第148話 燻り始める火種
「うむ、入るが良い」
黒檀製の重厚な扉。
その向こう側から、聞き覚えの有る声の、聞き覚えの無い口調が聞こえた。
案内役の兵士の後について部屋へと入った途端、マリーは
「ブフッ!?」
と、顔を背けて噴き出し、そのまま小刻みに肩を揺らした。
そこにいたのはキスク。
領主専用の豪奢な椅子に、臙脂色のこれまた豪奢なローブを羽織り、キュロットにタイツ姿。
一言で表現するなら『バカ貴族』としか言い様の無い姿で、不機嫌さをむき出しに(でもどこか気取った感じで)腰かけていたのだ。
「……てめぇ、笑うんじゃねェよ」
「いや! だって! それなんて仮装?」
バツの悪そうなキスクの様子に、マリーは遠慮も無く腹を抱えて笑いはじめる。
途端に彼女をここまで案内してきた兵士がいきり立ち、
「貴様ァ! ご領主様になんてことを!」
と、マリーに掴みかかると、キスクが咳払いをして芝居がかった声を出す。
「あーかまわん、ご苦労だった。その女を残して下がれ」
「……畏まりました」
兵士は戸惑った様な表情を浮かべたまま、敬礼をして部屋を出て行く。
「……で、冗談はさておき、何でそんな事になっちゃったんです? 旦那様」
「押し付けられたんだよ!」
ニマニマと口元に笑いを浮かべるマリーに、キスクは憮然とした表情で答える。
「ペリクレス追撃戦の時に、サネトーネ様に化けてたゴーレム野郎がボロを出しやがって、しゃーねぇから、俺と酒樽のおっさんで倒したのさ」
「それで?」
「で、後釜をどうするって話になったんだが、サネトーネ様にゃ、子供も身内も居やしねえ。仕方無く皇家にお伺いを立ててみれば、『大混乱でそれどころじゃねえ! そっちで勝手に選べ』なんて無責任な答えしか返ってこねえんだわ」
「で、強欲なバカ旦那様は、これ幸いと領主の地位を簒奪したと?」
「人聞き悪い事言うんじゃねぇよ。誰が喜んでこんな堅苦しい目にあうかよ」
「ですよねー」
無論、それはマリーにも分かっている。
キスクが地位や名誉に固執するような人間であれば、とうの昔にマリーの方から見限っている。
「……押し付けられたんだよ、酒樽のおっさんにな! ゴーレムを倒して領主の仇をとった英雄とかなんとか祭り上げられてな」
世間的に見れば傭兵から領主への異例の大出世。
皇家に婿入りでもしない限り、これ以上の栄達は有り得ない筈なのだが、キスクは少しも嬉しそうには見えなかった。
「でも、それなら中央の混乱が収まったら、『やっぱりダメ』とか言ってきそうですね。お役人のやる事ですし」
「寧ろ、そっちの方がありがたいんだがな。……はぁ」
この短時間の間に何度目かの深い溜息。
マリーの目にも、キスクは本気で嫌がっている様に見えた。
唐突に、マリーはにんまりとした笑顔をキスクに突きつける。
「じゃ、そうなるのを見越して、今の内に裏金作りに励みましょうよ! 旦那様」
「相変わらず、言う事がゲスいな。オマエ!」
「折角ですから甘い汁を吸いましょうよ~。 売れる物は売り払って、兵隊さん達の給金も半分にカット! 税金も倍ぐらいに上げて、耐えかねた民衆が反乱を起こす直前を見計らって、四人で高跳びしましょう。大丈夫です。あとはみーんなマリーにお任せください!」
「独裁者にプロデュースしようとすんな! それに四人でって、ハヅキはもう、そういう訳にゃいかんだろうが……」
キスクが呆れ気味にそう言った途端、マリーはピタリと動きを止め、そのまま唇を噛みしめて、項垂れた。
「……何だよ、ハヅキに何かあったのか?」
「実は……」
マリーはヘイザとハヅキが置かれている状況を語り始めた。
その口調はマリーらしからぬ訥々とした物、そして最後の方には涙声になって、しゃくり上げはじめる。
「まさか、そんな事になってたとはなぁ。まあ……あの純情馬鹿なら納得もいく話ではあるけどな」
「……だから旦那様、二人を連れ出して、また四人で旅に出ましょうよぉ」
先程までゲスい発言が嘘の様に、マリーは弱々しく訴えかける。
「そんなに簡単にゃあ行かねえだろうが……今のハヅキはストラスブル伯だぞ」
「だからどうだって言うんです!」
顔を上げてマリーはキスクを睨み付ける
