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第104話 我が生涯に一片の悔いなし

両界の反転リェヴィエルスィロヴァニエ!」


 シュメルヴィの艶やかな声が薄暗い路地裏に響きわたる。

 その途端、バチッ! とキサラギの身体の表面を流れた電流のようなものに弾かれて、押さえつけていたナナシ、バガブット、ザジの三人は、思わず手を離して後ずさった。


 しまった! 冷たいものがナナシの背中を滑り落ち、同時にナナシの視界の中でキサラギの口元が三日月の形に歪むと、そこから「ハハッ」と小さく(わら)い声が(こぼ)れる。


 ナナシは既に満身創痍(まんしんそうい)。ここでキサラギを自由にしてしまえば、再びそれを()じ伏せるだけの余力は残っていない。


 今ならまだ間に合う。ナナシは再びキサラギを押さえつけるべく、必死に手を伸ばす。が、それよりも早く行動に移ったのは、巨人の(ジャイアント)バガブットだった。

 ナナシ同様、電流に弾かれながらもなんとか踏みとどまって「オオオッ!」という雄叫びを上げると、右肩を突き出す様にしてキサラギの小さな身体へと体当たりを繰り出したのだ。


 ほとんどゼロ距離にも等しい位置からのショルダーチャージ。しかし、それにもかかわらず、キサラギがスッと身体を捻ったかと思うと、まるですり抜けてしまったかのように、バガブットはキサラギに触れることさえ(かな)わずに、背後の壁面に、強かに顔面を打ちつけて身体をのけ反らせた。


「バガブットさん!」


 思わず声を上げるナナシ。うめき声をあげるバガブットの傍にキサラギの姿は無い。気配を感じて振り向けば、いつの間に移動したのか、そこにはキサラギが胸を反らして立っていた。


「ハハハハハハハハハッ!」


 キサラギの哄笑に、ナナシとザジ、更にキサラギの向こう側ではヘルトルードがそれぞれに表情を硬くしながら身構える。


 最悪の状況だ。シュメルヴィの魔法は失敗に終わったのだ。


 そう考えてナナシは下唇を強く噛みしめる。この恐るべき義妹(いもうと)をどうやって再び押え付ければ良いのかと頭を巡らせながら、シュメルヴィの方へとちらりと視線を向ける。


 もう一度、さっきの魔法をやりなおす事が出来るのかどうか、まずはそれが知りたい。


 しかし、シュメルヴィはと言うと、いつの間に仲良くなったのか、初対面の筈の代弁家政婦(メイド)トリシアと、なにやら楽しげに談笑しているではないか。


 洩れ聞こえてくる内容に耳を立てれば、互いの(あるじ)についての苦労話。「そんなの()()()に比べれば全然マシですよー」などと、声を立てて笑うトリシア。


 良く見れば、その背後ではマレーネがぷるぷると小刻みに震えているのが見える。

 じっと見ていると、マレーネはおもむろにペンを取り出し、それをトリシアの尻に付き立てようと振りかぶった。


 トリシアさん逃げてええええ!


 ……じゃなくて!


「シュメルヴィさん! 真面目にやってください! もう一度さっきの魔法を……」


 ナナシの必死の形相を眺めながら、シュメルヴィはキョトンとした表情を浮かべる。その背後からトリシアの「ハゥ!?」と息を呑む声が聞こえたが、今はツッコまない。それどころではないのだ。


「なんでぇ? ちゃんと魔法はかかったわよぉ」


「え?」


 思わずキサラギの方に目をやると、キサラギはナナシに指を突きつけて、言い放った。


「小僧、何のつもりかは知らんが、この俺様に襲い掛かるとは良い根性ではないか! 一度勝ったからといって、また勝てるとでも思っておるなら大間違いだぞ」


 キサラギが大音声(だいおんじょう)で放ったその言葉に、ナナシは思わず硬直する。


「も、もしかしてゴードンさん?」


「もしかしてもへったくれもあるものか! 俺様の顔を見忘れたか!」


 どうみてもキサラギの顔である。


 ナナシが二の句を告げられないでいると、キサラギ(おそらくゴードン)は肩を(すく)めて言い放つ。


「まあ良い、オマエが俺様と再び戦いたいというならば、それは戦う(おとこ)の宿命! いつでも胸を貸してやろうではないか!」


 聞き覚えのあるフレーズに、ナナシの頭をイヤな予感が()ぎる。


「さあ! 存分に揉みしだくがいい!」


「ウチの義妹(いもうと)の身体でそのボケはやめてええ!」


 思わず絶叫するナナシ。


「い、いいのか?」


「いい訳無いでしょう!」


 ナナシはちょっと興奮気味に尋ねてくるザジを睨み付ける。しかし次の瞬間、


「ええのん?」


「ヘルトルードさんッ!?」


「いいのね?」


「シュメルヴィさんまで!?」


『天丼』はお約束とばかりにサラトガ組がボケをかぶせてくる。

 このあたりには全く躊躇(ちゅうちょ)が無い。

 ボケに対しては鬣犬(ハイエナ)のような連中であった。


「しかし、そのお嬢ちゃんが本当にゴードンなのか?」

 

