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第132話 責任とってよね 

 永きに渡って誰も通る事の無かった地下道。

 造りばかりが豪奢なその白亜の隘路(あいろ)(ほこり)を巻き上げて男が一人、駆け抜けていく。


 一足(ひとあし)ごとに腹の肉が震えるだらしない身体つきからは、想像もつかない程のスピード。

 しかしそれでもまだ足りぬとばかりに、男は倒れこみそうな程の前傾姿勢をとると短い手足をバタつかせて四足(よつあし)の獣の様に走り始める。


 狼人間(ヴォルフゾアン)かと見紛わんばかりの疾走の末に、やがて男は長い地下道の果て、分厚い鉄の扉の前へと辿り着く。

 

 ――さあ、獲物はその向こうだにょ。


 頭の奥へと直接流れ込んでくる幼い少女の声。

 それに突き動かされて、男は身体ごと扉へとぶつかっていった。


  ◆◇  ◆◇  ◆◇ 


 斧を振り上げる処刑役人、その足元に(ひざまず)いているのがミリアである事に気づいたその瞬間、ナナシは焦り、そして狼狽(うろた)えた。


 そして、


「ナナちゃあぁぁぁぁん!」


 ミリアの潤んだ絶叫が耳朶を打ち、その叫びが自分の名である事にナナシの全身の血が沸騰する。


 そこからのコンマ数秒。

 そのわずかな時間に起こった出来事については、ナナシ自身にも判然としない。

 気が付いた時にはナナシは雄叫びを上げながら、砂を裂く者(サンドスプレッダー)ごと処刑役人へと突っ込んでいた。


 まず鉛板、次にブーツの底。

 それらを順に伝って、生身の人間の弾力がぞわりと脚を這い上ってくる。


「うおぉぉぉぉぉおお!」


 普段のナナシからは考えられない様な野蛮な雄叫びを上げながら、砂を裂く者(サンドスプレッダー)の底で処刑役人を薙ぎ倒す。


 顔面を強かに打ち据えられて、ふんぞり返るような体勢で石畳を転がる処刑役人。取り落した斧が金属音を立てて床に跳ねると、そのまま張り出し舞台の端から落ちていく。


 しかしナナシ自身も無事では済まない。

 勢いのままに投げ出され、地面を二度三度と弾んだ末に、必死に両腕で頭を庇いながら壁に激突。主を失った砂を裂く者(サンドスプレッダー)も側転する様な軌道を描いて、壁面に蜘蛛の巣の様なひびを刻み付けた。


 身体中がバラバラになりそうな程の衝撃、削れた石畳が砂塵(さじん)となってナナシの上へと降り注ぐ。


 だが、痛がっている場合ではない。

 ナナシは(うめ)きを上げながら身を起こすと、眼を細めて舞台の上を見回す。


 ――間に合ったのか? 


