第119話 戦争狂の強襲
一方は追い、一方は追われる。
砂煙を巻き上げながら、疾走する二つの機動城砦。
機動城砦ペリクレスは、地平線上で揺らめく首都の影を右手に眺めながら、涙型の巨体、その尖端を西へと向けて疾走している。
今は丁度、6番の常設橋の南側。
そのまま西へと走り続ければ、次は5番、その次は4番と数字を遡る様に常設橋の南を横切っていくことになる。
最終的には1番の常設橋を越えた辺りで北上して、首都の裏側の断崖から闘技場へと侵入する事になっている。
城壁の上、銀嶺の剣姫マスマリシスは、中天へと向かって駆け上がっていく太陽を見上げ、眩しげに目を細める。
死刑執行の予定時刻である正午までは、あと1刻程。
これはある種の奇襲作戦。ミリアが刑場に引っ張り出されるのとほぼ同時に到着しなくてはならず、遅すぎても、早すぎても、それは失敗を意味する。
無論、そのあたりのコントロールが彼女の手の内にある訳ではなく、最終的には艦橋で乗員をまとめているマレーネの手腕に拠るところが大きい。
とはいえ、ここは彼女の良く知る機動城砦サラトガではない。
この機動城砦ペリクレスの乗員達の手腕を全面的に信用できる程、長くここにいるわけでもなく、胸に去来する不安を払拭することが出来ずにいた。
「こっちから仕掛けられへんかな? やっぱ、逃げ回るってのは性にあわへんわ」
マスマリシスの不安を他所に、すぐ隣、右舷後方を追走してくる機動城砦メルクリウスへと目をやりながら、紅蓮の剣姫ヘルトルードは、軽く親指の爪を噛む。
逃げるという状況が気に食わないのも当然。
銀嶺の剣姫と戦うことを目的に、遠くネーデルからこの地を訪れた紅蓮の剣姫。元来、彼女の方がずっと好戦的なのだ。
マスマリシスは相棒のそのいつもと変わりない様子に思わず口元を緩める。
「無理でしょうね。赤いの、アナタ、『飛翔』なんて使えないでしょう?」
「確かに使えへんけど、それはアンタもやろぉな。ま、使えたとしても飛んでせいぜい100ザールぐらい、全然届けへんわなぁ」
「そういうこと。追いついて来れないなら放っておくしかありません」
「何だかなぁ……」
つい先程まで蝗の群れの様に飛来していた敵兵の姿は既に無く、城壁の上にいるのは、この二人のみ。
彼女達が手を下す事も無く、城壁の上に降り立った敵兵はそのほとんどが、パカりと口を開けた石畳の内側へと飲み込まれ、極一部、たまたま飛距離が長く、城壁を飛び越えた数名だけが城砦内、市街地の方へと降りていった。
飛来する敵兵を迎撃すべく、気合を入れた分だけ肩すかし。ヘルトルードはあまりの手持ち無沙汰さにボヤかずにはいられなかった。
「ここにいても何もすることは無さそうですし、私達も街の方へ降りていった敵兵の掃討に向かいましょうか」
「せやなぁ」
ヘルトルードは如何にもつまらなさそうに唇を尖らせて、頭の後ろで両手を組む。
そのまま階段の方へと向かおうと、黒いフリル満載の三段スカートを翻したその時、目の前の足元。石畳に落ちた黒い影が徐々に大きさを増していくことに気がついた。
「青いのッ!」
「ッ……!」
ヘルトルードが声を上げたのとほぼ同時に、強烈な殺気が二人を襲い、剣姫達は弾かれる様に左右へと飛びのく。
次の瞬間、
二人が立っていたところへと、空中から黒い影が降って来た。
耳障りな金属音と重なって響く、重厚な破砕音。
