第124話 黒煙の向こう側
「ハッ?!」
突然、声を上げて立ち上がるペリクレス伯。
「どうなさられた?」
ローダ伯が怪訝そうな目を向ける。
ペリクレス伯は微かに身体を震わせると驚愕に満ちた表情で呟く。
「い、今……」
「今?」
ペリクレス伯の徒ならぬ様子に、ローダ伯は息を呑む。
「マレマレに大好きって言われた気がしたァァァァァ!」
一瞬の沈黙。
「幻聴ですな」
冗談を解さない男、ローダ伯ボルフトロット。
艦橋乗員の大半がペリクレス伯の叫び声に脱力しているというのに、それをあっさりと切り捨てた。
「いや、そうではない。そうではないのだ、ローダ伯」
「何がです」
「ぺ、ペリクレスを精霊石板に出してくれまいか? 早く!」
明らかに慌てている様子のペリクレス伯へと怪訝そうな目を向けながら、ローダ伯は艦橋乗員へと問いかける。
「出せるか?」
「映像出ます!」
機動城砦の位置関係を示している俯瞰映像から、機動城砦ペリクレスのクローズアップへと映像が切り替わる。
「なっ……」
その瞬間、ローダ伯は短く声を発して、そのまま言葉を失った。
◇◆ ◇◆
怪鳥の鳴き声の様な甲高い響きの長吹鳴。
続いて、それを掻き消す様にペリクレスの尖端の方から、地の底から響く様な低い唸りが轟きはじめる。
「なに?」
「なんだ?」
敵味方であることも忘れて、クルルと剣姫が顔を見合わせたその瞬間、唐突にペリクレスの巨体が嘶く荒馬の様に跳ね上がり、足元の石畳が波打つ様な錯覚が、剣姫達へと襲い掛かった。
「あわわわわっ……」
突然の激しい振動。
傷ついた脚では踏みとどまる事も出来ず、剣姫は間の抜けた声を上げながら、背後へと二歩、三歩とよろめき、そのままドサリと尻餅を付くと、その尻の下から、
「フゴッ?!」
と、蛙が潰れる様な声が聞こえた。
声の主はご想像通り、紅蓮の剣姫ヘルトルード。
シュメルヴィの魔法で意識を取り戻しかけていたところに、銀嶺の剣姫の『尻』が落下。俯せの状態で後頭部に尻攻撃を喰らって、石畳に額を強打。再び意識を混濁させる。
「セルディス卿、大丈夫?」
「あ、ありがとうございます。シュメルヴィ殿」
横たわるヘルトルードの脇に跪いていたシュメルヴィが、慌てて剣姫の身体を支えるも、振動は収まる気配もない。
気を抜けばすぐにも背後に向かって吹き飛ばされそうなほどの振動に、剣姫とシュメルヴィは互いの身体を掴み合って耐える。
「剣姫を名乗る者がこの程度のことで……!」
「ダメぇ、セルディス卿! 動いちゃダメぇぇ!」
歯を食いしばりながら立ち上がろうとする剣姫を、慌ててシュメルヴィが押しとどめる。
「今、動いたらヘルちゃんが、後ろに投げ出されちゃうぅ!」
「へ?」
そう言われて、剣姫は視線を下へと向ける。
「ちょ、ちょっとぉ! 赤いの! どこに頭突っ込んでんのよぉ!」
剣姫の尻の下には、ヘルトルードの後頭部。
別にヘルトルードが頭を突っ込んだわけではない。
剣姫のその抗議にヘルトルードは何も答えない。答えられる訳がない。
「ヒッ?!」
現状を把握して、剣姫は思わず喉の奥で声を詰める。
頭だけを剣姫の尻に押さえつけられた状態で激しい振動に晒されて、ヘルトルードの身体は嵐の中の柳の様に、ものすごい勢いで七転八倒していたのだ。
このまま振動が続けば終いには首がもげそうにも思えるが、だからと言って、今、剣姫が少しでも腰を浮かそうものなら、ヘルトルードは瞬時に城壁の上から転がり落ちて行くことは間違いない。
いまやヘルトルードにとって剣姫の尻が命綱、もとい命尻であった。
剣姫とシュメルヴィが互いに支え合い、ヘルトルードを尻で押さえて振動に耐えている。そんな馬鹿げた光景の向こう側、一方のクルルも苦悶の表情を浮かべながら、城壁の壁にしがみ付いていた。
クルルは悔しげに手にした黒い短剣へと目を向ける。
これで、髪の毛一筋程も傷をつけてやれば、剣姫はクルルの術中に堕ちる。そうすればクルルの勝利は揺るぎない。その筈だったというのに。
「なんだァこれはァ! 砲撃でも受けてやがんのかッ!」
八重歯をむき出しにしてクルルが吼えたその瞬間、クルルの背後、ペリクレスの先端の方で、小規模な爆発音が連続して響いた。
湧き上がる黒煙。それが風圧で押し流されてたなびき、クルルや剣姫達を飲み込んでいく。
「げほげほ、何なんだァ! ちくしょ……」
クルルは口元を押さえながら、爆発が起こったペリクレスの尖端の方へと目を向け、そして目を見開く。
黒煙の向こうから無数の石礫がクルルの方へと飛んでくるのが見えたのだ。
「平和!」
雨あられと降り注ぐ石礫。
クルルは残り二枚となった迎撃装甲を巧みに操ってそれを防ぐも、飛来する石礫の数は一つや二つではない。
クルルの身体のあちこちを傷つけながら、機動城砦の後方へと飛び去っていく。
ペリクレスが崩れているのか?