 張り出し舞台の端、観客席に向いて設置された木製の首枷。

 その前で(ひざまず)くミリアの背中が、目に留まる。

 舞台奥にまで突っ込んだナナシの位置からでは、首枷の向こう側のミリアの顔は見えない。


 ――まさか……。


 そんな筈は無い。斧は振り下ろされていない。

 心臓が激しく拍動し、背中に冷たい汗が吹き出す。


「ナナちゃん……」


 微かな声が聞こえた。


「ミリアさん!」


 ナナシは擦り傷だらけの身体を叱り付ける様にして立ち上がると、ミリアの方へと駆け寄った。


「ナナちゃん……、ナナちゃあん」


 繰り返し自分の名を呼ぶ弱弱しい声、ナナシを見上げる涙にぬれた顔。(もつ)れ、乱れた髪。薄汚れた白い貫頭衣(かんとうい)を着せられて首枷に繋がれた哀れな姿。


 あらためてミリアのその姿を目にした途端、ナナシの中で言いようも無い複雑な感情が渦巻き、思わず唇を噛みしめる。

『怒り』と呼ぶには『嫌悪』の感情が大きすぎる。

 強いて言うならば『憎悪』に限りなく近い。


 処刑役人のうち一人は既に床の上で虫の息。

 ナナシはまるで負の感情のやり場を探すかの様に、舞台の上を見回してもう一人の処刑役人に目を留める。

 呆然と立ち尽くしていたその男は、ナナシの視線にビクリと身体を跳ねさせて我に返ると、慌てて腰の剣を引き抜いた。


「何なんだ?! ちくしょう!」


 ナナシは答えない。ただ男の事を真っ直ぐに見据える。


 機動城砦が突っ込んでくるという天変地異にも等しい出来事に続いて、何の脈絡も無く突然現れて、同僚を弾き飛ばした少年を前に、男はすっかり取り乱していた。


「寄るな! 寄るんじゃない! 来るなァ!」


 じりじりと後ずさる処刑役人。

 ナナシは警戒する様子もなく、ツカツカと歩み寄っていく。


「寄るなって言ってるだろぉがああああ!」


 無言で近づいて来る得体の知れない少年の不気味さに、耐えられなくなったのだろう。

 処刑役人は顔を引き攣らせながら、出鱈目に剣を振り回して飛び掛かってくる。

 袈裟懸けに振り下ろされたその一撃をあっさりと(かわ)すと、ナナシはすれ違い様に男の脇腹目掛けて膝蹴り一閃。


「ぐへぇ……」


 くぐもった呻きを洩らして剣を取り落し、処刑役人は眼球を裏返らせて崩れ落ちた。


 舞台上が静かになると、他の音がナナシの耳へと飛び込んでくる。

 階下のアリーナの方からは逃げ惑う人達の悲鳴と(わめ)き声が響き渡り、舞台から階下へと降りるための階段その奥からは、押し合いながら逃げていく僧侶達の乱れに乱れた足音と怒鳴り声が聞こえてくる。


 ナナシは再び張出し舞台の一番端、ミリアの方へと歩み寄ると、もどかしげに木製の首枷、その留め金を外して彼女を助け起こした。


「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


 ナナシが心配げに顔を覗き込むと、眼に一杯の涙を溜めながらミリアはナナシを睨みつけた。


「バカぁ! ナナちゃんのバカぁ! なんて事するんだよ!」


 予想外のミリアの罵倒に、ナナシは思わず目を丸くする。


「な、なんて事って……?」


「せっかく覚悟したのに……。それでみんな元通りだったのに!」


「元通り!? ミリアさんが死んで、それを元通りだっていうんですか?」


 流石にそれは聞き捨てならない。


 ナナシは思わずミリアの肩を掴み、目を見据える。しかし、ミリアに怯む様子は無い。声を荒げ、より一層興奮気味にナナシへと詰め寄る。


「そうだよ! ボクのことは誰も覚えていない。最初から存在しない事になる筈だった! それで全て丸く収まる筈だったのに! なのに……、ナナちゃん、どうして……どうして思い出しちゃったんだよぅ」