 背後から壁面にぶつけた顔面を(さす)りながら、バガブットが問いかけてきた。しかし、ナナシが答えるよりも早くキサラギ(もう間違いなくゴードン)が口を開く。


「何を言っておるのだバガブット! 俺様の顔を見忘れたか?」


 何度見ても、キサラギの顔である。


 とりあえずゴードンのことはスルーして、ナナシはバガブットへと向き直る。


「ゴーレムの中に、ゴードンさんの魂が入ってたのは、間違いないんですけど……」


「それが、表に出てきている、そういうことなのか?」


 バガブットが(いぶか)しげに眉根を寄せ、キサラギ(以降ゴドラギと呼称)は頭の後ろを掻きながら、いかにも不本意といった様子で答えた。


「まあ、マリールー殿もキサラギ殿も眠ってしまったので仕方なくだがな」


「マリールー? その人がゴーレムの本体なんですか?」


「マリールーやて!?」


 ナナシの問いかけを打ち消す様に、ヘルトルードが思わず声を上げ、一斉に皆の視線を集めた。


「ご存じなんですか?」


「知ってるも何も、(あるじ)はんらがストラスブルに来る前にクリフトはんが言うとってん。キスクはんのところの奴隷の()が、マリールー言うヤツに瓜二つやて」


 ヘルトルードの言葉が途切れるのを待たずにマレーネが口を挟む。


「エラステネスの娘」


「マリールーというのは今はもう沈んでしまった機動城砦エラステネスの領主の娘の名前です。と仰られています」


「会ったことはない」


「会ったことはありませんが、エラステネスがメルクリウスに沈められた時に亡くなっていると聞いています。と仰られています」


 相変わらず驚異の代弁スキルを見せつけるトリシアに、見慣れている剣闘奴隷(イーシャラ)組はともかく、シュメルヴィとヘルトルードは戸惑っているのが見て取れた。

 尚、()()()トリシアはちょっと涙目で、ふんぞり返る様な姿勢で尻を押さえていた。


「しかし、意外と平気そうひゃな、ゴードン」


 微妙な空気に耐えかねたのか、それまでほとんど口を開かなかったザジが、話題を変える様にゴドラギへと問いかける。


「ふむ、別に困る様なことでもないからな」


「いや、ゴードンさん? アナタ喰われてるんですけど?」


 喰われてゴーレムに魂を閉じ込められているのに『別に困る様な事では無い』という回答はさすがにおかしい。ナナシのその疑問にゴドラギは遠い目をして言った。


「ある意味長年の夢が叶ったとも言えるからな」


「夢……ですか?」


「ああ、そうだ。真の(おとこ)なら誰しも一度は、考える」


(おとこ)なら……」


「そう、(おとこ)なら! 一度は美少女に生まれ変わってみたい。そう思ったことがある筈だ!」


「いや、言ってる意味がさっぱりわからないんですけど……」


「愚かな……。 ザジ、バガブット、お前らは分かるな!」


 ふりむくと、ザジとバガブットが感慨深げに頷いている。マジか……。

 剣闘とか男臭い世界に長くいるとそう言う願望を抱くようになるものだろうか。

 言葉を失うナナシを見据えてゴドラギは拳を高く掲げると、朗々と(のたま)った。


「我が生涯に一片の悔いなし!」


 バガブットとザジのパチパチという(まば)らな拍手の中、死んだ魚のような目をしたナナシが、シュメルヴィへと振り返る。


「シュメルヴィさん、せめてゴードンさんだけでも切り離す方法ないですかね?」


「ちょ?!」


 慌てるゴドラギ。しかしナナシはそれを指さしてシュメルヴィに訴える。


「だって、そうでしょ。自分の妹に変身願望のあるおっさんがちょっと混じってくるんですよ!」


「つれない事いうなよ、兄者」


「誰が兄者ですか!」


 声を荒げるナナシに、シュメルヴィは優しく微笑みながら、ナナシの肩に手を置いて言った。


「残念だけどぉ、このアホを切り離す方法はわからないわぁ。不治の病だと思って諦めなさい」


 シュメルヴィのソレは、あまりにも絶望的な響きをもって、ただでさえ満身創痍のナナシにトドメを刺した。

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新作始めました!舞台はサラトガから数百年後、エスカリス・ミーミルの北、フロインベール。 『落ちこぼれ衛士見習いの少年。(実は)最強最悪の暗殺者。』 も、どうぞ、よろしくお願いいたします!
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