互いに視線を外さずに睨みあう間に、キスクは何か言いたげに口元をもごもごと動かした後、最後には「あー!もうッ」と声を上げて髪を掻き乱す。
「まったく嘘つきマリー。お前は金のかかる女だよ」
「今、私の事は関係無いじゃないですか!」
声を荒げかけるマリーの鼻先にキスクが指を突きつけた。
「バーカ! 大ありだ! 戦争にどんだけ金かかると思ってんだよ。俺はこれから、詐欺師みたいな女に騙されて、ストラスブルに戦争を吹っ掛ける羽目に陥るんだからな」
「は?」
「は? じゃねえよ、バーカ! ハヅキを連れ出そうってんなら、ハヅキを縛ってる鎖を、きっちり断ち切らなきゃなんねえだろうが!」
思わず呆ける様な表情で、マリーはキスクを見上げる。
そして、一呼吸の間を置いた後、彼女はクスリと笑った。
「……初めて旦那様の事、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけですけど、カッコ良いと思っちゃいました。バカ旦那様のくせに……ズルいです」
「ばーか、俺はいつだってカッコ良い。てめえの眼が節穴なだけだ」
ふふんとキスクが鼻先で笑うと、つられる様にマリーも笑った。
◇◆ ◇◆
同じ頃、エスカリス=ミーミルから大陸公路を辿って遥か北、神聖王国を標榜するハイランドの首都サン・トガンの街に一人の少女が辿り着いた。
少女が王城の門前に立ったのは、正午を少し回ったあたりの事。
旅路の長さを伺わせる草臥れた外套。
目深に被ったフードの奥では、ギラギラとした眼が鋭く正面を見据えていた。
現在ハイランドは永久凍土の国とネーデルのニ国と、三つ巴の戦争の真っ只中にある。サン・トガンの街が未だ戦場になってはいないとはいえ、戦時下の事、門前には多くの衛兵が居並んでいる。
しかし少女はそれに全く臆する様子も無く、居並ぶ兵士達の方へと歩み寄っていく。
そして「止まれ!」と、威嚇するように槍を突きつけてきた衛兵を感情のない眼で見据えて、口を開いた。
「国王陛下にお取り次ぎ願いたい」
一瞬の沈黙の後、あまりにも場違いな少女の言葉に、衛兵達の緊張が緩む。
他国の使節団でもなく、たった一人の少女が国王に取り次げなどとは、気が触れているに違いない。そう思ったのだ。
「お嬢ちゃん、おうちに帰んな」
「それとも、俺たちに遊んで欲しいのかなぁ」
兵士達が下世話な顔で笑いはじめると、少女は小さく溜息をつき、改めて声を上げる。
「貴国の命運を左右する重要な情報を持参した。密命ゆえの単独行である。察せられよ」
そう言って目深に被っていたフードを脱ぎ去ると、その下から現れた顔に門衛達はギョッと眼を剥く。
陽光の下では深い緑の様にも見えるショートボブの黒髪、南方の人間らしい褐色の肌に赤い瞳。
ただ、問題はそこではない。
――異形。
衛兵達の目を釘づけにしたのは、左頬から顎の下に渡って、大きく刻み込まれた数字の『3』。
少女の顔立ちは恐らく整っている。
恐らくという表現になるのは、刺青のインパクトが強すぎて、顔立ちが判然としないからだ。
後で思い出そうとしても、きっと刺青しか思い出せない事だろう。
呆然と見つめる衛兵達に、少女は鋭い目つきを向けたまま、首を傾げる。
そして、
「私の顔に虫でも付いているのか?」
と、尋ねる。
衛兵達は思わず顔を見合わせて、どう答えれば良いものかと頭を抱えた。
数ヶ月前の事、この少女が率いていた断罪部隊は、たった一人の少女によって蹂躙された。
その為体に、彼女の主――メルクリウス伯クルルは激昂し、彼女の顔面をブーツの底で踏みつけにしながら言ったのだ。
『地獄の様な戦乱を起こせ』と。
命令は絶対。
クルルの為に生き、クルルの為に死ぬ。
それが断罪部隊の鉄の掟である。
故に彼女には既に名前も無い。あるのは『3番』という呼称だけだ。
戦争狂クルルの望む、地獄の様な戦いを現出させる為に彼女は此処まできた。
しかし彼女は知らない。
クルルの戦場が既に別の場所、一人の少年を巡る女の闘いへと移っている事を。
まさか自分が出立して数日の内に、あの戦争狂が一人の少年を思って頬を染めているなどとは、想像出来る筈が無かったのだ。
『3番』って誰だっけと思った方は第96話、第97話あたりをご参照ください。




