第123話 パパ大好きー。そして目覚める猛獣
機動城砦ペリクレス。
それは異形の機動城砦である。
サラトガをはじめ、多少の差異はあれど、どの機動城砦も四つの角を持つ方形の形状である。
しかしペリクレスは違う。
前方は錘、後方は円。
涙型などという奇妙な形状を持つ機動城砦は、他には類を見ない。
最大速度で砂漠を北へと向かってひた走る涙型。
その艦橋にて正面を見据えるマレーネの目に、地平線の向こうから徐々に首都の影がせり上がってくるのが見えた。
ナナシは既にこの場を去り、自らの為すべきことを為す為に走っている。
ならば、マレーネもその婚約者の一人として、出来る限りの事をするだけだ。
もう出し惜しみは無しだ。
「機動城砦ペリクレス、決戦兵装へ移行」
マレーネがボソリとそう呟いた瞬間。
艦橋乗員達が一斉に目を見開いてマレーネの方へと目を向ける。
マレーネが示した進路を見た途端、半ば予測していた事ではあったが、伝説の封印を解くのだ。いざその時となると尻込みもする。
「き、機動城砦ペリクレス、決戦兵装へ移行!」
少し遅れて艦橋乗員の一人が復唱した。
俄かに慌ただしく、動き始める乗員達、その額には汗が滲み始める。
「認証機構機動! 声紋認証どうぞ!」
緊張の面持ちで乗員の一人がそう叫ぶと、艦橋は水を打ったように静かになる。
艦橋乗員達が息を呑んで見守る中、マレーネは恥らう様に俯き気味に呟いた。
「……ぃ…きぃ」
「声紋認証エラー! マレーネ様もっと大きな声でお願いします」
「わ、分かってる!」
顔を真っ赤にしながら、珍しくマレーネが取り乱す。
「認証機構再機動! 声紋認証どうぞ!」
すっと大きく息を吸い込み、マレーネがやけくそ気味に叫ぶ。
「パパ、だーい好きぃ!」
以前の解除キーは「魔槍の英雄の御名において命ず」だったのだが、マレーネが四歳になった頃、あの馬鹿親父が、古代語で書かれた手引書と首っ引きで、一年がかりで解除キーを変更したのだ。
「認証コード、受諾!」
俯いたままプルプルと肩を震わせるマレーネ。
「続いて起動コードの認証に移ります! 声紋認証どうぞ!」
「大きくなったら、パパのお嫁さんになるんだー!」
「起動コード、受諾!」
「うぁ…………」
短く声を上げるとそのまま、虚ろな目で目の前の操作盤に、額を打ち付けはじめるマレーネ。
恥ずかしさと父親への怒りが許容量を突破したらしい。
マレーネが自分の馬鹿親父がローダに乗っていることを知らなかったのは幸いだった。今のマレーネの状態を見ていれば、ペリクレスで体当たりを敢行するぐらいの事はやりかねない。
けたたましい警報の音が鳴り響き、艦橋正面、窓の外に眩い光が溢れ始め、ペリクレスの巨体が小刻みに震えはじめた。
◇◆ ◇◆
ピシピシという乾いた音を立てて、稲妻のような形にヒビが走る。
宙空に留まることが出来無くなって、カランカランと甲高い音を立てて、石畳へと落ちていく迎撃装甲。
おそらく『繁栄』はどれも操作不能。
辛うじて『平和』の6枚の鋼板のうち、2枚が少しヒビ割れている程度で辛うじて宙空に留まっている。
あの2枚の鋼板では、もう剣姫の『蹂躙の吹雪』を弾き返すことなど出来はしまい。
「メルクリウス伯、降参を。あなたと違って我々は命までは取りません」
「降参? 誰に向かって言ってやがる。テメェだって立っているのがやっと、そう見えるぜ」
クルルのいう事も尤も。
実際、剣姫が腿に受けた傷は深い。歩くことさえ困難な有様だ。
10ザールの距離を間において、あらためて二人は睨み合い、それぞれに手にした武器を構える。
二人の間にビリビリとした殺気が飛び交うのを尻目に、剣姫の後方から、甘える様な舌足らずな声が聞こえた。
「お待たせぇ~」
「シュメルヴィ殿!」
シュメルヴィはうつ伏せに突っ伏しているヘルトルードへと歩み寄ると、その惨状に眉を顰める。
ドレスの裂け目から覗く、焼けただれた脇腹が特に酷い。
すぐ傍に跪き、掌をヘルトルードの背中へと押し当てる。
『再生!』
温かな三色の光がヘルトルードへの身体へと流れ込むとあれほど酷かった傷も、元の状態へと戻っていく。
「チッ!」
流石にこれはマズいとでも思ったのだろう。
クルルは大きく振りかぶって、シュメルヴィへと十字槍を投げつける。
剣姫はよろめきながらもその射線上へと愛剣を差し入れて、それを弾き飛ばす。キンという甲高い音を立てて、十字槍は直上に跳ね上がると、クルクルと回りながら城壁の下へと落ちて行った。
ふぅ……。思わず息を吐く剣姫。
しかし次の瞬間、驚愕に顔を歪ませる。眼前。至近距離にクルルの顔、それがニタリと笑う。十字槍を投擲した直後、残った2枚の鋼板を頭上に集めて跳躍し、一瞬にして10ザールの距離を詰めてきたのだ。
クルルの右手に禍々しい形状の黒い短剣が閃く。
剣姫は大きく目を見開く。
あれはマズい!
なぜそう思ったのかはわからない。ただ剣姫の勘が最大限の危機を告げている。
剣姫はなりふり構わず、スカートの乱れも気にしないで後ろへと転がって、何とかその一撃を躱す。
「ほおぉ、今の慌てっぷり。こいつがどんな代物なのか知ってるみてぇだな」
「当然です」
剣姫は見栄を張った。
知らない事を知らないと言える事は大人の美徳の一つではあるが、これはあくまで駆け引きだ。
クルルは自嘲気味に鼻を鳴らす。
「まぁ、迎撃装甲を失った今のオレは弱者なんだろう。じゃあ弱者としての卑怯で狡猾で最低な闘い方ってヤツを見せてやる」
クルルは腰を落し、短剣を眼前に構える。
あの何か含む様な物言い、余裕ありげな態度。
あの黒い短剣は、麻痺、毒、呪い、何かそんな類の禍々しい特殊効果が付与された魔道具だと見て良いだろう。
「いくぜ!」
クルルが今にも飛び掛からんと、膝を屈めたその瞬間、けたたましい長吹鳴の警報がペリクレス中に鳴り響く。
「な、なんだ?!」
ビクリと身体を震わせて、周囲を見回すクルル。
次の瞬間、ペリクレスの巨体が目覚める猛獣の様に跳ねて、城壁の上を激しい振動が襲った。




