第95話 キサラギ リターンズ
「おい小僧……てめえ、何もんだ」
腹を抱えて爆笑するキルヒハイムを横目に見ながら、クルルは怒りに声を震わせる。
そもそも一般的な常識で言えば、庶民が領主に気安く話しかけるなど言語道断、本来、そこには越えられない身分の壁という物があるのだ。
それを、見ず知らずの少年が城門が開いた瞬間という、誰にも制止できないタイミングで行い、しかもその内容は、領民の直訴か何かであるならまだしも、ひたすらクルルの名前を揶揄するという意味不明なもの。
これでは、唯でさえ気の短いクルルがブチギレない道理はない。
もちろん、ナナシにはクルルを揶揄する意図は、これっぽっちも無かった。
ただ、領主と庶民の身分の違いという点に置いて言えば、ナナシの中の領主の類型が、『サラトガ伯ミオ』であったが為に、世間の常識と若干ズレが生じているのは事実である。
普通、領主は街中で、マダム達の井戸端会議に嬉々として加わったり、家政婦とのおやつの取り合いに負けて涙目で、家政婦の姉に言いつけたりはしない。そう、……しないのだ。
クルルの背後にいる断罪部隊の少女達は、目の前の少年の末路を想像し、その後片付けと、全てが終わった後のクルルの八つ当たりを思って、暗澹たる気持ちになっていた。
ところがクルルが纏う、怒りに満ちた雰囲気が、少年の姿を見ている内に徐々に収まっていく事に気付いて、少女達は思わず顔を見合わせる。
「けっ、何だよ、良く見りゃ地虫じゃねえか、人間様の礼儀作法はわかりませんってか?」
クルルは吐き捨てる様にそう言うと、何かつまらない物を見る様な、そんな目をナナシへと向けた。
怒りに能わず。
人間ですら無い者に、本気で怒ってやるほどの価値は無いのだ。
不快ではあるが、虫相手に本気で怒るなど、それこそクルルの尊厳に係わる。
それはあまりにも不遜な態度。
しかし、ナナシは一向に気にしない。
過去あまりにも多くの人間に、そういう視線をぶつけられて来たが為に、感覚として麻痺してしまっているのかもしれない。
ただ、このままでは話を聞いてもらえない事はナナシにもわかる。
そこでナナシは気が進まないながらも、肩書の力を借りることにした。
「不躾ですいません。僕はナナシと言います。今日は『ペリクレス領主代行補佐』として、メルクリウス伯様にお話をお伺いしに参りました」
『ペリクレス領主代行補佐』という何処にイントネーションを置いて良いのかさっぱり分らない肩書を聞いて、クルルは眉根を寄せ、怪訝そうな顔をする。
「ペリクレスだぁ? あの皇王陛下の腰巾着の日和見オヤジが、オレに何の用があるってんだ」
腰巾着の日和見オヤジ。
ナナシはペリクレス伯の顔を思い出して、その呼ばれ方に何となく納得するものを感じた。
ちなみにナナシは知らない事だが、代々ペリクレス領主を輩出してきたシャリス家の家訓は『長いものには巻かれろ』である。
「いえ、用があるのは、ペリクレス伯様では無くて、僕です。くるくるさ「クルルだ!」」
再び『くるくるさん』と呼ばれかけて、クルルは怒鳴る様に、ナナシの言葉を遮る。
その瞬間、唯でさえ笑い転げているキルヒハイムが更にツボに入ったのか、ほぼ呼吸困難に近い状態で、再び「ヒィー」と声を洩らす。
ナナシは今の今までクルルに意識が向いていたせいで気が付かなかったが、クルルの隣で笑い転げている男に、何気なく目を向けて驚きの声を上げた。
「って、キルヒハイムさんじゃないですか!? なんでここに?」
未だに笑いの種火を残し、ヒィヒィと苦しげに息をしながら、キルヒハイムは頷く。
「やあナナシ君、ご無沙汰だね。彼女の名前はププッ…クルルだ。決して、プッ、くるくるじゃ…フフッ、な、ないよ」
必死に笑いを堪えながら答えるキルヒハイム。
