第102話 極限散歩
なんとも言い難い微妙な空気に包まれる特別法廷。
死んだ筈の人間がいるというだけでも、言葉を失うには充分なのに、その上冗談なのかどうなのか良くわからない発言をブチかまされてしまっては、一同硬直するより他にない。
この場にいる人間の頭を過ぎったのは等しく同じ疑問。
――それはひょっとして、ギャグなのか?
その一言を口にすべきかどうかを迷い、領主達は互いの様子を窺っている。
スパーン!
停滞するその状況を打ち破ったのは、小気味の良い打擲音。
このイヤすぎる空気を作り出した元凶である総やかな髪の持ち主、その頭を、背後から白い巨大な板の様なもので殴りつけた者がいた。
「痛いでドリル!」
そのあまりにもトンチキな抗議の声を完全に無視して、ストラスブル伯ファナサードの背後に控えていた老人が、室内の人物たちに向けて口を開く。
「皆さま、誠に申し訳ございません。お嬢様は行方不明となっておられる間に強く頭を打っておられまして、言語中枢に重大な障害を患っておられます。あまり気になさられませぬ様に」
老人の名はクリフト。ストラスブル伯に古くから仕える執事であり、ここにいる諸侯の大半とは面識がある。
ちなみにクリフトの手にある白い板状の物は良く見ると扇状に折りたたまれた厚紙。剣姫がファナサードに化けて法廷に赴く事になった際、いざという時の為にと、ナナシとヘイザが作ってこの老人に授けたモノである
それは砂漠の民に古くから伝わるツッコミ道具『ハーリセン』。
少々の事ならば、強引に冗談として成立させてくれるという、ある意味魔法の道具であった。
「言語中枢に障害?」
困惑気味にそう問い返したのはペリクレス伯。
「そうなのです。御労しい事に私共が、オアシスで彷徨っておられたお嬢様を見つけ出した時には、すでに語尾が時折『ドリル』になられるといった有様で……」
「まさかそんなことが……」
あるわけがない。そう思いながらも老人の真剣な表情に、その場にいる一同が、もしかしたら、そういうこともあるのかもしれない、そう納得しかけた時。
「無い無い。そんなことあるわきゃない」
顔の前で手を振りながら、当の本人、ストラスブル伯ファナサードが否定した。
スパーン!
再び響きわたる軽快なハリセンサウンド。
こめかみに血管が浮かびまくった顔をファナサードに突き付けて、老人が絞り出す様な声で囁く。
「私が折角フォローしてるのに、な・ん・で、アナタが台無しにしようとしてるんですかッ?」
「ス、スイマセン」
目を逸らしながら、仰け反るファナサード。
流石にこれは怖い。そしてあまりにも顔が近い。
クリフトは領主たちの方へと向き直ると、咳払いしてあらためて口を開く。
「お嬢様自身は気づいておられない様ですが、ともかくそんな状態なのでございます」
より一層微妙な空気が漂って、メルクリウス伯クルルが視線を泳がせた結果、思わず天敵アスモダイモス伯サネトーネと目があって、不愉快気にフロアに唾を吐いた。その途端、「うおおおおおおおおおお!」と一番奥の席にいたローダ伯ボルフトロットが突然雄叫びを上げる。
ローダ伯は驚く一同を尻目に、椅子を押しのけるようにして、ファナサードの前までくると、突然その場に跪き、彼女の手を取った。
「神よ。わが最愛の人を救いたもうたこと心から感謝します!」
そして滂沱と涙を流しながら、手の甲に口づけしようとするので、ファナサードは「ちょ! ちょっと!」と声を上げながら慌てて強引に手を振り払った。
「さあ我が最愛の人よ、照れることはない。少々言語中枢がおかしくなっていたとしても私の貴女への愛が色褪せることはありませんぞ」
若干、蒼ざめて後ずさるファナサード。
「だ、誰? このおっさん」
思わずそう口にした途端、
スパーン!
再び高らかに打擲音が部屋に響き渡った。
「痛ったーい! ちょっとぉ気軽にポンポン殴りすぎじゃないですか?」
「アナタが殴られる様なことを言うからでしょうが! この方はお嬢様にずっと求婚し続けておられるローダ伯様でございます」
「恋人なの?」
「違います。ここへ来る前に説明したでしょう。お嬢様はずっと求婚をお断りされておられました。ですので、なるべく当たり障りの無いご対応をお願いします」
「わかりました。当たり障りのない対応ですね」
「大丈夫ですか?」
「任せてください」
ファナサードはローダ伯に向き直ると頭を下げてこういった。
「お断りします」
スパーン!
