の女は口を開く
「ならば聞きます。貴国は今現在、永久凍土の国とネーデルとの戦争中ですが、何を思って、こんな頭の悪い事をしてるんです」
「貴様アアァ!」
「やめろ、アデルハイド」
いきり立つ真紅の剣姫を静かに制して、王太子は肩を竦める。
女の眼はずっとハイドラの器量を計っているのだ、女の腹の底にあるものが何なのかは分からないが、器の浅い王太子と思われるのは、気分の良い物ではない。
「言わないでくれ。それは私にもよく分かっているのだ」
無論、同時に二国と戦端を開く様な、馬鹿げた状況に陥る羽目になったのは、ハイドラのせいではない。
領土拡大にかける野心ばかりが大きいくせに、とんでもない外交音痴のハイドラの父――ハイランド王のせいだ。
実の父ながら、その点に関しては、王太子ハイドラとしては辛辣にならざるを得ない。その尻拭いの為に北部戦線に彼自身が長く張り付かざるを得なくなっていたのだから。
だからこそ、外交センスが致命的に欠如しているの父王に、この女のような何を吹き込まれるか分からない者を会わせたくない。
それが王太子の正直な気持ちであった。
「では率直に伺いましょう。エスカリス=ミーミルを貴国の版図に加えたいとは思いませんか?」
「これはおかしな事をいう。二国を相手取る事を頭が悪いといいながら、更にもう一国の話をする。そもそも、あんな不毛の砂漠を手に入れる意味がどこにある」
「不毛? 本当にそうお思いですか?」
その一言に、王太子の瞳に警戒の色が宿った。
――どうやらこの女は、こちらの腹を見透かしているらしい。
そもそも父王がネーデルと永久凍土の国を同時に攻める事になった発端は、南の砂漠の国を攻める、その前に後顧の憂いを無くす為なのだ。
戦争になれば、機動城砦などという出鱈目なものが出てくるせいで、あの国と戦うとなれば、常に攻城戦を強いられる。しかもそれは高速で動き回り、こちらの櫓や雲梯といった攻城兵器は実際、何の役にも立たない。
こちらが攻めることも出来なければ、あの国は、あれだけの兵器を持ちながら、何故か他国へと攻め入ろうとしない。
王太子の認識としては不気味な国としか言い様が無かった。
確かに不毛な砂漠の国を狙うにはその対価が高すぎる。たしかに表層だけを捉えればその通りなのだ。
だが文献を遡って行けば、古代、あの国こそが、高度な文明が存在していた場所であり世界の中心。
機動城砦一つをとっても、あの砂漠には、多くの古代の技術が埋蔵されている事は想像に難くない。
それを手中に収める。
ハイランド王がそんな野望を抱いたのは、機動城砦に対抗しうる兵器が完成したからだ。もちろん、この女にそんな新兵器の事を言う必要がない。
「仮に我が国があの砂漠を欲したとしても、あの馬鹿げた機動城砦に太刀打ちできる筈が無いではないか」
「もし機動城砦を一基、献上すると言えばどうなさいます?」
王太子の言葉を遮る様に投げかけられた一言。
――機動城砦を献上する?