サラトガで会った時には、常に澄ました表情で冷たい雰囲気を纏っていた男が今、肩を震わせながら必死に笑いを堪えている。
ナナシが気が付かなかったのも、無理は無い。
従来のキルヒハイムの印象と、この笑い転げている男の印象が、あまりにも違い過ぎるのだ。
そんなキルヒハイムの様子を苦々しげに横目で見ながら、クルルは遂に痺れを切らした。
「あぁ、もう良い。面倒くせえ。22番! このガキを殺して、ペリクレスに送り返せ!」
他の機動城砦の幹部であっても、クルルには全く関係が無い。
そもそも戦争上等なのである。
むしろ殺したところで何の価値もない地虫のままであったならば追い払って、それで終わりにしていたところなのだが、ナナシが肩書を名乗ってしまった事で、クルルの中で、殺してやるだけの価値を持ってしまったのだ。
クルルの指示に、後方から22と書かれた刺青の少女が、剣を引き抜きながら、前へと進み出てくる。
その瞬間、キルヒハイムは22番を制止するように手を横へと差し伸ばし、目を伏せたままクルルへと告げる。無論、既に笑ってはいない。
「義妹殿これは、兄としての忠告ですがね。それは最悪の選択だと思いますね」
「なんだと?」
「その22番君がどの程度強いかは分かりませんが、あの『銀嶺の剣姫』より強いという事は無いでしょう。
信じられないかもしれませんがね、その少年はその『銀嶺の剣姫』が主と奉じる男なのですよ、敵に回すのはあまり得策とは言えませんね。
更に言えば、ミオ様は彼を第三軍の将として迎え入れようとしている。これはほぼ決定事項です。ミオ様は部下に仇なす者を決して許しはしない。つまりサラトガも敵に回すことになるという事ですね。
もう一つおまけに、今の話を聞く限り、彼はペリクレスでも幹部の地位に着いている様ですね。つまり彼に手を出すという事は『銀嶺の剣姫』『サラトガ』『ペリクレス』を一気に敵に回す事になるという事ですよ」
「このクソ虫に、そんだけの値打ちがあるってのか?」
キルヒハイムは頷き、ナナシの方へと向き直る。
「ナナシ君、君もクルルの邪魔をしないでやってください。早く彼女を連れて行って、裁判を終わらせねば、ミオ様の処遇が悪くなる一方なんですから」
「す、すいません。でも一つ! 一つだけ教えてください。ゲルギオス伯は殺されたのですか?」
ナナシのその問いかけにキルヒハイムはナナシがここに現れた理由に思い至った。 サラトガの幹部である彼は、ゲルギオス伯を名乗るゴーレムの内側にナナシの義妹の魂が囚われている事を知っている。
「ああ、なるほど、そういう事ですか……。
ゲルギオスは確かにメルクリウスが占拠しましたが、当のゲルギオス伯は不在。
何処にいるかはわかりませんが、おそらく無事でしょう」
思わず、ホッと胸を撫で下ろすナナシ。
「キルヒハイムさん、ありがとうございます! では僕はこれで失礼しま……」
笑顔でキルヒハイムへと礼を告げて、ナナシがこの場を去ろうと踵を返した途端、断罪部隊の少女達がぐるりとナナシを取り囲んだ。
「義妹殿……。どういうつもりですか?」
眉根を寄せながら、キルヒハイムがクルルを問い詰める。
しかしクルルは薄笑いを浮かべながら、ただナナシを見つめているだけ。
その表情は獲物を目の前にした肉食獣を思わせた。
「どういうつもりも何も。
つまりだ、このガキを殺れば、大規模な城砦都市間の戦争へと発展するってんだろう? 面白い!面白いじゃねえか。
とりあえずは、とっつかまえて裁判が終わった後、首と身体がお別れするところをペリクレスとサラトガに見せつけてやりゃあ良いんだよな。
ついでにアスモダイモスのサネトーネのおっさんも無理矢理引っ張りこんで、機動城砦のバトルロワイヤルに突入だ!
