第121話 平和と繁栄の行末
ああ、静かだナァ。
チチチと小鳥の囀りが聞こえて、余りの静けさに普段であれば、殆ど感じることの無い機動城砦の振動が足の裏を擽るのが分かる。
「ウフフ、小鳥さん、小鳥さぁ~ん」
飛び去る可愛らしい小鳥の姿を追って、空を見上げる。
砂漠特有の抜ける様な青空。燦々と照りつける太陽。
「うん、今日も良い天気ッ!」
と、白い歯を見せて微笑んだ瞬間、視界の端にどんよりと打ちひしがれている赤いブツが入って、剣姫はしなしなと萎れた。
残念、現実逃避失敗である。
「ちょっとぉ、赤いの元気出してよぉ、これじゃ、私が悪いみたいじゃない」
脇腹からドクドク血を流している人間に「元気を出せ」と言うのは流石に無茶な注文ではあるが、少なくともメンタル面のダメージは誰がどう言い繕っても剣姫が悪い。
「ええねん……もう、ウチ、なんか、スベスベマンジュウガ二とか、そんな愉快な感じの生き物に生まれ変わりたい……」
「え、あ、うん」
おそらく、穴があったら入りたい的な意味なのだと思うのだが、そんな謎の生き物を引き合いに出されても正直困る。
「もうそろそろ、いいか?」
クルルが苛立たしげに石畳をコツコツと鳴らす。
戦争狂とは呼ばれているが、クルルは空気が読める様だ。
あらためてクルルは少し腰を落として、十字槍を構える。
「さぁて剣姫様よぉ! テメェの魔法はオレの『平和』を打ち破れねえってのはさっき見た通りだ。それとも何か? あれ以上の魔法が有るってんなら試してみるか?」
確かに単純な威力という意味では、剣姫には『蹂躙の吹雪』を上回る魔法は無い。
クルルを排除するという意味ならば、対象の時間を永遠に凍結させる『永遠の白』があるが、あの根こそぎ魔力を消費する魔法を使ってしまっては、今日は戦線へ復帰することは出来なくなるだろう。
それではダメなのだ。
剣姫の考え込む様な素振りを『打つ手無し』と受け取ったクルルは、勝負を決めに掛かる。
「来ねぇなら、こっちから行くぜ!」
クルルが声を上げると同時に、石畳に転がっていた鋼板が再び浮かび上がると、まるで羽虫のように剣姫の周囲を飛び回りながら、次第にその包囲を狭めていく。
剣姫はすぅと目を細める。
そして、愛剣『銀嶺』を構えることをせず、剣先を地面につける様にして肩の力を抜いた。
頭の中には水の姿。形を変え、捉われない動き。求める姿はそれ。息を潜め、殺気を殺し、空気の流れを肌で感じる。
クルルがパチンと指を鳴らした途端に、6枚の鋼板が、一斉に剣姫に向かって殺到していく。空気を乱し、風切音を立てて鋭く突き出される尖端。剣姫はゆらりとそれを躱す。一枚、二枚。踏み込んだ足を狙って突き出される三枚目を、剣で叩き落し、返す刀で四枚目を弾き飛ばす。
しかし、剣姫が反応できるのもそこで終わり。そこからは人知を超えた世界。眼前に迫る一枚。そして死角。頭上からもう一枚が迫る。
殺った!
