第99話 悪魔殺し
「あなたがここを通る様な状況を作るのには苦労させられましたよ」
小太りな男の少し耳障りな高い声が、白亜のエントランスホールに反響する。
「ふむ、覚悟というからには、余の命を獲りに来たのだろうが、何者かのう?」
皇王は何ら慌てる様子もなく問いかけた。その声は掠れている様に聞こえたが、それは恐怖によるものではなく、純粋に加齢によるもの。
皇王は落ち着き払っている。
「ふおっふおっ、私が何者かなど、それは重要ではありませぬな。あなたはここで死に、私はあなたになりますので。いやぁ、同情いたしますよ。最愛の娘を失い、今ここで自分自身も他人にとって代わられようとしておるわけですからな」
「ふむ、この部屋の向こうには我が兵達が控えておる筈だが、それだけのことをいうからにはここへ我が兵を呼ぶ事は……」
「もちろん出来ませんよ。この部屋自体に認識魔法をかけておりますからな。いくら叫ぼうが聞こえることもなく、よしんば聞こえたとしても、部屋の入口の位置さえわかりますまい」
「周到なことだ」
「ふおっふおっ、まあ、随分と時間を掛けましたからね。当初はサラトガを餌にファティマ姫のお体を乗っ取って、こちらからこの宮殿の最奥まで、お伺いするつもりだったのですがね。いろいろと予定が狂いましてね」
皇王は目を伏せる。
それを観念したものと受け取った小太りの男―ーボズムスは、自分の隣にいるローブの男へとちらりと目をやり、男が頷くのを確認すると、皇王へとゆっくりと歩み寄り始めた。
磨き上げられた白亜の床にコツコツと足音が響き、ニヤニヤと笑いながら、皇王の元へと歩み寄るボズムス。
取り乱す様子もないのは皇王としての矜持か、はたまた怯えているだけか。
いずれにしても状況は変わらない。
しかし、皇王だけは気付いていた。
自分の目の前の床に、皇王の物ではなく、もちろん二人の不審者の物でもない不自然な影が地に落ちているのを。
ボズムスが歩みながら爪を伸ばし、指先を揃えてその鋭利な刃物の様な爪を翳して皇王へと見せつける。
そして、二人の距離は2ザールを割った。
「お覚悟を」
ボズムスがそう言い放って腕を振り上げた途端、異変が起こった。
皇王とボズムスの間、そこに不自然に蟠っていた影が一気に盛り上がり、その影の中から、白刃がボズムスに向かって突き出されたのだ。
「なっ!? なんだ!」
狼狽えて声を上げながら、ボズムスは白刃を爪ではじき、背後へと飛び退く。
地面から盛り上がった影。その中から、肩に二人の幼女を背負った男が這い出してくるのが見えた。
「メシュメンディ卿かっ!」
その優男の姿は、ボズムスの記憶の中にある。サラトガ第一軍の将。
二年前サラトガ奪還の折、剣姫とともにミオがどこからか連れて来た『悪魔付きの男』だ。
影の中から這い出し終わると、メシュメンディは剣を構えて、皇王とボズムスの間に立ち塞がった。
「やぁ、パルミドル坊や。ずいぶんと老けたもんだにょ」
メシュメンディの肩にぶら下がっている幼女の一人が皇王へと親しげに話しかける。それは明らかに旧知の人間へのものであった。
「ふむ、ベアトリスか、そっちはずいぶんとちびれたもんじゃの」
「若返ったと言って欲しいにょ」
「ふん、お主がくっついておるということは、そっちはペリクレスんとこの子倅か?」
「なんだにょ、詫びでも入れる気なのかにょ?」
「誰が!」
「お、お前ら! オレを無視するんじゃねえ」
完全に放置された状態のボズムスの顔に怒りの表情が浮かび上がる。それを押しとどめる様に肩へと手をかけてローブの男が前へ進み出ると、初めて口を開いた。
「あなたがヘロデの言う悪魔付きの男ですか?」
ヘロデという名前にメシュメンディはピクリと肩をふるわせる。
ヘロデ、それは二年前にサラトガを追放され、砂漠に沈んだはずのミオの叔父の名だ。サラトガに対する執拗な策略を仕掛けて来たのも、ヘロデが生きていて、一枚噛んでいるのだとすれば、納得がいく。
「影から現れるというのは予想外でしたね。あれは魔法ではなさそうですが……」
「へー、影からって部分にしか驚かないんだにょ。ここにイーネ達が来るのは計算に入ってたってことにょ?」
「そうですね。もちろん、あなた方悪魔に対する対策も万全です」
「あはは、言うにょー。イーネ達を自分の掌で踊らせている、そう思っているみたいだけど、違うにょ。面白いから、イーネたちは自分からダンシングしてやっているだけにょ。勘違いしたら惨たらしく死ぬにょ?」