砕かれた石畳が礫となって飛び散り、周囲の石畳にピシピシと音を立てて罅が走る。
二人の剣姫の眼は、飛び退きながらもその影の正体を捉えていた。
蓬色の重厚な鎧を纏った少女。
それが、十字の穂先を持つ槍の横刃の部分に足を掛けるようにして、直上から落ちて来たのだ。これまで散々、急降下攻撃を仕掛けてきた銀嶺の剣姫も、まさか自分が仕掛けられる側になろうとは想像もしておらず、完全に虚を突かれた形となった。
何とかその一撃から逃げ延びたものの、完全に体勢を崩した剣姫二人。蓬色の少女は石畳に突き刺さった十字槍を引き抜くと、弾ける様に跳躍して、続けざまにヘルトルードへと襲い掛かる。
「ちょ! ちょぃ待ちぃな!」
待てと言われて待ってくれる筈も無く、勢いよく突き出される十字槍。
辛うじてヘルトルードは『紅蓮』を引き抜いて、それを弾き返すも、それはあまりにも力強い一撃。
力で押し倒されてヘルトルードは尻餅をついた。
続いて横たわるヘルドルートを足元に見下ろしながら、蓬色の少女はニィと口元を歪めると、十字槍を逆手に持ち替えて、二の槍、三の槍と力任せに振り下ろす。
「ひぃいいい」
ヘルトルードは恐怖に引き攣った表情を浮かべながらも、恥も外聞もなく無様に転がって何とかそれを躱し、這うようにして後ずさる。しかし、それを蓬色の少女が見逃す筈も無く、今度こそ止めとばかりに大きく槍を振りかぶった。
「赤いの!」
相棒の窮地にマスマリシスが声を上げながら突っ込んでくる。
彼女は蓬色の少女と、ヘルトルードの間に剣を振りあげながら割り込み、突き出される槍の穂先その根元のくびれた部分、最も折れやすいケラ首へと向けて、大上段から愛剣『銀嶺』を振り落ろした。
しかし、蓬色の少女は鼻先でそれを笑うと、すかさず槍を引いて順手へと持ち替え、穂先でその一撃を難なく受け止める。
ぎりぎりと金属の擦れあう甲高い音を立てながら、蓬色の少女は受け流しもせずに十字槍の横刃で絡める様にしてそれを押し返し、互いに力で押しあう形へと持ち込んだ。
「嘘……」
マスマリシスは驚愕に目を見開く。
霊剣によって強化された剣姫の膂力は通常の女性とはレベルどころか、次元からして異なる。
にも拘らず、この少女は一歩も退く事なく、力でマスマリシスを捻じ伏せようとしているのだ。
ジリジリと押し返される刀身。その向こうで楽しげに嗤う少女。額から噴きだす汗とは裏腹に背筋を冷たいものが走る。
「……そのまま、そのままそいつ足止めしといてや」
背後でヘルトルードがゆらりと立ち上がる。
マスマリシスは相手から目を離すことは出来ない。彼女は更に剣に力を込めながら肩越しに背後へと声を掛ける。
「赤いの! 気を付けて。この娘、何かがおかしい!」
「そんなん見たらわかるやろ、今さらやわ」
当代最強と謳われる銀嶺の剣姫と鍔迫り合いを演じ、しかもそれを圧倒しようとしているのだ。それだけでも異常としか言いようがない。
ヘルトルードは剣を構えながら、改めて蓬色の少女を観察する。
年の頃は、ヘルトルードと同じ14~15。深煎りの豆の様に深い色をした褐色の肌。左右で二つに結われた長い黒髪が揺れている。
猫の様な瞳と、いかにも気の強そうな口元。それを楽しそうに歪めながら、銀嶺の剣姫を力で捻じ伏せようとしている。
化物。
ヘルトルードの感想を言葉にするとシンプルにその一語に集約される。しかし、少女がどれだけ人間離れしていようとも、そこは二人対一人。
