第147話 生臭い戦い
「……海の死にものって」
呆然と呟きながら、ナナシがゆっくりと視線を上へと動かしていくと、そこには、考えている事が全く読めない巨大タツノオトシゴの黒目勝ち……もとい黒目しかない瞳があった。
不気味に骨ばった白い身体はスケルトンのそれに似てると言えなくもないが、暗闇の中、黄色の燐光に照らしだされているコミカルな頭部は、この物体に初めて遭遇したナナシから見ても、出オチ感満点であった。
「ミリアさん……何なんですか? この怪物は」
「たはは、怪物ねぇ……。えーとね、ナナちゃん。こんな見た目だけど、この子、一応魚だよ」
「魚ぁ!? これがですか?」
そう、タツノオトシゴは分類上は魚類。
しかし、オアシスの泉で淡水魚、店先で冷凍の魚ぐらいしか見た事の無いナナシからしてみれば、あの姿かたちで魚だと言われても、どうにも信じがたい。
その上、あの全く意味不明な造形では、どんな攻撃を仕掛けてくるのか、想像もつかない。
「まずは出方を見るしかないか……」
口の中でそんな呟きを転がしながら、腰の愛刀へと指を這わせて腰を落とす。
が、巨大タツノオトシゴはゆらゆらと揺れているばかりで、ちっとも攻撃を仕掛けてくるような様子はない。
一分、二分……。
真剣な表情でタツノオトシゴを睨み付け続けているナナシ。
その耳元へと、ミリアは苦笑ぎみに囁いた。
「ナナちゃん。多分アレ、ほっといても大丈夫だと思うよ」
「は?」
「タツノオトシゴって魚の中では一番遅いんだよ。確か1ザール進むのに1刻ぐらいかかるはず」
ミリアのその言葉が聞こえたのだろう。
少し遠い位置から衛兵隊長が声を張り上げる。
「嬢ちゃんのいう通りだ、そいつは昨日も出てきたが、結局ゆらゆらしてただけだぞ」
「ええっ!? じゃ、じゃあアレは一体何しに出て来たんですか?」
「さあな、タツノオトシゴの考えることはわからん」
実際、辺りを見回してみれば、港湾沿いに集結している衛兵達の誰一人として、剣を構えるわけでもなく、「邪魔だー! どけー!」「何か芸とか出来ねェのか!」と半笑いでタツノオトシゴに野次を飛ばしている。
……まさか本当に出オチだとは。
「おい地虫! 油断すんな! 本命はこれからだ。お嬢ちゃん達をちゃんと守んだぞ!」
「は、はい!」
その途端、タツノオトシゴの背後でバシャン! と跳ねる様な水音が響き渡り、タツノオトシゴの頭上を越えて、何かが無数にナナシ達の方へと飛来するのが見えた。
それは鈍色に光る無数の鉄杭。
「来たぞ! 総員抜剣!」
衛兵隊長が大きく声を上げると、衛兵達は盾を高く掲げながら剣を抜く。
「主様、私の背に隠れてください! 早く!」
声を上げながら剣姫はナナシの前へと飛び出すと、即座に聖句を唱える。
「凍土の洗礼!」
途端に氷交じりの竜巻が巻き起こり、ナナシ達のまわりを取り囲む。
次々に竜巻の中へと飛びこんで来ては、鈍い音を立てて弾き飛ばされる鉄杭。
しかし、間近に飛び込んで来たその鉄杭を眼にして、ナナシは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「秋刀魚ァ!?」
「ええ主様、口先も黄色いですし、これは相当脂の乗った旬の秋刀魚……の不死者の様です」
そう言っている間にも、四人の周囲では、凍り付いた秋刀魚が粉々になって、飛び散っている。
言葉を失いながら、竜巻の向こう側へと目をやれば、衛兵達が頭上に翳した楯には幾本もの秋刀魚が突き立っているのが見えた。
「たはは……なんともシュールな絵面だねぇ」
「だが、冗談とも言ってられんようだぞ、見ろ!」
苦笑するミリアに冷や水を浴びせる様に、キサラギが顎をしゃくる。
飛来する秋刀魚の勢いが弱まる気配はない。
衛兵達は徐々に後ずさり、楯一杯に突き刺さった秋刀魚の重みに耐えかねて、掲げた腕が下がっていく。やがてあちこちから悲鳴が聞こえ始めた。
「うわぁ! 肩に秋刀魚が! 秋刀魚がああああ!」
「傷口から秋刀魚が侵入してくるウゥゥ!」
衛兵達の阿鼻叫喚の悲鳴が木霊する中、竜巻の内側には何とも言えない微妙な空気が充満していた。
いや、大変なことになっているのは、全員分かっているのだ。
……分かっているのだが、このあまりにもトンチキなシチュエーションの中に飛び込んでいく勇気が出ない。