もう何度目だ。打擲音。
「そうでございますけど、言いたいことはそうでございますけど、そこは軽く流してくださいませ、ほらごらんなさい、今は求婚したわけでもないのに断られたものですから、ローダ伯様、ちょっと涙目になってるじゃないですか」
「いや、涙目もなにも、最初から涙流してましたよねあの人」
「黙らっしゃいッ!」
聞こえない様に小声で喋ってはいるものの、この場にいる人間のほとんどがクリフト翁の血管が破れやしないかと心配になるほどの形相であった。
「でも、求婚されても、私は主様一筋ですから」
「だから、アナタに求婚してるわけじゃありませんから!」
「今思いついたんですけど、『球根される』だったら、面白いですよね」
「うがああああああああ!!」
あまりにも関係ない話をブッこんできたファナサードに、クリフトの我慢の緒も限界を迎えてオーバーロード。唐突に上がった老人の叫び声に領主たちはビクリと身体を跳ねさせて目を丸くする。
しかし、こういう時比較的冷静なのは、どういう訳かいつも真っ先にブチ切れる人間であったりするものだ。
「おいそこのお笑い主従、話がすすまねぇゾ、いい加減にしやがれ」
メルクリウス伯クルルが口を挟んだ。
コレ幸いとクルルのほうを向き直るとファナサードはそれこそお嬢様然と上品に微笑む。
「あら、御免あそばせ。ウチの執事が失礼をいたしました」
「お嬢様!?」
流石は剣姫、だてにサラトガで嵐のようなボケツッコミに晒されてきたわけではない。シレッと全部クリフトのせいにした。
「で、どういうことか説明してもらいたいのだがな」
アスモダイモス伯が威圧するようにファナサードとクリフトを睨みつける。
アスモダイモス伯はボズムスのゴーレムからストラスブル伯を殺した顛末を聞いている。特段の能力があるわけでも無く、戦略的にその記憶を奪う必要も無いファナサードはただ単純に殺害したと聞いている。
それ故に、ここに現れたファナサードが偽物であると心の中で決めつけているのだ。
「アスモダイモス伯です」
クリフトが小声で耳打ちし、ファナサードは小さく頷く。
「どういうこととは?」
「決まっておるではないか、貴公はサラトガの砲撃に巻き込まれて死んだと聞いておる。それがなぜ生きて、しかもストラスブルから離れた場所のオアシスで彷徨っておったのだ」
この質問はおそらく何らかのカマを掛けられているのだろう。そう判断したファナサードは慎重に答えを探す。
「砲撃したのがサラトガかどうかは分かりませんが、ストラスブルが砲撃を受けた時、丁度、私は外を散歩しておりましたので、それで無事でした」
「外は砂嵐だったと聞いておるが?」
「あ」
実に残念ながら、ファナサードはあっさり引っかかった。
思わずクリフトは額を押さえて項垂れる。
しかし、ファナサードは顔色を変える事なく、再び口を開いた。
「失礼、言葉がたりませんでしたね。丁度、極限散歩をしておりまして」
「な? なに?」
「ストラスブル名物『極限散歩』。極限状況の中をどれだけ平然と散歩できるかを競う新競技ですのよ」
「執事殿そうなのか?」
「え……ええ、まあ」
そう答えはしたもののクリフトの背中は汗でびっしょり。誤魔化すにしてもあまりにも強引な受け答えである。
「砂嵐の到来ともなれば、多数の『おさんぱー』と呼ばれる競技者達が手に手にお弁当を持って、春の草原を駆けるかのように、キャッキャうふふと、ストラスブルを飛び出して行くわけでございます」
思わず想像してみて、その頭がおかしいとしか言いようのない光景に一同微妙な顔をする。
「ところが、なんといっても極限競技でございますから、負傷者も続出するわけです」
「いや……まあ、それはそうでしょうなぁ」
「中には、砂嵐に飛ばされるような人間もおりまして……」
「その競技は流石に禁止した方が良いのでは?」
「というわけで、砂嵐に飛ばされた結果、記憶の一部を失ってオアシスで彷徨っていたというわけでございます」
「飛ばされてたのアンタかよ!?」
思わずツッコむクルル。
その場に居る全員が思わず肩を落としたその瞬間、入口の扉が軋む音をたてて開いた。
◇ ◇ ◇ ◇
「おっと、誰かが来た様じゃ」
ミオがそう言うとずっと響き続けている水滴の滴る音に混じって、ミリアのいる牢獄とは反対側の方からコツコツと足音が響いてくる。足音は二人分。
そしてそれはミオのいる牢の前で足を止め、ギッという牢の扉が開く音が暗い牢獄に響いた。
「元サラトガ伯、ミオ=レフォー=ジャハン。裁判の時間だ。出ろ」
「やっとか、ずいぶん待たせおったもんじゃな」
「口の減らないお嬢さんだ。少しでも命が長らえたことに感謝した方が良いのではないか?」
「アホをぬかせ。別に娼が死刑になると決まっておる訳ではあるまい。むしろ無罪放免となった暁には、顔色を蒼く染める者も多いことじゃろうな。なにせ、領主に向かって無礼千万働いたわけじゃからな」
ミリアの位置からは見えないが、次の瞬間ドスッという鈍い音が聞こえたかと思うと、カハッという空気を無理矢理にも吐き出すような声、続いてえづく様なミオの呻きが聞こえた。
「調子に乗るなよ。クソガキ」
「まあ、待てこれから裁判だというのに、口も利けないようでは流石にまずいからな。それぐらいにしておけ」
そのあと、ミオの声は聞こえてこない。
ただズルズルと何かを引き摺る音が遠ざかっていった。




