第130話 トルネード
振動がブーツの底を擽る。
パラパラと黄色い砂が降ってくる。
城壁の向こう側からは、メリメリと何かをなぎ倒す様な音が引っ切り無しに響いている。
ナナシが言葉を失って沈黙の時間が訪れると、周囲の音が騒がしく主張しはじめた。
「マリールーは自分自身の命だけで無く、一族郎党をあのメルクリウス伯のくだらない欲望の為に失っています。八つ裂きにしても飽き足らないのです」
相変わらず淡々としたトーンで、シュルツが先程のキサラギの言葉を補足する。
しかしその言葉は、ナナシにとっては何の意味も無い。
マリールーなどと言う、顔も良くわからない人間の事は今はどうでもいい。
ナナシの不安はキサラギにどんな変化が起こっているのか、そこなのだ。
もしクルルがナナシと一緒に、こちら側に落ちていたらどうなっていたのだろうか。
今頃、キサラギの手で八つ裂きにされていたのかもしれない。
そう考えてナナシは思わず身震いする。
そしてそれと同時に、当然疑問に思って然るべきことに、今更ながら気が付いた。
「そういえばシュルツさん、僕を助けたって聞きましたけど、どうやって? 僕は確か、すごい勢いで壁にぶつかって……」
「壁というのはコレの事ですか?」
そう言ってシュルツが指を鳴らすと、地面に散らばっていた砂がゾワゾワと寄り集まりはじめ、唐突に隆起し始める。
ナナシが息を呑んだその一瞬のうちに、砂は人の形を形造っていく。
人型とは言っても箱を積み重ねた様な不格好の造形。
それはこれまでに幾度となく目にしてきた魔導の結晶の姿。
「サンドゴーレム!?」
「正確には違うのですが、まあ類似品みたいな物です。少年がぶつかったのはコイツの腹、ここにある砂の量ではそれほど大きなサイズにはできませんでしたが、少年を受け止めるぐらいの事は造作もありません」
シュルツはそれほど大きくは出来なかったと言ったが、それでもナナシの眼前に立っているサンドゴーレムは、10ザール以上もありそうに思えた。
ナナシが唖然としてそれを見上げていると、突然ガタガタとペリクレス全体が小刻みに揺れ、ナナシの心臓がビクリと跳ねる。
「おや、ペリクレスが速度を上げたようですね」
相変わらず淡々と呟くシュルツ。
それとほぼ同時に、長吹鳴の警報音がペリクレス全域にけたたましく鳴り響く。
マレーネとの事前の打ち合わせどおりならば、これは突入開始の合図だ。
「まずい、急がないと!」
ナナシはあらためて辺りを見回し、自分のいる場所を把握して愕然とする。
今の今までキサラギやサンドゴーレムに意識を向けていたせいで、気付きもしなかったが、サンドゴーレムのすぐ後ろに聳えたっているのはペリクレス城。
一度先端付近にまで到達していたというのに、これでは振出に戻ってしまった様なものだ。
「くそッ、こんなところまで戻されてたなんて!」
ペリクレスの突入と同時に、ナナシがミリアがいるはずの張り出し舞台へと踏み込む。言うなればそれが『作戦』の全てだ。
それが出来なければ、ペリクレスが突っ込んだ途端に、ミリアの奪還を阻止するために処刑が執行されかねない。
焦る気持ちを抑えつけて、ナナシは今度こそ冷静に留め金を外し、砂を裂く者を背から降ろして小脇に抱える。
砂を裂く者の速度ならば、今から全力で走れば間に合うかもしれない。
だが、ペリクレスの先頭部分に登るための梯子は、先程ナナシとともに吹っ飛ばされて、既にそこには存在しない。
内壁を攀じ登っていたのでは、とてもではないが間に合うはずがない。
何か……何か方法はないのか。
ナナシは思わず下唇を噛みしめる。
「アンちゃん。状況が良くわかってないんだけど、アンちゃんはペリクレスの一番前の方に行きたいんだよね?」
「ええ、ミリアさんが……。大事な友達が危ないんです。僕が助けに行かないと!」
「えーっ、また女の人ぉ……?」
キサラギはジトッとした目をナナシに向ける。
「いや、変な誤解しないでください。そんなのじゃないですからね」
「まあ良いや、私ももうこんな身体になっちゃったからね……」
相変わらずけたたましく鳴り響く警報。
舞い散る砂の中、キサラギは小さく肩を竦める。
「少し前までは、アンちゃんと一緒になって、たくさん驢馬を飼って、子供は5人ぐらい。つつましくても温かい家庭を築きたい、そんな夢見てたんだけどなぁ」
キサラギは淋しげに微笑むと、腰の後ろで手を組んでクルリと背を向ける。
「それももう無理になっちゃったから」
「キサラギ……」
ナナシがキサラギの肩へと腕を伸ばしかけた途端、彼女は唐突に振り向いた。
「だから、新しい夢を見ることにしたの!」
「新しい夢?」
