第100話 あくまでも兄として
「むっ! 今、我が弟がピンチに陥っている、そんな気がする」
キリエが、はたと顔を上げ、窓の外へと眼を向けた。
幹部専用のカフェテリア。その窓から見える景色は一面の砂漠。
残念ながらナナシがいる市街地とは全く逆の方角であった。
「はいはい、わかりましたから、早くご飯食べちゃってくださいよ。隊長が食べ終わってくれないと片づけられないんですから」
アージュが前掛けの裾で手を拭いながら、溜息をつく。
家政婦達が難民キャンプに収容されてしまったので、食事の用意は半ば押し付けられる様な形でアージュが行うことになっていた。
ちなみに手伝おうとしたキリエは、皿を5枚割った時点で厨房から追い出された。
「いや、しかし我が弟がだな……」
「ちゃんとトマト残さず食べたら、聞きますから」
「いや、私のお姉ちゃんセンサーに反応が……」
「センサーって……今どき子供でも言いませんよ。そんなこと」
聞く耳持たず。
アージュに軽くあしらわれて、キリエはそれこそ子供の様に唇を尖らせる。
「…………ところでアージュ、お前、このトマト山盛り定食は、私への当てつけの様に思えてならんのだが?」
「何のことです? 近衛隊の隊長ともあろうお方が、まさかトマトが食べられないとでも?」
「…………」
「そんな筈がありませんよねぇ。ええ、まさかねー、そんなねー」
ジトッとした目をして、キリエへと顔を突きつけるアージュ。その様子に少しイラッとしたキリエは反撃に出た。
「アージュ、お前、さっき私だけが我が弟に抱きついて、自分は出来なかった事を根にもっているのか?」
「バ、バ、バ、バカな事をおっしゃらないでください! な、なんで私があんな男のことを!」
アージュがナナシに特別な感情を抱いていることは、ほぼ周知の事実だけに、キリエの問いかけ自体が意地悪でしかないのだが、アージュとしても、はい、そうですなどとは言える訳がない。
「ほー、あんな男? 男ねぇ、前は寄生虫呼ばわりしておった様に思うのだがなぁ、へー、ほー、ふーん」
盛大に目を泳がせるアージュ、それを眺めながらニヤつくキリエ。しかし、アージュが苦し紛れに発する次の一言はキリエにとって、死刑宣告にも等しかった。
「ご飯にトマトソースかけますよ」
「やめろ! それは私のオアシスだ」
真っ赤に染まる食卓。
今や、白ごはんだけが、キリエの心のよりどころであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
脇腹に血をにじませながら、ナナシは霞の構えのまま、キサラギを見据える。
真っ赤に染まる脇腹、断じてトマトソースではない。
いくら何でも強すぎる。
ナナシは、キサラギとの戦闘に突入してからずっと違和感を覚えていた。
確かに、キサラギは幼少時からナナシの鍛錬を傍で見て来ている。技の種類、その剣筋、特徴、それらを覚えていたとしても何ら不思議は無い。
しかし、本来見知っていることと、対処できることとの間には、天と地ほどの差があるのだ。
少なくともゲルギオスの宿屋の一室で対峙した時とは、比べものにならない。
これほど短期間にナナシの刀を見切ることなど、出来るはずがないのだ。
そのことについて、ナナシの頭の中で一つの推測が首をもたげていた。
「ゴードンさんを喰らいましたね」
この時点では、ただの推論。
ナナシのこの言葉はカマをかける以上のものではなかった。しかし、キサラギがその言葉に一瞬、硬直する様子を見せたことで、それは確信へと変わった。
「なんてことを……」
「あらら、バレちゃった。でもそれがわかったところで、アンちゃんには手も足も出ないんじゃないの。ドンちゃんはアンちゃんの技を見切る事は出来ていた。でもアンちゃんの反応速度に身体がついていかなかっただけ。アタシのこの身体なら、もうそんなことは有り得ないもん」
「キサラギ……いや、ゴーレム。今、僕ははっきりと言い切れます。お前に食われるのだけは絶対にイヤだと。キサラギと一つになると言うのはともかく、その人とだけは一緒になるのはまっぴら御免です。四六時中ツッコみ続けなきゃいけない状況だけは絶対にイヤなんです」
「大丈夫、すぐに聞き流せる様になるから」
「ボケを聞き流すとか……それ、ミオ様が聞いたら、たぶん無茶苦茶怒りますよ。ボケ殺しを許せない人ですからね」
「馬鹿馬鹿しい」
キサラギがそう言って肩を竦めた瞬間、ナナシは大きく踏み込んで、キサラギへと迫る。卑怯とも言える急襲、しかもナナシらしからぬ、胴体のどこかに当たれば幸いという様な雑な突きであった。
ふらふらと行方の安定しない切っ先にキサラギの視線が吸いつけられる。剣筋を読まれないために、敢えてどこを突くかを決めずに切りかかってきた。キサラギはそう見切った。
やりにくいのは確かだが、そんな勢いの無い突きを弾き返すことなど、ゴードンの全てを見通す眼を持つキサラギにとっては訳はない。
次の瞬間、キンという甲高い音が響き刀が弾かれた。
