第117話 戦闘城砦の追撃
「魔晶炉! サブ動力! 出力オールグリーン」
「進路南。約180秒後、門通過に向けて方位、誤差修正開始」
「門は通過しません。手前で西へ旋回するからそのつもりで!」
「了解しました!」
発進から半刻、機動城砦ペリクレスの艦橋は俄かに慌ただしさを増している。
乗員達の確認や指示の声が飛びかう中、艦橋最後部の一段高い席に座っているナナシは、正面の精霊石板の内側で小さくなっていく首都の姿を眺めながら、一人落ちつかない様子でソワソワしていた。
「トイレ?」
ナナシの席、その斜め後ろからマレーネが問いかけてくる。
「いや、そういう訳ではなくて。僕も何かしなくていいんでしょうか? せめてお茶とか入れてきましょうか?」
言うなれば、ただの貧乏性。
ナナシは自分が休んでいる時に、人が忙しそうにしているのを見ると、罪悪感を覚えるタイプの小市民であった。
「主様。主様は今、我々の首魁なのです。それが、細々と動き回られては周りの者は不安になります。どっしりとそこにお掛けになっておられること、それこそが主様のお仕事でございます」
「せやで、偉そうにしてるのが仕事とか、言うことあれへんやん」
マレーネとは逆の方向から、剣姫がナナシを諌め、ヘルトルードがそれに続く。
「そ、そうなんでしょうけど……、人には向き不向きという物がですね……」
そう言って、ナナシはあらためて自分の現状を顧みる。
艦橋全体を見渡せる最後尾。
そこの一段高い豪奢な席にペリクレス伯の娘と銀嶺の剣姫、紅蓮の剣姫と三者三様の美女を従える様に座っている。
何処から見ても、勝ち組の姿。
だからこそ!
だからこそ、ナナシの自身に対する評価と現状の隔たりは凄まじく、心の底から逃げ出したい気持ちで一杯になる。
貧乏人がある日突然、大金を手に入れちゃったりすると、意味も無く散財して、すぐに元の状況に戻ってしまうという例のアレだ。
人間という生き物は、自分自身に持っているイメージと異なる状況に置かれると途端に居心地が悪くなる。それが例えマイナス方向であっても、無意識に元に戻ろうとする力が働くのだから始末が悪い。
「どうすればいい?」
マレーネがいつまでも落ち着かない様子のナナシを心配そうに覗きこむ。
ナナシは考える。
そう言えば、以前にもやけに大切にされて、落ち着かない気持ちになっていた時期があったような……でそんな時に急に気が休まる、そんなシチュエーションがあった。確かにあった。(※第13話参照)
そこまで考えたところで、ナナシの頭の中を唐突にアージュの顔が過ぎった。
そうか、そうだ!
ナナシはピシャリと膝を叩いて、マレーネへ向き直ると声を大にして言った。
「マレーネさん! 僕を思いっ切り、罵ってください!」
凍り付く艦橋。
乗員達が一斉に、驚愕の表情で振り向いた。
「あ、主はん、ま、まさかアンタ……」
「だ、旦那さま……」
ヘルトルードとマレーネが、若干蒼ざめた表情でドン引きする様子を見せたところで、ナナシは自分の発言がどんな誤解を生み出したかに思い至る。
「ち、違います! 違うんです! そ、そういう意味では無くて!」
狼狽えるナナシ。
しかし、その肩に優しく手を掛けてくる者があった。
見上げれば、そこには動じる様子も無く試合の微笑を浮かべる剣姫の姿。
「大丈夫です。主様。私は、マリスはちゃんと分かっておりますよ」
「剣姫様……」
思わず見つめ合う二人。
「マリスは鞭も得意です」
「ちがああああああう! ていうか、そう来るんじゃないかと、薄々思ってましたよ!」
ドMの烙印待ったなしである。
「アナタ達、ずいぶん余裕あるのねぇ……」
艦橋の入口の方から呆れたような声が響く。
目を向ければ、そこには壁に寄りかかりながら、呆れた表情を見せるシュメルヴィの姿があった。怪我は無い様だが、著しく疲弊している様に見える。
「おかえりなさい。なんかスミマセンでした。キリエさんが……」
「なぁに、見てたのぉ?」
「音声なしの映像だけですけど、肩、大丈夫ですか?」
「大丈夫よぉ~。余裕、余裕。豊胸してから出直してこいって感じよぉ」
……割と根に持っているような気がした。
ナナシがどう返事をしていいのか迷っている間に、シュメルヴィはぐるりと一同の顔を見回して首を捻る。
「ところでぇ、誰か足りない気がするわねぇ?」
「実はシュメルヴィさんが戦っている間に、トリシアさんにはゴミの廃出口から外へ脱出してもらいました」
「トリシア……ああ、あの家政婦さんね、背の高い」
「ええ、彼女には観衆に紛れて潜入してもらって、逐一、処刑の進行状況を伝えてもらう予定です」
「大丈夫なの?」
シュメルヴィはマレーネに問いかける。
「問題ない」
「剣闘奴隷が2人護衛に付いてくれてますので、よっぽどのことが無い限りは大丈夫だと思います」
ナナシがそう言い終わるのとほぼ同時に艦橋乗員達が急にざわめき始めた。
「何?」
「お嬢様、報告します! 後方に魔晶炉の起動反応を感知しました!」