クルルが心の内で快哉を上げる。
その瞬間、剣姫の口元が小さく動いた。
「凍土の洗礼!」
途端に、剣姫の周りを氷の粒を纏った竜巻が渦巻き、二枚の鋼板を遮って一気に弾き飛ばした。
「へぇ……。そんな事も出来んのか」
ヒューと口笛を鳴らしてクルルは感心したような素振りを見せる。攻撃が失敗したというのにむしろ嬉しそうな素振り。そして、クルルが指を鳴らすと、再び、フロアに叩きつけられた鋼板が浮き上がった。
6枚の鋼板はあらためて剣姫を取り囲み直すと、先程とは打って変わって、蠅の止まりそうな程にゆっくりと包囲を狭め始める。竜巻に接触。しかし、今度は弾き飛ばされない。竜巻に抗う様に踏みとどまり、氷の粒がぶつかる甲高い音を立てながら、じわりじわりと竜巻の内側へと侵入してこようとしはじめる。
6枚の鋼板が地面を穿つ蚯蚓のようにブルブルと震えながら、少しずつ少しずつ竜巻の中へとその身を捩じ込んでいく。やがて鋼板の先端が、竜巻の内側へと顔を出す。
その瞬間、剣姫は大きく目を見開き、大上段に剣を振り上げると、それを一気に振り下ろした。
「蹂躙の吹雪!」
その瞬間、竜巻の内側から冷気を纏った衝撃波が猛り狂う奔流の様に溢れ出し。剣姫の正面の鋼板を吹っ飛ばす。
そしてそのまま一直線。底冷えする白い爆発、はじけ飛ぶ氷の粒、幾本もの氷柱をその射線上に残して、一気にクルルを飲み込んだ。
カラン、カラン。
竜巻へと侵入しようとしていた鋼板が剣姫の周囲で次々に石畳の上に落ちて、乾いた音を立てる。
倒した。
剣姫は確信する。彼女を守っていた6枚の鋼板はここにあるのだ。
生身でこの一撃を喰らえば形も残ってはいないだろう。
ゆっくりと晴れていく白くけぶる冷気の靄。
しかしその向こう側に薄らと影が浮かび上がり、剣姫は眉を顰める。
白い靄の向こう側、剣姫の目にはそこに、クルクルとまわるガーベラの花が咲いている様に見えた。
靄が薄れるにしたがって明らかになっていく姿。それは寄り集まって華のような体形をとる円筒。その数8つ。
その円筒の向こう側に片膝をついた状態で薄らと嗤うクルル。
その姿を見て剣姫はその円筒がどこから現れたのかを察した。
先程までクルルの身体を覆っていた重厚な装甲が消えて、褐色の両手両足が剥き出しになっている。
上腕部、前腕部、上腿部、下腿部。
クルルの身体を覆っていた装甲がそれぞれ身体を離れて浮遊しているのだ。
「いいぜ、今のにはスゲェ殺意が乗ってたなァ。だが残念だ。馬鹿の一つ覚えみてえな、攻撃が通じるわきゃねえだろう。このオレ様にはなァ」
ニヤニヤと嗤うクルル。
その口元から覗く八重歯が今の剣姫には不吉な牙に見える。
「オレの迎撃装甲は『平和』だけじゃねえぞ。こいつの名は『繁栄』。領主専用の追加武装だ」
兵器――人殺しの道具につける名が『平和』と『繁栄』。諧謔趣味の極みと言っていいだろう。
剣姫は驚きつつも、冷静に観察する。
鋼板に比べると、円筒のその形状は防御に向いているとは思えない。
一撃目とは違って、完全にダメージを殺せたわけではないだろう。
実際、立ち上がろうとしてクルルはふらついた。
もう一撃加えれば……。
剣姫はもう一度剣を振り上げる。
しかし――そこに油断が生まれた。
クルルが喉の奥で嗤い声を立てる。その瞬間、石畳の上で転がっていた鋼板が一斉に浮かび上がり、下から突き上げる様な角度で剣姫に襲い掛かる。
戦慄が走って、肌が泡立つ。タイミングはギリギリ。剣姫は即時に軌道を見極め、頭と胸、致命的な部分へと飛来する2つを『銀嶺』を抱きかかえる様にしてなんとか弾き飛ばし、一つは身体を捻って躱す。
