第142話 思いがけない事に遭遇すると、変な声が出る。
アージュが、砂漠の民の兄妹と出会った頃。
別の場所では、一人の少女がヒステリックに、喚き散らしていた。
アージュ達のいた位置から、砂漠沿いに約二千ザールほど東へと移動したところ。
重厚な装甲を持つ、漆黒の機動城砦――アスモダイモス。
その門前で、嘘つきマリーと呼ばれる少女が、尖った金属の様な声を門衛へと浴びせかけていた。
「何回言わせれば気が済むの! キスクよ! キ・ス・ク! ウチのご主人を呼んで来てって言ってんの!」
「いや、しかしだな……」
「しかしも、かかしもないでしょ! アンタね! 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ! 男なんでしょ!」
詰め寄る少女の剣幕に、ごつい体格の門衛は、額から汗を流し、眉をハの字に下げながらじりじりと後ずさる。
喚き声だけを聞いていれば、どこの場末の商売女かと思うところではあったが、ヒステリックに喚き立てる、その少女の容姿を見れば、誰もが目を疑う。
一言で言えば、『深窓の令嬢』
すっと線を引いたかのような整った鼻梁。
睫毛は長く、髪は絹の様な黒髪。
落ち着いた蘇芳色のドレスを纏ったその姿は、どう見ても上流階級の子女にしか見えない。
そんな少女が、はしたなく足を開いて腰を落しながら、たじろぐ門衛へと詰め寄っている。
「確かにアホだけど、そこは否定しないけど! 一応、将軍格なんだろう、ウチのご主人はさ!」
「いや、アホだとは一言も……」
「言ってるようなもんじゃないの! アホだと思って侮ってんでしょ!」
もう無茶苦茶、ならず者の論理である。
しかし次の瞬間、
「キスク様は……もう将軍では無いのだ」
門衛がおずおずと告げたその一言に、マリーは凍り付いた。
「う、うそ……」
門衛は目を閉じ、小さく首を振る。
マリーの脳裏が血の色に染まり、黒い靄の様な想いが、胸を浸蝕していく。
キスクはアスモダイモスに居る。
マリーは何の疑いも無く、勝手にそう思い込んでいた。
だが、本当にそうだったのだろうか?
思い返せば二月ほど前に、機動城砦ペリクレスの門前で別れて以来、キスクとは一度も連絡を取れていないのだ。
「……まさか」
「……そのまさかだ」
念を押す様に、門衛はマリーを見据えて、コクリと頷く。
途端にマリーの視界から、全ての色がフッと消えた。
そんな気がした。
全ての音が擦れながら、遠くへ消え去っていく。
そんな気がした。
身体中の体温が一気に下がって、唇が震える。
それは気のせいではない。
「あ、あれ?」
気の抜けた声が独りでに口から零れて、マリーはふらりとよろめく。
慌てて駆け寄ってくる門衛が、何かを言っている。
聞こえている。でも、頭の中を言葉が上滑りする。
おかしい。
マリーはそう思う。
あのアホ主人がどうなろうと、知ったこっちゃないのに。
主人が死ねば、晴れて奴隷身分から解放されるというのに。
出会うまでは、泥水を啜ってでも、一人で生きてきたというのに。
「置いて行かないで……ょ」
自分自身でも思いがけない言葉が零れ落ち、マリーの目尻にじわりと熱いものが浮かんだその時。
城門の内側から、兵士が一人、顔を出した。
マリーが此処へ来て、直ぐに門の奥の方へと引っ込んだ門衛の一人。
同僚に抱きかかえられる様にして、力なく立っているマリーを眺め、不思議そうに首をかしげながら、その門衛は口を開いた。
「おい女、アスモダイモス伯様が、お前にお会いになると仰られている」
「は?」
あまりにも唐突。
さっぱり意味がわからない。
アスモダイモス伯? そんなものに面会を頼んだ覚えなどない。
しかし、次の門衛の言葉に、
「アスモダイモス伯キスク様が、お前にお会いになると仰られているのだ!」
「ファッ!?」
思わず変な声が出た。
思いがけないことに遭遇すると、変な声が出たりする。
マリーはゲス乙女。
しかし、予想外の出来事に対する反応は、割と普通だった。
◇◆ ◇◆
一番、二番の常設橋の北側に広がっていた工廠地域は、機動城砦ペリクレスの暴走によって甚大な被害を受け、そこに停泊していた機動城砦ローダも、現在は三番の常設橋へと移動している。
アージュとニーノ。
サラトガから派遣された二人が、そこへと到着したのは、日差しも厳しい正午過ぎ。砂漠の民の兄妹と別れてから、既に三刻が経過しようとしていた。
到着するなり、二人は貴賓室と思われる豪奢な部屋へと案内された。
幾ら他領からの応援とは言えど、一介の将兵である。
あまりの分不相応さに薄気味悪さを感じながら、アージュは外套を外して、寝台へと腰を降ろす。
一方のニーノはというと、「ふへー」と声を洩らしながら、物珍しそうに部屋の中を見回している。
