第125話 砂漠の片隅で「ドリル!」と叫んだ幼女
2番の常設橋に停泊しているのは、学術の中心地として名高い機動城砦ストラスブル。
サラトガの魔力砲の直撃を受けて燃え落ちた中央の城は、未だに木組みの足場に囲まれて、さながら冬枯れの蔦に巻きつかれた墓標の様にも見える。
停止したままの魔晶炉は、技術者達が寄ってたかって検証を繰り返してはいるが、原因の特定どころか、僅かに火が走ることさえ無く、完全に沈黙。再起動の目処すら立っていない。
サラトガ伯ミオを巡る裁判の幕は既に引かれたというのに、機動城砦ストラスブルは何処にも移動することも出来ずに、ただその場にあった。
陽光の照り付ける正午前、そんな傷ついた機動城砦、その城壁の上を一組の男女が歩いている。
総やか過ぎる縦ロールの髪を揺らしながら、とてとてと小走りに駆ける少女。その上品そうな外見にそぐわない、たどたどしい走り方の放つ違和感は凄まじい。
「へーざ、おそぃい、こっちー!」
少女はふりかえると、数ザール後ろをゆっくりとした足取りでついてくる少年を手招きしながら、無邪気に飛び跳ねる。
「ハ、ハヅキ、げ、元気だねぇ……」
白いフードマント姿のその少年――ヘイザは、思わず苦笑する。
いつもならばハヅキは、グズって夜半過ぎまで寝付いてくれないのだが、昨晩に限ってはあっさりと眠りに就いてくれた。
ベッドの脇で、ハヅキの無邪気な寝顔を眺めながら、マリーと二人、いつもこうなら良いのにと笑い合ったものだが、残念なことに早く寝就いた分、今日は朝からずっとこの調子。
もう正午近くになろうというのに、一向に城へ戻ろうとはせず、ヘイザを引っ張り回してストラスブル中を元気一杯に走り回っていた。
如何にも小さな子供らしい元気さとも思えるが、実際はそれ以上。
ハヅキの本来の年齢は17歳。幼児退行してしまったが為に、頭の中身は3歳程度でありながら、体力は歳相応のものがある。
自分の暮らしていた機動城砦に戻れば、幼児退行も治って全てを思い出すのではないか、ヘイザやマリーが一抹の不安と共に抱いた淡い期待は、あっさりと裏切られ、ハヅキは未だに三歳児のまま。
変わったことと言えば身だしなみぐらいのもので、それについてはストラスブルに辿り着いてからは、専属の家政婦さんたちが寄ってたかってハヅキの総やか過ぎる髪を縦巻ロールにまとめてくれている。
本来のハヅキ――ストラスブル伯ファナサードと云う人は、ずっとこういう髪型だったらしい。
それが分かっているのか、普段はちっともじっとしていてくれないハヅキも髪を巻かれている間だけは大人しくしていた。
「ハヅキ、そ、そ、そ、そろそろご飯の時間だよ。し、城にもどろうよ」
くたびれた様子で、ハヅキの傍へと歩み寄るヘイザ。
あらためて空を見上げれば、城を出た頃には東にあった太陽が今はもう、中天へと駆けあがろうとしている。
しかし、ハヅキはまだ遊び足りないらしく、ヘイザのその言葉はあっさりと聞き流された。ちなみにマリーにはそういう事はしない。マリーは怒るからだ。
「へーざ、なぁにあれぇ?」
南の方、茫漠と広がる砂漠の方を指差して、ハヅキは小さく首を傾げる。
ヘイザはハヅキの指差す先へと目を向けて眉根を寄せた。
ヘイザは砂漠の民。
砂の他には何も無いだだっ広い大地で生きてきた流浪の民だ。
それだけに視力に関して言えば、城壁に遮られた小さな世界で生まれ育ってきた貴種達の比ではない。
「あ、あれは……ぺ、ペリクレ、レス?」
ヘイザの目にはソレがはっきりと見えた。
凡そ、1ファルサング先(約6キロメートル)。
先端部分から濛々と黒煙を立ち昇らせ、激しく砂煙を巻き上げて疾走する異形の機動城砦の姿が見えたのだ。
「ぺろぺろする?」
「ち、違うよ、ハヅキ、違うからね! ペ・リ・ク・レ・ス。マ、マレーネさんの機動城砦だよ。な、なんか壊れているみたいだ、けど……」
ハヅキの頭の中身は幼児だと分っていても、この美しい少女に「ぺろぺろする?」などと言われては、どうしようもなく落ち着かない気分になる。
「ふにゅぅ……」
ハヅキはマレーネと言われても、誰のことだか分からないようで、眉間に皺をよせて、困った顔をした。
