第四十二話「重ねる言葉」
先生から受け取ったカード型の鍵を使い、今日私とゆりちゃんが泊まる部屋へと入る。
調度品は比較的少なく、セミダブルのベッドが二つと窓際に一人掛けのソファが二脚、そばには小さな丸テーブルが置かれていて、夜景を眺めるにはちょうど良い位置だった。テレビは壁掛けタイプが一つ、冷蔵庫も小さいながら完備されていて一日どころか何泊かしたいくらい快適な空間だった。
「広いね」
ゆりちゃんが言うように二人で泊まるには些か広く、三人、ないし四人程度で泊まっても十分なほどであった。
「ここにみんな呼んで、夜とか遊びたいね」
みんな呼んだらせっかくの二人きりが。と思ったが、まぁ修学旅行の夜なんてみんな同じようなことを考えているし、この様子だとゆりちゃんも何かみんなで遊ぶものを持ってきているのだろう。かくいう私はみんなが持ってくるだろうと思って持ってきていない。荷物にもなるしね。
「ささ、早めに荷物整理してゆっくりしよう」
私は重い荷物を持ち直すと、部屋の手前に位置するベッド付近でそれを広げる。
ゆりちゃんも「景色いいねー」なんて言いながら奥側のベッドに向かい、同様に荷物を整理し始めた。しかし、荷物整理に二十分近くも使うわけなく、少しすると部屋のドアがノックされる。多分遥がこちらの部屋を見に来たのだ。
「はいはーい」
それにゆりちゃんが反応してドアを開ける。なんか今の感じ新婚さんみたいで良かった。
「おおー、こっちやっぱ広いねー」と遥の呑気な声が背中から聞こえる。しかしそのままこちらに来る様子はなく、どこかで曲がった。先にバスルームを見に行ったのだろう。
「ふむふむ、ここは同じ感じか」
私もまだ見ていない部屋のバスルームを、先に遥に見られたのにはちょっとだけムッとした。一日だけだろうと私とゆりちゃんの愛の巣を、私よりも先に隅々まで見るとは、許せん遥。
「私たちのところ三人部屋じゃない。だから部屋自体の広さはこっちと変わらないんだけれど、やっぱりベッドが三つあると狭く感じるんだよね。そういう点で言えばこっちは広く見える」
こちらの部屋に来たのが遥だけなのか、先ほどから残り二人の声が聞こえない。ということは多分荷物整理もほどほどに遥はいち早くこちらのチェックをしに来たわけだ。何が楽しくて他人が泊まる部屋なんて見に来るのかね。
「あ、比奈理。私たち夜はこっちにお邪魔しに来るから」
バスルームの見学が終わったのか、遥は私の後ろに立っていた。
「ああ、別にいいよ」
遥の言葉に私は振り返って答える。
「いいんだ。私はてっきり嫌がられるかと思ってたけれど」
嫌味な笑顔が良くお似合いで。
本当は遠慮願いたいところだけれど、今回の旅は私とゆりちゃんの二人きりってわけじゃないし、みんなと遊んだ思い出が無い修学旅行も、それはそれで寂しい気がする。
「遥!」
笑顔の応酬をしていた私と遥は、耳をつんざくような声にびっくりする。
「あんた荷物放っておいてどこ行ったのかと思ったら、こんなところにいたんだね」
荷物整理を素早く済ませて追いかけてきたのだろうえりさは、分かりやすく怒っていた。
「窓際のベッドを使うのはまだいい。それを勝手に決めたのも私たちは何も言わない。だって遥だもん。けれどね、私たちがどうして遥の荷物を整理しないといけないの! 遥が自分のバッグ投げ飛ばしたおかげで入ってた荷物全部部屋に散らばったんだから!」
何やってるんだこいつ。バカなの? それとも張り切っちゃって頭おかしくなったの? どちらにしても他人の迷惑になる行為はいただけない。
「ごめんごめん」
軽いな謝罪が。でもきっとえりさはそれで許しちゃうんでしょ?
「もう、次はないからね」
ほら。やっぱり最近えりさは遥に甘い。
「ごめんね比奈理。なんか騒がしくしちゃって」
「いいよ、それに今更だろそんなの」
「そうだね」
遥は元気なくらいじゃないとちょっと心配になる。だからいつも通りと言えばいつも通りなのだ。ちょっとやり過ぎな感じがあるけれど。
「じゃまた後でね」
「集合遅れるなよ?」
むしろあんたに言いたいんですが。
そう言い残してえりさは遥を連れて部屋に戻っていった。
「……あそこまではしゃぐのは無理かな」
「確かに」
私とゆりちゃんはそう言って笑い合った。
ひとしきり笑うと、今度は部屋が沈黙に包まれる。話題がないとか、話す空気じゃないわけではない。むしろ話したいことが多すぎて何から話せばいいのか分からなくなっているのが正解だろう。それはゆりちゃんの様子を見ていれば分かった。言葉を探しているのだろうか、それともどこから話すべきか迷っているのだろうか、ともかくとしてゆりちゃんは先ほどから口を開いては言葉が出ず、また悩むという作業で忙しかった。そんな様子を見ているだけでも十分に私は楽しかったのだが、まぁ助け舟くらいは出してもいいんではないだろうか。何を話そうとしているのかは、私は知り得ない。けれど、私の言葉でゆりちゃんが話しやすくなるのであれば、それに越したことはない。
「……ゆりちゃん」
そう呼びかけると、ゆりちゃんは一瞬驚いた顔をするが、すぐに笑顔で「なに?」と返してくる。
「私は、ゆりちゃんのこと、大好きだよ」
いきなり何を言っているのかを理解しかねているゆりちゃんはクエスチョンマークが頭の上に見えるくらい戸惑っていた。
私はなおも続ける。
「この先喧嘩をすることも、そばにいて嫌になることもあるかもしれない。でも、私はずっとゆりちゃんのことが大好きだし、一生嫌いになんてならない自信がある」
重ねた数だけ、言葉は重みを無くしていくかも知れない。でも、扱い方を間違えなければ、使う場所を間違えなければ、それは力を貸してくれる。何より、今の私たちには言葉にすることこそが重要なのだ。
だから私は言い続ける。
あなたのことが、大好きだと。愛していると。
「……そう。そうだよね」
静かに私の言葉を聞いていたゆりちゃんは、何かを決心するように左手にはめられた指輪を撫でる。
「ひなちゃん……私ね、ひなちゃんに、聞いてほしいことがあるの」
まっすぐに、純粋に、私の目を見ながら必死に言葉を紡ぎ出すゆりちゃん。
大丈夫だよって、心配ないよって微笑みながら、私はゆりちゃんが語りだした事情を黙って聞いていた。
未だ距離があるように見えた私たちの関係が、一歩ずつ深まっていくのを、その時確かに感じた。




