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第113話 それ以上やると剣姫が死ぬ

「なああああにぃを、しておられるのですかぁ?」


 地の底から響いてくる様な女の低い声。

 ピシリと音を立てて、硬直するナナシ。

 それは聞きなれた声。その声の(ぬし)が誰なのか、いまさら振り向くまでもない。


「……主様、そのままその毒婦を押さえていてください。主様の顔の形に胸の部分を凹ませた愉快な氷の彫像にしてやりますから」


「ちょま! 剣姫様! タンマ! ストップ!」


 ナナシはマレーネの手を振り払い、胸元から勢い良く顔を上げる。


 なんて恐ろしいことを言うのだ。

 もちろんマレーネの身も案じてはいるが、それ以上に言い逃れの出来ないエロの痕跡(こんせき)を残されては、たまったものではない。


「違っ、違うんです。これはそういう事ではなくて!」


 しどろもどろになりながら、声を上げるナナシの方へと、剣姫はつかつかと歩み寄ってくると腰に両手を当てて仁王立ち。憤然とした態度で二人を見下ろした。


「マレーネ殿! 全てが終わるまでは待つという約束にも(かか)わらず、抜け駆けしようとは一体どういうおつもりですか!」


「誤解。旦那様を慰めていただけ」


「言い訳無用! 主様も主様です! 私が添い寝して差し上げようとしても、断固拒否されるというのに、なんですか? ロリータの乳枕なら良いんですか! そういうマニアックなご趣味なんですか!」

 

「いや、あの、本当にそんなのじゃないですから……。剣姫様、ちょっと落ち着いてくださいってば」


「これが落ち着いていられますか! 私があんなに、あーんなに苦労してミオ殿の弁護を()()()()()()というのに!」


「そ、そうなんですか?」


「そうですよ! 主様にも見ていただきたかったものです。私の鋭い追及にアスモダイモス伯が蒼ざめるその様を。ミオ殿が無罪を勝ち取れたのも、ほぼ()()()()といっても過言ではありません!」


 過言どころの騒ぎでは無い。

 もしこの場にクリフトがいたならば、この厚かましいコメントのせいで吐血してもおかしくはないだろう。


 しかし、ナナシとマレーネは何も知らない。

 素直に感心する素振りを見せて、パチパチと手を叩く。


「剣姫、やればできる子」


「流石、剣姫様です。いやー凄い! 凄いなー!」


「えへへぇ。まあ、それほどでもありますけどね」


 マレーネとナナシのあからさまな追従(ついしょう)に、満足げに胸を逸らす剣姫。

 よし、話題を逸らすことに成功したぞ。

 そう考えてナナシは、思わずホッと息を()く。


 しかし、最近、(とみ)にアホの子疑惑が(ささや)かれている銀嶺の剣姫と言えども、流石にそれで誤魔化されるほど、脳の構造はシンプルではない。


「それなのに……」


 急に(うつむ)いてぷるぷると震えだす剣姫。

 その体から立ち昇る不穏な気配にナナシとマレーネの顔からサッと血の気が引く。


「それなのに! クリフトさんは私を置き去りにして、さっさと馬車で帰ってしまうし、へとへとになりながら歩いて帰ってきてみれば、あろう事か主様が他の女の乳枕に顔を埋めて、乳繰りマンボでカーニバルですよ! こんちくしょー」


「人聞き悪過ぎいぃぃぃぃ!」


 たまらず取り乱すナナシ。


「あのですね! 剣姫様、僕らは別にそういうことをしていた訳ではなくてですね……」


 必死に状況を説明しようとするナナシの言葉を遮って、剣姫は、やけにいい笑顔でナナシの肩をポンと叩くと、皆まで言うなといわんばかりに首を振る。


「分っています、主様。マリスは分っておりますよ。私が傍にいない寂しさのあまり、あのロリ駄肉の執拗な誘惑についふらふらと欲情してしまわれたのですね。大丈夫です。悪いのは全てそこのおっぱいジャイアント。あ、略してパイアント。主様はただ犬に噛まれたようなものなのですよね」


「少しも分かってねえぇぇぇぇぇ! ……っていうかなんで略したァ!」


 相変わらず、ナナシの事となると理不尽の塊となる剣姫。

 最終的には、その矛先は決してナナシへは向かわない。

 彼女の中では、主様は常に正しい=相手が悪いという不動の公式が当然の様に成立しているのだ。

 そして剣姫がマレーネをぎろりと見据えると、マレーネは真正面からその視線を受け止め、


「剣姫とは包容力が違う」


 と言い放つと、サッとナナシを楯にする様にして、その背に隠れた。

 虫みたいな動きだった。


 確かにサイズだけの話をするならば、剣姫はいわゆる『標準』。

 言うなればミドル級である。ヘビー級のマレーネとは比べるべくもない。


 次の瞬間、

 ビシッと、紐を両方から引っ張ったような、そんな音がして、剣姫のこめかみに青筋が浮かび上がる。


 あ、これ、アカンやつや。


 ナナシの本能が告げる。


「マレーネ殿、あなたとは一度、二人っきりでお話しなくてはなりませんねェ」


 プルプルと震える剣姫の全身から噴き上がる禍々(まがまが)しい瘴気(しょうき)