相変わらずタツノオトシゴはゆらゆらしている。
しかし、この状況を放置するのは、ツッコミ体質の人間には耐えがたかった。
「い、いずれにせよ、このまま僕たちだけ安全地帯に籠っているというわけにはいきません。剣姫様、次に鉄杭の勢いが途切れたら魔法を解除してください! 手分けして衛兵さん達の救援に向かいましょう!」
ナナシは秋刀魚とは言わなかった。
あれは鉄杭なのだと思う事にしたのだ。
「かしこまりました! 主様、ご武運を!」
「ゴードンさんはミリアさんをお願いします!」
「ふむ、任せておけ!」
「今です!」
ナナシが叫ぶと同時に周囲を覆っていた竜巻が掻き消えて、キサラギとミリアをその場に残して、剣姫とナナシはそれぞれ左右へと飛び出した。
「第二波来ます!」
衛兵の叫び声に空を見上げて、ナナシはあんぐりと口を開ける。
「折角、鉄杭だと思い込んだのに!」
見上げた空に舞っていたのは、アジやハマチ、エビやカニといったバラエティ豊かな海の幸。
更にはどさくさに紛れて、ウニやナマコなんかも飛来してくるのが見えた。
「ウニとかナマコがどうやって飛んだんですか!?」
飛来するハマチを剣で弾きながら、剣姫が答える。
「不死者ですから!」
「不死者で全部片づけるのってどうなんです!?」
相変わらずタツノオトシゴはゆらゆらしている。
とはいえ、やらなければアジやハマチで串刺しという、考え得る限り最もギャグっぽい死に様が待っている。
流石にそれはイヤすぎると、ナナシは走りながら、次々に飛来する海産物を剣で薙ぎ払う。
「氷柱ッ!」
剣姫が足を踏み鳴らすと途端に地面から無数の氷柱が突きだして、海岸線沿いに無数の魚を串刺しにしていくのが見えた。
なんかちょっとおいしそうだった。
「新手が来ます!」
衛兵の一人が空を指差すと、何か薄いものがくるくると回転しながら、弧を描いて飛来するのが見えた。
「チャクラム? とか言うと思いましたか! もう騙されませんよ、こんどはなんです! カレイですか? ヒラメですか!」
ナナシは随分やさぐれた感じで声を上げる。
「いえ、違いますあれは……」
剣姫が目を細めて、その平べったいものが何かを凝視する。
「アジの開きです!」
「加工食品ッ!?」
流石にこれはナナシも想定して居なかった。
「おお、そう言えば、三日ほど前に海辺で干していたアジが、波に攫われたって猟師どもが嘆いていたな」
そう言った衛兵隊長の肩には、秋刀魚が突き刺さっていた。
「ふむ、確かに死体には違いありませんね」
「死体とか言わないで! 今後すごく食べにくくなっちゃいますから!」
何か納得した様に頷く剣姫に、ナナシは思わずツッコんで溜息を吐く。
「もうやだ……」
珍しくナナシが弱音を吐くと、元気づけようと剣姫が叱咤する。
「主様、現実から目をそむけてはいけません!」
しかし、ナナシはじとっとした目を剣姫へ向ける。
「……そのセリフを剣姫様に言われると、無性に腹立たしい気持ちになるのはなぜでしょう」
「ええっ!?」
港湾都市ベルゲンの浜辺で繰り広げられる地獄絵図。
一晩中休む間もなく、ナナシ達は海産物……の不死者を剣で払い続けた。
その間にも、踏んづけたナマコが白い粘液状の内臓を吐き出して、ミリアが白濁まみれになったりとか、まあ……色々あった。
ちなみにタツノオトシゴはずっとゆらゆらしていた。
やがて朝が来て、太陽が水平線から顔を覗かせると、不死者たちの襲撃は途端に収まった。
地面に落ちた魚たちも、太陽の光に照らされた途端、灰になって消えていくあたりが唯一、不死者らしかった。
ちなみにタツノオトシゴは、あまりにも遅すぎて、太陽の光から逃げきれず、そのまま灰になった。
本当に、アイツは一体何だったんだろう。
流石に疲れ切って、剣姫とナナシは背中合わせに座り込む。
「……酷い目にあいました」
「全くです、主様」
「で、ゴードンさん、あの魚達は三種類の不死者で言えば、どれなんです」
キサラギは少し考え込む様な素振りを見せる。
「ふむ、マリールー殿は、死霊術師の仕業でも無ければ自然発生でもないと……」
「それはつまり……」
「海の中に、何らかの魔晶炉が存在する。そうとしか考えようが無いな」