王太子は思わず腰を浮かせかけ、ガタガタっと椅子が鳴った。
「……あなたにはそれが出来ると?」
「ええ」
「そんな話を信じろというのか?」
「信じられないなら、それはそれで結構。永久凍土の国かネーデルに話を持ちかけるだけですので。この二国のいずれかが、機動城砦を手にしたならば、貴国の戦局はずいぶんと悪化する事でしょうね」
「調子に乗るのもいい加減にしろ!」
女の見下すような態度に、真紅の剣姫がいきり立ち、剣の柄に指を掛ける。しかしそれを冷ややかに見やって、刺青の女は静かに告げる。
「無論、私に何かあった場合には、他の者が他国に同じ話を持ちかける段取りになっているのは言うまでもありません」
「そんなハッタリが通用するものか!」
「下がれッ! アデルハイド!」
王太子が真紅の剣姫を怒鳴りつけ、彼女は目を見開いたまま動きを止める。
常に冷静で温厚な王太子が声を荒げた事に驚いたのだ。
「最後に聞こう。それであなたに何の益がある」
王太子のその問いかけに、刺青の女はにやりと嗤う。
「私は復讐を成し遂げたい。この忌まわしい刺青を刻み込んだメルクリウス伯に」
王太子は静かに目を閉じ、そして言った。
「部屋を用意させよう。見張りは着けさせてもらうが、できるだけ自由に過ごせるようはからう。……しばらく考える時間を貰いたい」
「……良い返事を期待しております」
「アデルハイド、彼女を賓客室へ案内してやれ」
「……はい」
そう答えながらも真紅の剣姫アデルハイドの表情は冴えない。
王太子の考えている事が、この直情的な剣姫には理解できないのだ。
アデルハイドに先導されて刺青の女が執務室から出て行くと、王太子は椅子に深くもたれ掛り、宙を見上げながら呟く。
「どう思う……ヒルデハイド」
「復讐という動機は嘘だと思われます。その他は、確かに怪しくはありますが、マフムード殿の話と合致しています。おそらく献上できるというのはゲルギオスという機動城砦の事でしょう。機動城砦メルクリウスによって鹵獲され、領主不在と伺っております」
部屋の隅に蟠る影の内側から、黒い革鎧を纏った剣姫が浮かび上がってくる。
アデルハイドの双子の姉、漆黒の剣姫ヒルデハイドであった。
「マフムード……? ああ、先日から滞在している商人か、父上が重用しておられる様だが、信用できるのか?」
「はい、マフムード殿は信頼に足る方です。今、かの国で実際に戦える機動城砦は半数以下にまで減っているとのことですから、機動城砦を一基手に入れられるならば、我が国の新兵器と合わせて運用すれば、千載一遇の好機と言えるかもしれません」
◇◆ ◇◆
その頃、遠く砂漠を飛び越えて遥か南方では、一人の少年が生命の危機に瀕していた。
「け、剣姫様! こ、ここ足がつかないです! おぼ、溺れッ……!」
「ああ、主様、そんなに情熱的に抱かれては、マリスは感無量でございます」
「し、死ぬッ……、溺れ、ぶくぶく…」
「大丈夫! お水は友達、怖くはありません。ここで水に思う存分慣れ親しんでいただければ、泳ぎなどすぐに身に付きます」
「な!?……剣姫様、ぶくぶく……沈めようとして、ぶく……ませんか!?」
「大丈夫です。主様、世の中には人口呼吸というものがございます。ここで溺れていただくのがお約束の展開と申しますか……」
恥じらうように頬を染める剣姫。しかしその手は明らかに下向きのベクトルを持って、ナナシの頭を押さえつけている。
「コラアアア! そこの痴女剣姫! 何イチャついてるのさ!」
家政婦が岸の方から、剣姫の方へ向かって手近なものを掴んで投げつける。
「主様の泳ぎの練習にお付き合いさせていただいているだけですよ? 泳げない方は、そこでおとなしく見ていていただきたいんですけど?」
跳ね上がる水しぶき、半狂乱になって暴れるナナシを、明らかに水面下に押さえつけながら剣姫が返事をする。
海の中に魔晶炉が存在するのではないか?