マレーネとハヅキ――ファナサードはこのストラスブルで寝食を共にした学友同士だと聞いてはいるが、どうやらハヅキはまだそれを思い出してはいないらしい。
そしてヘイザはハタと気づく。
あの機動城砦ペリクレスには、ヘイザの親友ナナシがいるはずなのだ。
こうしては居られない。
「な、ななななななななななななななな、なんとか、し、し、しなくちゃ!」
唯でさえ聞き取りにくい生来の吃音。
その上、慌てたせいで一語に含まれる「な」の数が大変なことになっている。
狼狽するヘイザの肩を、ハヅキがいきなりポスッと叩く。
「おちつちぇー」
ヘイザが慌てて、どもりまくるのはいつもの事。
その度に、キスクがこうしていたのを見ていたのだろう。
少し驚いた表情を見せた後、思わずヘイザは破顔する。
ハヅキにまで心配される様じゃ保護者失格だ。
「あ、ありがとう、ハヅキ」
「だーじょぶよぉー、ぺろぺろする、こっちくゆからぁー」
「……こっちに来るッ?!」
ヘイザはハヅキのその言葉に思わず息を呑む。
確かにハヅキの言うとおり、どう見てもペリクレスの進路はこちらを向いている。
冷静になって観察してみれば、速度を落とす気配すら無い。
立ち昇る黒煙。あの様子では、被弾してコントロールを失っている可能性もある。
「は、ハヅキ! 逃げよう!」
「ふゅ?」
不思議そうに首を傾げるハヅキを、強引に肩へと担ぐと、ヘイザは階段の方へ向かって駆け始める。
必死の形相のヘイザとは対照的に、ハヅキは担ぎ上げられたのが楽しかったらしく、キャッキャとはしゃぎ始めた。
◇◆ ◇◆
「『英雄の槍』、起動に成功しました!」
その瞬間、艦橋乗員達から一斉に歓声が上がる。
これがペリクレスの真の姿。
神槍の英雄の名を冠した、この機動城砦の本来の姿。
代々ペリクレス伯を勤めるシャリス家の家訓は、皆様既にご存知の通り、『長い物には巻かれろ』である。
マレーネの曽祖父、三代前のペリクレス伯は、事なかれ主義全開のその家訓にそぐわない、あまりにも攻撃的なこの機動城砦の姿を、城壁の下へと隠蔽し「はいはーい、私達は誰とも争う気はありませんよー」というポーズをとった。
以来、一度も解かれることの無かった封印。
それが今、解き放たれたのだ。
もちろん、マレーネを含めてここにいる艦橋乗員の誰一人として、知識として知ってはいても実際にそれを見たことは無かった。
マレーネは艦橋正面の窓へと歩み寄ると、それを睥睨して、口元を引き結ぶ。
解き放ってしまったのだから、もう後戻りは出来ない。
「このまま、突っ込む」
マレーネの口から、硬質な声が放たれる。
今更、その言葉に慄く者は居ない。
先にマレーネが示したルートは、1番と2番の常設橋の間、そこへ斜めに突入して、機動城砦ごと首都に上陸。
そのまま工廠エリア、その背後にある未整地のエリアを蹂躙して、闘技場へと到達するという野蛮極まりないもの。
王道でもなければ正道でもない。言うなれば邪道にして覇道。
大規模な破壊を前提とした悪魔の所業であった。
今、精霊石板には前方、突入地点を中心に左手に1番、右手に2番の常設橋が映し出されている。
2番の常設橋には、マレーネ自身も留学していた懐かしき機動城砦ストラスブルの姿。
1番の常設橋には現在、停泊する機動城砦の姿は無いが、ペリクレスに併走し続けている機動城砦ローダはその1番の常設橋から見て、真っ直ぐに南、その直線軌道上にある。
先程から観察している限り、どうやらローダは前後への直進以外の動きは取れないらしく、ペリクレスの進路上へと入ってくることは無いと思われる。
現在のローダは艦橋も、それが在るべき城さえも見当たらない首無し機動城砦。
むしろ真っ直ぐにでも走行していることの方が異様なのだ。
しかしながら、このまま併走され続ければ、ペリクレスがいざ首都へと突入するという段においては、1番の常設橋の位置にはローダが存在することになるだろう。
つまりペリクレスは、ストラスブルとローダ、二つの機動城砦の間をすり抜けることになる。
「1番と2番の常設橋の間はどれぐらい?」
「約2000ザールほどです」
ペリクレスの全幅、その一番幅広い後部の幅は約1500ザール。