鍔迫り合いをしながら、もう一人の剣をさばくことなど出来はしない。
「流石に二人がかり言うんは、胸が痛むけどなァ!」
口ではそう言いながらも、ヘルトルードの胸は毫も痛んでは居ない。彼女は元々は狼人間を狩って糊口を凌いでいた狩人だ。騎士道精神など欠片程もありはしない。
ヘルトルードはマスマリシスの背後から飛び出すと、炎を刀身に宿らせながら少女へと襲い掛かる。
マスマリシスとの鍔迫り合いの最中、十字槍でそれを防ごうとすれば、マスマリシスの剣に斬られ、防がなければヘルトルードの剣に斬られるという、どちらに転んでも少女の運命は斬られるという結末へと向かう状況。
しかし蓬色の少女は更に楽しそうに喉の奥で「ヒャハ」と笑うと、ヘルトルードの方を見向きもしないで声を上げる。
「離脱!」
その瞬間、彼女の身体を覆っていた甲冑の背面装甲が弾け飛ぶ。
6枚の菱形の鋼の板が飛出し、空中にピタリと制止すると、次の瞬間ヘルトルードへと殺到する。
「な、なんじゃそら!?」
流石にこれは予想外の反撃。
慌てながらもヘルトルードは振り上げていた剣を引いて、正眼に構え、飛来する6枚の鋼板を迎え撃つ。
「爆裂!」
剣先から飛び出した火球が鋼板の間で爆発し、2枚を弾き飛ばす。しかし流石に6枚の鋼板全てを裁き切ることはできない。
剣で更に2枚を弾き飛ばしたところで、ヘルトルードの肩口を菱形の先端が突き刺さり、よろめいたところを、続いてもう一枚がドレスの布を切り裂きながら、脇腹を抉って彼女の身体を石畳へと撃ち伏せる。
「ああっ!」
短い悲鳴とともに、どさりと地面へと倒れる音。
「赤いの!」
マスマリシスは思わず声を上げ、視線をヘルトルードの方へと向ける。
仰向けに倒れた彼女の脇腹から流れ出た血液が、瞬く間に石畳の上に血だまりを作る。深い。恐らく傷は内臓にまで達している。
「人の心配してていいのか? 貴様」
少女の嘲笑する様な声に、マスマリシスは我に返り、改めて少女の目を見据える。
少女の背後には、いつのまにかヘルトルードを倒した6枚の鋼板が寄り集まって、菱形の鋭角の部分をマスマリシスへと向けながら、くるくると回っている。
チェックメイト。
この状態で6枚の鋼板に襲い掛かられては、いかに銀嶺の剣姫とて防ぎようが無い。
額の汗が球となって、マスマリシスの頬を伝い、口元を硬く引き結ぶ。
しかしその緊張感漂う面持ちを眺めながら、蓬色の少女は溜息を吐いた。
「弱ぇ、全く何が剣姫様だ。期待外れも良いところだぜ」
「言ってくれますね。メルクリウス伯」
「ほぉ、オレのことを知ってんのか」
「ええ、まぁ……」
確かに二人には面識がある。
つい先日、言葉も交わしている。
但し、その時には剣姫は偽装環を用いてストラスブル伯に化けていた為、メルクリウス伯クルルの方には覚えがない。
「まあ、いいや。とっとと終わらせるか」
クルルがそう吐き捨てると同時に、剣姫が地面を踏み鳴らす。
「氷柱!」
クルルの足元から喉元を狙って、巨大な氷柱が勢いよく飛出す。これには流石に意表を突かれ、クルルは槍を引くと慌てて背後へと飛び退く。
この瞬間、二人の間に距離が出来た。銀嶺の剣姫マスマリシスはスッと目を細める。この瞬間を逃す訳にはいかない。
「弱いと言ったことを後悔させてあげます。少々大人げないですが……」