イーネが威嚇するように目を細める。
しかしローブの男はそれを軽く受け流して話題を変えた。
「ネーデルという北方の国に死の谷と呼ばれる遺跡があることはご存じですかな」
「懐かしい名前だにょ」
「そこで発掘された物なんですがね」
ローブの男は背から一本の剣を取り出して、ボズムスへと投げ渡す。
漆黒の刀身に4つの赤い宝石が埋め込まれた片手剣。
「悪魔殺しというらしいんですがね」
メシュメンディがゴクリと唾を飲む。
その剣からは、黒い瘴気が絶え間なく噴き出しているのが見えた。
「ガーゴイルなんかは、近づけただけで砕け散りましたが、あなた方はどれぐらいもつでしょうかね」
「は、はは、そ、そんなの効く訳がないにょ」
「イーネ、アレはダメ、アレは危ない」
イーネが引き攣った笑いを浮かべ、サーネがボソリとイーネに囁く。
「使う暇を与えなきゃいいんだにょ!」
次の瞬間、メシュメンディの肩にぶらさがっていたイーネの姿が掻き消えた。
次の瞬間、剣を握っているボズムスの眼前に現れると、ゴォォ!という音と共に身体中から炎を吹き上げながら、ボズムスに向かって殴りかかる。
しかし、ボズムスは剣でそれを一閃。
「きゃあああああああ!」
断末魔の声を上げて、イーネは黒いタールのような液体となってドボドボと地面に落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
払う! 払う! 払う!
次々に繰り出される鋭い爪をひたすら刀身で払いながら、後ずさっていく。
ナナシの口からは呻く様な声が洩れて、全く余裕がない事が見て取れる。
反撃に転じる隙を窺ってはいるものの、疲れを知らないゴーレムの身体を持つキサラギは、一向に手を休めてくれる様子はない。
石造りの平屋根とは言っても、足場は不安定。
3階建ての建物の屋根の上、数ザール後ろで屋根は尽きて、そこまで追い込まれれば地面に向けて真っ逆様、故に背後に飛んで、大きく間合いを外すこともできない。
踏みとどまるしかない。速さで上回るしかない。
ナナシは後ずさるのをやめて、前に出る。
出来るだけ剣で受けずに体で躱し、攻勢に回るべく斬撃を放つ。
ナナシが前に出たことにキサラギは驚きの表情を浮かべた後、楽しそうに口元を歪めた。
「さっすがぁ、やるねアンちゃん」
屋根の上まで追ってきたキサラギと、ナナシは対峙していた。
建物の下には多くのやじ馬が集まって、二人を指さしながらざわめいている。
ナナシの斬撃をことも無さげに躱しながら、キサラギがナナシに話しかけてくる。
「でアンちゃん、あの女は何?」
「同じ機動城砦の仲間です」
「砂漠の民の人間が、普通、同じ機動城砦なんて科白を吐くの?」
「それこそなりゆきですよ!」
答えながらも、ナナシの方には全く余裕が無い。
ナナシは内心焦っていた。
義妹を殺してしまう訳にはいかないので、急所を外している斬りつけてはいるのだが、それでも手を抜いて斬撃を放っているわけではない。
しかし、キサラギはいとも簡単にナナシの斬撃を躱していくのだ。
「アンちゃん、ジゲンなんて、もう私には通用しないんだから、諦めたら?」
「いいかげんに、キサラギのフリをするのはやめてもらえませんか」
「ふりだなんて悲しい事をいうんだねアンちゃん。もうキサラギちゃんと私は切り離せないところまで来ているっていうのに」
「どういう意味です?」
「アタシと一つになればそれもわかるよっ!」
キサラギはナナシの斬撃を弾くと、爪を揃えてナナシの脇腹を突く!
鈍い音をして、ナナシの脇腹の肉が抉れ、どっと血が噴き出した。
思わず声を上げて膝をつくナナシ。
さらに追撃してくるキサラギの爪を刀で弾いて、ナナシはふらりと立ち上がる。
押さえた指の間から血が滲みだして、苦しげに息が上がっている。
「アンちゃん、そろそろ諦めたら? どうやったってアンちゃんの刀はアタシには当たらないんだからさぁ」
ナナシは血まみれの指を服で拭うと両手で刀を持って、半身を引き、刀身を顎の下あたりに横たえた。
霞の構え、突き技に特化した構えをとる。
息は既に上がって苦しく、眼が霞む。
目を細めて、苦しい息の中から、ナナシは言葉を絞り出した。
「ここで諦める様な兄を、キサラギが許してくれるとは思えませんから」