「これで終わり!」
刀が逸れたところで、キサラギはとどめを刺すべく大きく踏み込み、爪を揃えてナナシへとカウンターの一撃を突き出した。
しかし、そこでキサラギは大きく目を見開く。
ナナシがそれを躱したのだ。いや、より正確にいうならば、キサラギが爪を突き出した先、そこからナナシの姿が掻き消えた。少なくともキサラギにはそう見えた。そして刹那、キサラギは仰向けに引き倒され、強かに背中を石畳に打ちつけたのだ。
ナナシは、突き出した刀が弾かれる直前、当然カウンターが来ることを予測して、身体を沈み込ませると、両腕でキサラギの脚に組みついたのだ。所謂、諸手刈りである。
ナナシにとってもゴードンとの戦いは忘れられるものではなかった。あれだけ苦戦させられたのだ。それだけに、再戦する時にはどう対処するかを、ナナシは幾度となくシミュレーションしていた。
ゴードンが眼で見たものを捉えるのならば、眼を釘付けにする。眼で見て、そしてとるであろう行動を事前に予測する。その上で、ゴードンが対処できない攻撃を組み立てる。そう考えていたのだ。
両足を掴んでキサラギの身体を引き倒した後、当初、対ゴードンとして考えていた流れに沿えば、繰り出す技は股間を踏みつけての電気アンマ一択なのだが、流石にゴーレムとはいえ、義妹の姿をしたものに電気アンマをお見舞いしたとなれば、唯でさえ数々の誤解の末に『変質者』というレッテルを貼られているナナシの評価が『変質者』で確定してしまう。
「ちょ! アンちゃんのえっちぃ!」
顔を赤くして、捲れ上がったスカートを押えるキサラギ。
ナナシは、パンツの色は白であることを、あくまでも兄として確認した後、捲れ上がったスカートからは目を逸らし、両足を掴かんだまま、その場で回転しはじめる。
一回、二回、そして、その勢いのままに手を離し、キサラギを放り投げた。
「きゃああああああああぁぁぁぁ……」
しかし、ナナシは忘れていた。
ここは屋根の上なのだ。屋根の端から盛大に悲鳴を上げて落下するキサラギ。
「キサラギッ!」
自分で放り投げておきながら、間抜けにもナナシは大慌てでキサラギの落ちて行った方へ駆け寄ると屋根から下を覗きこむ。
次の瞬間、キサラギがニヤリと笑う顔がナナシの視界に映った。
「やっぱ、アンちゃんはお人よしだよ」
「クッ……!」
慌てて飛び退こうとするも、もう遅い。次の瞬間、軒先にぶら下がっていたキサラギの爪がナナシの肩を貫通し、そのままナナシは、血を迸らせながら、地上へと落ちていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
サーネは悪魔殺しを目にして、こう言った。
「アレはダメ、アレは危ない」
ベアトリス三姉妹は特殊な存在である。
マーネは嘘を吐くことができない。女性の目元に小皺を見つけたら「あ、しわしわ!」と言ってしまう様な歩く危険物だ。
逆にサーネは嘘しか言えない。女性の目元に小皺を見つけたら、おそらく女性の若さを賛美する言葉を述べるだろう。
この二人については法則性を理解していれば、まあわかりやすい。
ボズムスは悪魔殺しという名の剣を自慢げに掲げながら、メシュメンディに向かって言い放つ。
「「ふおっふおっ、しょせん悪魔などこの程度のものです」にょ」
メシュメンディは何故か呆れた様な表情で、肩を竦めた。
それを観念したものととらえたのか、ボズムスは、より一層高圧的な態度をとる
「「この剣が有る限り、たとえ『悪魔付き』と言えども、手も足も出まい」にょ」
ボズムスの声はなぜか二重に響いた。
「だれだ! さっきからオレの言葉に被せてきているヤツは!」
いや、誰だとは言ったもののボズムスにも分かっている。なにせ、あの特徴的な語尾だ。怒りを身体中に漲らせながら周囲を見回すボズムス。その視界に、赤味がかった髪の幼女がケラケラと笑う姿が映った。
サーネは「アレはマズイ」と言ったのだ。嘘しか言えないサーネがそういうからには、それは「何の問題もない」ことを示していた。
…………というか、はっきり言ってそれ以前の問題であった。
彼らの手の中にある剣、悪魔殺し。
それは、遠い昔ベアトリス本人が戯れに造ったジョークアイテムだったからだ。
ただし、ジョークと言ってもタチの悪さは半端ではない。
ボズムスの身体はゴーレムなので、問題なく使用出来ている様だが、普通の人間では使用することすらできない。名前も誤って伝わっているようだ。
その剣は、普通の人間が使用したならば、その場で即座に命を刈りとられる悪魔が襲ってくる剣なのだから。
「本当に懐かしいモノを出してくるから、ついつい乗ってあげたくなったにょ」
「悪魔め、なんともないとでも言う気か」
「当然だにょ。それよりさっきから悪魔、悪魔って、イーネ達をそんな下等なものと一緒にするのは止めてほしいにょ」
頬を引き攣らせるボズムス。ローブの男がじりじりと後ずさる。
「じゃ、楽しませてくれたお礼に、イーネのとっておきを見せてあげるにょ」