クルルは、たなびく黒煙の向こう側へと目を凝らす。
機動城砦ペリクレスの涙型の巨体、その先端部分が百雷の様な激しい音を立てながら、夥しい数の石のブロックを撒き散らして崩れ落ちはじめているのが見えた。
「どこだ?!」
やはりどこからか砲撃を受けている。
クルルはそう思い込んで、周囲を見回す。
斜め後方に豆粒のように見えるのは、自らの機動城砦メルクリウス。
メルクリウスがクルルが乗り込んでいる機動城砦を撃つことなど有り得ない。ましてや後方から先端部分に当てることなど出来よう筈もない。
左舷の方へと目を向ければ、遥か彼方に併走する機動城砦の姿が目に映る。
「アイツか?」
思わず口に出した後、クルルは冷静にそれを否定する。
併走状態で真横に向かって魔力砲を放つことができる機動城砦など聞いたことがない。
ならば正面からか?
たなびく黒煙の絶え間、ペリクレスの進む先には地平線の向こう側に首都の影が見え始めたところ、それ以外には何も見えない。
ペリクレスが速度を落とす様子はない。
崩落を続ける先端部分の城壁が石礫となって城壁の上を後部へと向かって飛び去り、砂漠の砂の上へと落ちた石のブロックが派手に砂煙を立てている。
「こりゃ、離脱するしかねぇかな……」
クルルが思わずそう呟いた時、視界の端、城壁の内側、ペリクレスの中央を走る石畳の道を尖端の方へと向かって、白いモノが駆け抜けて行くのが見えた。
「あの野郎ッ!」
瞬時にクルルの血が沸騰する。
クルルが目にしたもの、それは白いフードマントを羽織った少年の姿。
ちらりと剣姫達の方へと目を向けると、氷を纏った竜巻を展開して石礫に耐えているのが見える。
しかし、あの様子では追ってくることは出来ないだろう。
クルルは衝動のままに城壁から手を放す。
支えるものがなくなったクルルの身体を、振り落とそうとする様に震える城壁。
クルルの身体は瞬時に跳ね上げられて宙空を舞う。
城壁の内側へと落下しようとするその瞬間、クルルは見た。
たなびく黒煙の向こう側、崩れ落ちた城壁の下から現れた余りにも馬鹿げたモノを。
◇◆ ◇◆
「何ですってぇ!? ペリクレスがこっちに突っ込んでくるぅ?」
ヒステリックな声を上げて、マリーは目の前の老人を睨み付ける。
首都の工廠地域、2番の常設橋に停泊する機動城砦ストラスブル。
完全停止状態の機動城砦。今、その艦橋には、ストラスブル伯家専従の執事クリフトとマリーの他には誰も居ない。
「いえ、正確には、1番の常設橋と2番の常設橋の間と予測されているのですが……」
「じゃあ、大丈夫なのね」
「はい、ただ万が一という事もございますので、マリー様とヘイザ様には、お嬢様を連れて避難していただきたいのです」
「……あとどれぐらいで来んの? ペリクレスは」
「それが……、四半刻(15分)程かと」
「はぁああ? 四半刻って、アンタ、全然時間ないじゃないのよ」
「ですので、今すぐご出立いただきたいと」
「はあぁぁぁぁ……」
マリーは思いっ切り眉間を引き攣らせた後、大きく溜息をついてこめかみを指で押さえる。
「まぁ、ぶつかるって決まってるわけじゃないんだし……」
「はい、しかし何かあってからでは遅いのです。ですのでお嬢様だけでも避難させていただきたいと」
「無理よ、さっきハヅキはヘイザと一緒に出掛けたわ。今頃城壁の上を散歩している筈よ。今から追いかけてもそれだけで四半刻ぐらい経っちゃうわよ」
「冗談……でございますよね? いつもならまだお嬢様は、お休みの時間ではございませんか」
マリーはゆっくりと首を振る。
嘘つきマリーも、ついても仕方がない嘘は吐かない。




