第122話 運命に抗う者
「ローダ伯殿ぉ! マレマレは大丈夫だろうか、囚われてあんな事や、こんな事をされておったりはせんだろうか……? ああ、マレマレ! マレマレぇーーー!」
「……落ち着いてください。ペリクレス伯」
未だに見苦しく狼狽し続けているペリクレス伯を呆れ顔で諌めたのはローダ伯ボルフトロット。
最初の内は親身になって慰めてもいたのだが、数分置きに発作を起こしたかのように同じ嘆きを繰り返されては、ローダ伯で無くとも呆れもする。
ここは機動城砦ローダの仮設艦橋。
艦橋と表現すれば聞こえは良いが、紅蓮の剣姫ヘルトルードに爆破され、瓦礫の山と化したローダ城跡地に建てた掘立小屋同然の建物に、魔晶炉の制御機器を運び込んで、何とか機動城砦を動ける様にしたというだけの代物だ。
現在、機動城砦ローダは、既に1番の常設橋を離れて、徐々に速度を上げながら、南へ向かって進んでいる。
無理繰り動かしはしているものの、ローダの修繕状況は約15%。
この時点では、破壊された城の瓦礫を取り除き、なんとか魔晶炉を再起動出来たという段階でしか無く、一般市民は工廠入りの際に全て、首都郊外の移民キャンプに収容され、仮設艦橋の周りに遠征用の天幕を張って待機しているのは兵士達のみという状況である。
普通であれば、出撃など考えられる筈もないのだが、それでもローダ伯が、瀕死にも等しいこの機動城砦に鞭打って、出撃させた理由は二つ。
一つはペリクレス伯に娘の救出を懇願されたということ。
但し、そちらはおまけの様なもの。
本当の理由は、ローダ伯ボルフトロットが自分自身を『正義の代行者』だと信じていることにある。
か弱い乙女を人質に取って、機動城砦を奪取するという卑怯極まりない者達。
状況を思えば、正義の代行者を自称するローダ伯ボルフトロットが、出撃するという選択を迷うはずが無かった。
今ペリクレス伯とローダ伯は、むき出しのパイプや鋼線の這う石畳の上に、粗末な木製の椅子を並べて、精霊石版を眺めている。
そこに表示されているのは、各機動城砦の位置関係。
ローダ伯はあらためてその位置関係を眺めながら、状況を確認する。
謎の組織によって占拠された機動城砦ペリクレスは、南の城門を通って不可侵領域から脱出しようとしていた様だ。
しかし、後方から追撃してきた機動城砦メルクリウスに追い立てられて旋回。現在は西へと進路を変更している。
恐らくは、そのまま西へ向かった後、北へと転進し、首都の周りを半周して北側の城門から砂漠へ抜ける。
そういう目論見を抱いているのだと推測できる。
それを追撃している機動城砦メルクリウスはというと、ペリクレスから見て右舷斜め後方。北東の位置、凡そ1000ザール程のところを走行している。
精霊石板上の光点を見る限り、二つの機動城砦の距離は一向に詰まる様子は無い。恐らく単純に速度の問題で、その1000ザールを詰められずにいるのだろう。
ローダ、ペリクレス、メルクリウス。
魔晶炉の起動反応はもう一つある。
7番の常設橋の位置で胎動するように明滅を繰り返している光点。
