第135話 処刑台に嗤う少女達
精霊石板の中には、城壁の上に横たわる、ナナシとミリアの姿が映し出されている。
あれだけの修羅場を潜り抜けてきた直後だというのに、こうして見るとナナシのその寝顔は、どこかあどけない。
マレーネは、ホッと息を吐く。
少なくともナナシは、生きて帰ってきた。
彼が救う事を望んだものを、取りこぼすことなく、掴み取って帰還した。
それだけに取りこぼしてしまったものが、マレーネの心にずしりと圧し掛かってくる。拾えなかった命があるのだ。
「……トリシア」
マレーネの表情に乏しい顔が、わずかに歪む。
項垂れていくマレーネを見つめながら、シュメルヴィが静かに口を開いた。
「あなたが悪い訳じゃ無いわよぉ、だってアレの出現は、誰にも予測出来なかったんですものぉ、そうでしょぉ?」
「……見捨てる、そう決めたのは私」
俯いたままのマレーネの瞳から、ぽたりと一滴の涙。
重苦しい空気が艦橋に流れ、静寂の中、乗員達の間からも、鼻を啜る音が響く。
どう考えても湿っぽいのは苦手であろうヘルトルードが、居心地悪そうに肩を竦め、シュメルヴィが痛ましげに、マレーネの肩へと手を掛ける。
マレーネは、しゃくり上げる様な吐息とともに、震える声で呟いた。
「……安らかに眠れ」
その瞬間、艦橋の入口あたりから、少し困ったような声音が響く。
「あのぉ……勝手に殺さないでいただきたいのですけど」
「え゛?」
一斉に声のする方へと目を向けて、マレーネは思わず飛び上がった。
「トリシあぁ!?」
そこには、いつものメイド服姿で、少し申し訳なさげなトリシアの姿があった。
「ど、どうやって!」
「どうって……ペリクレスが突入して来てすぐ、下層の搬入口から戻りましたけど」
マレーネは弾かれる様にトリシアの方へ駆け寄ると、その腰へとしがみ付いて、ガシガシと顔をすりつける。
「死んだと思った」
「死ぬかとは思いましたけどね」
苦笑しながら、トリシアもマレーネを抱きしめて、彼女の髪を優しく撫でる。
その様子は、迷子の我がを見つけた母親の姿を思わせた。
「いやー、良かった。ホンマに良かったわ! めでたしめでたし、ハッピーエンドっちゅう奴や!」
いままで、よっぽど居心地が悪かったのだろう。
ヘルトルードが演技がかった調子で大きく声を張り上げると、艦橋乗員達の間からも笑顔が覗く。しかし、そこにシュメルヴィが水を差した。
「とりあえずハッピーかもしれないけどぉ、エンドでは無いわねぇ」
思わずムッとするヘルトルードに笑いかけながら、シュメルヴィは更に話を続ける。
「だって、まだ市街地も抜けて無いのよぉ、ここから砂漠に降りて、不可侵領域を抜けるまでに、追撃の一つもが無いと思う? アスモダイモスもそろそろ起動が終わってるだろうし、メルクリウスも戦闘狂を回収し終わってたら、襲ってくるかもしれないのよぉ?」
その言葉のせいで、艦橋に漂う空気が急速に冷えていくのがわかる。ただ、残念ながらそれは、紛れもない事実であった。
トリシアが、マレーネの顔を覗きこむ様にして尋ねる。
「そうですね、まずは無事に不可侵領域を脱出するのが先決ですけど、お嬢様、その後はどちらに?」
「……南」
その返答に、ヘルトルードが思わず苦笑する。
「南て……、えらいアバウトやなぁ。冷静に考えたら、ウチら完全無欠の反逆者や……大犯罪者やわ。たぶんあの【闇】の分の被害もウチらせいにされるやろうし、どこへ逃げるかっちゅうのは、結構重要やで」
「海」
「海?」
「プールでもびっくりしてた」
マレーネの言っている事がわからず、ヘルトルードが思わず眉根を寄せると、トリシアが口を開いた。
「旦那様に海を見せてあげたいの、プールでもあんなにびっくりしてたから。絶対によろこぶから……と、おっしゃっています」
「かーっ、乙女チックやなぁ、海て! この状況で海て!」
ヘルトルードが揶揄する様にそう言う隣りで、シュメルヴィは少し考え込む様な素振りを見せる。
「……でもぉ、悪くは無いかもぉ」
「何がやねんな」
「試したことはないけどぉ、機動城砦って少し浮いてる訳じゃない?」
「それがどうしたっちゅうねん」
「だからぁ、越えられるんじゃないかなって……海」
「海を越えるやて!? で、それからどうすんねんな?」
「南の島でバカンス……かなぁ?」