「クッ……!」
しかし、それでも数は3つ。
残りの3つを躱すには余りにも距離が近すぎた。
鋭い切っ先が剣姫の白い肌を切り裂く。
左腕に赤い筋が走る。脇腹は掠っただけだが、右腿はざくりと切り裂かれて、血が堰を切ったように流れ落ちる。
「ひゃはぁ! 油断、油断、油断! 『平和』と『繁栄』、二つを同時に動かせねえとは誰も言ってねえぜ、ドアホが!」
狂った様に笑い声を上げながら、嗜虐の悦楽に顔を歪ませるクルル。
その秀麗な顔立ちとは裏腹に、その表情は醜い猿を思わせた。
「さぁて、その足じゃどうやったってオレのところまで踏み込んで来れねェよな。け・ん・き・さまぁ~。頼みの魔法も効かねえとなれば、どうするよ? 何か他にいい手があるなら、是非見せてくれよ。おっと降参ってのは無しだぜ、降参しても殺す。どっちみちテメエの運命は蚯蚓の餌だ」
その瞬間、機動城砦全体がゆっくりと揺れて、クルルの嗤いが途切れる。
足元の影が、身体を中心としてゆっくりと回っていく。
機動城砦ペリクレスが右舷へ旋回。北上し始めたのだ。
剣姫は眉根を寄せる。痛みのせいでは無い。
事前に聞いていたよりも旋回を開始するタイミングが早い。首都の外縁を周回する軌道にしては、北上を開始するには早すぎるのだ。
こんなところで北上してしまっては、首都の裏側へ周りこもうと思えば、もう一回西へと舵を切る必要が出てくる。
そうなれば、当然時間のロスが発生する。
すでに限界まで速度を上げているものだと思っていたのだが、ペリクレスにはさらに速度を上げる術がある。そう言う事なのだろうか?
「お前達が何を狙ってんのかは、正直あんまり興味はねえが、首都の方へ向かって旋回したってことは、一旦砂漠に出たのはどうやら、フェイクだったらしいな」
何となく口には出してはみた物の、やはりクルルは本当に興味が無いらしく、すぐに剣姫へと向きなおる。
「さて、トドメと行こうか」
『繁栄』に周囲を周回させながら、クルルが剣姫の方へと一歩足を踏み出したその刹那、
「火炎柱」
剣姫の背後で聖句を唱える声が響き、続いて、剣姫の脇をすり抜けるようにして2つの逆巻く炎の柱がクルルへと迫る。
想定外の攻撃。
流石にこれにはクルルも慌てた。
『繁栄!』
クルルの呼び声に円筒が寄り集まって炎を遮断する。
しかし、それも完全に防げたわけではない。
クルルの髪の焦げる嫌な臭いが剣姫の鼻先を擽る。
「なんだァ! ……そっちもまだ生きてたンかよ。しぶてぇなァ」
火柱が発した方へと目を向けると、そこには振り下ろした剣を杖にして息も絶え絶えに立つ、紅蓮の剣姫ヘルトルードの姿があった。
『平和』によって抉られた脇腹を、強引に自らの炎で焼き付けたのだろう。傷は塞がってこそいるが、痛ましいほどに赤黒く引き攣って、大きな火傷になっている。
流石にその痛ましい姿に銀嶺の剣姫も慌てた。
「赤いの! 無茶しすぎです」
「あほぉ……こうせんと、さすがにこれ以上……血ぃのうなったら死んでまうがな」
「その前に、そんな状態で戦ったら、どっちにしても死んじゃいますよ!」
「うっさいわ……。このままやったら……剣姫としてどころか、ハァ、女としてのウチが廃るんじゃ、ボケ」
「そんなの今更じゃないですか!」
「サラッと酷いわ! ……まあええ、ぼさっとしとらんで、お前はドンドン打ち込んだらええねや。まだまだ撃てるやろうが……。ウチとやりあった時みたいにバカスカ撃ったらええねや」
その言葉に流石に危険を感じてクルルは、『繁栄』だけではなく、『平和』の6枚の鋼板を自分の周りへ引き寄せて防御態勢を取る。