まだまだ反応そのものは小さく、動ける状況ではないが間違いなく起動シークェンスにある機動城砦が一つ。
――機動城砦アスモダイモス。
「アスモダイモス伯殿は間に合わぬか……」
ローダ伯は小さく呟く、現状でこの起動状況では、アスモダイモスが起動する頃には、ペリクレスは城門を通過して砂漠へと逃げ去った後。こちらは戦力として含めない方が良いだろう。
現在のローダは前進と後退が精一杯。真っ直ぐ南へ向かうことと、北へ向かって逆走することぐらいしか出来ない。
しかし、このままローダを南へと前進させれば、西へと向かおうとするペリクレスの進路を塞ぐことができる。
進路さえ塞いでしまえば、後方から追撃するメルクリウスと挟撃する形を取る事が出来るのだ。
ところが機動城砦ペリクレスが予想外の動きを見せる。
「報告! 機動城砦ペリクレス! 北へ向けて旋回しはじめました!」
艦橋乗員の報告に、隣りに腰かけているペリクレス伯が勢いよく椅子から腰を浮かす。
「ろ、ローダ伯、聞いていた話と違う! 西へ向かってくるはずでは?」
「こちらの動きに気付いている様ですな。恐らくまずは北へ向かって、こちらの隙を見て西へと舵を切るつもりなのでしょう」
ローダ伯は白い歯を見せてペリクレス伯に笑いかけると、艦橋乗員たちに向けて指示をだす。
「むしろ好都合だ、ペリクレスに速度を合わせて併走せよ。次に西へと舵を切るタイミングを見計らってその進路を塞いでやれ」
◇◆ ◇◆
その頃、闘技場には、皇家の姫を殺害しようとした悪しき家政婦の処刑を一目見ようと、人々の群れが押し寄せていた。
代弁家政婦のトリシアは二人の剣闘奴隷とともに、群衆に押しつ押されつされながらも、波に攫われるようにして、闘技場の中へと入場した。
そして、闘技場の観客席、処刑台が設置されている3階の張り出し舞台。その正面あたりの席に、二人の剣闘奴隷に両脇を守られる様にして、何とか腰を降ろした。
「「「ふうぅぅぅ……」」」
両脇を固める二人とともに、トリシアは思わず大きく息を吐く。
これ程の人間に揉みくちゃにされたのは、流石に初めてだ。
処刑の予定時刻まではあと半刻ほど。それにも拘わらず、コロッセオの観客席は既に8割がたも埋まり、今なお続々と観客が押し寄せ続けている。
「しっかし、剣闘が見れるって訳でもないのに、これだけ人が集まるたぁ、日々、命削って、剣闘やってる身としちゃあ、何ともやりきれねぇな」
頭の後ろで両手を組んで、背もたれに身体を預けながら嵐のペリンが嘆く。
「まぁ、大罪人の処刑という触れこみですからねぇ、分からなくはないですね。野次馬根性ってやつですよ、ペリン」
神速のムスタディオが、愛想笑いを浮かべながらそれに応えた。
トリシア個人の想いとしては、この馬鹿げた騒ぎの大きさに、同じ家政婦として多少の誇らしさを感じている。
一階の家政婦が王侯貴族と同じ様に価値を認められて、こんな大舞台で処刑されるのだ。正直、死なせてやった方が、件の家政婦の為になるのではないかとさえ思う。
だが、敬愛する主人。その婿となる男はそれを許そうとはしない。
もしこの家政婦が自分だったら、若様は助けに来てくれるのだろうか?