ヘルトルードが思わず、何か変な物を食べた様な表情になったその瞬間、艦橋乗員の一人が声を上げた。
「大変です! 何者かが若様に接近しています!」
艦橋に、俄かに緊張が走る。
冷静に考えれば、メルクリウスから飛来した断罪部隊の殲滅を確認した訳ではない。この大騒動の中、ペリクレスのどこかに潜んでいたとしても、何もおかしなことでは無いのだ。
「映して!」
「精霊石板に出します!」
再び、城壁に横たわるナナシの姿が映る。
そこに画面の外から、もぞもぞとナナシの傍へと、這い寄っていく影が映る。
手足の無い虫のような気持ちの悪い動きに一瞬、艦橋の人間全員が凍り付いた。
そして、その影の正体が明らかになると…………、
シュメルヴィは苦笑し、マレーネは「うー」と小さく唸り、トリシアは大きく溜息を吐いて、ヘルトルードは頭を抱えた。
画面に映った影の正体……それは銀嶺の剣姫。
医務室に放りこんだ筈の剣姫が、包帯塗れの脚を引き摺りながら、ナナシの傍へと這い寄っていく。
そして、ナナシの左側で眠っているミリアをじろりと睨み付けた後、そのままナナシの右側に陣取ると、ナナシの腕の位置を丁寧に調整して、それを枕に寝そべったのだ。
もちろん剣姫は精霊石板に映し出されている事など、気付いてはいない。
眠りこけているナナシの胸に、それこそ摩擦で火が出るのではないかと思うほど頬ずりしては、「えへへ」とだらしなくニヤけている。
筆舌に尽くし難い空気が艦橋に漂う中、シュメルヴィとトリシアの口から思わず言葉が零れ落ちる。
「……痴女ですね」
「……痴女だわぁ」
しかし二人とは違い、これまで剣姫のライバルを名乗ってきたヘルトルードとしては、あの姿をみせられるのは、非常にキツイものがある。
「あんの色ボケぇ……」
苦虫を噛み潰したような表情のヘルトルード。
それを宥めるように、その肩をシュメルヴィが叩く。
「……トリシア」
「まさか……お嬢様も行きたいんですか?」
マレーネはこくりと頷いた。
「はぁ……じゃあ、何かあったらすぐ戻ってきてください。いいですね」
トリシアが溜息交じりにそう言った途端、マレーネはパタパタと小走りに艦橋を出て行く。
「で、ヘルちゃんは良いのぉ? 行かなくて」
「ま、まあ……ウチは只の『玉の輿』狙いやしな。そんなに執着あれへんで、ウチは」
「まぁ、ドライねぇ……」
シュメルヴィが少し意外そうに唇を突きだすと、ヘルトルードは途端にそわそわし始めた。
「……っていうても、青いのに負けんのは、なんか癪やからなぁ……ちょっと行ってくるわ、気は進まんけどな!」
気が進まないという雰囲気を醸し出しながら、艦橋を出て行くヘルトルード。
しかし、彼女が艦橋を出て行ってすぐ、廊下をパタパタと慌ただしい足音が遠ざかっていく音が聞こえると、シュメルヴィとトリシアは思わず噴き出した。
「素直じゃないですね」
「ほんとにねぇ」
◇◆ ◇◆
あれほど響き渡っていた人々の悲鳴が、まるでどこか遠くの世界の出来事であったかの様に、静まり返っている。
生ぬるい風。
立ち込める暗雲が、真っ黒に染まった巨大な建造物の上に、影を落とす。
崩れ落ち、一角が欠けた闘技場。
その巨大な建造物の表面を見れば、そこに張り付いた【闇】が、まるで生物の内臓の様に、小刻みに蠕動しているのが分かる。
「にゃはは、決まりだね」
「間違いないにょ」
「……」
痛いほどの静寂を破ったのは、幼い子供達の声。
いつの間にか三人の幼女達が、張り出し舞台のすぐ上に浮かんでいる。
髪とリボンの色を除けば、ほぼ同じ顔をした三人の幼女。
パフスリーブが可愛らしい純白のドレスが、周囲を満たしている【闇】の中で、浮かび上がって見える。
幼女達はゆっくりと高度を下げ、張り出し舞台の上へと舞い降りる。
幼女達が降りてくると、【闇】は彼女達を恐れるかのように、ザワザワと蠢きながら、その周囲をぽっかりと空けた。
幼女達が降り立ったのは、処刑台の上。
置き去りにされた木製の首枷の上に並んで腰掛けると、彼女達は崩れ落ちた裂け目越しに、遠ざかっていく機動城砦ペリクレスの姿を眺める。
「滅びゆく運命を歪めてるのは、あの小僧なんだにょ」
「にゃはははは、まさかアレの生まれ変わりだとか、言わないよね」
「ハァ……マーネは本当に賢い」
「なにをぅ!」
サーネが呆れた様に肩を竦めると、マーネがいきり立った。
