第139話 美女と野獣と四天王
巨大な装飾照明の下、煌々と照らし出されるダンスホール。
着飾った多くの男女が談笑する、綺羅びやかな宴の席での事。
落ち着いた蘇芳色のドレスを纏ったマリーは、彼女らしくもなく、静かに壁際に佇み、その表情に憂いを宿していた。
見た目だけの話をすれば、マリーはこのパーティの主役であるストラスブル伯ファナサードにも、勝るとも劣らない程に恵まれている。
それゆえ先程から、苦労のくの字も知らなさそうな、つるりとした坊っちゃん顔をした貴族の子弟達が、どうにかマリーの気を引こうと、ひっきり無しに話かけてくるのだ。
自分ならば、あなたを楽しませる事が出来ます、とでも言わんばかりに、背中が痒くなりそうな口説き文句を投げかけてくる坊ちゃん達の言葉を、あからさまに聞き流し、マリーは尚一層沈んだ表情で、深い溜息を吐いた。
マリーに元気がない事、これは世間を知らない貴族の子弟達にとっては、幸いであっただろう。
もし彼女が本調子であったならば、今頃はこのうちの何人かは手玉に取られて、ケツの毛まで毟り取られていたとしても不思議では無い。
たしかに相手をするのは面倒臭いが、マリーの溜息を深いものにしているのは、これらの坊ちゃん達が原因ではなかった。
マリーは思う。
この頭の軽そうな坊ちゃん達が、マリーが奴隷の身分であることを知ったならば、一体どんな顔をするのだろうかと。
おそらく、不快感を露わにする者が三割、金で買おうとする者が六割。
残りの一割が地位も名誉も捨て去って、一緒に逃げようなどと言い出す、世間知らずと言ったところ。
この中で一番度し難いのが、最後の一割にあたる連中。
地位と名誉にしか価値が無い癖に、それを捨て去ろうというあたり、勘違いも甚だしい。
そして愚かにも周囲の人間は、それを純愛だのなんだのと、美談に仕立てあげるのだから、呆れてものも言えやしない。
「……吐き気がする」
誰にも聞こえない様な小さな声で、そんな言葉を口の中で転がした。
嘘つきマリーはこれまで、高貴な身分を名乗って来たが、本当に身分の高い連中というのは、どうしようもないヤツばかりだ。
マリーが徐に目を向けた先、ダンスホールの壁際に設けられた一段高い席の上では、オホホという態とらしい程の高笑いにあわせて、金色の髪が揺れている。
そこには、総やかすぎる髪を専属家政婦の職人芸とも言える技術で、コンパクトな縦巻きロールに纏めた美しき領主が座っていた。
――ストラスブル伯ファナサードである。
彼女は、次々に挨拶に訪れる、貴族と思しき連中と会話を交わし、時には態とらしくも驚いてみせたり、同情してみせたりと、目まぐるしく表情を変えながら、楽しげに時を過ごしている。
少なくともマリーの眼には、彼女の知る『ハヅキ』の姿を、そこに見出す事は出来なくなっていた。
約一月前の事、幼児退行していたファナサードが、唐突に記憶を取り戻した。
闘技場が消失した日の事だ。
喜んでいいのか、悲しんで良いのか。
どんな表情をして良いのか、非常に悩んだ日だ。おそらくヘイザもそうだろう。
話をする限り、ファナサードは『ハヅキ』であった間の記憶も、欠けることなく覚えているらしかった。
ホッとした。
記憶を取り戻した後も、ファナサードのマリーへの態度は、非常に親密なものであった。奴隷という立場は伏せられて、それこそ貴族の子女としての扱いを受けている。もしかしたら、彼女の亡くなった筈の親友マリールーに瓜二つだという事も、理由の一つにはあるのかも知れない。
しかし、ヘイザはというと……
マリーは唇を噛みしめて、視線を少し下へと向ける。
優雅に葡萄酒を嗜みながら談笑するファナサード、彼女のその尻の下では、椅子代わりにされた少年が四つん這いになって、小刻みに震えているのが見えた。
少年は既に一刻以上もその体勢のまま。
黒い瞳で床の一点を見つめながら、歯を食いしばっている。
どうしてこんなことになった。
脳裏を『ハヅキ』の無邪気な笑顔が掠める。
ファナサードが記憶を取り戻したその日の内は、物言いこそ高飛車ではあったものの、ヘイザに対する態度は、仲の良い家族に対するそれであった。
