第137話 恋は殲滅戦(前編)
今回も少し長くなりそうなので、前後編に分けました。
後編は明日中(6/26)にはアップできるのではないかと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。
機動城砦サラトガ。
その中央を真っ直ぐに貫く大通り。
威勢の良い声を上げる商人達と、道端で噂話に興じるご婦人方、更には仕官先を求める傭兵風の男達などが入り混じり、雑多な人々で溢れかえるその道を、二人の人物が歩いている。
前を歩く一人は、この国の人間としてはかなりの色白で、神経質そうな顔立ち。
少し低めの鼻に、ちょこんと乗った鼻眼鏡が印象的な、サラトガの一等書記官キルヒハイムである。
そしてもう一人。
キルヒハイムの後ろをついて歩くその人物は、かなり人目を引いている。
この暑い最中に、蓬色のローブを頭からすっぽりと被っているという事もあるのだが、一番大きな要因は、その人物が先程からあまりにも濃い殺気を放ち続けている、という事にある。
折角、顔を隠しているというのに、その殺気のせいで台無し。
酷く悪目立ちしているのだ。
キルヒハイムは背後を振り返って、小さく肩を竦める。
「義妹殿、少し怯え過ぎでは? それではまるで、敵地にでも乗り込んだみたいじゃありませんか」
「あん? 怯えちゃいねぇよ。だが、オレにとっちゃあ、敵地には違い無えだろうが、此処はよぉ」
物言いこそ男の様ではあったが、その声は紛れも無く少女のソレ。
フードの奥に隠れているのは、いかにも気の強そうな顔立ち。
深い褐色の肌に、肉食獣を思わせる雰囲気を纏う、男勝りな少女。
彼女の名はクルル。
戦争狂の二つ名を持つ、危険極まりない少女であった。
「実の姉を尋ねるだけだと言うのに、大袈裟なことを言いますね。まさか、そのローブの下に迎撃甲冑なんか、持ち込んでたりしないでしょうね?」
キルヒハイムの疑わしげな視線をクルルは鼻で笑う。
「安心しな。寸鉄も帯びちゃいねえよ。テメェがもしオレの事を殺りたいんなら、今が好機だぞ。但し、最低でも百人は道連れにしてやるから、それ以上の頭数は揃えろよ」
「別に殺りたくはありませんよ。あなたの目に映ってる世界は、どれだけ殺伐としてるんですか……」
キルヒハイムが竦めていた肩を、更に小さく竦めてそう呟くと、クルルは口を尖らせて、「うるせぇ」と毒づいた。
丁度その時の事だ。
人混みの中を縫うように走り回っていた子供達が、怖いもの知らずにも、誂う様に声を上げながら、クルルの脇と股下をすり抜けて行く。
慌てたのはキルヒハイム。
クルルが反射的に、子供達をブチのめしはしないかと身構えるも、意外にも彼女の口元に僅かに笑みが浮かんでいるのを見て、ホッと息を吐いた。
「賑わってやがんなぁ、此処は」
「そりゃそうです。サラトガは自由ですから」
そう言いながら、キルヒハイムが走り去っていく子どもたちの姿に目を細めると、クルルは不愉快げに、口元を歪める。
「まるでメルクリウスに、自由は無ぇとでも言いたげな物言いだな」
「少なくとも、私がいた頃のメルクリウスには、自由は無かったですねぇ」
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。自由ならちゃんと与えてやってんだろうがよ」
「奪った物の一部を返すことを、与えると称するのはいかがなものでしょうかね? 義妹殿」
キルヒハイムがそう言った途端、クルルは弾かれた様に詰め寄ると、彼の胸元を捩り上げ、眦を釣り上げながら歪めた顔を突きつける。
「……うるせえよ左巻き。ブッ殺されてぇか? 馬鹿どもに使いこなせねえもん持たせても、毒にしかならねえんだよ」
クルルが押し殺した様な声を震わせると、キルヒハイムは一瞬、何か言いたげな表情を浮かべた後、静かに目を閉じた。
その後、二人は互いに話しかけることもせず、サラトガ城の二ブロック程手前を左側へと曲がり、大きな公園の脇を通り抜けると、先程までの喧騒が嘘のように、閑静な区域に出た。
比較的裕福な者達が住まう区域らしく、立ち並ぶ家屋もそれなりに、大きな物が多いようだ。
クルルが、振り返りもせずに、さっさと歩いて行くキルヒハイムの後をついていくと、やがてその一画の中でも、比較的大きな庭付きの屋敷が見えてくる。
