第89.6話 剣姫様、はじめてのおつかい(後編)
いつも機動城砦サラトガをご愛読いただき、誠にありがとうございます。
今回は幕間話の後編です。
読み飛ばしていただいても、本編には全く影響がありません。
よろしくお願いします。
「これで、どこから見ても家政婦にしか見えませんね」
剣姫が、くるりとその場で一回転すると、スカートの裾が華の様に広がって、銀色の髪の上で、ヘッドドレスが揺れる。
「剣姫……」
「剣姫様……」
マレーネとトリシアが、ウンザリしたような目を向ける。
やがて、マレーネがトリシアに向かって顎をしゃくると、彼女は溜息交じりに、口を開いた。
「とりあえず、その剣は置いて行ってくださいね」
「ええっ!?」
「いや、あたりまえでしょう……」
この剣姫には『変装』の意味を、一から言って聞かせる必要があるのだろうか?
幾ら家政婦服を着ていようが、そんな存在感満点の大剣を背負っていては、全く意味が無い。
「いや……しかし、これが無いと……」
「ダメ」
「ダメです。旦那様のご期待を裏切るつもりですか? と、仰られています」
「うっ……わかった、わかりましたよッ!」
剣姫は渋々、背中から『銀嶺』を降ろすと、部屋の隅へと立てかける。
割と無造作に扱っている様に見えるが、こと霊剣については、どこに置いておこうが、奪われる心配をする必要がない。
霊剣は自身が認めた人間以外には、触られることさえ拒否する。
もし触れればどうなるか、それは子供でも知っていることだ。
問題は剣姫の方。
霊剣を所持しない状態ならば、剣姫は、少しばかり石化魔法が得意な、只の三流魔法使いでしかない。
これまでに多くの戦闘経験を積んで来たお陰で、格闘になって、大の男が束になってかかってきたとしても、そうそう負けることはないだろう。だが、普段のレベルを思えば、あくまで人類の範疇でしかない。
「じゃあ、行ってきますけど、くれぐれも私が帰るまでは、主様には近づかないように!」
「約束する」
扉を押し開けながら、剣姫がマレーネへと言い聞かせると、マレーネは素直に頷いた。
ぱたん。
扉が閉じると、部屋に静寂が訪れた。
「成功」
マレーネがそう呟き、二人は顔を見合わせて、ニヤリと笑う。
そして、二人が目を向けた先、そこには霊剣『銀嶺』があった。
◇◆ ◇◆
城を出て、商店街の方へと中央大通りを下りながら、剣姫は眉根を寄せる。
「ううっ、落ち着かない……」
剣姫は、たかが街中へと繰り出すだけだと、自分に言い聞かせる。
ただ、自分の手の届く範囲に霊剣が無い状態など、霊剣と出会って以来、一度も無かった事なので、不安で仕方がないのだ。
剣姫が今から向かおうとしているのは、商店街の外れにある小さな店。
一般に、ペリクレスの名物と言えば、真っ先に名が上がるのが『ギャズ』である。
砕いたピスタチオを、ローズウォーターとタマリスクの木の樹液で練り込んでつくるクッキーなのだが、もちろん店によって、大きく味が異なる。
剣姫自身はまだ食べたことは無いが、商店街のその店の『ギャズ』は絶品と噂で、いつも長い行列が出来ている。
マレーネによると、ミオの大好物だという事らしいので、お土産としては言う事は無いだろう。
不安げにあたりを見回しながら、おっかなびっくり中腰で歩く、銀髪の家政婦の姿は、明らかに悪目立ちしていたが、ともかく剣姫は商店街へと辿り着いた。
午前中ということもあって、人通りはそれほど多くは無い。
剣姫が、店先を軽く覗きながら歩いていると、屋台の一つに、若い女性達が群がっているのが見えた。
それは剣帝ナナシのグッズを取り扱う屋台。
