第140話 呪縛と砂漠の少年達
いつも機動城砦サラトガをご愛読いただき、ありがとうございます。
更新が、遅くなってすいませんでした。
「どこにも行かないでね、手を……。手を離さないでね」
天蓋付きの豪奢な寝台の上。
横たわる少女の総やか過ぎる髪は、寝台一杯に広がって、金色の波を形作っている。
ずんぐりとした体形の少年は、その脇に跪いて、差し伸べられた少女の手を取った。
「大丈夫。ど、どこにも、い行かない……から」
少女へと、そう囁きながら、少年は窓枠の形に切り取られた夜空を見上げる。
先程までの宴の賑やかさが、嘘のような夜半の静寂。
深い黒を背景に、無数の星が重なりあって、綺羅びやかな白い光の大河が、空を二つに別っている。
星天。
少年の想いなど、関係が無いと言わんばかりに。
昨日と同じ様に。
それは、ただただ美しかった。
少年は静かに目を瞑り、少女のしゃくり上げる声が薄暗い部屋に響く。
乾燥した空気を湿らせる濡れた音。
震える声。
「ごめんね……へーざ……ごめんなさい」
少女が、少年の手を一層強く、握り直す。
血圧の低い彼女らしい、ひんやりと冷たい手。
「心配しないで、ハヅキ。ぼ、僕は、こ、此処にいるから」
少年は、少女の洟を啜る音が、静かな寝息に変わるまで、身じろぎ一つせず其処にいる。
燃える様に熱い背中、鞭の痕がぢんぢんと痛む。
代償と思えば、全然安いものだ。
一昨日も、昨日も、今日も、
そしてきっと、明日も。
慈しむような目で、少女の横顔を眺めながら、少年は其処にいる。
「大丈夫。しし、心配しなくても良いんだ。こ、れはぼ、僕が望んだ事だから、ハヅキは、何も心配しなくていいんだよ……」
少年は少女の呼吸音を聞きながら、自分に言い聞かせる様に、そう呟いた。
◇◆ ◇◆
「どういうことか、説明してくれますか……クリフト翁」
「ご覧の通りかと……」
灯りの絶えた艦橋。
幾つかの計器に緑と赤の小さな光が灯っている以外には、マリーの手元にある小型の精霊石板だけが煌々と光を放っている。
精霊石板の向こう側に映っているのは、ストラスブル伯ファナサードの寝室。
音声は聞こえないが、そこに映っているのは、ファナサードの手を取って、彼女を寝かしつけ様とするヘイザの姿。
それは、かつては当たり前であった光景。
現在となっては、在りえない筈の光景であった。
暗い艦橋での事、マリーの目には艦橋の中央付近に佇む、老人の表情を伺う事が出来ない。
「お嬢様とヘイザ様は、衆目を欺いておられます」
「それは見れば分かるわよ! 何でそうなったかって聞いてるの!」
丁寧な態度をかなぐり捨てて、マリーの声が、思わず感情の色を帯びる。
老人は静かにマリーへと歩み寄り、その沈んだ表情が精霊石板の光に照らされてぼんやりと浮かび上がった。
「私がヘイザ様に出て行って欲しい。そうお願いしました」
「なっ!?」
「お金は幾らでも払いますので、金輪際、お嬢様に近寄らないでいただきたいと」
「アンタッ! それをヘイザに言ったっていうの!」
「はい、申し上げました」
マリーは下唇を強く噛みしめて、老人を睨み付け、老人はたじろぐ様子も無く、その視線を真っ直ぐに受け止める。
「何でそんな事を……。そもそも此処にヘイザを引き留めたのは、アンタだったじゃないの!」
「おっしゃる通りでございます。あの時点ではお嬢様にはヘイザ様が必要でした。それがたとえ、地虫であったとしてもです。お嬢様のために必要なので、そうした、ただそれだけでございます。私の中にも地虫を蔑む感情が、無い訳ではありません」
マリーの眦が裂けそうになるほどに広がる。
今にも感情が爆発しそうな様子が見て取れた。
「ただ……私の感情だけならば、抑えつける事は幾らでもできましょう。お嬢様が正気を取り戻されたあの日、私は、幾人もの貴族から詰問を受けました」
「詰問?」
「お嬢様とあの地虫はどういう関係なのかと、正気を取り戻した今、領主ともあろうものが地虫を傍に置くなど許しがたいと」
「馬鹿馬鹿しい! そんなの好きに言わせておけばいいじゃないの! ハヅキは領主なんでしょ」
「マリー様、残念ながらそうはいかないのです」
「なんで!」
「この機動城砦ストラスブルにおいて、領主は貴族の代表者でしかありません。絶対的な支配者では無いのです。
もちろん、先代の時に貴族の権限の大部分を剥奪する事に成功した機動城砦サラトガや、強大な力で絶対的な独裁を行う機動城砦メルクリウスの例もあります。ですが、それはどちらも例外なのです。
