第105話 死ぬのはお前だ。
ギィイと軋む様な音を立てて、扉が開く。
途端に室内にいた領主達は一斉に跪き、突然の出来事についていけずに、きょとんとした表情のファナサードだけが、その場に立ち尽くす。慌ててクリフトが彼女の腕を掴んで、石造りの床へと引き倒し、彼女も「痛い」と抗議の声をあげながらも、遅れて跪いた。
「集まっておるようじゃな」
老人特有のしわがれた声が、廊下から室内へと放り込まれ、その声の後を追うようにして、皇王が特別法廷へと足を踏み入れてくる。
一人の供も連れずに現れた皇王は、厚手の豪奢なローブに身を包み、室内をひとしきり見回して重々しく頷くと、ゆっくりとした足取りで歩を進め、この法廷の中央で異常な存在感を放っているCの文字の形をした巨大なテーブルの上座、テーブルの切れ目がある部分の正面へと腰を降ろした。
「皆の者、楽にしてくれ」
皇王のその言葉に応じて、領主達は一斉に頭をあげると、それぞれに手近な席に着く。皇王の右隣にはカルロン伯、続いてヴェルギリウス伯、アスモダイモス伯、ローダ伯。左隣にペリクレス伯、メルクリウス伯クルル、ストラスブル伯ファナサードと続き、ファナサードの背後にはクリフトが寄り添う様に立った。
「カルロン伯、すまぬが、其処許から、皆について紹介してくれぬか」
「ハッ!」
皇王が人前に姿を現すのは19年ぶり。
カルロン伯とて『精霊石板』ごしに毎日顔を合わせてはいるものの、生身で会ったのは、同様に19年ぶり、ましてやクルルやファナサードなど年齢が19にも満たない領主ともなれば、直接の面識があるはずもなく、皇王の方でも知っているのは辛うじて名前程度のものである。
「誰、あのおっさ「言わせませんよ!」」
相変わらず、危険球を投げようとするファナサード。慌ててクリフトが必死の形相でその口を塞いだ。そんな末席の騒がしさに、皇王がそちらへと目を向けると、目が合ったファナサードは悪びれもせずにニッコリと微笑み、クリフトは慌てて頭を垂れる。
「あれは?」
忌々しげにファナサードを見やって、カルロン伯が冷や汗を流した。
「実は……あちらはストラスブル伯でございまして」
「砲撃で死んだと聞いておったが?」
「それが本日突然、実は生きておったのだと、出て参ったのでございます」
「……左様か」
カルロン伯は、皇王のその反応の薄さを不審に思いながらも、それ以上深く聞かれなかったことに胸を撫で下ろす。彼自身ファナサードの存在をどう扱って良いものなのか測りかねていたのだ。
引き続いて、領主達について一通りの紹介を済ませた後、カルロン伯は皇王の表情を伺いながら、「始めさせていただきます」と小さく囁き、皇王が無言で頷くと、
「被告、前サラトガ伯ミオ=レフォー=ジャハンをこれに!」
と声を上げた。
その言葉に応じて、特別法廷奥の鉄扉が重々しく開くと、両脇を皇家の兵によって抱えられたミオが、Cの字のテーブルの中央へと牽き出されてくる。
薄汚れた囚人服、枷をはめられた手首、憔悴した表情。トレードマークのお団子頭は片方がほどけて乱れ、より一層、この小さな体の元領主をみすぼらしく見せた。
厳粛なる法廷である。少女を揶揄する様な声が上がる訳でもなく、ミオを引き摺っていく兵士の足音だけが室内に響く。誰もがじっと彼女を見つめている。その視線に籠る思いは様々だが、ファナサードはぎゅっと口元を引き結び、その小さく震える肩をクリフトが優しく擦った。
テーブルの中央まで来て兵士達が手を離すと、一瞬よろけはしたものの、ミオはその場に踏みとどまった。そして酔眼のような虚ろな目つきのまま、居並ぶ領主達を見回して、ファナサードの姿を見つけたミオは目を見開いて息を呑み、小さく「あぁ」と呻いた後、絶望的な表情を見せた。それは、ここにいるファナサードの正体が剣姫であることに気付いたからというわけでは無い。ここにファナサードが現れることによって、ミリアの計画がどう狂っていくかが見えたからだ。
「それでは皇姫ファティマ殿下殺害の容疑にてミオ=レフォー=ジャハンの審議を始めます」
