第143話 港湾都市ベルゲン
陽炎立つ灼熱の砂漠。
砂上に新しい二本の轍を残しながら、荷車が走っていた。
荷車と行っても車輪は無く、二頭の驢馬の後ろに曳かれている幌付きの荷台。それを支えているのは、橇の様な二本のブレードである。
「冷房積んできて良かったよねー」
「うむ、これは快適であるな!」
「誰が、冷房ですか……」
幌の内側では家政婦服姿の少女が二人楽しげに頷き合い、その更に後ろ、荷台の最後尾では、銀髪の少女がムスッとした表情で腕を組んでいる。
御者台の上で驢馬を操る少年は、背中に不穏な冷たい冷気を感じながらも、ダラダラと汗をかいている。
それはもちろん、暑さのせいでは無かった。
◇◆ ◇◆
一刻ばかり時間を遡る。
艦橋の窓、その向こう側に白い鳥が飛び回っているのが見えた。
群れを成す訳でも無く、「クー」という甲高い鳴き声を上げながら、てんでバラバラ、それぞれが好き勝手に輪を描くようにして、飛び回っている。
物珍しそうに、鳥の描いた軌跡を目で追うナナシを微笑ましげに眺めて、シュメルヴィが口を開いた。
「あれはぁ、カモメっていうのよぉ」
「カモメですか?」
「そう、海辺に住む鳥よぉ。たぶん、もう海が近いんだと思うわぁ」
「海……うみ」
シュメルヴィの言葉を反芻する様に、ナナシはその聞き慣れない言葉を、口の中で転がしてみる。
――海。
初めて耳にした言葉という訳では無い。
実際、砂漠の民の口伝にも、海という言葉は、幾度となく登場する。
しかしナナシには、その海というものが、どうにもピンとこない。
先日マレーネからは、砂漠の尽きた向こう側にある大きな湖の様なもの。
そう教えられた。
だが、砂漠が尽きると言われても、ナナシにしてみれば、空の向こう側には天国があり、地の底には地獄があると言われているのと皮膚感覚としては同じ。
ただ掴みどころがなく、迷信めいた感触があるだけ。
「私の故郷にも海が有りました。流氷の打ち寄せる厳しい海でしたが……」
唐突に、銀嶺の剣姫の呟きが、ナナシの頭頂部へと降ってくる。
思わず真上を見上げて、ナナシは諦めた様に首を竦める。
なんでこうなった……と。
今、ナナシが腰を下ろしているのは、所謂領主の席。
もちろん、望んでそんな偉そうな場所に座っている訳ではない。
当然、無理矢理座らされている訳なのだが、それ以上に問題なのは、その椅子の後ろ。
ナナシの背後に控える様にシュメルヴィ、銀嶺の剣姫、紅蓮の剣姫、ミリア、マレーネ、トリシア、キサラギの七人が腕を組んで、ずらりと並んでいる。
まるで、魔王とその配下達と言わんばかりの様相。
実際、ナナシが今、座っている椅子も、近日中にもっと禍々しい感じの、玉座っぽいものに交換される予定なのだという。
残念ながら、ここでは四天王ごっこの余波が、未だに尾を引いていた。
彼女達は、本気でナナシを魔王に仕立てあげようとしている様に見える。
もちろん本気なのは銀嶺の剣姫一人で、後は単純に面白がっているだけなのだろうとは思うのだが……。
それはともかく、領主の椅子と壁に挟まれた著しく狭いスペースに、ぎゅうぎゅうに寄り集まって立っている彼女達が、意外に涼しげなのは、その中に一名絶え間なく冷気を放っている人物がいるせいなのだろう。
「停止」
ナナシの思いを他所に、マレーネがボソリとつぶやくと、艦橋乗員の一人がそれを復唱して、機動城砦ペリクレスは、ゆっくりと速度を落とし始め、やがて待機状態の小さな振動を残しながら、その動きを止める。
「どうしたんですか? マレーネさん」
「近い」
「ええ、海が近いみたいですね」
「そうじゃない」
ナナシの問いかけに、マレーネが小さく首を振ると、そのすぐ脇の背の高い家政婦が代弁を始める。
「エスカリス=ミーミルの最南端『港湾都市ベルゲン』が近い。お嬢様は、そう仰られています」
そう言われて、ナナシは窓の外をぐるりと見回す。
視界に入るのは、相変わらず連綿と続く砂の海。
これまでと変わったところは、何一つ見当たらない。
どうやら、その『港湾都市ベルゲン』というのは、まだ目視出来る範囲の事ではないらしい。
あらためてマレーネの方へと目を向けると、彼女は艦橋正面の方を、どこか楽しげな表情で眺めていた。
「マレーネさんは、そのベルゲンという町に来た事があるんですか?」
色彩の無い髪を揺らしてマレーネは、コクリと頷く。
「……ち」
「ち?」
ナナシが首を捻ると同時に、トリシアが代弁する。
「小さな時に一度だけ。と仰られています」
「……それもう、代弁とかいうレベルじゃないですよね」
トリシアは鼻先でフッと笑うと、「お嬢様の貧相な語彙の先読みぐらい出来なくては、代弁家政婦は務まりません」と言い放った。
相変わらず、この家政婦には、主人を敬うという態度が見受けられない。
「で、どうすんねん。そのベルゲンっちゅう町に寄るんか?」
「相談」
「ですから、それを相談しようと思って停止したんです。ベルゲンの規模は首都に比べれば何十分の一程度ですが、それでもエスカリス=ミーミル第二の動かない都市です。中央から執政官が派遣されている筈ですし、もちろん我々が接近している事は伝わっているでしょう。と、仰られています。」
