第145話 押し寄せる不死者(笑)前編
「はああぁぁぁぁぁぁ……」
部屋に入るなり、ナナシは大きく溜息を吐いた。
上下二段の寝台が、向い合わせに二つ置かれているだけの狭い部屋。
使用人部屋と表現するのに相応しい粗末な部屋だ。
ナナシは背嚢を床に投げ出して、下段の寝台に力尽きる様に腰を落すと、向かいの寝台に座ったミリアへと、恨めし気な目を向ける。
「……ミリアさん、なんであんな出鱈目言うんですか」
それは、つい先程の事。
ミリアが、ナナシについて「彼氏」だと称した事について。
何の問題も無く、この港湾都市ベルゲンへ入る事が出来そうだったと言うのに、そのたった一言のせいで、剣姫は激昂、乗って来た荷車は粉々に爆砕され、衛兵達にも無用な警戒感を与えてしまった。
「ふむ、確かにそうだな。痴話喧嘩を吹っ掛けるタイミングでも無かった様に思うぞ?」
ナナシの座る寝台の上段に胡坐をかいて、キサラギ(中身はゴードン)が同意する。
「ふーん、二人とも分かんないんだ?」
「ほほう、何か考えがあってやった。つまり、そう言う事なのだな」
キサラギのその言葉に頷くと、ミリアはナナシの方へと視線を落とす。
「あのね、ナナちゃん。あれはボクの安全の為だよ、町の中に入ったら、アッチの人達の指示に従わなきゃなんないわけでしょ?」
「それはまあ……そうです」
「例えば部屋割り一つにしても、剣姫様は賓客扱いだから別だとして、普通なら、ナナちゃんは男の子だから別の部屋ってことになるよね?」
「当然です」
「で、ボクとラギちゃんが同室って事になるんだけど……忘れてない? この人、中身、おっさんだよ? ボク、おっさんと二人きりの部屋とかヤだよ」
「そうでした!」
「ははっ、ナチュラルに嫌がられておるな、ワシは」
ゴードンは何故か、ちょっと嬉しそうだった。
「まあ、それでなくとも単純に、バラバラになるのは避けた方が良いし……そう考えれば、ボクとナナちゃんを一緒にしていてもおかしくない。そういう理由がいるんだよね」
「なるほど!」
「というわけで、イヤだけどね。ホントはすごーくイヤなんだけど、此処にいる間は、ナナちゃんはボクの彼氏って事にしといてあげる」
「あ、ありがとうございます。なんか……ごめんなさい」
「うん、うん、だからナナちゃんも、剣姫様よりもボクの事を優先! ちゃんと彼氏のフリをして、イチャイチャしなきゃダメなんだからね」
「が、がんばります!」
あっさりと丸め込まれていくナナシの姿に、キサラギは思わずゴードンと入れ替わって表へと飛び出し、驚愕の思いでミリアを見つめる。
この家政婦にかかればナナシを丸め込むぐらいは、赤子の手を捻るよりも簡単な事なのだ。
それこそ、彼女が本気になれば、お腹にシーツかなにかを詰めて「あなたの子よ」とでもやれば、即座に結婚まで持ち込むことぐらい訳もないだろう。
二段ベッドの上段から、キサラギが呆然とミリアを眺めていると、ふいに視線を上げたミリアと目が合った。
「心配しなくていいよ、ラギちゃん。本当にやるときには真正面から行くから」
ミリアがそう呟いた途端、キサラギは慌ててゴードンと入れ替わり、再び心の奥へと逃げ込んだ。
「家政婦殿、あまりキサラギ殿をからかうのは勘弁してくれ。 しょっちゅう、出たり入ったさせられてはかなわん」
「ははっ、ごめんね」
ゴードンが不満げに口を尖らせると、ミリアは苦笑した。
「しかし、ここは静かな町ですね」
二人のやり取りを他所にナナシは窓辺の方へと歩み寄る。
三人が今いる使用人部屋は、執政官の館の一階。
