第89.5話 剣姫様、はじめてのおつかい(前編)
いつも機動城砦サラトガをご愛読いただき、ありがとうございます。
この話は幕間話です。読み飛ばしていただいても本編には何ら影響ありません。
今晩中に書き上げたかったのですが、ちょっと間に合いそうにないので、
まずはキリのいいところまでを前編としてアップいたします。
「ダメ」
「ダメです! と、仰られています」
代弁家政婦のトリシアを引き連れたマレーネが、憮然とした表情で寝台に横たわるナナシを、見下ろしている。
「でも……変装していけば、大丈夫なんじゃないかなぁと……」
「ダメったらダメ」
「ダメったらダメなんじゃボケ! おとなしく寝てやがれこのヘゴイモ! と、仰られています」
「……そこまでは言ってない」
トリシアはマレーネの抗議の声を聞き流し、明後日の方向へと目を逸らす。
今さらながら、いつも通りの二人の様子に、ナナシは思わず苦笑した。
とはいえ、マレーネがここまで強硬に反対するのには、訳がある。
昨日、ナナシは剣姫と共に、サラトガで待つ者達へのお土産を買うために、街へと繰り出した。
本人達には自覚は無かった様だが、ナナシは、新たに誕生した剣帝であり、更にはマレーネとの婚約によって、次期ペリクレス伯と目される人物である。
唯でさえ、イグゾースト終了直後の浮ついた街中に、渦中の人物が現れたのだから、もう大変。
ナナシは、興奮した住民達にさんざん引っ張りまわされた挙句に、土産を買うどころか、口もきけない程に憔悴して、城へと戻って来たのだ。
マレーネが、ナナシの身を案じるのも、仕方がない事であった。
「いや、でもですね。礼儀の問題なんです。お世話になった方々に、お土産の一つも用意できないとか、そんな恩知らずな真似は……」
蛮族だの地虫だのと、世間から蔑まれる砂漠の民の口から、『礼儀』や『恩知らず』という言葉が、ポンポンと出てくることに呆れながら、マレーネはナナシの鼻先へと、指を突き付ける。
「だいたい」
「大体、主様が表を歩くだけで、大騒ぎになるんですから、少しは自重していただかないと困ります、あと添い寝します」
「トリシア、GJ」
次の瞬間、ノーモーションで、マレーネが毛布へと潜り込んでくる。
「うおぉぉぉおい! ちょっ! ちょっと待ってください!」
マレーネの頭を掌で押し返しながら、ナナシは思わず喚いた。
「騒がしい」
「騒がしくもなりますよ! いくら何でも脈絡なさすぎるでしょ!」
なんの前振りもなく、この連携プレー。
恐ろしいまでの、阿吽の呼吸である。
「……イヤ?」
マレーネが目を潤ませてナナシを上目使いに見上げる。
これはズルい。ナナシも男の子だ。
女の子に、そんな目で見つめられて強硬な態度をとれる筈がなかった。
「いや、あの、そこまでイヤと言う訳では……」
失言であった。
「お嬢様、イヤでは無いそうです」
「GJ」
途端に頭から、グイグイと毛布の中へと突っ込んでくるマレーネ。
「ちょ!? マレーネさん、ホントやめ……」
ナナシが慌てたその瞬間、貴賓室の扉が、勢い良く開く。
「そこまでですッ!」
貴賓室に凛とした声が響き渡る。
「何者だ!」
分かっているくせに、一応乗っかってみるトリシア。
「主様の純潔は、私のモノです!」
ヒドいセリフと共に登場したのは、ご存じ、銀嶺の剣姫であった。
思わず虚ろな目をするナナシに、気付いているのか、気付いていないのか、剣姫はマレーネの方へとツカツカと歩み寄ると、仁王立ちになって睨み付ける。
「マレーネ殿! 『第一婦人(仮)』の私を差し置いて、主様と同衾しようとは、いい度胸ではありませんか!」
「気のせい」
体半分、毛布の中に入った状態で、シラを切ろうというマレーネも、かなり図太かった。
睨み合う二人を眺めていたトリシアが突然、ポンと手を叩くと、「お嬢様、お耳を拝借」とマレーネの耳元へと顔を寄せる。
「名案、剣姫が行けばいい」
「サラトガの面々の事をよく知っている剣姫様が、若様の代わりにお土産を買いに行くのが良いのではないか。と、仰られています」
「なっ!? そうやって私を追い出そうという魂胆ですね。その手には乗りませんよ」
手をひらひらと振って、そっぽを向く剣姫。しかしマレーネはナナシの方へと向き直って口を開く
「旦那様もそう思うはず」
「そりゃ……助かりますけど」
その瞬間、剣姫の動きがピタリと止まる。
「……主様の為になるのですか?」
ナナシが「ええ」と頷くと、剣姫は蕩ける様な表情で溜息を吐いた。
そのままマレーネを押しのけてナナシの手を取り、瞳を輝かせる。
「主様、私にお任せください!」
「え、ええ、ありがとうございます」
剣姫は、たじろぐナナシへと熱い視線を送った後、マレーネへと向き直ると、
「但し、マレーネ殿にも、この部屋から出ていただきます」
と凄み、マレーネは「ちっ」と舌打ちした。
そんな二人の様子を、微笑ましげな表情で見ていたトリシアが、口を開く。
「では、剣姫様、お着替えをお願いします」
「お着替え?」
「左様でございます。若様ほどでは無いにしろ、剣姫様も話題の人には違いございません。変装していただく必要がございます。家政婦服に予備がございますので、そちらをお使いください。ではこちらへ」
そう言ってトリシアは、剣姫を扉の方へと追い立てると、寝台に半分身体を突っ込んだままのマレーネの首根っこを掴み、「お嬢様もです」と引き摺って出て行った。
ナナシは呆然とそれを見送って、ハタと我に返ると、慌てて扉の鍵を掛けた。