それほど余裕があるとは言えないまでも、通りぬける事自体には問題は無い。
マレーネが安堵の息を吐き出しながら、強張った肩を降ろした途端、それを諌める様に乗員の一人が不安を口にした。
「ただ……3ザール程ですが、港湾部には石垣があります」
確かに市街地へと砂漠の砂が流れ込むのを防ぐため、砂漠に面する港湾エリアは石垣が積まれ、砂漠よりも高い位置にある。
「『英雄の槍』で抉れない?」
艦橋乗員は小さく首を振る。
「そうするには石垣の方が低すぎます。このまま突入すれば、機動城砦の底部を大きく損傷する恐れがあります」
「んぅ……」
マレーネは顎に指を当てて考え込む。
損傷の程度は読めないが、脱出まで含めて考えれば、この時点での損傷は出来るだけ避けたい。
やがて、意を決した様に頷くと、マレーネは操舵手の元へと小走りで駆け寄る。
「操舵……代って」
「え……お嬢様が操舵を?」
「ん。で、警報お願い」
マレーネの短いその言葉に、艦橋乗員達の背に戦慄が走る。
――ヤバい。絶対、何かやらかす気だ……。
困惑、恐れ、好奇心、不安、疲労。
多方面へのベクトルを持った様々な感情。それを乗せた空気が艦橋に充満し、なんとも言えない微妙な雰囲気を醸し出した。
おずおずと女性乗員の一人が、手元のボタンを押すと、長吹鳴の警報が再び鳴り響く。
そして諦めがついたのか、その女性乗員は、ヤケクソ気味に拡声器に向かって叫んだ。
『緊急警報発令! 緊急警報発令! 全乗員は速やかに何かに! 何でもいいから掴まれ!』
一部、非常にアバウトな表現に為らざるを得ないのは、マレーネが何をしようとしているのか、未だに誰もわかっていないからだ。
精霊石板上には、次第に近づいてくる首都の姿、機動城砦ストラスブルの姿が画面右手に。そして画面左手には機動城砦ローダの姿が、少し見切れた状態で映り込んでいる。
刻々と近づいてくる障害。
いつも涼しげで表情の乏しいマレーネの額にも玉の汗が浮かぶ。
白い頬に白い髪がペタリと張り付いて、その毛先を滴が伝った。
すぅと音を立ててマレーネが深く息を吸う。
「ここから何が起こっても心配しなくていい」
マレーネが画面を見据えたまま、口を開く。
「責任は全部パパが持つ」
わぁ、パパびっくり。
自分の与り知らないところでとんでもない責任を押し付けられるペリクレス伯に艦橋乗員達も流石に同情を禁じ得ない。
正面の窓の外には未だに黒煙が立ち込めている。
その向こう側に薄らと浮かぶ首都と機動城砦ストラスブルの姿。
沈黙する艦橋。
更に速度を上げて、ガクガクと震えはじめるペリクレスの巨体。
そのまま最大速度で、停泊するストラスブルの直ぐ脇へと滑り込んでいく。
ストラスブルとの距離はほんの数ザール。
乗員達は衝突することを恐れて、思わず身体を強張らせる。
正面には首都港湾エリアを取り囲む石垣。
それももう鼻の先。もうほとんど距離は無い、ぶつかる! 乗員達が思わず目を覆ったその瞬間。
マレーネは手元のブレーキレバーを引いた。
◇◆ ◇◆
ハヅキを肩に担いで、ヘイザは城壁の上を必死に走っている。
階段のある位置まではまだ遠く、砂漠の方へと目を向ければ、盛大に砂煙を吹き上げながらペリクレスが迫ってくる。
しかし、ヘイザはそこで思わず足を止めた。
「……ぶ、ぶつからない?」
機動城砦ペリクレスは確かにこちらへと向かってきてはいるが、その進路はあきらかにストラスブルの位置から逸れている。
思わず立ち尽くすヘイザ。その腰の辺りをハヅキがぽすぽすと叩く。
担ぎあげられても、動いてくれなければ面白くもなんともないのだろう。
ハヅキはぷくっと頬を膨らませて暴れはじめた。
「おーろーしーてぇえ!」
「わわっ、ハ、ハヅキ暴れないで、お願いだ、だか、ら」
ハヅキが暴れたせいでヘイザがよろめいたその瞬間、ペリクレスがストラスブルの脇へと滑り込んだ。
最大速度の機動城砦が脇をすり抜け、砂煙が城壁の上へと飛び散る。慌てて肩の上からハヅキを降ろしたその瞬間、ヘイザ達を猛烈な風が打ち付ける。
「あ、危ない!」
咄嗟にヘイザがハヅキの頭を抱きかかえて、二人は絡まる様に、石畳の上を転がる。城壁を取り囲む鉄柵に背中を強かに打ち付けられて、ヘイザは思わず呻いた。