それを押しとどめる様にイーネが、マーネの肩にその小さな手を置く。
「サーネの言う通りにょ、マーネはやっぱりバカなんだにょ」
「イーネまでぇ! そこフォローするところじゃないのー」
「だって、そもそも死んでも無い者が、生まれ変わる訳無いんだにょ」
マーネは一瞬きょとんとした表情になった後、声を上げて笑った。
「……にゃははは、そうか、そうだよねぇ」
マーネが頭の後ろで指を組んで、納得したとでも言う様に頷くと、そのマーネの肩をサーネが指先で、ちょんちょんとつついた。
「ん? どしたの?」
「あそこ、まだ大丈夫」
「あやや、ホントだぁ、もう消え始めてるや」
サーネが指さした先、闘技場の東側の一角あたりで、あれほど濃厚だった闇がゆっくりと薄れ始めているのが見えた。
「記憶だけで造った複製品だもの、まぁ、こんなもんだにょ」
イーネが当然のようにそう言うと、まるで許しを得たかの様に【闇】は、加速度的に薄れていく。
その光景はまるで朝を迎える大地の様。
ベールが引き剥がされていく様に闇が薄れ、その下に隠されていた物が色彩を取り戻していく。
しかし、色彩を取り戻した途端、それは粉々に崩れはじめた。
石壁、楯、そして人間、それらが砂粒になって風に吹かれて宙を舞う。
巨大な建造物がまるで大瀑布のように音を立てて、砂を撒き散らし、崩壊していく様を尻目にマーネは尋ねる。
「で、どうすんのさ? ちょっかい掛けてみる?」
「うーうん」
イーネは大きく首を振る。
「次の嵐がそこまで来てるんだにょ。放っておいても、あの小僧は、勝手に首を突っ込んでくるにょ」
マーネはにんまりと笑うと、楽しみで仕方が無いと言った様子で口を開く。
「前と同じくらい、命の輝きが見れるのかな?」
既に、彼女達がいる張り出し舞台も崩壊が始まっている。
しかし、幼女達に慌てる様子はない。
イーネは小さく溜息を吐く。
「だから、マーネはバカなんだにょ」
「イーネひどい! またバカって言ったぁ!?」
「今は大地に人の子が溢れているんだにょ。前とは比べ物にならないぐらいのものが、見れる筈なんだにょ」
再び、マーネはきょとんとした表情を浮かべた後、納得したという様に相好を崩す。
「あ、そっか……そうだよね」
「そうなんだにょ」
「ふふっ……」
「「「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふっ……ひゃはははははははははははははははははははは」」」
サーネが嗤い始めたのを皮切りに、幼女達は一斉に嗤いはじめる。
崩壊していく砂音に混じって響き渡る幼女達の嗤い声。
やがて闘技場のあった場所が、巨大な砂山となった頃、どさりと音がして、彼女達が腰かけていた木製の首枷が砂の上に落ちた。
幼女達の姿は、もうどこにも見当たらない。
ただ木製の首枷だけが、砂場に置き忘れられた玩具の様に、その場に取り残された。
◇◆ ◇◆
「ところでシュメルヴィ様、あの【闇】は何だったんでしょう」
マレーネ達が艦橋を出てしばらく経った後、艦橋乗員達にひとしきりの指示を与え終え、トリシアはシュメルヴィへと問いかけた。
「んー、わかんないわぁ」
「シュメルヴィ様でも分かりませんか?」
「そうね。見たことも聞いたことも無いわぁ。本音を言えばぁ、今すぐにでもストラスブルの図書館に籠って調査をはじめたいぐらいよぉ」
トリシアが思わず苦笑すると、シュメルヴィは唐突に話題を変える。
「追撃、来ると思う?」
「来るんじゃないでしょうか……まともに動ける機動城砦というと、アスモダイモスとヴェルギリウスぐらいですけど」
「ヴェルギリウスは起動する様子は無かったけどぉ……アスモダイモスは来るでしょうねぇ」
そう言いながらシュメルヴィは、精霊石板の方へと目を向ける。
「じゃあもうすこしだけ、好きにさせてあげましょうか」
「半刻ぐらいですけどね」
シュメルヴィとトリシア、二人が見つめる精霊石板の向こう側には、少年の身体を枕に、寄り集まって静かに眠る少女達の姿があった。
これにて第四章完結です。
ここまでお読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。
いくつか幕間話を挟んで、第五章に入っていきます。
引き続き、機動城砦サラトガを何卒、よろしくお願いします。