そんなニーノの姿に微笑みながら、アージュは考えた。
まず、自分の部下である狼人間達のこと。
昼間に一緒に移動しては、あまりにも目立ちすぎる彼らは、昨晩の内に砂漠側を移動してここへ到着している。ここへ案内される途中で確認したところによると、ここでも、練兵場が彼らの待機場所として、提供されているとのことだった。
次に考えたのは、ローダ伯のこと。
まず最初に、ローダ伯との面会があるもの、アージュは勝手にそう思っていたのだが、どうやら出発を前に、非常に立て込んでいるという事らしい。
実際、城門を通過して以降、機動城砦ローダ全体が慌ただしい雰囲気に包まれているのは肌で感じている。
「ママ、ゴミカス会えるます?」
唐突に袖口を引っ張られて、はたと我にかえれば、目の前でニーノがじっとアージュを見つめていた。
ゴミカス――酷い呼び名。
黒い瞳をした少年の顔が、アージュの脳裏を過ぎる。
「ニーノ」
アージュはニーノを抱き寄せる。
くすぐったげに身を捩るニーノに微笑かけながら、アージュは耳元で小さく囁く。
「うん、もうすぐ会えるよ。でもニーノ、ゴミカスはやめようって言ったよね」
「えーと、ナナシパパ?」
「うーん、パパは要らないんじゃないかな」
アージュが思わず苦笑したのとほぼ同時に、ノックする硬質な音が部屋に響いて、彼女達が返事を返す前に、ドアが開いた。
「失礼する」
唐突な来訪者に大慌てで、ベッドから立ち上がる。
入って来たのは、壮年の男性。
豪奢なローブを纏った、野生的でありつつも、同時に端正な面立ちの男性。
アージュは、その顔に見覚えがあった。
つい数か月前の事、場所は戦場。
「ローダ伯様!?」
アージュは思わず驚きの声を上げ、ニーノがそれをぽかんと見上げる。
部屋が豪奢すぎるとか、それどころの話ではない。
領主が自ら一将兵の元を訪れるなど、聞いたことがない。
しかし、そんなアージュのそんな様子を気にも留めず、ローダ伯は親しげに微笑んだ。
「挨拶が遅れてすまぬ。貴公は確か……ミアージュ卿であったか。戦場で御見掛けした事はあるが、言葉を交わすのはこれが初めてであったな。あらためて此方の応援要請を、快く引き受けてくれた事に感謝する」
「き、恐縮でございます。ご領主自ら、足をお運びいただいた事に、率直に申しまして驚いております」
「ああ、驚かせたか、それは済まぬ」
「いえ、そういうつもりでは……」
「力を貸してもらおうというのだ、相応に礼を尽くすのが筋。そう考えた末の事ゆえ、許されよ」
「勿体ないお言葉」
冷静さを装いながらも、はっきり言って、アージュは戸惑っている。
目の前で穏和に微笑んでいるこの男は、サラトガ襲撃の際の、あの狂気に満ちた苛烈な人物とは、あまりにも異なっている。
なるほど、ローダ伯は人格者だとは聞いていたが、ストラスブル伯が絡まなければ、本来はこういう人物なのだろう。
「一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「仰られよ」
「ありがとうございます。ローダ伯様は、何故、つい先日まで敵であった我がサラトガに応援を求められたのでしょう? おそらく、兵の中には遺恨を残しておるものもおるのではないかと、そう愚考いたしますが……」
「ふむ、卿の言いたいことは良く分かる。応援を求めるのであれば、他に求め先は幾らでもあるだろうと、そういう事だな」
「畏れながら」
アージュの率直な問いかけに、ローダ伯は思わず苦笑する。
そして少し考えた末に、言葉を選ぶようにして口を開いた。
「実はヴェルギリウス伯殿から、助言をいただいたのだよ。出来る限り最大の戦力を整えよとな。敵は闘技場を瞬時に砂に帰すような、恐るべき魔法を使う輩だ。しかも、我がローダが誇る魔法兵団も、卿らとの戦いで随分と疲弊し、その数を減らしてしまっている。……そこでだ」
ローダ伯は言葉を区切り、あらためてアージュの目を見据える。
「私がこれまで目にした中で、最も強大な戦力。そう考えた時に思い当たったのが、サラトガのあの紅い剣姫なのだよ」
さもありなん。
自分の城を、瓦礫の山に変えられれば、そう思う事だろう。
「そこでサラトガ伯に、あの紅い剣姫を預けて貰える様、頼んでみたのだが、流石にそこまでは譲歩しては貰えなかった」
アージュは、思わず苦笑する。
大筋の話が見えてきたのだ。
自分がここへ送り出された理由について。
何のことはない、ただの消去法だ。
ローダ伯御所望の紅蓮の剣姫は、今、サラトガには居ない。
しかし、ただ断っただけでは角が立つ。
では代わりに誰を向かわせるかと考えたとしても、サラトガの主戦力を裂くことは、到底ありえない。
つまり、メシュメンディ率いる第一軍、ペネル率いる第二軍、セファル率いる魔術師隊は除外される。
