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第126話 二人は地獄車

 ナナシは走っていた。

 機動城砦ペリクレス、その中央を縦に貫く大通りを、息を切らせて走っていた。

 袖口で汗を拭えば、砂埃(すなぼこり)のざらりとした感触。

 背中に背負った流線型の鉛板が一定のリズムで跳ねて、腰骨にぶつかる。

 それが地味に痛い。


 ナナシが艦橋(ブリッジ)を飛び出してしばらく経った頃から、機動城砦全体が、(きし)む様な音を立てて震え始め、以降振動は途切れる気配も無く続いている。


 足元へと目を落せば、地面が波打つ様な感覚に捉われて、眩暈(めまい)を起こした様によろめき、あわてて視線を上へと向ければ、自分が目指す先、この機動城砦の尖端辺りから立ち上った黒煙が、後部へ向けてたなびいているのが見えた。


 今、この機動城砦ペリクレスに何が起こっているのか、(おおよ)その事はマレーネから聞かされている。


 ――(おおよ)その事。


「『英雄(ペリクレス)の槍』を解放する」


「槍……ですか?」


「そう、それを使って特攻(ぶっこ)む」


 以上。別にダイジェストという訳ではない。

 まあ、マレーネにしては多く喋った方だとは思うのだが、曲りなりにも領主のお嬢様が『特攻(ぶっこ)む』などという単語を使うのはいかがなものだろうか。


英雄(ペリクレス)の槍』


 恐らく、何らかの兵器である事は想像がつくのだが、正面にそびえ立つ城壁。その向こう側に姿を現している筈のそれは、城壁の内側を走るナナシからは見えない。


 しかし城壁の外側、涙型(ティアドロップ)の突端にあたる部分の外壁が崩れ落ち続けている事は、絶え間なく鳴り響く轟音と、パラパラと降り注いでくる小さな石の破片を見れば容易に想像がつく。


 このまま正面の城壁を駆け上がり、『英雄(ペリクレス)の槍』、その根本の辺りで待機せよ。それがマレーネがナナシへと与えた指示であった。


 間断なく続く地響き、しかしそれに掻き消される事もなく、タッタッタッとナナシの足音が左右の建物にぶつかって、やけに大きく響きわたる。


 石積みの無骨な家屋が立ち並ぶペリクレスの市街地。

 左右を見回してみても、そこに人の気配は無い。


 民間人、それにペリクレスの兵士達は常設橋を離れるより以前に、ペリクレス城下層エリアの戦時避難区画(シェルター)に収容されている。


 ナナシは一人、走り続けている。

 

 低い唸り声の様な異音、降り注ぐ小石が石畳を叩く甲高い音、城壁が崩落して、砂漠の砂の上に落ちる鈍い音。


 巻きあがる砂煙はペリクレスの上空に黄色い雲を形作り、たなびく黒煙と交わって不吉な色に空を染め上げる。


 世界の終わりが来るとしたら、それはこんな感じなのだろうか。


 そんな馬鹿げた妄想に捉われてナナシは、小さく頭を振る。

 その瞬間、通りを横切ってナナシの視界へと飛び込んでくる影があった。


「見つけたぜ、小汚ねぇ地虫(バグ)野郎!」


 路地裏から転がる様飛び出してきた影。

 それは深い褐色の肌に、赤い血化粧を施した少女。


 蓬色(よもぎいろ)の重厚な胸当て(ブレストプレート)を身に着けてはいるが両手両足それと腹部は剥き出しで、酷くアンバランスな印象を受ける。


 ナナシを睨み付ける眼光こそ鋭いが、肩で息をするその姿は、既に疲労の色が濃く浮き出ている。震える膝に力を籠めて立ちはだかるその少女の頭上には、(ひび)割れた二枚の鋼板が彼女を守る様にして周回しているのが見えた。