貴族達が手を取れば領主を追い落とす事はそれほど難しい事ではありません。特にこのストラスブルにおいては、それぞれの貴族達の権限があまりにも大きいのです」
「なによそれ……ただ二人が一緒にいるだけの事を、許せないとでも言うの!」
「そうです。ヘイザ様が地虫である限り。そしてお嬢様を、メテオーラの御家を、守る事こそが私の務めでございます」
クリフトは静かに目を伏せる。
「あの後、お二人の間でどんなお話がなされたのかは、伺ってはおりません。が、大体の想像は付きます。元来お嬢様は、英明なお方でございます。性格には多少問題がございますが……。どうすればお二人が一緒にいられるか、すぐに答えに辿り着かれた事でしょう」
今更、考えるまでも無い。
ファナサードが辿り着いた答え、それは地虫を傍に置いているのは、玩具として虐げるため。貴族達にそう思わせることだ。
マリーは疲れ切った表情で、精霊石板へと目を落とす。
その向こう側には、静止画の様に身じろぎ一つしない、二人の姿があった。
「こんなこと……いつまでも続けられる訳がない」
マリーは擦れた声で呟き、老人は疲れ切った表情で頷く。
「左様で。ヘイザ様が傷つく事に耐えられなくなるか、お嬢様の精神が擦り切れてしまうか、いずれにしても、そう遠く無い内に最悪の結末が参ります」
「クリフト翁……いや、もういいわ、クソジジイ。アタシにこんなものを見せて何をさせようっていうのさ」
「それは私の口から申し上げられる事ではございません」
マリーの奥歯がギリリと音を立てる。
マリーには既に分かっている。
ヘイザを説得して、ここを出ていけ。そういう事だ。
この老人は徹頭徹尾ファナサードの為、ストラスブル伯家の為に立ち回っている。その為にはヘイザの事など、どうでも良いのだと。
「明日、一度アスモダイモスへ向かうわ」
マリーは、それだけを告げて足早に廊下へと出ると、艦橋の扉を叩きつける様に閉じた。
腹立たしい。
見ていろ。
此処を出る時には、ヘイザだけではない。ハヅキも一緒だ。
馬鹿ご主人にこの話を伝えれば、彼の性格ならば、きっと激昂する事だろう。
そして二人を連れて、以前の様に四人で旅に出るのだ。
今度は、南に向かうのも悪くないかもしれない。
噂に聞く『海』という奴を見てみたい。
嘘つきマリーは、まだ見ぬ旅路に思いを馳せた。
◇◆ ◇◆
「アンちゃん。最近調子に乗り過ぎじゃない?」
「そんなつもりは無いんですけど……」
深夜、機動城砦ストラスブルで嘘つきマリーが艦橋の扉を閉めた頃、機動城砦ペリクレスの貴賓室では、どういう訳か、痛そうに腹を抱えながら正座させられているナナシの姿があった。
ナナシをジトッとした冷たい目で見下ろしているのは、彼の義妹――キサラギ。
起こっている事を端的に述べると、つい先ほど、ナナシがポツリと漏らした一言にキサラギがブチ切れたのだ。
四年ぶり通算二度目のマジ切れである。
「ねえ、キサラギ……なんというか、僕、もしかして最近女の人にモテてるんじゃないかと思い始めてるんですけど」
ナナシが言い終わるや否や、キサラギ必殺のボディブロー(命名:いもうと☆ジェットアッパー)が炸裂したのだ。
キサラギは口の端から黄色い液体を垂らして正座するナナシを、まるで汚いものでも見る様な冷たい目で見下ろす。
(※実際、黄色い液体にはちょっと引いている)
「アンちゃんは昔からそう。直ぐに勘違いするんだから! 恥ずかしいと思わないの? モテてる? そんな訳ないじゃない。アンちゃんは地虫だよ。それも親無し、名無し、何にも無しの『ナナシ』だよ」
ボロクソである。
身内とは言え、流石にここまで言いたい放題に言われるのは辛いものがある。
「そこまで言わなくても……」
「黙らっしゃい! ミナヅキちゃんの時の事、もう忘れたの?」
ミナヅキという名を聞いた途端、ナナシの表情に暗い影が落ちる。
「あの時もそう、アンちゃんが告白されたって、浮かれて帰ってきた後、どうなった?」
ナナシは無言、ただ表情には苦いものが浮かんでいる。
しかし、そんなナナシの様子はお構いなしに、キサラギは畳み掛ける
「次の日から、ミナヅキちゃんに無視された挙句に、最後は『もう近づかないで』とか言われた上に、ミナヅキちゃんのお兄さんにボッコボコにされてたよね。勘違いよ、か・ん・ち・が・い!」
「いや、でも! あの時は、何がどうなったのかわかりませんでしたけど、あの時とは状況が……」
「違いません! 同じですぅ! アンちゃんが勘違いさえしなければ、みんな可哀相ぐらいには思ってくれるんですから、身の程を弁えてよね」