マレーネ公認の所謂、オフィシャルショップであった。
若い女性達がキャーキャーと騒ぎながら、ナナシグッズを漁っている姿、それを眺めながら剣姫は、優越感と嫉妬心と独占欲の入り混じった、複雑な気分になる。
つまり、ナナシが認められるのは嬉しいが、自分だけのナナシで居ても欲しいという二律背反な感情である。
通りすがりにつま先立ちで、屋台の商品を覗きこむと、ナナシクッキーやナナシ人形、レプリカフードマントなどが店先に並んでいるのを見て、足を止める。
剣姫は考える。
ミオはともかくアージュやキリエは、まず間違いなくギャズよりもナナシクッキーの方が喜ぶだろう。
ヘルトルードは……どうだろう。
喜びそうな気もするが、あくまで玉の輿狙いと言い張って、主様の事を特別好きという雰囲気も出さないので、判断に困る。
ミオと、シュメルヴィやメシュメンディ達には、普通にギャズでいいのだろう。
そんなことを考えていると、剣姫の肩をトントンと叩くものがあった。
振り向けば、髭面の商人風のおっさんが、満面の笑みを湛えている。
「お嬢さん、良い出物があるんですがね」
「出物?」
「そうです。剣帝様のグッズなんですがね。非公認なんで、ちょっとおおっぴらには出せないんですが、スゴいですよぉ。ちょっと裏通りに見に来ませんか?」
裏通りに来い。
あまりにも怪しいが、それ以上に気になるのは、『スゴい』という一言。
剣姫は男を観察する。
腕の筋肉の付き具合を見ても、戦う者のそれではない。
『銀嶺』を持たない今の剣姫でも、いざとなれば十分に制圧できるだろう。
そこから店と店の間の路地を通って、数分。
どこか大きな店の裏口の前で、男は立ち止まる。
男は裏口の扉を開けると、奥から一枚の布の様なものを取り出した。
「お嬢さん、コレなんですがね」
男が見せつける様にその布を広げると、剣姫は目を見開く。
「こ、これは……!?」
そこには、『恥らう様な表情で、悩ましげに親指を咥えて横たわるナナシの全身像』が、精巧に描かれていた。
所謂、抱き枕カバーである。
なんという逸品。
しかし、その想いを押し殺して、剣姫は敢えて素っ気ないフリをする。
「……ほう、これはなかなか、良い仕事をしますね」
「わかりますか?」
「当然です。あるじ……剣帝様については、私が一番良く知っています」
自慢げに胸を反らす剣姫。
彼女のその反応に気を良くしたのか、男は笑顔で付け加える。
「ちなみ、これを買っていくのは、八割がた男性です」
「なん……だと……!?」
驚愕に剣姫が顔を歪めると、男はより機嫌よさげに、後ろ手に隠していたもう一枚の布を、剣姫の眼前に掲げる。
「お嬢さんにお見せしたいのは、実はこっちの方なんです。今見ていただいた抱き枕カバーが、あんまりにも良く売れるので、改良を加えたものなんですが……」
男がはらりとそれを広げた瞬間、剣姫は、
「はふぅん!」
と、おかしな溜息を洩らした。
其処に描かれていたのは、先程の抱き枕の改良型。
『恥らう様な表情で、悩ましげに親指を咥えて横たわる半裸の全身像』
「どうですッ!」
「はふぅん……」
顔を赤らめながら、再びおかしな溜息を吐く剣姫。
男は満足げにその様子を見やりながら、そっと囁きかける。
「これをご購入いただければ……同衾エブリナイですぜ」
「……ゴクリ」
熱に冒されたような目つきで、食い入る様に、『半裸抱き枕』を眺める剣姫。
しかし、その視点がある一点に到ったところで、溜息をついて、小さく肩を竦めた。
「分かってない。店主……あなたは分かっていませんね。これだから俄かは……」