ドでかい戦争が出来る! 出来るぞおおお!! はははははは!!」
思わず頭を抱えるキルヒハイム。
自分の義妹の戦争狂という異名が、ダテでは無かったことを改めて思い知らされたのだ。
しかし、項垂れるキルヒハイムへと、ナナシは特に慌てた様子もなく、微笑みかける
「大丈夫です。キルヒハイムさん、僕はそう簡単にやられませんから」
クルルがヒューと口笛を鳴らして、楽しそうにナナシを見回す。
「ハハッ、度胸座ってんじゃねえかクソ虫。気に入ったぜ。もしお前が生きてここから逃げ出せたなら、裁判が終わった後、オレが直々にブチ殺してやる」
クルルは非常に楽しそうだが、ナナシとしては、はっきり言って願い下げである。
「いや、別に僕はクルルさんと戦いたい訳じゃないですし、ここから帰れれば、それでいいんで……。以降の戦闘については心の底から遠慮しておきます」
「ハン! 戦う理由が無いってのか? 良いだろう。じゃ、こうしようぜ、もしお前が勝ったら、オレをお前の好きにしていいぜ。下僕だろうが妾だろうがな。どうだ、このオレの身体を好きにできるんだ。どうだ、童貞野郎、興奮してきたか?」
ぺろりと舌をだしながら、クルルは挑発するようにそう言った。
しかし、それは逆効果。
途端にナナシはげっそりとした表情になって、力なく手を振る。
「いや、そういうの良いんで……。ホント、すいません」
「お前失礼な奴だな!? そんなにオレに魅力がねえってのか!」
クルルは少し傷ついた。
「いや、そういう訳ではなくて、あくまでこちら側の問題でして、既に過積載というか、何というか……」
ナナシのその様子から、とりあえずクルルの魅力の問題では無い事は一応、伝わった様で、クルルは気を取り直す様に言った。
「ふん、まあ良い。楽しい戦争のためにもサラトガ伯には、生き残ってもらわなきゃならねえからな、オレは裁判に向かう。
3番! 後は任せる。
オレが帰るまでに、そいつは手足を切り落として牢にブチ込んで置け」
クルルはそう言い放つとナナシを取り囲む断罪部隊達の脇を通って、常設橋を首都の方へ向かって歩きはじめた。
しかしその途端、背後で断罪部隊の少女達が一斉に声を上げる。 驚愕と混乱に満ちたその騒がしい声にクルルが振り向くと、メルクリウスの城壁に手を掛ける様にして、巨大な影が砂漠から立ち上がっていくのが見えた。
「誰がサンドゴーレムを出して良いと言った!」
思わずクルルが叫ぶ。
確かにサンドゴーレムはメルクリウスの決戦兵器だ。
クルルは命令もせぬのに断罪部隊の誰かが、そんなものを引っ張り出した、そう思ったのだ。
しかし次の瞬間、
「ウォオオオオオオオオオオン!!」
サンドゴーレムが両手を振り上げて吼えた。
「な、なんだと……」
クルルは驚愕に声を震わせる。
サンドゴーレムは命を持たない。
古代に作られたという白金製の核を持つ、命なき魔導兵器でしかないはずだ。
それが、生き物の様に、叫び声をあげるなどと言う事があるはずが無いのだ。
クルルが狼狽えている内に、さらなる混乱が訪れる。
断罪部隊の少女達の方で、突然、血しぶきが高く上がったのだ。
そこには、首を失った少女の姿。
傷口から噴水の様に飛び散る血しぶきの向こう側、首の無い少女の身体が、どさりと音を立てて倒れると、そこには少女が一人、長く伸びた爪から血を滴らせながら、微笑みを浮かべて立っていた。
「……キサラギ」
その少女を目の前にして、ナナシが擦れた声で呟く。
少女は、ナナシの方へ向き直ると満面の笑みを浮かべて言った。
「アンちゃん、お待たせ! 今度こそおいしく食べてあげるからね」
 