そう言って、ナナシの鼻先へと指を突きつけるキサラギ。
その指先を避ける様に顔を背けながら、ナナシは抗うように口を開く。
「いや、でも剣姫様は……」
往生際が悪いとでも言わんばかりに、キサラギは大袈裟に溜息をつく。
「剣姫様? 剣姫様がどうだっていうの? 剣姫様から直接、経緯は聞いたよ。あんなの一番勘違いじゃないの。運命の主? 星読みの予言? そんなの只の思い込みじゃない。追いかけている内は必死になってても、アンちゃんがその気になったら、すぐに幻滅して、やっぱり違うって言いだすわよ」
「じゃあ、へ、ヘルトルードさんは」
「もう、アンちゃんいい加減にしてよ。アレは一番ダメ、アレはアンちゃんがどうこうじゃなくて、剣姫様に対抗しているだけでしょ。剣姫様がアンちゃんに興味失ったら、一緒に離れていくだけよ」
ナナシの表情が萎れていく。
「……そうだよね」
「そうだよ。もう言わなくても分かってると思うけど、ペリクレスのお嬢様だって、自分が異形なものだから、同じ異形のアンちゃんで妥協するしかないかもって思ってるだけだし、この間助けた家政婦さん。えーと、名前は忘れちゃったけど、アレだって助けられた事に恩を感じているだけなんだから。それともアンちゃんは、助けた事を恩に着せて、言う事を聞かせる様なゲス野郎なの?」
「そ、そんなつもりは……ない……です」
ナナシは消え入りそうな声で、そう答えた。
「しっかりしてよね。身の程を知っているのが、アンちゃんの唯一の取り柄なんだから」
「そう……そうだよね」
弱弱しく微笑むナナシの頭をキサラギは、そっと抱き寄せ……かけて、手についた黄色い液体に顔をしかめ、ナナシのフードマントでゴシゴシと拭いてから、あらためて抱き寄せる。
「アンちゃんを愛せるのは本当は私しかいないんだから。でもね、あたしがこうなっちゃったから、仕方無くだけど、私の言う事をちゃんと聞いてくれる、アンちゃんにふさわしい相手を見極めてあげる」
◇◆ ◇◆
「かかっ! こりゃヒデエなァ」
「……兄さん、なんでそんな楽しそうなんです」
星の瞬く深夜。
ナナシが、力なくキサラギに抱き寄せられている頃。
白いフードマントの男女が、つい先日まで闘技場があった場所。 今となっては砂山でしかない、その場所に立っていた。
フードマントから覗く男の容貌は、砂漠の民らしい黒髪黒瞳。年の頃は二十歳には満たないぐらい。少年というよりは、青年と呼ぶ方がしっくりとくる。からからと楽しげに笑う唇の端からは獣じみた八重歯が覗き、鋭い目つきはそれこそ狼を思わせた。
女の方はというと、年の頃は十五。目元の涼やかな、淑やかな雰囲気を持つ少女、砂漠の民の民族衣装を纏ってはいるが、フードマントの下から覗く瞳の色は赤であった。
半分、砂に埋もれた木製の首枷に足を乗せたまま、青年は、さも楽しげに少女の方へと向き直る。
「かかっ! 楽しいじゃねえか! なにせ更咎が出たってんだからな」
「でもまだ、ナナシ君がやったとは……」
「バカか? ミナヅキ。あんな奴の肩を持つ必要なんてねえだろ。更咎を呼び起こせるとすりゃ、どうやったって世の中にたった一人。アイツしかいねえだろうが」
「そうなんですけど……。更咎を呼び起こして、この程度で済むものなんでしょうか?」
少女の方は、兄ほどは単純では無いらしく、どうにも腑に落ちないという様子であった。
「かかっ! ま、やったかどうかなんて、どうでもいいさ。俺らのやるこたあ、ナナシをふん縛って連れ帰る、それだけなんだからよ」
「いや、そうなんですけど……」
少女の煮え切らない態度に青年は、首を傾げる。
「そういや、お前昔、ナナシと一度噂になったことあったよな」
その言葉を聞くや否や少女は柳眉を逆立てた。
「兄さん! 無神経にも程があります。それはナナシ君は、見た目はそれなりにいいですけど、人間としては屑も良いところなんですから! 集落中の女の子がナナシ君の事は大嫌いなんですよ、変な噂を立てないでください!」
「何をどうやったら、集落中の女に嫌われんのか、一周回って興味があるぜ」
不機嫌そうに頬を膨らませる妹を見やりながら、青年は肩を竦めた。
「ともかく……」
そう言って青年が、ぐるりと辺りを見回すと、遠くに首都の灯りが見える。
「まあ、良いや。とりあえず情報収集といこうや。街中に入っても混血のお前なら、見た目じゃ貴種達と変わりが無え。普通に話も聞き出せんだろう」
八重歯を剥き出しにして、青年は楽しそうに笑った。