唐突に発生したその可能性について、調査する必要性が出てきたのだ。
ところがである。そもそもエスカリス・ミーミル人には水泳などという習慣は無い。ペリクレス伯など一部の貴族が、道楽としてプールでの水泳に興じる程度なのだ。当然、ナナシとミリア、キサラギが泳げる筈など無かった。
唯一、剣姫だけが、故郷で泳いでいた経験(永久凍土の国だけに寒中水泳ではあったが)があった。
だが流石に得体の知れない状況下で、剣姫一人を海に潜らせるという訳にもいかず、剣姫の指導の下、ナナシが泳ぐ練習をする事になった……のだが、結果はご覧の通りである。
ミリアは悔しげに地団駄を踏むと、キサラギへと振り返る。
「あの抜け駆け剣姫、ちょっと泳げるからって好き放題じゃない!ラギちゃん! 良いのあんな勝手な事させといて!」
「ふむ、俺様は別に気にならん!」
「ドンちゃんはすっこんでて!」
今はゴードンが表層に出ているらしい。
「ふむ、だがキサラギ殿は既に怒り心頭だぞ、『アンちゃんをイヂメて良いのは私だけなんだからあ!』と叫びまくっておるので、騒がしくてかなわん」
「じゃあドンちゃん、とっとと何とかしなさいよ、ゴーレムなんでしょ? 呼吸とかしなくても大丈夫なんじゃないの?」
「沈む」
「は?」
「ゴーレムだもの、そりゃ沈むに決まっておるだろう。一度沈んだら二度と上がってこれないぞ。確かに呼吸はしておらんから、水の底を歩くぐらいのことはできそうな気もするがな」
「じゃ、水の底歩いて剣姫の足引っ張ってきてよ、溺れて気絶してる間に、水着を全部わかめに変えてやるんだから!」
「……なかなかエゲツないな家政婦殿」
「四の五の言ってないで行動だよ! ドンちゃん!」
必死に焚き付けてくるミリアに苦笑しながら、ゴードンは疑問に思っていた事を尋ねる。
「しかし家政婦殿。本当に海の底に魔晶炉などあると、思っているのか?」
唐突な質問に一瞬、ポカンとした表情になった後、ミリアは真面目な顔で応える。
「うん、あるだろうね。一応なんでそんなのがあるかは、仮説も出来てるんだけど、確証は無いんだよね。だから『論より証拠』。実際にそれを見つける方が早いとは思うよ」
しかし、そこでゴードンは首を捻る。
「その論より証拠という諺はそういう意味では無いぞ」
「なんでよ、議論を幾ら重ねるよりも証拠を出した方が早いってことでしょ。まず行動って事じゃないの?」
ゴードンが肩を竦める。
「違う。存外ものを知らんのだな家政婦殿」
ゴードンのその態度にミリアは自分が間違っているのだと思い始めた。
そもそもミリアは与えられた情報を元に論理的に全体を見渡すだけの知能を持っているだけであって、知識量に優れている訳ではない。
「……そうなの?」
「そうだ」
ゴードンは大きく頷く。
「ロンヨリショーコの、ロンと言うのは人名だ。イメージするなら、そばかす顔のおとなしい少年ロン(15)、なんかそんな感じだ」
「な、なるほど! じゃあ『ロンより証拠』ってことは、ロン(15)の言うことよりも証拠を信じろみたいな意味?」
「違う、浅いぞ家政婦殿、この諺の出所は陶器の国であろう? かの国は三千年もの歴史ある国。そんな浅い筈が無いではないか」
「それもそうだね」
「実は『ショーコ』と言うのも人名なのだ」
「え!?」
「イメージするなら黒髪ロングのおしとやかな美人、ショーコ(16)みたいな感じだ」
「ショーコの方が年上なんだね。わかったよ ロンよりもショーコの方が人気があるって意味なんだね」
「まあ、素人はそう思うのだろうな」
「違うの?」
「うむ、『ショーコ』というのは、陶器の国では良くある女の子の名前なのだ。つまり『ショーコ』という名をもつ人物はたくさん居るということだ」
ミリアは話が飲み込めず、思わず怪訝そうな顔をする。
「わからん様だな、実はこの諺の前には「どのショーコだい?」という問いかけがある。その回答がこの諺なのだ。『ロンに似た感じのショーコ』つまり『ロン寄りのショーコ』そういう事だ!」
ドヤ顔のゴードン。思わず感心するミリア
「じゃあさ、例えば、『二度ある事は三度ある』っていう諺も……」
「そうニドは人名だ」
「やっぱり!」
……二人は既にナナシの事を忘れている。
二人が意味の分からない話に夢中になっている間に、剣姫は足が攣った。
そして突然の痛みに思わず手を離した途端、折り悪くナナシが高波にさらわれた。
高波にさらわれたナナシは意識を失ったまま、ぷかぷかと沖の方を漂っていた。
実に残念な事に、剣姫の足が攣ったせいで、ナナシはこれまででも最大のピンチを迎えていた。