思わず、そんな考えが頭を過ぎり、たぶん助けに来ようとするだろうという結論に至って、思わず肩を竦める。
それほど長い付き合いでは無いトリシアに、それを確信させるほど、あの砂漠の民の少年はお人よしなのだ。
未だに人で溢れ返っている門の方へと目をやりながら、トリシアは考える。
お嬢様は変わられた、あの引っ込み思案なお嬢様が、若様のためならば、驚く程大胆に行動する様になった。
そう考えたのと同時に、隣りのムスタディオが声を潜めて囁きかけてくる。
「トリシア殿、呼び出しの様です」
トリシアが視線を落とすと、手にした布鞄の中で、精霊石が明滅している。
周囲を見回して、手で隠しながらそれを取り出すと、そっと耳に押し当てる。
微かなノイズの向こう側から敬愛する主、マレーネの声が聞こえてきた。
「お嬢様、トリシアです。聞こえております」
そう精霊石に向かって話しかけ、再び耳へとそれを押し当てる。
そして、しばらく耳を傾けている内に、トリシアの顔から血の気が引いた。
「お嬢様、正気ですか?」
マレーネによって告げられた内容は、忠実な家政婦が主の正気を疑うほどに無謀なもの。
女は、愛する男によって変わる。
しかし、引っ込み思案な箱入り娘を、無謀な博打打ちへと変えてしまう程だとは、トリシアも流石に想像もしていなかった。
◇◆ ◇◆
トリシアとの通信を終えて、マレーネが精霊石を操作盤の脇に置いた途端、艦橋乗員の一人が声を上げた。
「機動城砦ローダを捉えました。ローダもこちらを捕捉している模様、2ファルサング先を北へ向けて逆走を開始。こちらに併走しようとしている様です」
「……放置」
マレーネは一瞬考える様な素振りを見せた後、短く言い放った。
まさかローダに自分の父親が乗っているなどとは想像もしなかったが、仮にそれを知ったとしても指示の内容が変わることは無かっただろう。
ローダの狙いは明らか。ペリクレスが再び西へと舵を切ると踏んで、そのルートを塞ごうとしている。
マレーネにとってはそちらは大した障害にはならない。どちらかと言えば、後方から追い縋ってくるメルクリウスの方が問題としては大きい。
「旦那様、そろそろ移動して」
「わかりました!」
マレーネが最上席でそわそわしているナナシへと視線を投げかけると、少年は待ってましたとばかりに勢い良く席を立ち、そのまま艦橋の出口へと足を向ける。
単純にこの分不相応な席から逃げ出したくて仕方がなかったのだろう。その少年の反応にクスリと笑みをこぼすと、マレーネは静かに目を伏せる。
「旦那様。無理をしないでとは言わない」
マレーネが弾き出したこの作戦そのものが無茶なのだ。
今さら無理をするなといったところで、その言葉に意味は無い。
だが、いくら思考を巡らせても、これしか方法が見当たらないのだ。
メルクリウス、ローダ、次々と現れる障害。
運命というのだろうか、見えない何かがマレーネ達の邪魔をしようとしている様に思えてくる。
ならば、それを力づくで捩じ伏せる。そんな方法を取るしかない。
「……信じてる」
マレーネのその小さな呟きが聞こえたのかどうかはわからない。
ドアのノブへと手を掛けながらナナシは一度後ろを振り向いて、マレーネと目が合うと小さく微笑んだ。
◇◆ ◇◆
千年宮。
その白亜の宮殿の屋根の上、三人の幼女が肩を並べて、腰かけている。
彼女達が眺めているのは、見渡す限りの砂漠。
常人の眼ではとても見えない位置にある三機の機動城砦を彼女達の眼は捉えていた。
「にゃはは、ねぇイーネ。マーネには運命が変わろうとしている様に見えるんだけど?」
黄色味がかった髪の幼女が楽しげにそう言うと、赤味がかった髪の幼女がコクリと頷く。
「信じられないけど、そうみたいだにょ。ミオが生き残った事で失われた筈の選択肢が息を吹き返そうとしているにょ」
「にゃはは、違うよイーネ。同じ選択肢じゃないよ。新たな選択肢だよ」
二人の幼女のやり取りに青味がかった髪の幼女がボソリと呟く。
「運命に抗う者などいない」
嘘しか言えない幼女は、運命に抗おうとしている者の存在を追って、立ち昇る砂煙を見つめている。
「確かに、ミオとあの家政婦の両方が生き残る未来は、今のいままで可能性としても欠片も存在していなかったんだにょ」
「にゃはは、まだ可能性だけどね」
「あの戦争狂の小娘が放った火種が、この国を焼きつくそうとしている事には変わりないにょ、それに、この選択肢がこの国を救うものかどうかもまだ分からないにょ」
赤味がかった髪の幼女がそう言うと、三人は互いに顔を見合わせる。
「にゃはは、イーネ、サーネ! おもしろいね」
「つまらない」
「うん、おもしろいんだにょ」
幼女達の口元が三日月の形に歪んだ。