「ちょ、剣姫様、落ち着いて!」


「全く、誤算ですよ。警戒すべきは()()()殿ぐらいかと思っていたんですけどねェ」


 ナナシは耳を疑った。

 剣姫がその言葉を言い終わるや否や、ナナシは剣姫の手を握り、興奮気味に詰め寄る。


「剣姫様! 今、ミリア殿って言いましたか!?」


 あまりのナナシの勢いに、流石の剣姫も怯えるように上体を逸らして逃げ惑う。


「え、ええ、それが何か?」


家政婦(メイド)のミリアさん?」


「え、ええ」


「キリエさんの妹のミリアさん?」


「そ、そうですけど」


「剣姫様、ミリアさんを覚えているんですね!」


「いや、覚えているも何も……。あのストーカー家政婦(メイド)のことなら常に警戒していますとも。今回だって主様のことですから、みっともなくも罠に(はま)った、あの家政婦(メイド)を放っておくことは絶対なされないだろうと思って、急いで帰ってきたんです。それをカーニバルでヒャッハーなさられているものですから……つい」


 剣姫のその言葉に、ナナシは一瞬硬直するように身を震わせた後、泣き笑いの様な複雑な表情に変わる。


 そして次の瞬間、


「ありがとうございます!」


 と叫びながら、剣姫のことを激しく抱きしめた。


「えっ! なにこれ? 天国? あひゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ」


 狼狽のあまりおかしな絶叫を上げる剣姫。

 しかしナナシは我を忘れた様に剣姫を抱きしめたまま、大はしゃぎで跳ね回る


「ありがとうございます! ありがとうございます! ははっ! そうだ、そうですよ、僕は間違ってなんかいない。忘れているのはみんなの方なんです!」


 ここまでナナシが歓びの感情を爆発させることは、滅多にない。

 暫くして、跳ね回るナナシを呆然と見ていたマレーネが、何かに気付いた様に急に真顔になった。


「……旦那様」


「なんですか♪ マレーネさん♪」


「それ以上やると剣姫が死ぬ」


「あ……」


 我に返ってみれば、ナナシの腕の中で幸せそうに、にやけた顔のまま頭から湯気を立ち昇らせて、気絶している剣姫の姿があった。


  ◇◆  ◇◆


 ナナシは、なんとか意識を取り戻した剣姫とマレーネを(ともな)って、再びシュメルヴィの部屋を訪ねた。


 時刻は既に深夜、眠っているところを起こされた形のシュメルヴィは、少し不機嫌そうではあったが、流石にペリクレス領主の娘まで一緒に来られては仕方ないとでも思ったのか、あっさりとナナシ達を部屋へと入れてくれた。


 ナナシが自分だけでは無く、剣姫もミリアのことを覚えていた事をシュメルヴィに説明すると、彼女は(あご)に指を当てて深く考え込む。


「じゃあ、私達が皆、そのミリアっていう娘のことを忘れているとしてぇ、ナナシ君とセルディス卿だけがぁ、覚えていたのはどうしてなのかしらぁ?」


 至極真っ当な疑問、剣姫がおずおずと手を上げる。


「あの……実はそれには心当たりが……。非常に言いづらいんですけど、私と主様の間に掛かっている契約魔法なんですけど……」


 ナナシは思わず自分の手の甲に刻み込まれた、雪の結晶のような紋章に目を落とし、その視線を追ったシュメルヴィがパンと手を叩く。


「あ、なるほど……。わかっちゃったわぁ。なるほどね。そういうことなのね」


「ちょ、ちょっと待ってください。シュメルヴィさん、僕らにも分かる様に説明してください」


「以前、私にその紋章の鑑定を依頼しに来たことがあったでしょう?」


「ええ、ミリアさんがシュメルヴィさんにお願いしたヤツですね」


「……私の記憶ではキリエちゃんだけどね」


 記憶の改竄(かいざん)は徹底的。

 どうやら、辻褄が合う様に他の人に置き換えられるらしい。


「最初、その紋章を見た時にはぁ、『呪い』だと思ったんだけどぉ、丁寧に解読してみたら古代魔法やら神聖魔法やらがぐっちゃぐちゃに入り混じった無茶苦茶、複雑な術式の魔法だったって説明したと思うんだけどぉ」


「ええ、確かにそう聞きました」


「一部ぅ、それが何かすらわからない部分があったのよねぇ」


 剣姫がビクッと身体を震わせる。


「わからない部分?」


「そう、今回の種はそこにあるんだと思うわよぉ。で、それはさておき、皆に一斉に忘却魔法をかけるなんて無理。さっきはそう言ったけどぉ、発想を逆転させてみれば、同じような事ができるわねぇ」


「発想を逆転ってことは……」


「忘れ()()()じゃなくて、忘れ()()()