執政官の館と言っても、城や貴族の屋敷といった様なものではない。
街中、大通りに面したところに建っている商館の様な建物だ。
庭も無く、南側に面した窓の外には、首都とも、機動城砦サラトガの市街地とも異なる建築様式、木造茅葺の家々が広がっていて、その向こう側には並々と水を湛えた巨大な湖の様なものが見えた。
「あれが海……なんですか?」
「うん、そうみたいだね。ボクも実際に見るのは初めてだけど」
ミリアがナナシの隣へと歩み寄って、同じように海の方へと目を向ける。
潮の香り、ナナシにとっては嗅いだ事の無い臭いが鼻孔をくすぐる。
あれだけの水があれば、どれほどの期間、砂漠の民の皆が、喉を潤す事ができるだろう……。
そう思うとナナシは興奮せずには居られなかった。但し、後に海水が飲めない事を知って、がっかりするところまでが1セットではあるのだが。
「でも、なんでここは砂洪水に襲われないんです? 本当に大丈夫なんですか?」
「うん、ボクも聞きかじりの知識だけど、それは大丈夫みたいだよ。なんでもこの町は地面の上に無いらしいから」
「は?」
地面の上にない? その言葉の意味するところが分からず、ナナシは思わず首を傾げる。
「海の浅いところに柱を立てて、その上に立ってるらしいの。言ってみればバルコニーみたいな感じかなぁ?」
「じゃあ、この床の下は……」
「うん、海って事だね」
この町が砂洪水に襲われないのは、既に砂漠の外側だから、つまりそういう事だ。
唯でさえ砂洪水の元凶である巨大蚯蚓は水を嫌う。
そう考えれば、この町が砂洪水に襲われる筈が無いのは当然とも言える。
しかし、そもそも海という存在自体が、ナナシにとっては想像を超えている。
其れゆえに、今のミリアの話もうまく咀嚼できずに、ただ困惑するような表情を浮かべた。
「で、家政婦殿、これからどうするのだ」
「うーん、それは状況次第だね。判断は剣姫様が戻ってきてからかな」
キサラギの方を振り返りもせず、ミリアは海を見つめたまま答える。
剣姫は賓客として扱われて、三人とは全く違うところに部屋を用意されている。
おそらく今頃は、執政官との面談の最中だろう。
「衛兵さん達の数もあの程度だし、それとなく聞いてみたら、魔術師もいるにはいるみたいだけど、それほど数は多くないみたい。剣姫様、ナナちゃん、ドンちゃんの三人がかりなら、力づくでこの町を僕らの支配下に置いちゃうっていうのも、それほど難しいことじゃないかもね」
「ほう、それはなかなか愉快な話だな」
「でも、ボクとしてはもっと穏便なやり方の方が良いな、力押しは芸がないもの」
ナナシがふんふんと何度も頷く様にして同意する。
「ははっ! とはいえ剣姫殿の事だからな、今頃、既に話をこじれさせておるかもしれんぞ」
「……ありえますね」
思わずナナシがげっそりとした表情をするのを見て、ミリアは思わず噴き出しそうになる。
「大丈夫だよ、剣姫様にはここにくる途中でずいぶん想定問答をやっといたから。あの人、頭が悪いわけじゃないもの……天然ボケだけど」
「そうでしたね」
ナナシはホッと胸を撫で下ろす。
しかし、そんなナナシをミリアが突然、厳しい目つきで見据えた。
「むしろ、心配なのはナナちゃんの方だよ」
「ぼ、僕ですか?」
「うん、ボロを出さない様に、今からボクの彼氏役の特訓ね。イチャイチャするんだから、ラギちゃんは壁の方向いて染みでも数えてて」
「ふむ、よかろう」
「ちょ!? ゴードンさん!?」
「さあ、ナナちゃん、こっちへ来て」
「み、ミリアさん? なんか目が怖いんですけど……」