「ハン、魔力切れを狙っているなら残念だが意味ねぇぞ。こいつの魔力はメルクリウスの魔晶炉から直接供給されてるんだからなぁ」
確かにそれでは、ヘルトルードと戦った時の様に防御に魔力を使わせて昏倒させるというわけには行かない。銀嶺の剣姫があらためて口を開きかけるのをヘルトルードが遮る。
「ええから撃て! ボケナス!」
「誰がボケナスですか!」
そう言い返しながらも剣姫は再び、大上段に剣を振り上げる。
『蹂躙の吹雪!』
剣先から冷気を纏った衝撃波が津波の様に走り、クルルへと襲い掛かる。
しかし『平和』と『繁栄』。
2つの迎撃装甲によって完璧に遮断され、クルルの前で白い靄が立ち昇る。恐らくクルルには全く届いていない。
しかし、その靄が晴れるのを待たずに、
「火球! 火球! 火球!」
ヘルトルードが息を荒げながら、剣を振り下ろす。
白い靄に向かって3つの火球が飛び込み、白い靄がジュッと音を立てて湯気となって激しく立ち昇る。
「ボサッとすんなや! もっと撃て! 色ボケ!」
「さっきからなんで私を詰るんですか!」
「うるさい、早ぉ!」
『蹂躙の吹雪!』
再び衝撃波がクルルを襲う。
立ち昇る湯気のせいでクルルの姿は全く見えない。しかし、音で判断する限り、これもクルルには届いてはいない様に思える。
「トドメや! 青いのうまいこと逃げろよぉ!」
そう言い放つと、ヘルトルードは剣を自分の顔の横で水平に寝かせると、くるりと一回転しながら振り回す。
「煉獄の炎おぉぉぉぉ!」
剣先から、特大の炎の槍が現れて、慌てて飛び退く剣姫を掠め、未だに立ち昇る白い湯気のど真ん中へと飛び込んでいく。
爆発音。飛び散る石畳。腹に響く様な激しい衝撃とともに白い湯気に黒煙が混じって高く立ち昇り、まるで噴煙を吹き上げる火山の火口の様にすら見える。
「これなら……」
飛び退いて、城壁の端で横たわりながら剣姫がクルルのいた方を見上げる。
徐々に晴れていく白と黒が入り混じった煙。
その向こうに現れた姿を見て、剣姫は愕然とした。
二つの花がクルクルと回っている。
「む、無傷……?」
『平和』と『繁栄』。
二つの迎撃装甲が、変わらぬ姿でそこに浮かんでいた。
「ははっ アホ共が、テメェらごときが幾ら束になってかかってきたところで……」
勝ち誇るクルルの声を遮って、ヘルトルードが呟く。
「さぁ……それはどうやろか?」
「ナニ?」
次の瞬間、二つの迎撃装甲にピシピシと音を立ててに亀裂が走っていく。
「馬鹿な! この程度の攻撃でどうにかなるものではないぞ! 貴様ァ! 何をした」
狼狽するクルルを見下すように口元を歪めて、ヘルトルードは言い放つ。
「何をしたやあらへん。繰り返し熱と冷気に晒されて、急激に膨張と収縮を繰り返したら、どんだけ堅牢な金属でも熱疲労を起こすに決まっとるやろが……」
「なっ?!」
「『平和』? 『繁栄』? そんなアホな名前を付けたのが運の尽きや……」
「何だと?」
「それが……どんだけ脆いもんかも分らん様じゃ、戦争狂名乗んのは100年早いわぁ、ボケェ……」
一瞬呆気にとられた様な表情を見せた後、クルルは悔しげにギリッと奥歯を鳴らし、銀嶺の剣姫は驚愕に目を見開いて、ヘルトルードを見つめた。
「……青いの、なんでオマエがそんな驚いてんねん」
「だって、赤いのが、そんな頓智の効いた受け答えをするなんて……」
「頓智とか言うな! オマエとは、ホンマ一片きっちり話を付けなアカン……な……」
そのままヘルトルードは力尽き、その場に膝から崩れ落ちた。