「く……くるくるさん!?」


「クルルだッ!」


 クルルの抗議の声を()()()聞き流して、ナナシは右舷の城壁の方へと目を向ける。


 クルルはつい先ほどまで、剣姫達と戦っていた筈なのだ、ここに現れたということは、剣姫達が敗れたとでもいうのだろうか。


「ククッ! 不安そうな(つら)ァしてやがんなぁ」


 楽しげにナナシを煽ろうとするクルル。しかし、それを相手にしている場合では無い。クルルのことは完全に黙殺して、ナナシは耳に意識を集中させる。


 クルルは無視されて、ちょっとしょんぼりしている。


 流石にここからでは城壁の上は見えない。

 だが、風に乗って城壁の上から、微かに喚く様な女性の声が聞こえた。

 ナナシにはそれは確かに剣姫の声である様に思えたのだが……。


「お尻で挟む?」


 ナナシの耳には確かにそう聞こえた。

 おそらく聞き間違い、というか……そうであってほしい。

 間違えても「何を?」などとは想像してはいけない。


 ナナシの唐突な呟きに、クルルは一瞬目を丸くした後、何かを納得した様な表情を浮かべ、小さく咳払いをする。


「ケツの話はどうでもいい! お前らがこんな騒ぎを起こしてまで、何をしようとしているのかは知らねェが、オレの目的は唯一つ。恥をかかせてくれたテメェの命だッ!」


 クルルは、叫ぶように声を上げると腰を落として半身に構え、自らの眼前で、黒い短剣を逆手に構えた。


「女の子がケツとか言っちゃ……」


 それこそどうでも良いことを(たしな)めかけて、ナナシは思わず口を閉ざす。


 問答無用――クルルの眼差しは紛れもなくそう言っていた。


 はぁ……。


 ナナシは思わず溜息を吐く。そして静かに腰を落すと、オサフネの(つか)を指で探った。


 例え気が進まなくとも、避けられない争いならば、実力で(まか)り通るしかない。


 睨み合う二人の間で、殺気が膨れ上がる。

 集中する。意識が張りつめる。それにつれて次第に遠ざかる周囲の音。引っ切り無しに続いている轟音もやがて静寂の内側へと飲み込まれていく。


 睨み合う少年と少女。今や二人の意識の中にいるのは、互いに相手だけ。


 一際大きな石礫(いしつぶて)が空から降ってきて石畳を叩き、カツンと硬質な音を立てる。それを切っ掛けにナナシとクルル、二人が同時に足を踏み出したその瞬間、


「えっ、わっ、わわわわわわ!」


「な、ななな、きゃあぁぁぁぁぁ!」


 ペリクレスが急停止した。


 水に濡れた獣がぶるっと胴を震わせるかのような短い振動の後、横向きのベクトルを持った負荷が二人に圧し掛かってくる。


 クルルが意外にも可愛らしい声を上げて尻餅をつくと、ナナシは踏み出した勢いのまま、つんのめる様に前へと転がり、クルルの上へと覆い被さる。そして、そのまま慣性にしたがって、二人はもつれ合う様にペリクレスの前方部分へと転がっていく。


「ちょ! 止め……、あぶな! わあぁぁあ!」


「こら! テメェ、変なところ触んじゃ……きゃぁああああああ!」


「さ、さ、さ触ってなんか、わあああああ」


 勢いは止まらない。止まらないどころか石畳が大きく波打ち、下から突き上げる様な振動が更に二人を襲う。絡まり合い、一つの球体の様に弾みながら、大通りを前方へ前方へと投げ出されていく二人。


 二人してなんとか止まろうともがく。しかし現実は非情だ。激しく上下の位置を入れ替えて転がっているうちに、徐々に地面そのものが傾いていくのを感じとって、思わず引き攣った顔を見合わせる。


「「う、嘘っ?」」


 残念、嘘ではない。


 急停止の余勢によって、ペリクレスの後部がどんどん宙に向かって持ち上がっていく。角度は既に45度を越え、平らな地面が勾配も急な坂となって、二人はナナシが背中に担いだ砂を裂く者(サンドスプレッダー)の重みに振り回されるように蛇行しながら更に加速していく。


 地獄車。


 砂漠の民に伝わる体術にそう言う技もあるが、今のこの状況はそれに酷似している。

 激しく絡まりあったまま、やがて二人はペリクレスの最前部へと到達。

 石作りの内壁に激しい金属音を立てて衝突する。

 幸いにも直撃したのは背中に背負った砂を裂く者(サンドスプレッダー)