「アレだな」
クルルが、それを目的地だと判断したのには訳がある。
平屋根が多いサラトガに於いて、その建物だけが、異質な鋭角の屋根。
そして、その鋭角の屋根はメルクリウスの標準的な建築様式であった。
「ハッ、なんだかんだ言っても、テメエも故郷が恋しいみた…………」
「まあ、遠ざかって見てみれば、どんな汚物でもそれなり見れるという事です」
クルルの言葉を遮る様に、キルヒハイムが吐き捨てる。
一瞬、ポカンと口を開けた後、クルルは憮然とした表情で、キルヒハイムを睨み付けた。
「ただいま戻りましたよ」
キルヒハイムは足早に門をくぐり、玄関の扉を開くと、家の中へと呼びかける。
途端に家の奥の方から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「アナタァ~! おかえりなさーーーーーい!」
玄関ホールの吹き抜けに響き渡る程の大きな声を上げながら、小柄な女性が走り出てくる。
年の頃は二十代後半、比較的濃い褐色の肌に黒い髪、おっとりとした優しげな雰囲気を纏った女性。
それが白いワンピースをはためかせながら、異常な程の跳躍力でキルヒハイムへと飛びつくと、その体にしがみ付いたまま、問答無用で彼の頬へと口づけの雨を降らせる。
「ははっ、どうしたんだい、寂しかったのかい?」
「うん、寂しかったのぉ!」
互いの事を愛おしげに見つめ合う二人。
甘ったるい空気が一気に周囲に充満して、いつの間にか二人だけの淡いピンクの世界を作り上げている。
……なんだコレ。
玄関先でクルルが虚ろな目をしていようとも、二人はお構い無しであった。
そんな最中、
「お帰りなさいませ、旦那様、今日はお早いんですのね」
と、そんな空気を気にもかける様子もなく、奥の方からもう一人、女性が歩み寄ってくる。
髪をアップで纏めた、怜悧な雰囲気を纏った女性。
キルヒハイムは、彼女の方へと向き直ると優しく微笑んだ。
「ああ、テスラ。ただいま」
個々の人格には随分と隔たりがあるが、この二人の女性は共にキルヒハイムの妻。
名をクリステンセンとテスラという。
「クリス、テスラ。君達にお客さんですよ」
「おきゃくさん?」
「お客様……ですか?」
そう言って、二人が扉の外に立っている人物へと目を向けると、キルヒハイムにしがみ付いたままのクリステンセンが、「まぁ!」と驚きの声を上げる。
「まぁ! まぁ! クルルん、久しぶり~!」
「お久し振りです。姉上」
クリステンセンはクルルの実姉である。
クルルが緊張した面持ちで頭を下げると、彼女は嬉しそうに、ばさばさと手を振りまわす。但し、キルヒハイムから離れようという素振りは、これっぽっちも見せなかった。
「クルル様、よくお越しくださいました」
「テスラか、お前も変わりない様で何よりだ」
一方クルルとテスラとのやりとりは、互いに余りにも表面的なものであった。
互いに、何ら感情は籠ってはいない。
それもそのはず、テスラは元々はクリステンセン付きの侍女である。
クルルからしてみれば、謙らねばならない理由は、これっぽっちもない。
「でえ、でえ、クルルん、急にどうしたのかなぁ?」
興味津々といった様子で、クリステンセンはクルルへと話しかけてくるが、クルルは目のやり場に困って俯く。
「姉上……その、少し人目を憚られた方が……」
というのも相変わらずクリステンセンは、キルヒハイムにピタリとしがみついたまま、それどころか今も、キルヒハイムの首に手を回し、ピタリと頬をくっつけている。
身内がイチャイチャしている姿はあまり見たいものではない。
「え? なんで、なんで? いつもどおりよね、アナタ」
「ああ……そうだね」
きょとんとした表情を向ける姉。
すこし困った様な表情をしているあたり、キルヒハイムの方は普通だとは思っていないのだろう。
「クルルんにも、そのうち分かるわよぉ、愛し合う者同士って、ずっとくっついていたいものなんだから」
姉の何気ないその言葉に、クルルの体がピクリと跳ねる。
そんなクルルの様子を不思議そうに眺める姉へと、クルルは真剣な表情で言った。
「その愛し合うという事について、姉上に教えを乞いに参ったのです」