そして次の瞬間、ヘイザの目に飛び込んで来たのは信じられない光景だった。
凄まじい勢いで突っ込んできたペリクレス。
その後部がいきなり唸りを上げて、宙へと跳ね上がったのだ。
ヘイザが過去に見た事のある光景の中で一番近い物に例えるならば、背中に止まった虻を追い払おうと跳ね回る驢馬の姿。
全長3000ザール、全幅1500ザールの巨体。
それが前部を下にして、斜めに浮かび上がり、太陽を遮ってヘイザ達の上に巨大な影を落とす。
この時マレーネが行ったのは、全速走行中に前部動力を一気にロックするという狂気の操舵。慣性に従って後部が浮き上がったのは当然の成り行きであった。
跳ね上げられた砂が、土砂降りの雨の様にヘイザ達の上へとふりそそぎ、一瞬空中で停止したように見えたペリクレスの後部が、一気に地面へと叩きつけられる。
その瞬間、ペリクレスを中心に凄まじい衝撃が大地を揺らす。
万雷の様な轟音。
しかしヘイザ達にとって、それはもう音として捉えられるレベルを超えていた。
空気そのものが破裂した! ヘイザはそう思った。
音のレベルを遥かに超えて、それは物理的な衝撃としてヘイザ達へと襲い掛かり、激しくヘイザ達を鉄柵へと打ち付けた。
停泊する機動城砦ストラスブルは間近で起こった衝撃波に、その巨体を煽られて大きく揺さぶられ、砂の上数十ザールに渡って押しながされる。
地面は抉れ、ストラスブルの停泊していた常設橋は粉々に砕け散り、ペリクレスを中心に出来た砂の波紋の中へと飲み込まれていく。
しかしこれで終わりではない。
木皿を地面に落した時の様に、ペリクレスの後部が大地へとぶつかれば、その衝撃で今度は前部が持ち上げられる。
それは嘶く悍馬の如し。
衝撃で鉄柵に縫い付けられた状態のヘイザの目には、それは雲を突く巨人が立ち上がったかのように見えた。
「ド……ドリル?」
ヘイザの胸のあたりからハヅキの呟きが零れた。
「ハ、ハヅキ?」
ヘイザの呼びかけににハヅキは答えない。
ヘイザの胸に抱き留められながら、ただペリクレスの先端部分を、光の無い目でじっと凝視している。
ヘイザはハヅキの視線の先へと目を向ける。
跳ね上がった衝撃でペリクレスの前部を覆っていた黒煙は振り払われていた。
ペリクレスの先端、そこに現れたのは、黒光りする直径500ザール程にも及ぶ巨大な鋼の円錐。
あまりにも無骨、余りにも重厚なその鉄の塊。
その表面には螺旋状に彫り込まれた溝。
それは見紛う事ない程にドリル。
先端部分を中空に跳ね上げ、ドリルで天を衝く様な体勢のまま、ペリクレスが急速に前進しはじめる。
それはノーズリフト。もっと俗な言い方をするならばウィリー走行である。
「ば、ばかげてる……」
無意識にそう呟いて、驚愕の表情を浮かべるヘイザ。
その胸元でハヅキが突然、叫び声を上げた。
「ドリルウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥ!!」
まるでその叫び声が合図になっていたかのように、首都の方へと、ペリクレスは倒れこんでいく。
再び襲い掛かる衝撃。
ヘイザは必死で城壁の策に背を押し付けて耐える。胸元に抱き留めたハヅキ。今この鉄柵が倒れてしまえば、二人は城壁の上から投げ出されてしまうだろう。
やがて遠ざかっていく破壊音。
ヘイザの身体から、無意識に力が抜けていく。
「た、助かったぁ……」
思わず、そう呟いたヘイザの胸元でハヅキが口を開いた。
「どこを掴んでいらっしゃるのかしら? ヘイザさん」
それは幼児では無く、大人の言葉。
思わずハヅキへと視線を落とすと、頬を赤らめながらもジトッとした視線を投げかけてくるハヅキの姿があった。
「は、ハヅキ?」
「いいから、は、早く、手をおどけなさい!」
「え?」
視線を自らの右手へと向けて、それがハヅキの胸を鷲掴みにしていることに気づくと、ヘイザは慌てて手を放した。
「ア、アナタに悪気がないのは分かっていますけど、恥ずかしいものは恥ずかしいんですのよ」
「あ、あのハヅキ……もしかして記憶が?」
「ええ、私はファナサード。機動城砦ストラスブルの領主、ファナサード・ディ・メテオーラですわ」