 マレーネの呟きにシュメルヴィは小さく頷く。


「そういうこと。その娘に、皆から忘れられる魔法……この場合は呪いね。を掛ければぁ、こういう状況になるんじゃないかしら」


「皆が忘れた訳じゃなくて、ミリアさんが皆に忘れ()()()ということですね」


 そこでマレーネは、ポンと手を叩く。


「なるほど、旦那様には呪いが効かない」


 隷属の首輪の呪いが効かなかったせいで、剣姫に散々脅されたマレーネとしては、とても納得のいく話だ。しかし、隷属の首輪の呪い自体に気付いていなかったナナシには、マレーネが一体何を言っているのかが良くわからない。


「ナナシくんがぁ、そのミリアって娘のことを忘れなかった理由。それがこの紋章よぉ。呪いは二重にはかからない。より強力なものだけが発動するのよぉ~」


「え? つまり? それは? どういう……」


「ナナシくんはぁ、既にセルディス卿にぃ呪われてたから、忘却の呪いの影響を受けなかったってことねぇ」


 絶句するナナシ。

 あわあわと大慌てで、剣姫が口を開く。


「いや、あの魔法に呪いが混じってるなんて知らなかったんです。本当です。たぶん、呪いって言っても、たぶん、宿主を(むしば)む系の奴とかじゃないですよ、たぶん」


「たぶんたぶんって……今、現在進行形で、剣姫様の発言に僕の神経が(むしば)まれていってるんですけど」


 ナナシは大きく溜息を吐くと、再びシュメルヴィに向き直る。


「じゃあ、剣姫様が覚えているのは何でなんです?」


「ナナシくん、契約は一人でするものでは無いのよぉ。当然、セルディス卿にも同じ紋章があるはずよぉ」


「そうなんですか? どこにあるんです? ちょっと見せてください」


「…………りです」


 真っ赤になって(うつむ)く剣姫


「えっ? すいませんもう一度お願いします」


「お尻って言ったんですぅ! しり! けつ! 臀部(でんぶ)! ヒップ!」


「ええぇ……」


 ドン引きするナナシ。

 よりによって何故ソコなのか?


「で、君はどうするつもり? ナナシくん」


 シュメルヴィが真剣な表情でナナシを見据える。


「いや流石にお尻を確認するわけには……」


「そうじゃないわよぉ! そのミリアって娘をどうするのかって聞いてんのよぉ!」


「もちろん助け出します!」


「本当にそれでいいの? そのミリアって()はそれを望んでいないかもしれないわよぉ」


「……どういうことですか?」


「その娘を助け出すことはすなわち、皇国に背くということになるのよぉ。こんな呪いにかかってまで、皆に忘れ去られようとしているんだもの、助けだそうとして、皆が危険な目に合わない様にしようとしてるんじゃないかしらぁ」


「それは……」


 ナナシは剣姫の方へと無意識に視線を泳がせる。

 ナナシ一人が危険な目に合うのならば、何も迷うことはない。しかし、剣姫は必ずナナシに付き従うことだろう。


 ナナシと目が合うと剣姫は微笑んで小さく頷く。


「主様のなさりたいように、なさられれば良いのです。主様の前に立ち塞がる者は全て私が排除いたします」


 剣姫の隣で、マレーネも頷く。


「旦那様の望みのままに」


 ナナシの眼にジワリと熱いものが浮かび上がったその瞬間、ドアが勢いよくバタンと開いて踏み込んでくる者があった。


「聞かせてもろうたで、ウチだけ()けもんってのは勘弁や。他の女を助けるためにというのは気が進まんけどな!」


「あ、おみやげ!」


「おみやげ言うな!」


 おみやげ、もといヘルトルードであった。

 どうやら、決意を固めたらしいナナシがシュメルヴィを見つめてにこりと笑った。

 シュメルヴィは溜息を吐いて、


「私だけ高みの見物というわけには、行かないみたいねぇ」


 と、苦笑した。



  ◇◆  ◇◆


 ミリアが処刑される日の朝

 ミオはぐっすりと眠っていた。

 つい昨日まで、牢獄の固い寝台(ベッド)でロクに眠れずにいたのだ、それに比べれば自室のふかふかの寝台(ベッド)の感触は天国といっても良かった。


 早朝、地平線の向こうに新たに生まれた太陽が、ほんの少し頭を出した頃、幸せそうに眠るミオの身体を、誰かが激しく揺さぶった。


「ミオ様! 大変です! 起きてください!」


「んあ……もう食べられないのじゃ」


「はい、お約束のベタな寝言ありがとうございます。……じゃなくて、起きてください。大変なんです。今すぐ、起きてブリッジへお越しください!」


 キリエが尚も慌てた様子でミオを起こそうとする


「なんじゃ一体……」


「機動城砦ペリクレスが謎の集団に乗っ取られました!」

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新作始めました!舞台はサラトガから数百年後、エスカリス・ミーミルの北、フロインベール。 『落ちこぼれ衛士見習いの少年。(実は)最強最悪の暗殺者。』 も、どうぞ、よろしくお願いいたします!
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