乗員の報告にマレーネが息を呑み、ナナシの方へと向き直る。
「旦那様、追手が来る」
ナナシはきょとんとした表情になる。
「でもマレーネさん。起動って一日がかりの作業なんでしょう?」
「それは完全停止の場合」
「つまり、アイドリング状態だった機動城砦がいるということですか?」
マレーネがコクリと頷く
ペリクレスが停泊していたのは9番の常設橋。
後方からの反応ということは、その近隣に停泊していた機動城砦のものに違いない。確か7番にはアスモダイモス、8番にはヴェルギリウス、そして10番には……。
「照合! 機動城砦メルクリウスが起動。既に発進シークェンスに入っている模様です」
メルクリウス――戦闘城砦の異名を持ち、エスカリス・ミーミル最強という呼び声も高い機動城砦であった。
「精霊石板に!」
マレーネの指示に従って、艦橋正面、上部に取り付けられた巨大な精霊石板に当に今、常設橋から離脱しようとしている機動城砦の姿が映し出される。
デザートカラーで迷彩柄に塗装された鉄の城壁。
形状はオーソドックスな長方形だが、同形城砦のサラトガに比べても、一回りは大きい。とりわけ特徴的なのは、その本体の左右から牡牛の角のように突き出した2門の巨大な魔力砲。
まさに戦闘城砦という二つ名にふさわしい威容であった。
シュメルヴィが艦橋全体を見据えながら声を上げる。
「予定変更よぉ! 今すぐ西に旋回して。追ってくるんだったら、南へ向かう様に見せかける意味は無くなるわぁ。それよりいつまでも背面を晒している方が危険よぉ」
操舵手が西へと舵を切り、途端に右舷に向かって重力がかかると、ナナシ達は一斉によろめいた。
続いてシュメルヴィがマレーネに向かって指示を出す。
「マレーネさん、メルクリウスに打電!」
「了解」
「文面は、ペリクレス伯の娘の命が惜しくば動くな。でお願い!」
人質本人が脅迫文を打電するというシュールな光景。
しかし即座に返信が帰ってくる。
「返信来ました。読み上げます!『お好きにどうぞ』」
「……白いの、アンタ安っすい命やなぁ」
ヘルトルードが呆れた様に肩を竦め、マレーネが口を尖らせる。
「まぁ、そりゃそうよねぇ、あそこの連中はぁ、戦えればそれでいいんだからぁ」
同じようにシュメルヴィも肩を竦めると、ナナシが視線を上に向けて考える様な素振りを見せる。
「えーと、ももんがでしたっけ」
「戦争狂ね」
しかし、状況は更に悪化の様相を見せる。
艦橋乗員の一人がアッと声を上げ、震える声で報告する。
「アスモダイモス、ローダも起動始めました! ただ、こちらはまだ反応小さいです。すぐには動けないと思われます」
「ローダ? ローダなんか動けるわけないやん、艦橋吹っ飛んでるんやで?」
吹っ飛ばした張本人が笑い飛ばす。
ともかく差し迫る危機は機動城砦メルクリウス。既に常設橋を離れ、徐々に速度を上げながら、こちらへと追い縋ってくる。
「主様、私は赤いのと、メルクリウスとの交戦に備えて城壁に向かいます」
剣姫は、ヘルトルードと頷き合う。
「二人だけじゃ……僕も行きます!」
ナナシが椅子から立ち上がろうとした途端、シュメルヴィがそれを押しとどめた。
「ダメよナナシくん。目的を忘れないで。マレーネさん、剣闘奴隷をかき集めて、今すぐ!」
マレーネが頷いて、艦橋から走り出て行くのを見届けるとシュメルヴィは剣姫に向き直る。
「セルディス卿、剣闘奴隷達をまとめて後から追わせるわ。メルクリウスが接舷してくるなら右舷からよ」
マレーネに続いて剣姫達が艦橋から飛び出していき、シュメルヴィは操舵手に向かって声を上げる。
「もっと旋回半径小さくできないの! このままじゃ撃たれるわよ!」
「やってます! これが限界です!」
次の瞬間、精霊石板が激しく発光する。
ペリクレス全体を突き上げるような激しい振動が襲い、つんのめる様に城砦全体が前へと押し出される。激震、轟音、響き渡る悲鳴。窓の外、後部からペリクレスの斜め前方へと抜けていった閃光が、左舷前方の砂漠を抉り、高く砂を巻き上げた。
乗員達はそれぞれの席でデスクに掴まりながら頭を伏せ、その場に立っていたシュメルヴィは、激しく体を揺さぶられ、堪え切れずにフロアへと倒れこむと、強かに身体を打ちつけられる。
「シュメルヴィさん!」
「……大丈夫」
シュメルヴィは心配そうに声を上げるナナシを手で制して、起き上がると乗員に向けて叫ぶ様に声を上げる。
「被害報告! 急いで!」
「報告します。右舷後部、被弾! ダメージは大きくありません。掠っただけです!」
「ペリクレスは魔力砲は搭載してないの?」
「ありません!」
「もう、なんなのよぉ、このポンコツは!」
シュメルヴィは呆れた様に天井を仰ぎ、乗員達はポンコツという言葉にイラッとした様子を見せながらも、更に報告を続ける。
「メルクリウス接近します。速いです。接触は半刻後と予測されます!」
「多分、もっと早いわ。あそこの断罪部隊は超長距離跳躍が可能だと聞いてる。ある程度接近したら飛び移ってくるわよ!」