「ぐはっ!?」


 しかし、鉛の板とクルルとの間で押し潰される形となったナナシは、無事では済まない。衝突の瞬間、視界には派手に星が飛び散り、肺の中の空気を徹底的に絞り出されて、(ふな)のように喘いだ。


 尚も空に向かって跳ね上がり続けるペリクレスの後部。今や石畳の床が城壁のごとくにそびえ立ち、内壁の石壁の方が地面ではないかと錯覚するほどの角度。

 立ち昇る砂埃。建物の崩れ落ちる轟きと、物の爆ぜ飛ぶつんざくような響きが、怒涛の様に襲い掛かってくる。 


 クルルは、ナナシの腰の上に馬乗りの状態で、胸の上に突っ伏してぐったりとしている。

 大いに混乱した意識の中でも、このままじっとしていては(マズ)いことぐらいはわかる。


「何か……」


 辺りをぐるりと見回すと頭上にペリクレス正面、涙型(ティアドロップ)の突端部分へと続く、鉄製の梯子が見えた。


 背中越しに伝わってくる振動。

 ナナシは必死に手を伸ばすと、城壁の上へと向かって伸びる鉄の梯子を掴む。


「お前……またオレを助けやがったな……」


 胸の上でクルルが呻く。

「偶然です」ナナシがそう言いかけた途端、自分の背中に乗ったナナシの腕を払いのけ、クルルは勢いよく跳ね起きる。


「一度ならず二度までも!」


 怒りに満ちた視線をナナシに向け、次の瞬間、クルルは大きく拳を振り上げるとナナシの頬を殴りつけた。


「な、なにを!」


「うるせぇ! よくも俺に恥をかかせてくれたな! ぶっ殺してやる!」


 クルルは馬乗りの体勢まま、癇癪を起こした子供のように、続けざまにナナシの顔面を殴りつけてくる。


 右手に梯子を掴んだままナナシは左手でそれを遮ろうとするが、流石に両手で次々に殴りつけてくる全てを払い落とすことなど出来はしない。


「くるくるさん、落ち着いて……!」


「うるせぇ! とっとと死ねよ、オラッ!」


 クルルの拳がナナシの頬をクリーンヒットし、口の中に血の味が広がる。

 唇から柘榴(ざくろ)粒果(つぶ)のような血が飛び散る。


 クルルの手の中に黒い短剣が見当たらないのは幸いだった。

 どうやら転げまわっている間に無くしたらしい。


 とはいえ、このままマウントポジションをとられた状態で殴りつけられていては、当たり所が悪ければ昏倒して、そのまま本当に殺されてしまいかねない。


「これでとどめだァ!」


 クルルの口元がそう動いて、大きく腕を振り上げたその刹那、ナナシ達は身体がふわりと宙に浮かぶような感覚に襲われる。


 ここまで跳ね上がり続けていたペリクレスの後部が、一気に地面に向かって落下を始めたのだ。


「う、うわあぁぁぁ!」


 まるで骨がない動物のようにぐらりと体を大きく揺らせて、そのまま仰け反る様に弾き飛ばされかけるクルル。


「くるくるさんッ!」


 ナナシは鉄の梯子を掴んだまま、咄嗟に左手を伸ばし、宙に浮きあがったクルルの身体を捕まえる。


 その瞬間、急降下とも言える速度でペリクレスの後部が地面に衝突する。

 落下は一瞬。


 爆発かと見紛う様な衝撃が二人に襲い掛かる。体がバラバラになりそうなほどの衝撃。襲い掛かる上向きのインパクト。


 既に倒壊した建物、石のブロック、吹き飛ぶ屋根。街がバラバラに解体されて、その全てが重力の支配を脱して宙へ浮かび上がり、空へと投げ出されていく。


 ナナシの右手一本を支えにして、二人は軍旗の様に宙をはためいた。

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新作始めました!舞台はサラトガから数百年後、エスカリス・ミーミルの北、フロインベール。 『落ちこぼれ衛士見習いの少年。(実は)最強最悪の暗殺者。』 も、どうぞ、よろしくお願いいたします!
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