そう言って、愛剣『銀嶺』を大上段に振り上げるとマスマリシスは一気に振り下ろす。
『蹂躙の吹雪!』
数多の敵を屠って来た必殺の魔法。
冷気を纏った衝撃波が石畳の表面を抉り、轟音を立てながら、クルルへと殺到する。削られた石畳の表面が、濛々と砂の様に立ち昇り、白い冷気とともに巻き上がる。
流石に城壁を壊す訳にはいかず、しかも相手は人間。
多少威力を殺して放たれたとはいえ、その一撃は少女一人を氷の彫像に変え、更にそれを粉々に砕くにしても十分すぎる一撃であった。
…………その筈だったのだが。
衝撃波が通り過ぎ、濛々と立ちのぼる砂煙が収まり始めたところで、剣姫は言葉を失った。
砂煙の向こう側、6枚の鋼板がまるで花を形作るかのように寄り集まって、クルクルと回転しているのだ。
鋼板の背後から「ヒャハ」という喉の奥で、しゃくり上げる様な笑い声が洩れる。
「イイね。スゴくイイぞ、銀嶺の剣姫様よぉ。弱すぎるってのは訂正してやろうじゃねえか」
「ありえない」
思わず、ゴクリと喉が鳴る。
剣姫同士の戦闘ならばともかく、ただの少女があの一撃を正面から受け止めたという事実に圧倒される。
手負いの人間を庇いながら戦って勝てる相手ではない。
正面でクルクルと回る鉄の花弁を目で捉えながら、マスマリシスは背後のヘルトルードへと声を掛ける。
「赤いの、自分で立てますか?」
「舐めん……な。ウチはなぁんにも問題無い……で」
そう答えはしたものの、その声は弱々しい。
鉄の花弁が再び6つの鋼板へと分裂して、その向こうにいた少女の周りを周回し始める。再び姿を見せたクルルは確かに無傷。毫も傷ついた気配すらない。
気だるげに十字槍を肩へと担ぎ、クルルは剣姫へと尋ねる。
「なぁ剣姫。ここにナナシって名前の地虫はいるか?」
主の名前が出たことに、剣姫のこめかみがピクリと動く。
「主様に何の用があると言うんです。あと次に地虫って呼んだら、ズタズタに切り裂きます」
「その様子なら、どうやらあの野郎はここにいるらしいな」
「居たらどうだと言うんです」
「もちろん殺……」
殺す。そう言い終わった時には剣姫は『銀嶺』を振り上げて、クルルの眼前に迫っていた。
常軌を逸する速度。秀麗な顔を怒りに歪め、狂気を孕んだ目つきでクルルを睨み付けながら銀嶺の剣姫が突っ込んでくる。
これには流石にクルルも目を剥いた。
鋼板が最初の一撃を弾き返すも、マスマリシスは止まらない。獣のような唸り声を上げながら、次々に繰り出される剣戟。いつしか6枚の鋼板がフル稼働で剣を弾き続けているが、それも追いつかない。遂には鋭い一撃が6枚の鋼板の間隙をすり抜けて、じりじりと後ずさるクルルの頬を掠り、一筋の傷をつける。
「バカな!」
今度はクルルが驚愕する番が来た。
量産型の迎撃装甲ならばまだしも、メルクリウスの技術の粋を集めて作り上げられた領主専用迎撃装甲『平和』を真正面から突破できる筈がない。
自分の頬を流れる血を指先で拭いながら、怒りに満ちた目で剣姫を睨み付ける。
「貴様ァ! ブッ殺してやる!」
銀嶺の剣姫マスマリシスは、怒りに歪むクルルの顔を見据え、剣を構える。
「私は主様の剣。私は主様の盾。……あと抱き枕。主様の前に立ちはだかる者は全て私の剣の下へと倒れることになります」
マスマリシスの背後でヘルトルードが苦しい息の下。
「……なんで抱き枕やねん。そんなとこに願望入れんなや……」
と律儀にツッコんだ。