トリシアの発言は、明らかに代弁のレベルを超越している。
「迂回した方がよくなぁい? 間違いなく警戒されてるわよぉ。たかが地方都市に配備されている軍隊のレベルで、機動城砦をどうこう出来るとは思わないけどぉ、それでも無暗に戦闘を引き起こすのは問題があるんじゃなぁい?」
シュメルヴィの発言に同意する様に、ナナシのすぐ隣にいた家政婦が大きく頷く。
「そうだね。ボクなら旅人のフリでもして、まずは偵察するかな」
その瞬間、ナナシと銀嶺の剣姫を除く全員が、一斉にその家政婦の方を見て、首を傾げる。
「えーと……誰?」
「ミリアだよ」
ミリアに気にする様子は見られない。
毎日の様に同じやり取りをする事に慣れてしまった。
こんなことで、いちいち傷ついてはいられない。
「先々の事を考えれば、停泊出来る場所を確保するのは大事だと思うよ、ボクは。実際、皆はどう思ってるのか知らないけど、海を越えてどこまでも逃げるというのは、現実的じゃないと思うな」
「でもぉ、追手がこっちに向かってるという話よぉ?」
「だからだよ、実際ペリクレスだって傷だらけじゃない。できれば工廠のある場所できっちり修理して、追手を迎え撃てる様にしとかないと……。ベルゲンの方は、うまく立ち回れば、敵対せずにすむんじゃないかな」
実際、ミリアの言う通りペリクレスは首都脱出時の戦闘で傷だらけ。
市街地の部分は、順次復興作業を進めているものの、未だに外壁の損傷は手付かずで、何よりその為の資材が充分とは言い難かった。
「しかし、機動城砦でいきなり押しかけるというのは……」
「そうだね。だからまずは偵察。その上で交渉するというのが現実的かな」
ミリアはぐるりと一同を見回す。
「あとは人選だね。ボクは行くよ。今のボクくらい隠密行動に向いた人間も居ないと思うし。あと……ナナちゃんが来てくれると嬉しいな」
ナナシはコクリと頷く。
否は無い。
ミリアに何かあれば、自分が同行していなかった事を後悔する事になる。
しかしその瞬間、ある人物が唐突に声を上げる。
「主様が行かれるなら、私も参ります!」
「……剣姫様は遠慮してほしいんだけどなぁ、自分がどれだけ目立つか分かってる?」
「そんなの関係ありません。私はもう二度と主様から離れる気はありません!」
声を荒げる剣姫に、ミリアがムッとした表情を浮かべ、二人はそのまま睨み合った。
そんな二人の様子にシュメルヴィと紅蓮の剣姫は顔を見合わせて肩を竦める。
「私はぁパァス、作りかけの魔道具を今日中に完成させたいのよねぇ」
「ウチもパスや。面倒くさいし」
「……私は」
「お嬢様はダメです。お嬢様が行ってしまったら、誰がペリクレスの指揮を執るんですか」
「むーーー」
意思表示をする前に道を塞がれて、マレーネが頬を膨らませた。
「仕方ないなぁ」
ミリアは呆れる様に肩を竦めると、ぐるりと一同を見回して、キサラギに目を止める。
「あと一人、見た目が普通な人が欲しいんだよね。ラギちゃん一緒に来てくれる?」
あまりにも予想外だったのだろう。
キサラギはビクリと身体を跳ねさせると、そのまま無言で俯いた。
実際、これまでにミリアがキサラギと会話しているところなど、誰も見た事が無い。それがいきなり『ラギちゃん』なのだから、戸惑って当然。
ところが次の瞬間、大方の予想に反して、キサラギはいきなり胸を反らして声を上げた。
「フム、ついに真打ち登場と言う奴だな!」
ナナシのげっそりとした表情を見れば、何が起こったか一目瞭然。
キサラギとゴードンが入れ替わったのだ。
「ちょっとゴードンさん、勝手に出てこないでくださいよ! キサラギはどうしたんですか!」
「いや、ワシの方も、今、急に交代させられてだな……。フム、どうやらキサラギ殿はそこの家政婦殿を、甚く警戒しておられる様だな」
「心外だなぁ。ボクは仲良くしたいんだけどなー」
ミリアは不満げに口を尖らせた。
キサラギは今、ゴードンの目を介して、ミリアの事を訝しむ様な視線を浴びせている。
サラトガの参謀格であった少女。
実際警戒すべき存在だというのは理解している。
どう考えても、気を許していい相手ではない。
しかし、その視線に気づく訳もなく、ミリアは気を取り直す様に口を開いた。
「ま、仕方ないよね、ボクについては徐々に慣れてもらうとして。こう云う筋書きはどうかな?」
「筋書き?」
「そうそう、怪しまれない様に辻褄をあわせておかないとね。例えば、たまたまペリクレスに滞在していた剣姫様が、魔王一派に占拠されたペリクレスから、身の回りに居た下男や家政婦を連れて脱出して、やっとの思いでベルゲンへ辿り着いたっていう感じ」
「ふむ、その筋書きならワシの役回りは?」
「うん、だから家政婦服着てね、ドンちゃん」
「なんと!?」
流石のゴードンでも家政婦服はキツいかと、ナナシがある種の安堵の息を洩らした次の瞬間、
「ま、また一つ夢が叶ってしまうのか、ワシは!」
と、ゴードンが感動を噛みしめる。
微妙な空気が漂う中、全く感情の無い表情で、ナナシはシュメルヴィに問いかけた。
「シュメルヴィさん……ほんとに、このおっさんの魂を追い出す手段ないんですか?」
「無いわねぇ、残念ながら」
ナナシは、あらためて肩を落とした。