残るはキリエ率いる黒薔薇隊か、アージュ率いる特務部隊となるのだが……。
実際には、そこで選択肢は尽きている。
冗談を一切解さないというローダ伯の元に、あのキリエを送り込んだとすれば、どんなトラブルになるのか想像もつかない。
いや、むしろキリエが、息苦しさで窒息死する未来しか見えない。
ローダ伯とキリエ、この二人は、あまりにも相性が悪すぎるのだ。
「私はそこで素直に引き下がろうとしたのだが、サラトガ伯が、狼人間達ならば、貸しても良いと言ってきたのだ。但し、一つ条件があると」
「条件……ですか?」
「ふむ……」
そこでローダ伯は何やら、言い難そうに口ごもる。
「先に言っておくが、これから申すことは私の言葉ではない。あくまでもサラトガ伯が言った事を、そのまま申すだけだからな」
「は?」
アージュが困惑している内に、ローダ伯はミオの声音を真似て、話はじめた。
腹立たしい事に、意外に上手かった。
「実は、部下に貴公が大好きだという女がおってのう。アージュと言うんじゃが、子持ちの癖に、貴公を想うと夜も寝られぬと騒ぎ立てて、非常に迷惑しておる。そこでじゃ、貴公のところでその女を預かってくれんかの。貴公の為ならば、そやつは喜んで働くであろうし、そやつを預かってくれるならば、セットで狼人間達を付けてやろうではないか」
「ファッ?!」
思いがけないことに遭遇すると、人は変な声が出たりする。
奇しくも、その声のトーンは午前の内に、嘘つきマリーが発したものと、酷似していた。
「貴公の気持ちはうれしいが、わ、私にはストラスブル伯という心に決めた女がいる。貴公の気持ちには応えられない。許せ」
「ちょ!? ちょちょちょ」
「このローダでは、出来る限り贅沢を出来る様にはからっておくので、それで、せめて心の傷だけでも癒してほしい」
「ちょっと、ま、待って」
「では、これで失礼する」
そう言うや否や、ローダ伯は振り向きもせず、逃げる様に扉の外へと出て行く。
ドアをノックして逃げる悪戯をした後の悪童の様な動きだった。
アージュの伸ばした指先が所在無さげに空を掻き、ドアを閉じる音が消えると、部屋の中に静寂が訪れる。
まさかの出来事。
いや、分かっていた筈だ。
サラトガ伯ミオは、こういう事をする人間だと。
この状況を想像して、笑いを堪えているのだと。
思い起こしてみれば、今日、二人を送り出すときも、なんか肌がツヤツヤしていた。
「なんで、私がフられたみたいに、なってんだよおぉぉぉおおお!」
絶叫しながら、へなへなと座り込むアージュ。
その肩に、ニーノが痛ましげな表情で、小さな手を置く。
「……ニーノ」
アージュが、疲れ切った表情でニーノの方を振り返ると、彼女はにんまりと笑って言った。
「子持ち(笑)」
「にいいいいいぃのおぉぉぉぉぉお!」
◇◆ ◇◆
部屋の中でしばらくニーノを追い回した後、へとへとになって、アージュはベッドの上に力なく腰を降ろす。
窓の外から差し込む午後の日差しは、尚一層の厳しさを増し、部屋の中にも熱風が吹き込んでくる。
アージュは、額の汗を拭いながら、ボンヤリと窓の外へと目を向けた。
ローダの町並みは、整然としている。既に復興もほとんど済んでいるらしい。
元よりローダは、サラトガの様な田舎機動城砦に比べれば、随分と都会的である。
建造物の装飾一つとっても、優美なアーチを描く文様が描かれていて、とても上品だ。
それだけに、居心地の悪さを感じる。
なんだかんだ言っても、アージュは元来の田舎者なのだ。
都会的な物に憧れはするが、それに囲まれれば落ち着かない。
先程から、尻の下に小刻みな振動を感じている。
ローダは、既に発進シークェンスに入っているのだろう。
数刻の後には、首都を離れている筈だ。
ペリクレスに追いつくのは、少なくとも一月は後のこと。
それでもいい、少しずつでも距離が縮まるというのなら。
また会えたならば、話したい事はたくさんある。
その時には、何から話せばいいのだろう。
どんな顔をすれば良いだろう。
そう言えば、こんな服で良いのだろうか。
もっと女らしい服は無かっただろうか、明日にでも街へと買いに行こうか。
そこまで考えて、アージュはブンブンと首を振る。
ナナシに相まみえるとすれば、それは戦場だろう。
ヒラヒラのドレスを来て、戦場に?
バカバカしい、剣姫様じゃあるまいし。
……でもどんな顔をするだろう。
くるくると変わるアージュの表情を、ニーノが不思議なものを見る様な目つきで眺めているのに気が付いた。
小さく咳払いをすると、アージュは何事もなかったかの様に、窓の外へと目を泳がせる。
頬の熱さを誤魔化しているだけ。
見ている様で何も見ていない。
視界には入っていた筈なのに、窓の外、アージュは通りの向こうへと駆けていく、白いフードマントの二人に気が付かなかった。