さすがにハヅキがそうしていた様に、いきなりしがみついたりはしないが、その物腰には親愛の情が見て取れた。
ところが翌日、マリーが目を覚ました時には、すでにヘイザへの扱いは、苛烈なものへと変わっていたのだ。
あの日以来、ファナサードは、ヘイザを悪しざまに罵り、時には人前で踏みつけにすることさえあった。
まるで彼女の諧謔趣味を満足させるための玩具の様な扱い。
マリーが幾ら窘めようとも、ファナサードのヘイザへの扱いは変わらない。むしろ日を追うごとに酷くなる一方。
ある日ついにマリーは、ヘイザに一緒にストラスブルを出ようと告げた。
ファナサードはハヅキではない。
ハヅキは死んだのだ、ヘイザにそう告げた。
ところが、あれだけの目にあっているというのに、ヘイザは困ったような表情でただ微笑むばかりであった。
「なんとかしてよ……馬鹿旦那様」
マリーの頭の中をキスクの姿が過ぎったその時、
「キャッ!」という短い悲鳴とともに、グラスが割れる音がホールに響き渡る。
ヘイザが力尽きて体勢を崩し、その上に腰かけていたファナサードが、葡萄酒をぶちまけたのだ。
ファナサードの薄い黄色のドレスに広がっていく紅い染み、騒然とするホール。
「この地虫め、ペットの分際で私のドレスを汚すとは!」
ファナサードは蹲るヘイザを睨み付けると、すぐ脇に用意していた乗馬用の鞭を手に取り、その場でヘイザを打ち据える。
「やめ……!」
マリーが二人の元へと駆け寄ろうと足を踏み出したその瞬間、彼女の肩を掴むものがあった。
ファナサードの執事クリフトである。
「クリフト翁、あれではあまりにも!」
興奮気味にまくし立てるマリーを見つめて、クリフトは静かに首をふり、そして周囲へと目を向ける様に促す。
「ははは、ファナサード様も、なかなか面白い玩具を手に入れられた様ですな」
「全くです。あれに不機嫌をぶつけてくれている間は、我らとしては助かります」
「最初、あの地虫がファナサード様にくっついておるのを見た時には、爵位の一つもくれてやると言い出さないかと心配いたしましたが、この分では問題ないでしょうな」
「あの猪の様に品のない野獣が、この英知の都、ストラスブルにおるというだけでも、不愉快には違いありませんがな」
「ははは、当に美女と野獣ですな。まああの調子では、あの猪が弄り殺されるのもそう遠くはありますまい」
今、この場にいる貴族たちは、彼女がヘイザを打ち据えているこの光景を、さも面白いと言わんばかりの眼で眺めている。
機動城砦ストラスブルは、学術都市である。
権威主義、エリート意識の巣窟であった。
嫌な連中だ。
その身分の賤しさゆえに、自分の顔すらも売り渡したものさえいるというのに、こんな連中が餓える心配もせずに、のうのうと生きていることに虫酸が走る。
肩を震わせて立ち尽くすマリーに、クリフトが囁きかける。
「マリー様、この宴が終わった後、少しお時間をいただけませんか?」
◆◇ ◆◇
生温かい空気の籠った薄暗い部屋。
テーブル上には、そう思って見れば何となく髑髏に見えなくはない、なんかいい感じに丸い物が、適当に空けられた穴から、ムーディーな紫の光を放っている。
その淡い光に照らしだされる様に、ローブを目深に被ったシルエットが、石作りの壁に歪に伸びていた。
「土のヤツがやられたか……」
その声は女、押し殺したような女性の声。
その声に答える様に他の人間も口を開く。
「クククッ、ヤツは我々四天王の中でも最弱」
「皇家の弱兵ごときに敗れるなど、我ら四天王の面汚しよ」
「フッ……我々、四天王も侮られたものだにょ……」
テーブルを囲む『黒いローブ』達は静かに頷いた。
「お主ら……」
部屋の奥の方からが、呆れた様な呟きが聞こえる。
しかし黒いローブの人物達は、その呟きを全く無視して立ち上がると、纏っていたローブを派手なアクションで、一斉に脱ぎ捨てた。
「癒しのセファルゥ!」
「そ、双刀のアージュ……?」
「わおーん! ニーノぉ!」
「イーネだにょ!」
「マーネだー!」
「サーネじゃない」