ミオの内心の焦りを知る由も無く、カルロン伯が朗々とそう宣言する。
続いてミオの罪状、殺害時の状況をひとしきり読み上げると、
「ミオ=レフォー=ジャハン、相違ないな」
とミオへと問いかけた。
ミオは小さく首を竦める。
胸の奥でいいかげんにしろと声に出さずに毒づく。娼はこんな茶番に付き合わされるのか。そう考えると思わずウンザリとする。
ここで何を言おうと、それは全く無駄なことで、それぞれの領主が心の中で握っている投票札の色は変わりはしない。
元々は真っ赤に塗りつぶされるところだったものを、彼女の忠実な部下達、仲間達が、工作を繰り返して青い札を持つものを増やしてきたのだ。
このまま、一言も発せずに投票に移ろうと、一刻二刻と時を重ねて、事の起こりから結末までを子供に聞かせる様に丁寧に話をしても、その結果は変わらない。
台本通り、筋書き通り、おとぎ話の王子と姫が、最後にはいつも結ばれる様に、結末は何一つ変わらない。
しかし、だからと言ってここで「はいそうです」と、言われるままに全部を飲み込んでやるのも腹立たしい。
ミオは、ちらりとアスモダイモス伯の方を見やって、少し嫌がらせぐらいはしてやろうと、胸の内でほくそ笑んだ。
「皇王陛下の御前にて、口を開くことさえ憚られますが、今、カルロン伯の読み上げられた我が罪状には大きな誤りがございます」
「ほう、申してみよ」
「では、その前にアスモダイモス伯、貴公の機動城砦はサラトガがストラスブルを砲撃した頃、いずこにおられたか?」
ミオがここで足掻くと踏んでいたのだろう。アスモダイモス伯は慌てる様子も蔑む様な笑みを浮かべてすっとぼける。
「はて、質問の意図は理解できませぬが、まあ良いでしょう。我がアスモダイモスは、エスカリスミーミル東端を巡航しておりましたが、それが何か?」
「それは誠ですかな?」
「サラトガ伯、いや、前サラトガ伯。貴公が何を言いたいのかさっぱりわかりませぬが、それは我が仇敵が証明してくれることでしょう」
「ああ、実に残念だが、こいつん動向は、ずっとモニタリングしてたからな」
皇王の前であるだけに、ミオ、それにアスモダイモス伯サネトーネの口調はいつもとは似ても似つかぬ丁寧なものであったが、それだけに互いに対する不快感が透けて見える。そしてそんな中でのクルルの、いつも通りのぞんざいな物言いは返って真実味があった。
ミオはクルルの方へと向き直って問いかける。
「メルクリウス伯、機動城砦エラステネスを覚えておられますかな?」
「当然だ」
クルルは不快そうに眉を寄せる。
エラステネスの名は『後悔』という二文字と共に、彼女の胸に刻まれているのだ。
「では……」
ミオはちらりとアスモダイモス伯へと目をやりながら、クルルへと言葉を紡ぎ出す。
「アスモダイモスが停泊しておったのは、エラステネスが沈んだあたりではありませんでしたかな?」
「ん? おう、そうだな。言われてみればそのとうりだ」
アスモダイモス伯サネトーネの口元が不快気に歪むのを見て、ミオは薄らと嗤った。
それは牽制であった。
お前が想像しているよりも、ずっと深く自分は状況を把握しているのだとアスモダイモス伯へと示して見せたのだ。
機動城砦アスモダイモスは遠く離れたエスカリスミーミル東部にいるように偽装しながらサラトガへと襲い掛かってきた。
サルベージしたエラステネスの魔晶炉と、本来の魔晶炉を積み替えて自身のいる位置を偽装するという、人間で言えばはらわたを丸ごと入れ替えるような、無茶苦茶なトリックだ。
普通ならば、まず考え付かない。考え付いても実行しない。そんな無茶苦茶なトリックについて、アスモダイモス伯もまさかミオがそんなところまで、勘付いているとは思っても見なかったことだろう。
しかし、サラトガにはそれをあっさりと読みきった人間がいたのだ。
これは、ここでミオを有罪に落せなかったならば、隠されているであろう場所に急行して、アスモダイモスの本来の魔晶炉を発見し、貴様の首根っこを押さえてやる。そういう意思表示でもあった。
いうならばミオはアスモダイモス伯をこう煽ったのだ。
「死ぬのは、お前だ」と。