急に見下すような態度になった剣姫に、店主は非難めいた声をあげる。
「言いがかりはよしてくださいよ。どっから見ても完璧でしょうに!」
「完璧? ふっ……」
鼻で笑う剣姫を、男は睨み付ける。
「そうやって値切ろうって腹なんでしょうが、そうはいきませんよ! これのどこに問題があるってんです」
「それは……」
剣姫は男の眼前に指を突きつけると、大きな声を出した。
「乳首です!」
唯でさえ人気の無い裏通りに、痛いほどの静寂が舞い降りる。
恐ろしく微妙な空気が漂う中、遠くで犬の遠吠えが聞こえた。
「ち、ちく……?」
困惑しきった表情の男。
勝ち誇る様に胸を反らす剣姫。
「そうです。ある……剣帝様の乳首の色は、もっと色が淡い!」
「いや、でもこれは、業界では標準的なチクビカラーで……」
「だからです」
戸惑う男を更に追い詰める様に、剣姫は口を開く。
「それは標準的なエスカリス・ミーミル人の『少年チクビカラー』なんでしょうけど、砂漠の民である剣帝様の『チクビカラー』は、もっと淡い。いうなれば春の色! 健気に咲く、雛菊のような『薄紅チクヴィ』なのです!」
男は驚愕の表情を浮かべて、がくりと膝から崩れ落ちる。
剣姫は満足げにその様子を見下ろすと、男の耳元へと囁く様に言った。
「まあ、貴方も素人にしては良くやっている方だと思いますよ。……どうです、なんなら私が監修してあげましょうか?」
「本当ですか!?」
思わず顔を上げる男。
「ええ、まずは色を直すのと、後、チクヴィの部分を擦ったら、バラの香りが漂うようにしましょう」
剣姫が完全に頭のおかしい事を口にした、その瞬間、
「そこまで!」
と、少女の声がした。
剣姫が慌てて振り向くと、そこに立っていたのは、トリシアと多くの剣闘奴隷を引き連れたマレーネ。
「聞かせてもらった」
「話は聞かせてもらった! 非公認グッズ製造及び販売の罪で逮捕する。と、仰っておられます」
そう、マレーネの狙いは、闇ルートの一斉摘発。
ナナシ程では無いにしろ、剣姫もペリクレスでは話題の人物である。
ナナシの試合に現れては、観客席から頭のおかしい応援をする謎の美女と巷で話題になっているところへマレーネは、ある噂を流しておいた。
あれは剣帝の熱烈なファン、一種のストーカーだと。
銀髪碧眼の剣姫が、幾ら家政婦服を着たところで、変装には成り得ない。
非公認グッズの闇商人達からみれば、確実に買ってくれるであろう優良顧客である。
鴨がネギしょって歩いて来たのに等しい。
接触してこない筈がないのだ。
言うなれば囮であった。
「確保」
「剣闘奴隷の皆さん、犯人を確保してください! と、仰られています!」
途端に、掴みかかってくる剣闘奴隷達に抗いながら、剣姫が恨めし気に声を上げる。
「だ……騙しましたねええええ!」
しかし、『銀嶺』を持たない剣姫など、屈強な剣闘奴隷達の敵ではない。
三人程を石化したあたりで捕えられ、たちまち簀巻きにされた。
ぎゃあぎゃあと喚く剣姫を、こ五月蝿げに見下ろすと、マレーネは、剣闘奴隷達に、牢獄へと放り込む様に指示し、遠ざかっていく剣姫の姿を眺めながら、満足そうに頷く。
「勝利」
「ええ、完全勝利です。ただ……」
「ただ?」
表情を曇らせるトリシアを、マレーネが怪訝そうに見上げる。
「剣姫様を解放した後、どんな復讐を受けるかまでは、考えていませんでした」
「あ……」
マレーネは、自分の顔から血の気が引いて行く音を聞いた。
尚、余談ではあるが、お土産は、後日他のメイドさんに買いに行ってもらった。
最初からそうすべきだった。