「アンちゃんには、沢山の女の人との間に沢山子供を作ってもらって、私が甥っ子姪っ子牧場を作って、その子達を沢山愛でることにするんだ」
「はい?」
ナナシの脳が理解する事を拒絶するレベルの余りにも斜め上の発言。
困惑するナナシを他所に、キサラギは夢を見る様な視線を宙に浮かべる。
「かわいいだろうなぁ、アンちゃんの子供達。折角こんな身体になったんだもん、ゴーレムの身体がもつ間はいつまでも生きていられるらしいし、アンちゃんの子供たちが結婚して子供を産んで、その子達が子供を産んで、そのまた子供達が子供を産んでも、ずっとずっとずーっと、アンちゃんの面影を愛で続けられるんだよ」
「あ、あの、ねぇ……キサラギさん、アナタは何をおっしゃってるんでしょう?」
「アンちゃん! 私、がんばって素敵な叔母さんになるからね」
叔母さんという言葉に含まれるニュアンスがあまりにも不穏すぎる。
楽しそうなキサラギの笑顔の向こう側に渦巻く、狂気としか思えないものの存在にナナシはただただ絶句する。
そんなナナシの顔を不思議そうに覗きこんでキサラギは言った。
「どうしたの、種馬……じゃなくて、アンちゃん」
「お前今とんでもない事、口走ったよ!?」
おかしい、僕の義妹がこんなに猟奇的な筈がない。
こめかみに鈍い痛みを感じて、指で押さえながらナナシは言葉を絞り出す。
「キサラギ……悪いんだけど、ちょっとゴードンさんに代わってもらえる?」
「え、まあいいけど……」
一瞬不思議そうな顔をした後、キサラギが目を瞑るとふっと雰囲気が変わった。
「がははは、どうした兄者!」
その途端、ナナシは顔を歪めながら、ゴードンの胸倉を掴んで一気に詰め寄る。
「アンタか! アンタだろ! ウチの義妹におかしなことを吹き込んだのは!」
「ち、違うぞ兄者! 俺様は何も吹き込んでなどおらん!」
「いや、絶対アンタだ!」
「違うと言っておるではないか! キサラギ殿の兄者への愛情の深さは元々異常。はっきり言ってぶっこわ……!」
ゴードンがそこまで口走ったところで、彼の右腕が動いて勢いよく自分の口に握り拳を捩じり込んでいく。
「ぷはっ、や、やめろぉキサラギ殿ぉ! うぱっ! やめてくれ! 言わん、これ以上なにも言わんから!」
どうやら、キサラギがゴードンを黙らせようとしているらしい。
ゴードンが前面に出ている間も主人格のキサラギは身体を動かせる様だ。
少女が自分の拳を口にツッコみながら、目を白黒させる姿というのは中々お目に掛かれるものではない。
それは余りと言えば余りにもシュールな光景。
はっきり言ってドン引きである。
「少年、そんなことをしていて良いのですか?」
シュルツの冷静な問いかけにナナシははたと我に返る。
そうだ、余りの出来事に色々と忘れてしまっていた。
「で、アンちゃん、間に合うの?」
その声のトーンはすでにゴードンではなくキサラギのもの。
恐らくキサラギが全面に出て来たのだろう。
右の拳がねっちょりしているのは精神衛生のために見なかった事にする。
間に合うのか? そう問いかけられても、ナナシはこうとしか答えようがない。
「たとえ間に合わなくても」
「間に合いたい?」
キサラギが真剣な表情でそう問いかけると、ナナシは無言で頷いた。
キサラギは小さく溜息を吐くと、シュルツの方へ向き直る。
「ショーツさん! トルネードって言ったっけ? さっき言ってたソレお願いできる」
「それは構いませんが、シュルツです」
「ちょっと、危ないみたいだけど、アンちゃんなら大丈夫よね」
ナナシは無言で頷く。
何の事かはわからないが、間に合うならばなんでも良い。
『トルネード』という名称から想像するに恐らく、竜巻の魔法を使うという事なのだろう。剣姫が『凍土の洗礼』を使う姿が頭を過ぎる。
「じゃ、シュルツさんやっちゃって!」
「ショーツです」
え、逆?!
ナナシが驚愕の表情を浮かべたその時、シュルツはサンドゴーレムに向かって手を翳した。
ナナシに向かって腕を伸ばすサンドゴーレム。
「えっ? え? なに?」
ナナシの狼狽を他所に内に、サンドゴーレムはナナシへと腕を伸ばすと、砂を裂く者ごとその手に掴んで持ち上げる。
「ちょ、キサラギ! なにこれ! どういうこと?」
「じゃあアンちゃん、頑張ってね」
狼狽するナナシへとキサラギは満面の笑みを浮かべて手を振った。
次の瞬間、サンドゴーレムはナナシを胸の前で掴んだまま、上半身を後ろへと限界まで捩じる。
もう嫌な予感しかしない。
そこでぴたりと動きを止めたかと思うとサンドゴーレムは片足を振り上げて、一気に身体を回転させるようにしてナナシをブン投げた。
…………トルネード投法だった。