「そして、弾ける肢体、キリエッ!」
一呼吸の間を於いて、自称四天王達が一斉にポーズを決める。
「「「「「「我らぁ! 四天王おおお!」」」」」」
「多いッ! 数が多いわッ!」
ミオが間髪入れずにツッコんだ。
なんでこうなった。
数日前、シュメルヴィとの定期通信の際にたまたま『四天王ごっこ』が話題に登り、面白がったミオは、早速四天王ごっこを実施した。
ところが、実に残念な事に、ここは悪巫山戯の総本山、『機動城砦サラトガ』である。
回を追うごとに、どんどんおかしな方向へとエスカレートし、ついにはこの有様であった。
「あれ? おかしいですねぇ?」
ミオのツッコミに応えて、セファルが小首を傾げる。
「おかしいですね? では無いのじゃ! 全部で七天王ぐらいおるではないか!」
ミオがそう声を荒げると、アージュが指でさしながら人数を数える。
「えーと、ポーズだけとってるメシュメンディ卿も含むと、八天王ですね」
するとキリエが、真剣な表情で、
「いや最初に土がやられているわけだから、九天王だろう」
と、訂正する。
「やかましわッ!」
その瞬間、ミオがキレた。
冷静に訂正されると、なんだか無性に腹立たしいのだ。
それがキリエであれば尚更である。
「まあ百歩譲って人数の事は良いとしよう。それよりお主ら統一感とか、そういうものはどこへ行った。これでは最初にやられた『土』の人が、空気が読めないちょっと浮いた人みたいな扱いになって、可哀想ではないか!」
「ああ、なんか一人張り切っちゃったみたいな……」
「『土(笑)』みたいな反応されちゃったりとかする感じですね」
ミオのコメントに、セファルとアージュが顔を見合わせて同調する。
「そうじゃ、可哀想じゃろ」
「しかしですね、統一感と言われましても……」
真面目に考え込むアージュの肩を叩いて、キリエが口を開く。
「まあ、確かにニーノの『わおーん!』と、サーネの『サーネじゃない』は、幾ら何でも雑すぎるな」
「いやいやいやいや! キリエ、何を人事の様に言うておる! 一番ヒドいのはお主じゃからな! なんじゃ、どさくさに紛れて弾ける肢体とか、誇大妄想もそこまでいったら犯罪じゃぞ」
ミオのそのツッコミに、思わずキリエがたじろぐ。
「ゆ、夢ぐらい見ても良いではないですか、一度ぐらい言ったり、言われてみたりしたいとおもいませんか…ダイナマイツ」
「言われてみたり?」
「こう道端を歩いているとですね。むくつけき男どもが、私の姿を見つけてですよ、ひゅーと口笛を鳴らしてです、「ひゃあ、おねえちゃんダイナマイツだぁ」って、コレ、この感じですよ」
「ほう」
「で、こう私の方も胸をもちあげてですね。ダイナマイッ! ダイナマイッ! と魅せつけてやるとかですね」
「ほほう……それで?」
「……そんな夢を見た時期もありました」
「あ、隊長が萎れました」
真っ白に燃え尽きていくキリエを眺めながら、アージュがミオへと報告する。
「うむ、胸を持ち上げるのところで、現実にぶつかったのじゃな」
「今、空振りしてましたからね、胸のあたりで……」
「まあ寧ろ、こやつのボディは炸薬で掘削した跡みたいなものじゃからな」
「掘削済!?」
驚愕の表情から綺麗なフォームで打ちひしがれていき、最後には部屋の隅で三角座りを始めるキリエ。
ミオはそれを放置して、一同を振り返る。
「今日お主らを呼び出したのは、別に娼が遊びたかったからではない。」
「違うのですか?」
セファルの意外そうな問いかけに、ミオは口ごもる。。
「……いや、ちょっとはアレだが、もう一つお主らに知らせておく事があるのじゃ」
ミオはぐるりと周囲を見回した後、アージュの方へと顔を向けた。
「アージュ、命令じゃ。お主と特務隊は、準備ができ次第ローダへ向ってくれ」
「ローダですか?」
「ああ、応援要請があったのじゃ。魔王討伐に当たってのな」
途端にアージュが眉根を寄せて、厳しい表情をする。
「ナナシ達を討てと?」
「勘違いするな。上手く立ち回れと、言っておる。戦闘の際には、お主の判断に任せる。場合によってはペリクレスに合流してもかまわん」