 ミリアの言葉は徐々に弱々しく(しお)れ、涙の中へと沈んでいく。

 ナナシはそんなミリアの様子に言葉を失い、やがて静かに微笑んだ。


「……思い出した訳じゃないんです」


「じゃあ、何で……」


「忘れなかったんです」


 ミリアは小さく息を呑む。


「だから、ミリアさんのやり方じゃ元通りにはならないんです。僕がミリアさんの事を忘れないから。僕は……大切な人の事を忘れたりなんかしません」


 ミリアは大きく目を見開いたまま立ち尽くし、その頬を大粒の涙が伝う。

 何かを言おうとした途端、唇が震えて嗚咽(おえつ)が洩れる。

 ミリアはナナシの胸に顔を(うず)め、声を上げて泣いた。


  ◆◇  ◆◇  ◆◇ 


「あーあ、泣きすぎたせいで喉がカラカラ。このままじゃ干乾(ひから)びちゃいそうだよ」


 真赤な目を誤魔化す様にミリアはナナシに背を向ける。

 ミリアが泣いていたのは、ほんの数分間のこと、二人とはまるで係わり合いが無いかの様に階下では未だに激しい怒号と悲鳴が渦巻いている。


「ねぇナナちゃん」


「なんです?」


「さっきの事だけど……。ナナちゃんはボクの事を大切だと思ってくれてるってことだよ……ね?」 


「そうですよ」


 ナナシはモジモジと俯きがちに振り返るミリアに微笑みかける。


「だったら……」


 その途端、ミリアはふらりとナナシの方へと倒れ掛かってくる。

 慌ててナナシがその身体を受け止めたその時、ミリアの唇がナナシの唇に触れた。


 思わず目を見開いたまま硬直するナナシ。

 それは本当に短い時間、わずか数秒間の出来事。

 閉じた唇同士が遠慮がちに触れ合っただけの淡い口づけ。


 唇が離れた途端、ナナシはただ戸惑い、ミリアは感触を確かめる様に指先で自分の唇にふれると、頬を染めてナナシを上目使いに見る。


「……せ、責任とってよね」


「せ、責任?」


「助けた責任。お姉ちゃんだってミオ様だって、ボクのこと覚えてないんだから、サラトガには帰れないし、このまま逃げてもボク、どこにも行き場所無いんだもん」


 ナナシの胸に指先でモジモジと、円を描くミリア。

 ナナシは少し考える様な素振りを見せた後、力強く頷いた。


「わかりました!」


「本当!?」


「ええ、大丈夫です。ペリクレスでもミリアさんが不自由なく生活できる様に、マレーネさんにお願いしてみます」


「え? ちが……行き場所ってそういう意味じゃ」


「ペリクレスにはシュメルヴィさんも居ますし、サラトガの皆にミリアさんを思い出させる方法だって見つかるかもしれません。そうなればサラトガにだって帰れます!」


 ナナシはミリアを元気づけようと極めて明るく言ったつもりだったのだが、なぜか、ミリアはげっそりとした表情で大きな溜息を吐く。


「だから……そういうことじゃなくて……けっこ」


「結構?」


 言い淀むミリアをナナシは不思議そうな顔で眺める。

 どうやら、あの程度の言葉ではミリアの不安を、払拭できなかったらしい。


 ミリアが少し落ち着こうと大きく息を吸い込んだ、そのタイミングでナナシはミリアを安心させるべく言葉を重ねた。


「大丈夫です!()()()もミリアさんのことを覚えてるんですから」


 吸い込んだ息を吐くタイミングを失って、ミリアは盛大に(むせ)た。


「だ、大丈夫ですか?」


「この朴念仁! 唐変木! バカ! アホ! ボクの唇を返せ!」


「なんで罵倒されてるんです、僕?」


「わかんないの?」


 ナナシは不思議そうに首を捻る。


「わかりません」


 その一言に、ミリアは大きく溜息を吐くと


「ナナちゃんは、やっぱりナナちゃんだったよ……」


 と呆れる様にナナシには意味の分からない呟きを(こぼ)した。


「……まあいいや。今回はナナちゃんの初めての口づけ(ファーストキス)を奪ったってことで、満足しておいてあげる」


 ビクッ!!


 溜息交じりのミリアのその一言に、ナナシはあからさまに固まった。


「もしかしてナナちゃん、初めてじゃないとか?」


 じとっとした目で見つめるミリア。ナナシは宙空に目を泳がせる。


「ソ、ソンナコトナイデスヨー」


 ――怪しい。


 ミリアは片方の眉を吊り上げて、不審げにナナシへと詰め寄る。


「ナナちゃん、ボクの目をみてよ! なにか誤魔化そうとしてるでしょ?」


「べべべ、別に……」


 明らかに動揺しているナナシ。

 その頬を両手で挟み込んで、ミリアが問い詰める様に強引に目を合わせてきたその瞬間、階下へとつながる階段の奥から幾つもの悲鳴があがる。


「ミリアさん! 僕の後ろに!」


 ナナシは自分の頬を挟み込む手を払いのけると、力ずくでミリアを自分の背後へと押しやり、階段の方を鋭い目つきで見据える。


 階下からは悲鳴が響き続け、階段を駆け上がってくる幾つもの足音が毎秒ごとにどんどんと減っていく。

 やがて、先程まで階段に押し寄せていた僧侶達の一人が、血に塗れながら必死の形相で階段の奥から転がりでると、ナナシに向かって救いを求める様に手を伸ばした。


「ば、ばけものが……!」


 ナナシが駆け寄ろうとしたその瞬間、僧侶の背後、階段の奥から不気味な黒い腕が夕暮れ時の影の様に伸びてきて、僧侶を引き摺り倒した。


「ああっ、助けて! 助けてぇぇぇぇ!」


 僧侶は悲鳴を上げてのたうちまわりながら、階段の奥の方へと引き摺りこまれていく。


「ナ、ナナちゃん……」


 ミリアの不安げな声。

 何か恐ろしいものが来る。

 その予感にナナシは身体を強張らせ、階段の奥の暗闇を凝視する。

 ずるずると引き摺る様な音を立てながら、何かが階段を登ってくる。

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新作始めました!舞台はサラトガから数百年後、エスカリス・ミーミルの北、フロインベール。 『落ちこぼれ衛士見習いの少年。(実は)最強最悪の暗殺者。』 も、どうぞ、よろしくお願いいたします!
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